ワインの製造で100年以上の歴史を持つ「有限会社酒井ワイナリー」。明治期に南陽市赤湯の地でぶどう畑を開墾し醸造を始めて以来、ろ過機を使わないノンフィルター製法や、この土地に存在する自然酵母や微生物を利用した昔ながらのワインづくりをする傍ら、複数種のワインをブレンドした「まぜこぜワイン」など、斬新な取り組みも行っている。
酒井ワイナリーのあゆみ
山形県南東部に位置する南陽市は、盆地特有の昼夜の寒暖差や丘陵地の水はけのよさなどから江戸の頃よりぶどう栽培が行われ、特に南陽市赤湯産のデラウェア品種は糖度日本一と言われるほど、品質の良いぶどうが育つことでも知られる。また、赤湯は開湯930年以上の歴史を持つ温泉地としても有名。平安時代後期から現在に至るまで、訪れる多くの人を癒している。
そんな南陽市は、小規模なワイナリーが集うワインの生産地でもある。じつに、山形県内に18か所あるワイナリーのうち6つが南陽市に存在しており、その中のひとつ、醸造所とショップを併設する「有限会社酒井ワイナリー」は100年以上の歴史を持つ老舗のワイナリーだ。
すべてはぶどう畑の開墾から始まった
1892年に創業し、東北最古のワイナリーでもある酒井ワイナリー。代々酒井家が営んできた醸造会社であるが、ワイン製造のきっかけとなったのは創業以前の1887年。山形県の初代県令が果樹栽培を推進したことにより、酒井家十六代目当主であった酒井弥惣(やそう)氏がぶどう畑を開墾したことに始まる。
ぶどう栽培を始めたころの酒井家は温泉旅館業も営んでおり、宿泊業のかたわら5年の月日をかけてぶどうを育て、1892年からはワインの醸造を開始した。当初は観光客向けの商品が主で、 甘口のポートワインでないと売れなかったという。また、終戦後は日本酒が好んで飲まれ、ワインの販売数は伸び悩んだ。しかしワイナリーの四代目であった酒井又平氏の頃、食卓への洋食の浸透や、いわゆる「イタメシブーム」も手伝って、ついにワインが脚光を浴びることとなる。そして2004年、酒井家二十代目当主であり、現在酒井ワイナリーの代表をつとめる酒井一平さんが東京農業大学で醸造学を修め、山形にUターンをしたタイミングで代替わりをした。
「以前は個人向け販売が9割を占めていたが、現在は個人が3割で酒販店や飲食店が7割。また最近の傾向としてはは輸出が増え、東南アジアや、アメリカ、スウェーデンなどでも流通している」と酒井さん。そんなところからもワインに対する時代の変化を感じ取っているという。
土地に合った自然農法
酒井ワイナリーの自社畑は、現在では赤湯の地に15か所ほど。一番近いもので、ワイナリーから車で5分程度のところにあるという。しかし、酒井さんがUターンをした2004年当時は1か所のみ。それも、立つことが困難なほどの急斜面にあったこともあり、耕作放棄地になっていたのだとか。赤湯のぶどう畑は他も似たような地形のため、少子高齢化によって畑の維持が困難となり、同じように耕作放棄された土地も出てきていた。
そのような土地を買い取り、自社畑を増やしていった酒井ワイナリーは、今ではさまざまな品種を栽培している。そのラインナップは甲州、デラウェア、メルロー、カベルネ・ソーヴィニヨン、シャルドネ、マルベックなど、昔からある品種から近代になって開発された品種まで幅広い。その理由は、気候変動に耐えられるぶどうを目指して色々な種類を取り入れているから。というのも、近年、山形県では酷暑と言えるほど夏場の気温が上がっており、収穫時期が早まる、畑によってはぶどうの病気が蔓延し全く収穫できないことがあるなど、深刻な問題が出てきているから。
「気候が変われば植生が変わるのは当たり前。気候変動を受け入れたうえで、個性的といえるワインをつくりたい」と、酒井さん。
そんな酒井ワイナリーのユニークな試みは、現代の技術を以て100年前の農家のやり方を再現すること。そのひとつが、自社畑にいる羊だという。
自社畑に拡がる小さな生態系
2004年に酒井ワイナリーの代表に就いた後、2007年頃から様々な勉強会に出席。それまで自社で使っていた化学系殺虫剤の使用をやめ、無農薬栽培に切り替えた。それは、ぶどうが無理せずその土地で生き、無理せずにワインになるという流れを作るため。その一環としてさらに取り入れたのが羊だという。
羊の役割は、除草と堆肥。急斜面の自社畑には機械が入れないため、草や絞ったぶどうの滓を食む羊が除草の役割を担っている。加えて、雪解け水が土の中の栄養を流してしまう丘陵地の難点を、羊のフンが堆肥となることで補っている。
雑草やワイナリーから出たぶどうの搾りかすを食べた羊が排出するフンが畑に栄養を与え、ぶどうが育つ。それはまさに、ぶどう畑とワイナリーをスムーズに結びつける小さな生態サイクルだ。
