博多駅から地下鉄とJRを乗り継ぎ約45分。福岡市の西側に隣接し、玄界灘に突き出した半島を要する糸島市は、そのアクセスの良さと自然豊かな環境により、2010年以降、関東・関西からの移住先としても人気のエリア。「工房とったん」は、そんな糸島半島の北西、まさに“とったん”に位置する製塩所だ。
20代、ゼロから塩をつくるまで
この先にはもう、何もないのではないか、と思わせる細い道を進むと駐車場が見えて来る。そこからさらに5分ほど歩くと現れるのが製塩所「工房とったん」だ。海際の細長い敷地に、塩やプリンを販売する売店、工房、そして竹を組んだ立体的な塩田が並び、平日にも関わらず多くの人で賑わっている。
板前を経て、塩を作る職人へ
この「工房とったん」で塩作りを行い、製造したその塩を主役とした料理店、売店などを営む「新三郎商店」の代表が平川秀一さんだ。かつては懐石料理の板前として、20歳から地元福岡や海外で腕を磨いてきた。
平川さんが糸島で塩作りを始めたのは20代後半のことだ。偶然この場所を訪れた際、福岡でも数少ない南向きの海に太陽の光が降り注ぎ、その海中では、ひじきやワカメなどの海藻類が大きく育っていることを知った。「ここでならきっといい塩が作れる」。板前時代から「料理は素材ありきで成立する」と感じていた平川さんは、この海水を素材、塩を料理に見立て、そう確信した。また2000年代初頭は、それまで国の管理下に置かれていた塩の製造・輸入・流通が完全に自由化されたタイミングでもあった。
あえて非効率な方法で
完全に自由化されたとはいえ、海水の汲み上げには財務省への届出が、また海水の使用には地域の漁業者の承諾が必要だ。海水の使用権を得るため、平川さんは近隣の漁業者を一軒ずつ周り、塩作りへの思いを語り説得していった。
土地もまずは貸してもらい、最初の5年はジャングル化していたこの場所を、塩作りと並行しながら整理。塩作りが軌道に乗ったタイミングで購入した。
こだわったのは、竹を組み立てたクラシックな塩田で天然塩を作ることだ。さまざまな製塩所を見学し、効率良く作れる方法は他にもあったが、あえて非効率な方法を選んだ。それは、「工業的に」ではなく、「有機的に」作られる天然塩の魅力を世の中の人に知って欲しいとの思いからだった。
半月かけて、じっくりゆっくり作る塩
「工房とったん」では、約半月かけて塩を作る。まずは汲み上げた海水を丸太で建てた櫓の塩田の上部から竹に伝わせつつ天日に干し、それを約10日循環させる。そうすることで、単純に浜で釜炊きするよりも、海水の旨み成分を凝縮させることができる。
次に凝縮した海水を工房へ運び、釜の中でじっくりと炊きながらさらに濃度を上げる。同時に不純物を取り除き、さらに炊く。なお「工房とったん」では、釜の燃料に再生燃料を使用しており、炊きの前半には天ぷらの廃油、後半には建築廃材から作った薪を使用している。
釜に移して3日ほど炊き上げると、ようやく塩の結晶が現れる。それらを掬い、杉の樽で一晩寝かせたものが「またいちの塩 炊塩」。さらにそれを鉄釜で炒り、水分を飛ばしたものが「またいちの塩 焼塩」。「工房とったん」を代表する2種類の天然塩だ。
塩の味わいの違い
ところで、「塩」とひとくちに言っても、その味わいには角が立つものからまろやかなものまで幅がある。その違いは、どこで生まれるのだろう。
平川さんによると、最終工程で生まれるという。釜で海水を炊いていると、上層部には、ミネラルの中でもカリウムやカルシウムなどの塩みが柔らかい成分が集まり、下層部には塩みが立つナトリウムやマグネシウムといった成分が集まる。そのため、抽出した場所によって味が異なるのだ。
「工房とったん」ではその差を利用し、上部、下部の塩をふるって分け、再びブレンドして商品化している。例えば人気の「おむすび塩」は、最初の一口から最後まで、おむすびをより美味しく味わえるようにブレンドした商品だ。
