山陰地方のなかでも長い歴史を誇る日本酒蔵「久米桜(くめざくら)酒造」。創業は1855(安政2)年、170年近く日本酒業界を支えてきた。そんな久米桜酒造が新規事業として取り組んだのが、クラフトビールだ。酒造りをメインとしていた久米桜で、クラフトビールが生まれた歴史と、その魅力に迫る。
大山のブナ林で磨かれた水での酒造り
鳥取県西部に位置する伯耆町(ほうきちょう)。中国地方最高峰の山「大山(だいせん)」の麓にあり、その綺麗な水と黒ボク土の恵みによって農業が栄えてきた。久米桜酒造はもともと米子市内にあったが、大山の天然のブナ林によって磨かれた美味しい水を求め、1985年に伯耆町に移転。なかでも環境省が定める平成の名水百選にも選ばれた「地蔵滝の泉」と同じ水脈の水を地下150mから汲み上げ、その美味しさが存分に味わえる酒造りを行っている。
日本酒の低迷をきっかけにビール造りへ
恵まれた環境により、久米桜酒造での日本酒造りにはさらに磨きがかかっていった。しかし、全国的にも日本酒の消費量は年々減少の一途をたどっており、久米桜酒造もその影響に頭を悩ませていた。そんなときに起きたのが、1994年の酒税法改正 。ビールの製造免許を取得する際の最低製造数量が年間2,000キロリットルから、60キロリットルへと引き下げられ、大手ビールメーカー以外でも製造が可能になったのだ。
同じアルコール業界にいる身として情報を耳にする中、次第にビール造りへの興味は高まっていった。「大山の水の美味しさを生かしたお酒を、日本酒以外にも造ってみよう」。そうして、地元のエネルギー会社「山陰酸素工業株式会社」とともに「久米桜麦酒株式会社」を設立し、1997年にビールの醸造に乗り出した。
ビール造りを始めるにあたって採用されたのが、当時島根大学で微生物の研究をしていた岩田秀樹さん。別会社の酵母の研究者として就職が決まっていた岩田さんだが、大山で新しく地ビールを造る事業が始まると聞き、ビール好きが高じて久米桜麦酒株式会社に就職。はじめはキリンビール横浜工場で研修し知識と技術を身に付け、1997年から「大山Gビール(地ビール)」のブルワーとなり、本格的なビール造りがスタートした。
ゼロから始めたビール造り
ビールを構成する原料は、水・麦芽・ホップ・酵母がベースとなる。そのなかでも水は約90%を占める。そのため、「水が良ければビールも美味しくなる」というのが、くめざくら大山ブルワリーの基本の考え方だ。日本酒と同様、大山の伏流水の恩恵を受けてビール造りに活用している。
また、ビール造りをゼロから始めるにあたり、原材料はどうやって育てられ、いつ収穫されるのか、造り手が理解するところから取り組もうと考えた。そこで、地元農家さんの協力により麦の栽培を開始し、自社農園ではホップの栽培も開始。現在では、収穫した麦とホップを原材料の一部に使用した季節限定のビールも販売している。
ビール造りの工程では、麦芽を細かく砕き、湯を加えた麦汁を糖化させた後、ろ過を行う。糖化とは、麦芽のデンプンが糖に変わる現象のことだ。ろ過された麦汁にホップを加え、香りや苦みなど味の変化を付ける。100度近い麦汁を10〜20度前後になるよう温度調整し、酵母を入れて発酵させると、酵母が糖をアルコールと二酸化炭素に分解し、ビールができあがる。
「ビールは景色」水の美味しさが伝わるラインナップ
くめざくら大山ブルワリーでは、常時味わえるビールとして4種類の「大山Gビール」を揃えている。麦芽とホップの香りのバランスがよく、スッキリとしたピルスナー。苦みが少なくバナナやバニラのような香りが特徴のヴァイツェン。イギリスで伝統的に製造され、甘味と苦みがほどよいペールエール。そして、コーヒーやチョコレートを思わせる焙煎麦芽をブレンドした黒ビール、スタウトだ。
