「ENTRO glass studio 」光と影が映すガラス工芸の世界/沖縄県名護市

比嘉奈津子(ひがなつこ)さんが主宰する「ENTRO glass studio」は、自然の色彩と質感を取り入れた独自のガラス作品を創作している。彼女の作品は、長年研究を積み重ねた巧みな技と自然への深い敬意が込められ、観る者を圧倒し、心に強い感動を呼び起こす力がある。

目次

流動的なエレメントを活かした作品を生み出す「ENTRO glass studio」

沖縄県名護(なご)市で、豊かな自然の中に佇む「ENTRO glass studio(エントロ グラススタジオ)」は、県内屈指の芸術的なガラス作品を生み出す工房として知られる。工房を主宰する比嘉奈津子さんは、ガラス作家として自身の作品を制作しながら、吹きガラス経験者向けのスクールでガラス制作の指導も行い、さらなる探求を深めている。また、工房の貸し出しも行い、作り手にガラス制作の場を提供している。 比嘉さんの作品は、日常の器として使えるものから、空間に存在感を放つアート作品まで多岐にわたる。そこには、水の揺らぎや光の色彩といった自然の息吹が息づいており、見る人や使う人の心に静かに染み込んでいく。彼女の手から生み出される芸術的で流線的な美しさは多くの人を魅了している。


「ENTRO」とは、スペイン語で「入り口」を意味する。比嘉さんは新しいことに踏み出すことへの不安を語りながら「同じように迷う人の背中を押すことで、自分も励まされる経験をした。人を支えることで、互いに勇気をもらい、自分の扉も開けられるようになった」と話す。その初心を忘れないために、工房を「ENTRO glass studio」と名付けたという。

比嘉さんは、自分の役割について「作り手に授けられた熱気の中で心を奪われる瞬間を技術で取り出し、それを人に寄り添わせる形にすること」と話す。
比嘉さんの作品は単なる鑑賞用としてではなく、人々の生活に寄り添い、使い手の暮らしの中で静かに役立つことを目指している。

比嘉さんの作品に対する真摯な姿勢はどこからインスピレーションを受けているのか。比嘉さんによると、それは「水」からだという。

「水を探求すると、光には色もの(エロス)、構造には枯渇や喪失(タナトス)が見えます。水とガラスは、どちらも気体、液体、固体の境界が曖昧で似ており、その曖昧さにインスピレーションを感じます」と比嘉さんは語ってくれた。

ガラス作家としての人生を歩むまで

比嘉さんの作品からは豊かな色彩の裏に「影」を感じることができる。その影こそが、彼女の作品を際立たせる要素だ。そこには彼女の「覚悟」が表れている。その覚悟を決めるまでの人生を振り返ってみよう。

家庭の困難を乗り越え、手に職を身につけたものづくりの道へ

名護市で生まれ育った比嘉さんは、多感な時期に父親の経営する会社の倒産を目の当たりにした。家庭の事情が重くのしかかる中で迎えた高校時代、組織の脆さを感じ、自分の手で何かを生み出す「ものづくり」に可能性を見出し、自立できる道を模索するようになった。

高校の進路室で見つけた倉敷芸術科学大学の「ガラス学科」の存在が彼女の目を引いた。多額の借金を抱える両親のことを思うと進学を諦めるべきか迷ったが、背中を押してくれたのは母親だった。

「お金や資産は失うことがある。けれど、知識や技術、経験は誰にも奪われない財産。その財産でまたやり直すこともできる。学べる限り学んできなさい」との母の言葉を胸に、当時、日本一ガラス設備が整っているといわれる倉敷芸術科学大学へ進学した。

倉敷で学んだガラス職人とガラス造形作家との違い

大学では「ガラス職人」と「ガラス造形作家」という異なる立場の先生から学ぶ機会に恵まれた。「職人は紙に書かず。作家は紙に描くことからはじめる。」と説く職人の先生の言葉が頭を離れず、大学で実習を重ねるうちに、自分が職人のように最初から手を動かすのではなく、脳を使い考えてから作る「作家タイプ」であることを認識した。

ガラス制作を学ぶ中で印象に残った「廃物」

大学時代、窯の補修や窯の中に設置されたガラスを溶融するための「るつぼ(つぼ)」の交換作業を手伝っていた際、大量の廃炉材を産廃コンテナまで運んだ時のこと。不純物が混ざったガラスや、制作中にどうしても出てしまう廃物の山を目にし、その光景が印象に残った。