ちなみに、同じ海から作った塩でも、毎回同じ味になるかというとそうではない。例えば春から夏にかけては海藻が増え、塩の味には複雑味が増してくる。逆に冬場は洗練された、フラットな味の塩ができる。季節によってもバリエーションがあることを知ると、塩の味わいがより楽しめるようになるはずだ。
救世主はプリン
現在でこそ福岡県内外で好評を得ている「またいちの塩」だが、初期は販売数が伸びず、「苦労の連続」だったという。大量生産されている塩に比べると価格は数倍。購入してもらうまでには仕掛けが必要だった。
製塩所で塩を作る工程を見学してもらえるようにしたのも仕掛けの一つだ。ここで実際に目の前の海や製塩の様子を見てもらい、釜から汲み上げた結晶を手に取って食べてもらうと、購入につながった。さらに「しおをかけてたべるプリン(花塩プリン)」を開発・製造。これが「またいちの塩」のヒットを牽引した。
素材は福岡県内産の卵と佐賀県産の牛乳、生クリーム。柔らかめに仕上げてあり、そこにパラリと塩をかけて食べると、味や食感の濃淡が楽しめる。プレーン味ほかキャラメル味、コーヒー味のほか、期間限定のプリンも味わえ、通信販売も行っている。プリンのヒット以降、「新三郎商店」では、おむすびが味わえる店や塩ラーメン店など、塩を中心に置いた店舗を糸島市内で次々と展開し、塩作りを起点にビジネスも循環し始めた。
変わりゆく海を守る
目の前に広がる海水を汲み上げ、天然塩を作り続ける平川さんにとって、今、第一の課題は海の保全だ。
「またいちの塩」は玄海国定公園内にあり、様々な不自由はあるものの、ある程度自然が担保されている。極端な環境の変化や生活排水による汚染は少ない。
それでも、海の状況は刻一刻と変わりつつある。例えば温暖化で、奄美や鹿児島といった南方の海で盛んに養殖されているシマアジが、近年はこの糸島近海でも揚がるようになった。ワカメは、30年前だと収穫時期が2ヵ月近くあったが、10年前には1ヵ月弱に、最近では2週間に。
海水温の上昇は、海藻類が著しく減少する磯焼けも引き起こす。海水温の上昇によりウニが長寿化し、必要以上に海藻を食べ、海中の環境サイクルを変えて行くのだ。そこで平川さんは、「自社でも何かできることを」と、釜炊きの燃料を再生燃料に変え、二酸化炭素の排出量の削減に努めているほか、ウニを養生し、飲食店で味わってもらうプロジェクトをはじめ、「身近な海の危機」を消費者にアナウンスしている。
さらに同じく糸島半島にキャンパスを構える九州大学と連携し、ソーラーパネルで海水を濃縮する方法、フリーエネルギーを使った製塩にも挑戦しながら海のストレス縮小のために動いている。
気持ちよく塩を食べてもらいたい
美しい海を守り、美味しい塩を作る。そんな平川さんの根っこには、どんな思いがあるのだろう。
「僕が料理を始めた理由は、人に喜んでもらうため。ではどういう状況において喜んでもらえるかというと、美味しいものを提供できた時なんです。もし不幸せなことがあったとしても、美味しいものに出合うことで、少し気持ちが楽になる。そのお手伝いをさせてもらえれば。今はそれが、塩作りによって叶えられていると思います」。
ちなみに「またいちの塩」の「またいち」は、平川さんの父の名前だ。「何が美味しいもので、何が美味しくないものなのか、その判断力やセンスを、僕は父に教わりました」。なお会社の名前「新三郎」は、そんな父を生んだ祖父の名前だという。
「20代後半で塩作りを始め、塩害、台風、火事など、ひと通りの苦労を経験した上で喜びもあり、さらにまだまだいろんなことに挑戦していきたいとは思っていますが、そろそろ自分も、次の世代に渡すバトンのことを考える時に来ているように思います。育ててもらったこの土地に少しずつ恩返しをしながら、正しい答えを見つけられたら嬉しいですね」。
3年後には製造と販売を分け、この場所には新たに、海水から塩を作る工程を学べる場を作る予定もあるという。「完成した時は、また次のワクワクできることを探します」と、平川さん。その温かな眼差しの中には、今日と同じように美しくきらめく青い海と、笑顔の人々が集う糸島の未来が見えた。