無濾過へのこだわり
羊以外にも、酒井ワイナリーがこだわっていることがある。それが、土地に根差した昔ながらの製法を続けているということ。
例えば道具。赤湯の栗の木で作られた「かい入れ棒」や木製の樽は、昔のものをそのまま使っているという。ずっと使い続けることでその蔵の酵母がつき、ワインに個性を与えるのだとか。また、琺瑯(ほうろう)製のタンクも、味に深みが出るため70年ほど使い続けているそうだ。
また、創業当時から続けているのがノンフィルター製法。フィルター機材を使わず、ワインの澱(おり)が自然にタンク内で沈殿するのを待ち、その後上澄みをすくってさらに沈殿を待つ。これを繰り返し、最後は澱とともに日本酒の一升瓶を使って熟成させる。「タンクで貯蔵するより、一升瓶の方が底面積が広くなるため、澱とワインが触れやすくなる」のが、一升瓶を使う理由だそう。非常に手間がかかるが、澱は発酵を終えた酵母。澱が作り出す旨味はその土地の個性をワインに与えるため、酒井ワイナリーではこの製法をずっと続けている。
加えて、3年ほど前からは完全に野生酵母だけを使って醸造をしているという。野生酵母とは、ブドウの皮などに元々付着している自然のもの。いわば、その土地に根差した酵母だ。戦後から酒井さんの父である先代までは乾燥酵母がなかったため、必然的に野生酵母を使ったワインづくりを行っていたものの、酒井さんに代替わりした頃は世の中に普及していた乾燥酵母を使って仕込んでいた。しかし10年以上前、ちょうど無農薬栽培に切り替えた頃と時を同じくして再度野生酵母に戻す取り組みを開始。今では、ワイン造りの原点ともいえる野生酵母のみを使った醸造を行っている。
最新の技術はもちろん優れているが、それだけでは個性が生まれない。昔は自然任せだった手法を現代の技術で再現できるようになったため、それを利用することで良い意味で隙のある、赤湯という土地ならではの文化や個性がワインに反映されるようになったという。
赤湯の魅力が詰まった銘柄
様々な品種のぶどうを栽培する酒井ワイナリーは、醸造するワインも多岐にわたる。また、その名称も興味深い。「バーダップワイン(BIRD UP)」は、ワイナリー創業者の酒井弥惣がぶどうを植えた「鳥上坂(とりあげざか)」の地名を英語に訳したもの。「雨狸(あめだぬき)」は「雨霊沢(うるいざわ)」と「狸沢(むじなざわ)」にある自社畑でとれたぶどうを使っていることから名づけられた。土地の名前がついているのは、どの畑でとれたぶどうを使ったワインなのかという特徴がわかるように、との思いからだという。
多くの銘柄がある中で最初の1本におすすめと酒井さんが薦めるのは、「小姫(こひめ)」。可愛らしいその名前は、地元の農家が使っていたデラウェアの呼称。かつてデラウェアを使ったワインが人気となり農家が潤ったため、姫という呼び名を付けて親しんだのだとか。
また、名前もさることながら製法もユニークなのが「まぜこぜワイン」。品種も収穫年もコントロールせずに樽に入れて熟成させたワインだ。どの品種が何パーセント含まれているかがわからないため、逆に土地が持つ香りが強く出るのだとか。
さらに、赤・白・ロゼに続く4番目のカテゴリーとして近年認知度が高まっているオレンジワインにも挑戦。日本人の口に合い手に入りやすいものの、山形では100年以上甘口ワインでしか使われていなかったデラウェアを用い、辛口に仕上げた。白ワインを赤ワインの製法で作るというオレンジワインには、今までの白ワインでは引き出せなかった魅力があり、これから進化する可能性を感じていると酒井さんは語る。
ゆるがない存在を目指して
赤湯の地で、100年以上にわたってワイン製造に代々従事してきた酒井家。今後目指すのは、「揺るがない存在になること」だそう。
自分たちの生きる土地にしがみつき、畑や周辺環境を俯瞰してぶどうの力を借り、ワインを作る。この土地でやり続けることに意味があるため、他の人と比較しても仕方がないと酒井さんは考えている。実際のところ、100年以上続く酒井ワイナリーは、世界大戦すら乗り越えた。そのように、外の事象に影響されないワイナリーでありたいという。
個人的には、今やっとスタート地点に立ったと感じているという酒井さん。気候変動という新たな問題への対策、羊以外にもこの地に昔からいたであろう動物を畑で飼うなど、やるべきこと、やりたいことは多くある。そんな中でも、「これが酒井ワイナリーのワインだ」という確信は既に持っていると語る。
昔ながらの製法を守りつつ新しい挑戦を続けていく酒井ワイナリーから、目が離せない。