知多半島を囲む三河湾・伊勢湾・太平洋で漁獲した
新鮮な海産物を用いた加工食品を製造し、全国へお届けしている「マル伊商店」。
国内でも希少な「生炊き」製法を採用したシラスの佃煮をはじめ、
伝統を守りつつ最新技術も取り入れながら、地元の海の恵みを全国の食卓に届けています。
しらすの一大産地である愛知県・南知多町で生まれた「生炊きしらす」をご存知だろうか。生の状態での扱いが難しいしらすの本来のうまみを残したまま、タレとともに甘く炊き上げた佃煮で、農林水産大臣賞も受賞している逸品だ。釜揚げしらすとも、しらす干しとも違う味わい。その秘密を、開発元であるマル伊商店の代表取締役社長・坂下史朗さんが教えてくれた。
知っておくべき、三河湾のしらすのこと
愛知県知多郡にある南知多町。知多半島の南部に位置する、半島の先端とその沖合に浮かぶ篠島(しのじま)や、日間賀島(ひまかじま)といった島々からなる穏やかな町だ。三方を海に囲まれた漁業が盛んなこの地域に、水産加工や卸売業を営んでいるマル伊商店がある。4代目で代表取締役社長の坂下史朗さんは、「イメージがないかもしれませんが、実は愛知でもかなりの量のしらすが取れるんです」と話す。農林水産省による令和3年漁業・養殖業生産統計によると、確かに愛知は全体のシェアのうち約14%を占めていて、これは全国2位の数字だ。さらに、市町村単位で見れば南知多町のしらす漁獲量は全国1位を誇るしらすの町。
なぜ、この町がしらすの一大漁場となり得たのだろうか。その理由はしらすの親であるイワシの産卵時期。ここは湾の内側に伊勢湾と三河湾が交わり、渥美半島の向こうの外洋には太平洋がある。内湾と外洋では水温をはじめとした生育環境が異なるため、イワシの産卵の時期がちがう。そのため、ほかのエリアよりもしらす漁期が長いのだ。
一分一秒が勝負。しらすの命は鮮度にあり
現在、マル伊商店がメインで取り扱っているしらすは、地元・師崎漁港(もろざきぎょこう)で水揚げされると、すぐに自社工場に運ばれてくる。しらすはとにかく足が早く、朝、水揚げされたものは夕方にはかなり鮮度が落ちて、臭いが出てくる。漁獲量が多い南知多では、その日のうちに生のままのしらすを全量消費することが難しく、しらす干しや佃煮などの日持ちする商品に加工して出荷する必要があった。同社でも「生しらす」はすぐに販売できる範囲でしか扱わず、「釜揚げしらす」「しらす干し」「ちりめんじゃこ」といった加工品を中心に製造し、全国各地のスーパーなどへ流通させていたのだが、とあるオリジナル商品の誕生により、しらす業界でも一目を置かれる存在となる。
「生炊きしらす」は、しらすの食感とうまみを生かした佃煮
マル伊商店は1908年に創業した水産物の加工会社。地元・三河湾や近隣の伊勢湾、そして太平洋で獲れる水産物を加工・販売しており、1991年には直売所もオープン。その後は自社ブランドの製品開発にも力を入れてきた。なかでも看板商品となっているのが「生炊きしらす」。耳なじみのない商品名だが、生のまま炊き上げたしらすの佃煮のことで、2009年には農林水産大臣賞を受賞した逸品だ。
一般的にしらすの佃煮と言えば、釜揚げしらすのように、加熱処理を行ったしらすをタレと一緒に煮詰めて作られる。だが、生炊きしらすの場合は火を通していない、文字通り“生”の状態のしらすをそのままタレと一緒に煮詰めていく。そうすることで、しらす本来の味をそのまま生かすことができるのだという。「一度茹でると、魚なのでどうしてもだしが出てしまう。生から炊くことで魚本来の味がしっかり残るんです。臭みも出ないですし、柔らかい食感が好評です」と坂下さんは胸を張る。
“よくある佃煮”とは違う、その製法を知る
しらすのような小さい魚を、生から炊き上げるのは難しいと言われている。生の状態だと魚が含んでいる水分が多く、形が崩れやすいからだ。最初にしらすよりも大きくて鮮度持ちがよく、南知多でも多く取れるイカナゴを使って生炊きの佃煮を作ってみると、無事に成功した。しかし、イカナゴの漁期は短く、量産には適していなかった。そこで漁獲量が多く、漁期も長いしらすを使った生炊きの佃煮を作ることにした。