なかでも岩田さんの一押しはヴァイツェン。フルーティーで飲みやすく、だからといって甘すぎない。ビールの世界大会「ワールド・ビア・アワード」の2011年大会「World’s Best Grain-only Wheat Beer部門」でも、世界一位を受賞した自信作だ。
また、醸造所の隣にはビアレストランを併設しており、いつでもできたてのビールが楽しめる。
「僕は『ビールは景色』だと思っている。なので、ここで飲んでもらうのが1番。できればビールの前に、地蔵滝の泉の水も飲んでもらいたい。何も加工されていないそのままの水に、自然のものがどんどん入っていく。そこにこだわりを詰め込んでいく感じが伝われば」と岩田さん。
美味しい水があるからこそ、美味しいビールが生まれる。現地に来て素材の味から堪能してもらうことが、大山Gビールの美味しさを伝える一番の方法なのだ。
大山ならではの限定ブランド
メインブランドのほかに、さらに大山を感じてもらえるよう、地元産かつ自分たちならではの原材料を使用している季節限定ビールもある。
ひとつは、毎年8月に発売される「大山ゴールド」。このビールに使用している「ダイセンゴールド」という大麦は、ビール用品種として鳥取県で開発されたが、一時栽培が途絶えてしまっていた。くめざくら大山ブルワリーでは、「自分たちらしい、地元感を表せる原料を使いたい」という想いからこの品種に目を付け、地元農家と協力し、2002年からダイセンゴールドを栽培。それらを使用した「大山ゴールド」は、柑橘系やはちみつを思わせる香りと、麦本来のジューシーさが味わえる。
ふたつめは、毎年9月に発売される「ヴァイエンホップ」。かつて梅酒用の梅を栽培していた土地を自家栽培のホップ畑に転用したことから「ヴァイエン(梅園)ホップ」と名付けた。ブルワリーのメンバーで収穫し、生のホップをビールの仕込みの中で20分だけ浸漬する。生ホップならではの優しい柑橘系の香りと苦みが特徴だ。
また、久米桜酒造のメインブランド「八郷(やごう)」に使用する酒米、山田錦をビールにも使用。田植えから稲刈りまでを自分たちで行う、酒蔵の技術や経験値が活きるビールだ。ブランドは日本酒と同じく「八郷」と名付け、日本酒を思わせるほのかな香りが楽しめる。
これらのビールを造り始めた当初、印象深い出来事があったという。
「お客様から『そろそろあの麦のビール、出ますか?』って電話がかかってきたんです。それが本当にうれしくて。大山で、ビールで、原料で、季節が表現できているんだと。それでそのまま毎年造るようになり、自分たちらしいビールを追い求めるようになったんです」と岩田さんは笑う。
今では、毎年季節限定のビールを楽しみにしてくれるファンも増え、大山ゴールドは人気のビールになった。また、八郷に使用する酒米をファンの方と一緒に植えるイベントなども行っており、まさに大山とその季節感を伝える一助になっている。
ビールから、大山や醸造家の想いを届けたい
ビール造りが始まって27年。母体が日本酒蔵だからこそ、そして大山のこの地だからこそできる、自分たちならではのビールと向き合い続け、160種類以上ものビール造りに挑戦してきた。そこにはビール造りへのこだわりや土地の歴史、何よりビールを楽しんでもらいたいという想いが込められている。
「ビールは一年中同じ味で、ただ冷えていればいいものじゃない。普及しているピルスナー以外にもさまざまなスタイル・温度のビールがあります。ぜひ自分好みのビールと出会ってほしい。そしてその過程で、いろんな人に我々の商品を知ってもらって、この鳥取・大山の地にそれがきっかけで来てもらいたい。そこで我々のビール造りや環境、造り手の想いを伝えられたら」と社長の田村さんは語る。
大山Gビールは、大山と世界の人々をつなぐ架け橋になっていくだろう。