大小様々な個性派ワイナリーがひしめく山梨県甲州市。その数は45軒にも及ぶ。甲府盆地の東部に位置する甲州市の中でも北部の塩山福生里(えんざんふくおり)には、急勾配の山間地にぶどう畑が広がり、富士山を望む眺望抜群のワイナリーが建つ。日本ワイン誕生の地・山梨で、醸造家の平山繁之さんの個性が突出する斬新なワインに出会った。
日本ワインの進化とともに
神奈川県横浜市出身の平山さんが山梨にやってきたのは25歳の時。大手酒造メーカーの勝沼工場に赴任したことでワインの世界に足を踏み入れ「こんなにおもしろい世界はないと思った」と当時を振り返る。30歳でフランスのブルゴーニュに留学し、小さなワイナリーの営みを間近で見た平山さんが抱いたのは、「自分のワイナリーを持ってワイン造りをしたい。そして世界に通用する日本ワインを造る」という壮大な夢。当時はワイン醸造の免許の新規申請ができず、実現不可能な時代だったものの、ワインへの熱い想いと飽くなき探究心が平山さんを突き動かし、山梨県内のワイナリーで長年醸造責任者を務めた。
シャルドネやメルローなどヨーロッパ系品種を栽培し、ワイン先進地の技術をひたすら追い続けてきたが、「模倣するだけでは日本はワインの産地にならない」と思い始めた1980年代後半、長野県産メルローのワインが国際ワインコンクールで大金賞に輝いたのを機に、日本ワインが大きな進化を遂げて世界のコンクールで脚光を浴びていく時代に突入する。日本が産地として世界に認められるようになるのと同時に、平山さんは改めて土着品種に目を向けた。国内で受け継がれてきた品種に無限の可能性を見い出し「この地に根づいた品種、菌、温度、風など、この風土こそがワインを生み出す」と考え、甲州市の自然環境や大地を活かしたワイン造りへとシフトしていく。
そして、60歳という節目を迎えてそれまでのキャリアから解放された時、ワイン業界に貢献したいとコンサルタント事業を立ち上げた平山さんは、酒造免許申請の緩和や共同設立者の協力もあり、30代の時に抱いた夢の実現へと動き出す。
日本固有の品種に着目
2018年6月に構えたワイナリー「98WINEs」には、それまでに培われた知識と技術、経験に裏打ちされた独自のセオリー、その全てを落とし込んだ。標高650mの土地の気候や自然条件に適合した品種を植える「適地適作」の概念から、選んだのは新潟県原産の「マスカット・ベーリーA」と山梨県固有品種「甲州」の2種類のみ。特に甲州は「とてもアロマティックなブドウで酸の豊かさが魅力。後味に残る苦みがキレの良いワインを造る」と高く評価する。
ブドウ本来の力を発揮させる工程
収穫してきた山積みのマスカット・ベーリーAは、茎の部分である「梗(こう)」を取り除く「除梗(じょこう)」という工程を行わない。そのまま樽に入れて足で踏み潰して全房発酵させるのだ。なんとも原始的な方法に驚くが、「全房仕込みをすることにより、マスカット・ベーリーA特有のイチゴのフレーバーが経験的に削減されると思っているから」という平山さん。潰したブドウは桶に移して日中は屋外で1日3回程度かき混ぜながら日光に当て、夜間は蔵の中で静かに眠らせる。果汁があふれ炭酸ガスが発生しているブドウは、まるで生きているかのような息づかいが感じられる。この作業を3週間繰り返してから樽で熟成させるのだ。
もちろん甲州も除梗せず房ごと潰し、果汁を絞ってそのままタンクに入れる。梗がフィルターの役割をするので、圧搾時の果汁の清澄度が高くなる。「果汁の発酵時における甲州由来の香気成分が豊かにできる」と平山さんは語る。固形物を沈殿させてそのまま発酵させた後、濾過せずに上澄みだけをダイレクトに瓶に詰める。
また、ロゼワインは赤ワイン用品種だけで造られるのが一般的だが、マスカット・ベーリーAから醸造した赤ワインに甲州ブドウを足して、再度発酵させる「二段仕込み」の手順を踏む。収穫時期の異なる2品種を使った「混醸法」は、まさにこの場所だからこそ実現できた。
