大分県臼杵市に拠点を構える「USUKIYAKI研究所」。
ここでつくられる「臼杵焼(うすきやき)」という器は、江戸時代後期に臼杵藩の御用窯として存在しながらも、
わずか十数年で途絶えた焼き物が起源とされています。
自然豊かな環境の中で育まれる想いを器を通じて発信し、臼杵の歴史を受け継ぎながら新しい未来へ繋げています。
大分県の東南部に位置し、磨崖仏(まがいぶつ)として日本初、彫刻としては九州で初めて国宝に指定された臼杵石仏や、歴史薫る城下町など文化の風情漂う町、臼杵。独特の雰囲気を持つ臼杵の町に残された焼物文化に魅了され、新たな歴史を刻む宇佐美裕之さんのもとを訪れた。
「臼杵」という町が持つ文化
大分県臼杵市は豊かな自然環境や、二王座歴史の道に代表される城下町など様々な歴史や文化が残る町。中でも、海のもの、山のものがある「食の町」としても広く知られている。代表されるのは、人々が伝統を守りつつ改良を加えてきた味噌・醤油・酒造りの醸造業。また、江戸時代に起きた天保の改革の発令により生まれた「質素倹約」の精神が育まれる中、知恵を絞って生まれた郷土料理など、多様な食文化が発展し存続している。2021年には、これまで守り続けてきた食文化が評価され、2021年ユネスコ創造都市ネットワーク食文化部門に加盟認定された。
そんな歴史ある臼杵で今から約200年前の江戸時代後期、臼杵藩の御用窯として島原(長崎)小石原(福岡)小峰(宮崎)の陶工たちが迎えられ陶器と磁器がつくられたが、窯が開かれ十数年ほど栄えたのち、衰退したとされている窯業。その幻の窯業文化に着目したのが「USUKIYAKI研究所」代表の宇佐美裕之さんだ。
「USUKIYAKI研究所」の設立までの道のり
美大時代に焼き物と出会った宇佐美さん。在学時から専攻していたアートと焼き物を融合し、手掛けたいという想いは常にあったという。卒業後は地元・臼杵に戻り、実家が営む郷土料理レストランを継ぐかたわら、観光の仕事にも携わっていた。料理の器などを扱うなかで、今は途絶えている焼き物が地元にあることを知り、「自分がもつ焼き物の技術とうまく結びつけて、臼杵独自のブランドを一歩でも前進させたい」と考えるように。またそれと同時に、途絶えてしまった臼杵の窯業文化を復興したいという想いもあり、大分で作陶をしていた仲間とともに2015年に立ち上げたのが「USUKIYAKI研究所」だ。かつてあった臼杵の焼物文化を自分たちでリニューアルし、一から作り上げたいという想いのもと誕生した。
楚々とした美しき白磁の輪花
わずか十数年で途絶えた臼杵の焼き物は、当時の窯場が末広善法寺地区(通称・皿山)にあったことから地元では「末広焼」または「皿山焼」と呼ばれていたという。宇佐美さんが最初に出会った「末広(皿山)焼」は、アイスクリームを入れたらちょうどいいくらいの小鉢。菊の形をした白磁の輪花(りんか)を見た瞬間、「いいな」と惹きつけられた。昔から「質素倹約」の精神が育まれている臼杵の文化と、シンプルだが品がある白磁の輪花は、自分たちの手掛けたい器のイメージにぴったりだと直感したという。宇佐美さんは、菊や蓮の伝統的なモチーフからなる白磁の輪花や稜花シリーズを展開させたいという想いと、臼杵という町の地域活性化への願いを込めて「臼杵焼(うすきやき)」と名付けた。
長く、大切に使ってもらえる製品を作りたい
「臼杵焼」のモチーフとなるのは、臼杵の町にある豊かな自然。草花や風、海や山からなる風景など、様々なものからインスピレーションを受けている。陰翳が美しいマットな白と、菊や蓮(はす)など、古くから臼杵に根付く伝統的なモチーフを現代的にアレンジしたデザインが特徴だ。残された数少ない資料や現存する作品を元に、生の粘土板を石膏型に乗せて型を移し取る「型打ち(かたうち)成型」と「ろくろ挽き」を組み合わせてつくられている。その多くは手作業により作り上げられるため、手仕事の風合いを纏いながら完成する「臼杵焼」の器。マット感のある釉薬を使用することで、手にした時に感じる柔らかな手触りが心地良い。完成までに時間はかかるが、「USUKIYAKI研究所」では限られた資源を大切に使い、手間を惜しまず、人々に長く使ってもらえるものを目指している。豊かな自然が生み出した、この土地ならではの産物は「つくる人」と「つかう人」の双方が大切に育ててこそ完成されるのだ。