しかし、開発当初は失敗の連続。まずは小さな家庭用の鍋から試作を重ね、しらすが煮崩れず、タレの味がしっかりとついた納得の仕上がりになるまで試行錯誤したそうだ。形を崩さずに炊きあげるためには適切な火力が必要だが、それ以上に最も重要なことは鮮度だという。鮮度が落ちたものはすぐに形が崩れる。だから、目の前で揚がった新鮮なしらすを1分1秒でも早く加工しなければならないのだ。
試行錯誤の末に生まれた逸品
そうした試行錯誤の末に生まれた生炊きしらす。タレはしょうゆと清酒、本みりん、砂糖のみを使って、その日使う分だけを調合している。佃煮によく用いられる増粘剤や、その代替品となる水あめは一切使用しない。魚本来が持つ味と食感を損なわないためだ。無添加にもこだわっていて、着色料・保存料の類も使用していないという。タレに含まれる砂糖が保存料の役割を果たしているため、冷蔵で2か月間は持つそうだ。
口に含むと、その柔らかさに驚く。そして、タレの甘みの中にしっかりとしらすが持つ魚本来のうまみが残っている。1尾1尾がしっかりと形を留めているからか、ぷりっとした食感も特徴だ。食べやすさと甘めの味つけが、子どもから大人まで幅広い世代に受け入れられている。
気候変動、燃料高騰。過渡期を迎えつつある水産業
マル伊商店は地元・南知多で水揚げされた魚の加工・販売だけではなく、冷凍技術を使った輸出なども行っている。坂下さんが4代目として事業を継承してからは、取り扱う魚を南知多以外からも仕入れるようになった。そこには昨今の気候変動による影響がある。坂下さんは「昔は取れていた魚が取れなくなってきたり、今までは取れなかった魚が混ざっていたり。今後10年で、さらに変化すると思う」と、魚が徐々に移動している現状を語る。魚は動くが、漁師たちは自分の漁場から動くことはできない。加工業者にとっても、一度投入した大型の設備をすぐには刷新できない。
水産関連業者の未来を考える
自然を相手にする漁業と、水揚げされた魚で商売をする水産加工業にとって、気候変動は避けては通れない問題だ。同時に、エネルギー価格の高騰による燃料費の値上げも事業を圧迫している。そんな中、坂下さんは水産関連業者の将来について、「養殖」が1つのキーワードになると考えている。
「今、資金力がある大きな会社で、養殖に参入するところが増えているんです」という坂下さん。水産関係ではなかった企業も参入しているのが現状だそうだ。漁獲量は減りつつあるが、世界人口がこれからも増え続けることで魚の需要が増えることを見越しているのではないかと坂下さんは分析する。あるものを捕る漁業から、自分たちで作る漁業に。そんな未来がすぐそこまで来ているのかもしれない。
苦難の状況を打破することが経営の醍醐味
苦境ばかりに思える水産業だが、坂下さんは誇りを抱いている。漁獲量は毎年変化し、豊漁の年もあれば、不漁の年もある。それでも目の前にある商材をどう生かし、需要に応えていくかを考えるのが経営の醍醐味だと考えているからだ。「地元で魚が獲れなくなったら、どういうところの魚を使って、どんな商売にしていくのかを考えるのが楽しいところです」と坂下さんは笑う。 そして、生炊きしらすはそんな坂下さんのマインドを下支えしている。「自分たちの商品は、誰もが作り出せるものではない。自分たちにしか作れないからこそ、食べてもらったときのお客さんの反応を見ると、やりがいを強く感じます」。苦境の時代だからこそ輝く。坂下さんからどんなアイディアが飛び出すのか、注目したい。
私たちがここまで成長できたのも、三河湾や伊勢湾、太平洋の豊かな恩恵があるからこそ。「”南知多の名産“となって、地域を盛り上げたい」との思いを胸に挑戦することを忘れず、これからも地元産の海の恵みを中心に、よりおいしい状態で食卓へ届けることを第一に考えていきます。