「鳳凰美田」らしさの先で、米農家の未来を守る「小林酒造」/栃木県小山市

フルーティーな香りと華やかで上質な味わいが幅広い世代に愛される「鳳凰美田(ほうおうびでん)」。
この酒を醸すのは、日本酒のみならず和の果物をふんだんに使ったリキュールやスピリッツでも支持を得る栃木県小山市の「小林酒造」だ。伝統ばかりにとらわれず、未来を見据えて挑戦を続ける背景には何があるのだろう。

目次

恵まれた美田(みた)の土地での酒造り

小林酒造の本社蔵は栃木県小山市卒島(そしま)に建つ。
銘柄の由来ともなった、昭和の初期まで「美田(みた)村」と呼ばれたこの土地は、関東平野の北部に位置し見渡す限りに広がった美しい田園風景と、あちらこちらからの井戸から轟々と汲み上げられる地下水が豊富な日光山系の伏流水に恵まれた土地である。

米と水に恵まれた場所で誕生した小林酒造の「鳳凰美田」。
1872(明治5年)の創業から150年以上が経過した現在、蔵を率いるのは五代目蔵元の小林正樹さんと妻の麻由美さんだ。

「鳳凰美田」を率いる小林正樹さんと妻の真由美さん

小林さんが蔵に入ったのは今から30年以上前の1991年だった。
全国の日本酒蔵元の跡継ぎが集まる東京農業大学醸造学科を卒業後、小林酒造株式会社に入社すると同時に、酒造りの実践を学ぶため旧国税庁の醸造試験所に2年間出向した。
そこで小林さん自身と小林酒造にとって運命の人と巡り合うこととなる。後に生涯の伴侶となる麻由美さんだ。
麻由美さんは、この時、日本最大の杜氏集団である南部杜氏を率いる(旧)岩手県醸造試験所で酒造りの指導官という立場であり、国の機関で最先端の日本酒の製造技術を会得し将来を嘱望される人材だった。

廃業寸前の蔵を支えた杜氏と妻のチカラ

今でこそ数々の銘酒を生み出す蔵として名高い小林酒造だが、小林さんが蔵に戻った当時は仕込みの本数は10本にも満たない、経営的にも非常に苦しい極小の造り酒屋だった。建物は老朽化し、設備投資はおろか酒造りに必要な酒米を買う資金すらままならない状態だったのだ。

そんな状況のもと、当時の「鳳凰美田」の酒造りは、蔵に戻った小林さんと20年以上に渡り小林酒造の酒造りをしてきた現職の藤田徳松杜氏との二人三脚でのスタートだったが、そこには最先端の酒造りの知識を持った麻由美さんの姿は無かった。

杜氏制度のしがらみと決断

日本酒造りの世界には「杜氏」という制度がある。
代表的な杜氏集団は岩手県の南部杜氏、秋田県の山内杜氏、新潟県の越後杜氏などがあり、酒造りの長となる杜氏が、冬季の農閑期にその村や町から酒造りのプロ集団を募りまとめあげ、出稼ぎの仕事として酒造りをおこなっていた。近年は、蔵元杜氏や通年雇用の社員蔵人による酒造りも増えており、技術の交流が盛んにおこなわれている。

だが、当時の日本各地の杜氏集団の間には、門外不出の酒造技術や流派の高い敷居があった。南部杜氏を率いる岩手県醸造試験所で学んだ麻由美さんは、流派の異なる秋田県山内杜氏の藤田杜氏へのケジメとして酒造りに参加していなかったのだ。

小林さんと藤田杜氏、二人での酒造りは上手くいかず、酒質がなかなか向上しないまま5年の月日が過ぎた。
ある日、そんな状況を見かねた栃木県内の「鳳凰美田」を取扱う多くの酒屋たちから、夜中に呼び出され「麻由美さんの感性や技術、コネクションを活かさないのはどういうことか!」と苦言を呈される。
その熱い言葉に胸を打たれた麻由美さんは「自分には日本酒でお応えするしかない!」と悟ったのだ。
これをきっかけに麻由美さんも酒造りに参加することになり、小林酒造に強力な味方が加わることとなった。

「鳳凰美田」吟醸酒に特化した酒造り

小林さん、藤田杜氏、麻由美さんが力を合わせた酒造りは「吟醸造り」。
「吟醸造り」とは、米の4割以上を糠として精米した白米(精米歩合60%以下)を原料に使用し、低温で長期間発酵させることで、デンプン質の酒米からメロンやマスカット、リンゴなどの果物のような吟醸香を特徴とする酒を醸す醸造法である。