「臼杵焼」のビジョンに共感したプロフェッショナル集団
そんな「臼杵焼」を手掛けるのは、陶磁器だけでなく様々な分野のプロフェッショナル集団。最初は少人数で始めた工房だったが、現在はスタッフも増え「USUKIYAKI研究所」と、「アトリエ皿山」の2か所で製造をしている。地元の人や移住者、世代や性別のほか、国籍も異なるメンバーで分業し作品を完成させている。「あまり難しい作業にすると職人の数も増えないので分業できる方法を模索し、今の「型打ち」という方法に落ち着きました。」臼杵で焼き物の仕事をつくりたいという想いから、研究所を立ち上げた宇佐美さんは、分業制にすることで職人活動の裾野を広げている。
「うつわは料理の額縁」という信念
シンプルながら趣のある「臼杵焼」は料理をより華やかに彩る器だ。
「臼杵の食を広く知っていただくための道具として、臼杵焼が役に立てば嬉しい」と宇佐美さん。国内でも珍しい取り組みだが、臼杵は土づくりセンターを設置し、有機野菜の為の堆肥を作っている町。そのような理由から「臼杵で農業をしたい」と、全国から若い農家さんが移住するケースも少なくないという。宇佐美さんはそんな地域の取り組みを盛り上げるべく、地元で採れた有機野菜を使った創作料理も提供する郷土料理レストラン「USAMI」と季節のお菓子と本格中国茶を楽しめる「皿山喫茶室」を通じ、人々に臼杵の味を発信している。
「うつわは料理を盛ってこそ生き生きするもの。うつわは料理の額縁」という研究所の信念。器は人の生活の中から生まれ、生活の中で使われるもの。「臼杵焼」は白く美しいだけでなく、どんな生活にも溶け込む素直さや使いやすさなど多面的な魅力を備えている。
「臼杵焼」のその先に
宇佐美さんは言う。「臼杵焼」を通して一番伝えたいのは、臼杵という町に興味を持ち、臼杵という土地に足を運んでもらいたいことだと。
2020年以降コロナ禍の間、臼杵を訪れる人が減った一方で、器のネット注文は増加した。ちょうど海外展開を考えていたタイミングであったが、出向かずとも商品の展示や発送、コミュニケーションはネットでも十分とれるということが分かった。一方で注文品を作るのに追われ、地元に来てもらい、実際に器に触れ、見てもらいながら販売したいという本来の想いが果たせなかったという。その経験からショップだけでなく、器に関する体験や食事、お茶を嗜む時間をゆっくりと持つための場所を求め、食と器の体験空間「うすき皿山」を完成させた。ここでは「臼杵焼」の展示販売をするギャラリーや、型打ちや金継ぎの体験や製造の見学ができるアトリエのほか、喫茶室や焼き菓子工房で構成されており「つくる・みる・ふれる」がすべて体験できる。年間を通じて、器や季節の食事を楽しめる様々なイベントが開催され、お客様との新たなコミュニケーションの場として温かな時間が流れている。
どんな時も宇佐美さんの胸にあるのは「臼杵という小さな町を全国に、そして世界へ発信したい」という想い。それは「臼杵焼」を手掛けるにあたり、世界中に暮らす大分、臼杵出身の方たちからエールをもらったことが活動の原点となり、その人たちへ恩返しをしたいという想いからなる。
臼杵を愛し、臼杵と共に歩む人々の想いをのせた「臼杵焼」は、これからも世界とつながってゆく。
臼杵の町に息づく天然の素材からインスピレーションを受け、自然や意匠を焼き付けてつくる「臼杵焼」。使う人がいつも楽しくなる器となることが、僕と仲間たちの願いです。