「ぼくらは、上澄みを掬ってガラス作品を作る。お客さんも綺麗なものだけを買う。ただ作り手ならば作れば同時に発生する廃物も自覚しなければならない」

その光景を一緒に見ていた助教授の言葉は、その後の比嘉さんのガラス作家としての在り方に影響を与えることとなる。

知識としてのガラス工芸と技術としてのガラス工芸

大学卒業後、ガラスを仕事にしようとした比嘉さんは大きな壁に直面した。大学では「知識」としてのガラス工芸を学んだが、「技術」が不足していると痛感したのだ。大学へ出してくれた両親への罪悪感や、社会で通用しないもどかしさに苛まれた。
そこで、吹きガラスの技術を教えてくれる師を求めて全国行脚に出ることを決意。

6年放浪し、心身ともに疲れきっていた頃、ようやく日本でガラスの技術を教えてくれる師匠に出会う。神奈川県で彩(あや)ガラススタジオを営んでいた故・伊藤賢治さんに師事しガラス作家としての扉がようやく開いたのだった。

日々ガラスの修行に勤しむ中、料理の勉強をしていた現在の夫である同郷の比嘉大陸(たいりく)さんと出会う。大陸さんはいつか自分の生まれ故郷の沖縄に料理で恩返ししたいという希望があり、いつか沖縄に戻ろうという気持ちが芽生えるようになった。

故郷沖縄へ。そしてふたつのENTROの立ち上げ

伊藤賢治さんのもとでガラス制作に従事した後、比嘉さん夫婦に転機が訪れた。夫・大陸さんが怪我をしたことをきっかけに2人の生まれ故郷である沖縄県名護市へ戻ることに。その後、比嘉さんは「ENTRO glass studio」を2013年に、大陸さんは「ガラスと料理が体感できる店」をコンセプトにした飲食店「ENTRO SOUP&TAPAS」を2014年に地元名護市にオープン。地元の食材とガラス工芸が融合する新たな空間として親しまれている。

二人の「ENTRO」という場所は、ガラスと料理を通して地元と来訪者の交流を促し、それぞれが一歩を踏み出すきっかけを提供する場にもなっている。奥のギャラリースペースでは比嘉さんの作品が展示されているスペースがあり、料理を待つ間に作品を鑑賞できる。

比嘉さんにとって名護は祖母との思い出の場所でもあり、心身のバランスを取る知恵の詰まった言葉を思い出させてくれる場所。師と出会うまでの6年間、がむしゃらに走り続けて分かったことは、ものづくりをする上で、心身共に健やかにバランスを保持することの大切さを学んだという。

「体調が悪いと祖母が『命薬(ヌチグスイ)』として苦いゴーヤージュースを作ってくれました。体に良いものは苦いが、身体にとっては美味しいとも言える。『苦いけど体が喜ぶのが本当の美味しさ』と教わったことを思い出します。」

そんな思い出深い場所で、ガラス制作に打ち込む比嘉さんに、新たな挑戦が始まった。

廃物を活かすガラス作りへの挑戦

近年、比嘉さんは新たな研究テーマとして、ガラスの原料である珪砂(けいしゃ)が減少し価格が高騰する一方で、大量に生産されたガラスの廃物が世の中に溢れていることに着目している。この現状を受け、彼女は廃物に新たな価値を見出し、それを素材として使いやすくする技術開発に取り組んでいる。

「ガラスは同じように見えても、その成分は繊細で、異なる種類のガラスを組み合わせると、割れてしまいます。そこに新たな技術と知恵が必要なんです」と語る。

また、沖縄特有の立地条件や人間性の特徴を生かし、ガラスの廃物を使ったプロジェクトを構想している。具体的には、廃物を先ず素材として使いやすくすること。その行程下で技術者を育成すること。専門性のある価値あるものへと作りかえ、相応の場所へ届けること。

彼女はこの取り組みを通じて、ガラス作りの未来を見据え、新たな循環を確立することを目指している。

ガラス作家としての未来

沖縄の自然の中で育まれた比嘉さんの作品は、その一つひとつが彼女の想いと技術、そして未来への展望を象徴している。彼女が紡ぎ出すガラスの物語は「ENTRO」から。これからも光り続けるだろう。

ACCESS

ENTRO glass studio(店舗:ENTRO SOUP&TAPAS)
沖縄県名護市為又1220-21 龍ハイツ1F 
TEL 0980-59-6778
URL https://entro-glass.jimdofree.com
  • URLをコピーしました!
目次