「当時は、いい酒を造ろうとすると必然的に吟醸造りになった」と小林さんはいう。
さらに、一般的な機械では圧搾せずに、コンテストなどのみに使用されるもろみを袋に入れ、もろみの自重で自然に滴り落ちる雫を集める「雫しぼり」にこだわった。
他のしぼり方より手間はかかるが、飲んだ瞬間に酒造りの丁寧さ、お米の甘味や豊潤な吟醸香がハッキリと感じられるためだ。こうして3人の試行錯誤の末に、銘酒「鳳凰美田」が誕生した。

2004年には日本酒業界の登竜門である「全国新酒鑑評会」で金賞を受賞。その後、2年連続の金賞受賞により「鳳凰美田」の名は全国に知れ渡ったのである。
苦しみを乗り越えて生まれた鳳凰美田は、今では国内外のコンテストなどで多くの受賞を重ね、北は北海道、南は鹿児島まで広がり、JAL国内外のファーストクラスでも提供されるようになった。もはや栃木県だけでなく、日本が世界に誇れる日本酒と言っても過言ではない。

昔ながらの伝統と酒造りを大切に

小林酒造では、昔ながらの伝統を守りながらの酒造りにこだわっている。
例えば、酒米を蒸す作業。大量の酒米を蒸し上げるため、近年は一定の火力を安定して出せるボイラー蒸気を多くの酒蔵が利用している。
しかし、小林酒造の本社蔵では、昔ながらの和釜を直火にかけ酒米を蒸している。
火加減など蒸し具合の調整には技術や手間がかかるが、和釜で直接焚いた火によって生まれた、キレイな蒸気で蒸した酒米は、麻由美さん曰く「何とも言えない良い塩梅の蒸し上がりになる。蒸し上がりの良さは、酒の味へと自然に繋がっていく」と言うのだ。

また、麹も全量手造りで仕上げる。
目に見えない麹菌とどの様に向き合えば美味しい日本酒になってくれるのか、身を持って感じ、経験を重ねることが大切でかけがいのない宝となる。
最新鋭の製麹装置も造り手の経験の上で操作しなければ何の意味もないという。

さらに、発酵を終えたもろみを酒と酒粕に分ける「搾り(圧搾)」の段階でも手作業にこだわる。
蔵人たちが何枚もの布袋にもろみを入れて吊るし、自然に滴り落ちる酒を集める「袋吊り」や、もろみを入れた袋を何層にもなるように重ね、上からゆっくりと圧力をかける「佐瀬式」という昔ながらの方法を続けている。
全自動の圧搾機も存在するが、長年の経験や感覚を研ぎ澄ませた人の手で作ることで、唯一無二の「鳳凰美田らしい」味わいが作り出せるという。

これからの「鳳凰美田」

30年以上、日本酒の道を全力で走り続けてきた小林さんが今見つめているのは、次世代を担う若者たちに酒造りを繋げること。
若き日の小林さんは、酒造りに集中するあまり「オレが一人で全てやる」という間違った感情に囚われて、一緒に酒造りをする仲間たちにさえ米を触られるのが嫌な時期もあったのだという。
そうして取った金賞には、価値も、仲間と分かち合う喜びも嬉しさもなかったことに気付いてからは、仲間を大切にして若い蔵人たちにも丁寧に酒造りを教え、見守りながら、蔵全体の「和」を大切にしている。

伝統的な酒造りを守り続けているのも、酒の味だけでなく、次世代の人たちに昔ながらの酒造りからしか出来ない経験や感性を体験してほしいという気持ちがあるからだ。
その先に、世界にも日本酒の魅力を分かり易く伝えていきたいという想いがある。

2022(令和4)年5月、小林酒造は隣町の栃木市に「飛翔蔵」を建てた。
伝統的な酒造りを行う本社蔵とは全く対照的な最新鋭の蔵だ。

「美味しく、魅力ある日本酒を造るために一番大切なことは、彩り豊かな人間性、魅力やキャラクターを持つ一人一人の造り手がいて…且つ、その造り手が和となり“美味しいお酒を醸し上げる”想いが1つになること。その中で「鳳凰美田」は造り手が育ち、酒造りの基本が叩き込まれた蔵人一人一人が、本蔵をベースに新蔵で新しい扉を開こうとしているところにいる。新しい「鳳凰美田」が誕生するのを楽しみに待っていてほしい」。

若い世代の蔵人たちと伝統を紡ぎながら目指す、新しい「鳳凰美田」に期待が高まっている。

ACCESS

小林酒造株式会社
栃木県小山市卒島743-1
TEL 0285-37-0005
URL https://hououbiden.jp
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