自然に寄り添い大地の声を聴くワイン造り
余計な工程を削ぎ落として、ごくシンプルな醸造方法を突き詰めた平山さん。果実やワインにストレスをかけないようにと、機械ではなく自然の高低差による重力を活かしたグラビティ・フローを採用し、ブドウの繊細な個性を損なうことなく優しく丁寧に扱う。安全面や衛生面での管理を徹底しつつ、化学的なものは極力排除して自然の流れに任せている。
時には発酵過程で少し温度変化を加えたり、絞る量を微調整するものの「その年の温度や気象によって味が変化してもワインは許される」ときっぱり。クリアで繊細さを感じられるワインには、優しくも潔い平山さんの人柄が表れているのだろう。
「98WINEs」では、日常の食卓に寄り添うシリーズ「霜(SOU)」、長期熟成によって華やかさと長い余韻を楽しめる「穀(KOKU)」、そして「甲州とマスカット・ベーリーAという品種の面白さにチャレンジした」という「芒(NOGI)」のラインアップを用意。「芒(NOGI)」は同社の個性が最も表現されたシリーズで、特にロゼはマスカット・ベーリーAのチャーミングな香りを引き出したワインに仕上がっている。
醸造所の隣にはワインの試飲や販売を行う店舗「木の棟」があり、ここをハブとしてこの地を訪れるたくさんの人と交流したいと考えている平山さん。今年、ワイン観光に取り組む世界最高のワイナリーを選ぶ「ワールズ・ベスト・ヴィンヤード2023」にも選ばれた。この「98WINEs」こそ醸造家としての集大成かと思いきや、「私たちだけじゃ100になれない。いろいろな人に支えられ、コラボレーションして、100になって、200、いや300を目指したい」と微笑む。国産ワインの歴史とともに人生を歩み、日本ワイン界を牽引してきたにも関わらずどこまでも謙虚な平山さんだが、その目はすでに次の時代を見据えている。ワイン造りを次世代に託すことを視野に入れながら、土着品種が生み出すワインの新たな可能性を追求している。
作り手の技術が生み出す個性派ビール
ワインと同じくらいビールが大好きだと明言する平山さんは、2022年にブルワリー「98BEERs」を福生里集落の最奥の地にオープンした。「ビールは技術の酒だからこそ、日本人の性に合っている」と、保育園の保養所だった建物をリノベーションして、1階にクラフトビールの醸造所、2階に宿泊施設「Stay366」を設けた。
ビールの醸造に関しては、ブルワーの宮嵜尚文さんに一任。目指したのは「食事に合わせやすいビール」だ。苦みだけでなく、麦の甘みや旨み、酵母といった様々な要素の調和が楽しめる「麦の酒」の良さを全面に打ち出して、ホップを重視するクラフトビールとの差別化を図った。この地域の軟水のおかげで柔らかい口当たりに仕上がるのも特長で、ホップの苦味より全体のスムーズさを考えて造られたまろやかさは秀逸だ。
さらに、ベルギーの伝統的な製法を用いてシャンパンボトルで瓶内2次発酵させたり、地元産の果物や枯露柿(ころがき)、庭で育ったハーブなどの身近な食材を積極的に活用したり、ビール醸造においてもチャレンジ精神旺盛だ。
オーソドックスな定番シリーズ「九八」をはじめ、梅や柚子などの果実を取り入れたセカンドシリーズの「叙景」、長期熟成によって味の深みと重厚さを醸し出したハイクラス「四方」とバリエーション豊富で、山梨県北杜市産小麦「ゆめかおり」を使ったフルーティーな「サマーケルシュ」やハーブや木の実が香る「ガーデン」も登場。オリジナルを極めたビールは、それぞれの香りや味わいが新鮮で楽しく、ワインと共にテイスティングすることで味覚の相乗効果もあるという。
「流行りに左右されず、ワイナリーとブルワリーが連携しながら、この場所でしか表現できないものを突き詰めていきたい」と語る平山さん。ワインとビールのコラボレーションにより、その可能性は無限に広がっていく。