雪の重みに耐えて甘みを増す山形県の伝統野菜「山形赤根ほうれんそう」柴田吉昭さん

雪の重みに耐えて甘みを増す山形県の伝統野菜「山形赤根ほうれんそう」柴田吉昭さん

近年、山形県内のメディアでも目にする機会が増えた「山形赤根ほうれんそう」。在来種として根付き、冬の積雪にも負けないこのほうれん草は、えぐみがなく甘みが強いというのが特長。そんな県産伝統野菜のひとつである「山形赤根ほうれんそう」の生産者である柴田吉昭さんを訪ねた。


この地で生きられるように“進化”した、ほうれん草



山形市中心部から車で20分程の場所にある風間地区。ここで、親子3代にわたって赤根ほうれん草を栽培しているのが、柴田吉昭さんだ。


今でこそ山形県の伝統野菜として知名度を上げている赤根ほうれん草だが、柴田さんが農業を営む風間地区では、ほうれん草といえば以前から根が赤いものだったという。柴田さんの祖父が物心ついた頃には既にあったらしく、100年以上はこの地に根付いているのではと柴田さんは言う。


赤根ほうれん草の外見的な特徴は、何よりまず、目を惹く赤い根とそのサイズだ。スーパーなどで日常的に見かける品種よりひと回りもふた回りも大きく、一株で300g近くに育つこともあるという。そして70cm近い根としなやかな茎は、赤根ほうれん草の育ち方に関係している。と、いうのも地中にしっかりと根を張り、50cmほどの積雪の重みに折れることなく育つため、茎の柔軟性が非常に高いのだとか。


もうひとつの大きな特徴である味について、「赤根ほうれん草が甘いのは、雪の影響だと思う」と柴田さんは言う。


フルーツに肩を並べる糖度



赤根ほうれん草の茎部分は、非常に甘みがあることで知られている。糖度計で調べてみるとおよそ18度。メロンやシャインマスカットに匹敵する高さだという。


もちろん果物のように特化した甘さがあるわけではないが、ひと口味わってみれば、口内に拡がる甘み、そしてえぐみの無さに驚くに違いない。ここまで糖度が高くなるのは、冬の間に凍ることを防ぐため、デンプン質を糖に変えるからだという。


やはり残るには理由がある。この地で生きていくように進化してきたのだろう。


露地とハウスと意地



赤根ほうれん草は、マスコミで注目されるようになってから生産者が増えたという。しかし、手間暇をかけて雪の中で栽培をしない限り、甘くはならない。また、病気や地下水にも弱く、収穫間近で雨が数日降れば黄色に変色して出荷できなくなる。そもそも量を採ることが難しいなど、非常に扱いづらい品種なのだ。


それなのに何故、柴田さんは赤根ほうれん草の栽培を続けるのだろうか。


「風間の赤根っ子」の変わらぬ畑



地元のほうれん草といえば赤い根のものだった時代、風間地区で栽培されていたほうれん草は「風間の赤根っ子」と呼ばれ、人々に親しまれていた。それが時代を経て、収穫量が多い西洋種のほうれん草が日本の食卓のスタンダードとなり、赤根ほうれん草のような作りづらい日本在来種ともいわれる東洋種は次第に姿を潜めていった。


風間地区でも現在、赤根ほうれん草を栽培している農家は10軒あるかないか。その中で柴田さんは、露地栽培とハウス栽培の両方を続けている。


11月から2月に旬を迎える赤根ほうれん草だが、露地物の収穫が終わるのは1月半ば。雪がとけ始めて水たまりになると傷んでしまうため、1月半ば以降はハウス物が主流になるという。ハウスで栽培する赤根ほうれん草にあえて雪をかぶせることはしないものの、内部は土が凍り、茎がくたっとなるほど気温が下がるのだとか。また、露地とは環境が異なることから、根が甘くならないというトラブルに見舞われたこともあるという。露地では雪に、ハウスでは凍り付くような気温に耐えながら栽培し収穫をするのだから、並大抵の手間ではない。しかも、扱いづらい品種ときている。それでも生産を続けている理由は、もはや意地でしかないと柴田さんは言う。


「祖父の代から100年以上続く畑は、祖父の代そのまま。当時も今も、ここでとれる赤根ほうれん草を待っていてくれる人がいる。それならば作らないと、という意地がある。伝統野菜栽培は意地でもないとできないよ」。

まだハウスが無かった昭和50年代。周囲の農家は冬期間の出稼ぎで家を留守にしていたが、柴田さんの家では必要なかったという。それは、冬の間でも赤根ほうれん草の収穫ができたから。家族の歴史を支えてきた赤根ほうれん草を絶やしたくないという想いが、モチベーションにも繋がっている。


望むのは「美味しく食べてもらう」こと



赤根ほうれん草は、収穫したてが一番甘いという。


生食用に栽培されたものでない限り茹でるイメージがあるものの、赤根ほうれん草は生のままでも食べられるという。特に茎の赤い部分の甘みは採れたてのみずみずしさと相まって、果物のようにも感じられる。かつて、イタリア料理店「アル・ケッチァーノ」の奥田政行シェフが柴田さんの畑に来た時は、挨拶もそこそこに、収穫したてのほうれん草を生のまま味見したのだとか。


「おいしいと食べてもらえるのは、やはり嬉しい。消費者にはおいしく食べてもらいたいから」と思うものの、生産量を増やし全国に流通させるのは難しいという。


伝統野菜と大量生産の相性



手間がかかり、種も自分たちで自家栽培をしていかないとならず、ひとつの種から採れるのは1束のみという赤根ほうれん草。量産するのは至難の業だが、そのおいしさに目を付けた大手スーパーマーケットチェーンから声がかかったことがあるという。


流通に乗れば日本全国に赤根ほうれん草を届けられるという話だったが、「年間20リットル収穫するのも大変なのに、2000リットルくれと言われたのだからとうてい無理だった」とのことで実現せず。


全国に届けられるほどの量を生産するには柴田さんだけでは無理だが、周りの農家も一緒なら可能なのでは、とも考えた。とはいえ、皆が同じ大きさや太さのほうれん草を栽培しないと出荷時のロットとしてまとまらず流通に乗せられない、という問題もある。また赤根ほうれん草の場合は通常のほうれん草よりもかさがあるため、重量はないものの場所をとるという点で輸送コストも一般的なものより余計にかかるという。栽培が難しい伝統野菜ではそのような大量生産の体制をとるのは現実的でないということが、今だに県内の流通程度に留めている理由だという。


シンプルな調理が味を引き立てるほうれん草の「おひたし」



そんな赤根ほうれん草のおいしい食べ方を柴田さんに聞いてみたところ、「レシピとはいえないが、シンプルにおひたしが抜群においしい」という。


さっと茹でただけのほうれん草に、かつお節と醤油を少々。余計なものは加えない昔ながらの調理法により、ほうれん草自体がもつ香りを強く感じることができる。また、調理しても赤みの残る茎部分の甘みが醤油の塩味により引き出され、なるほど通常のほうれん草とは全く違うと納得せざるをえない。口の中にえぐみを感じることもなく、大皿一杯あっても食べられそうなほど軽やかな味わいだった。


続けてきたからこそ見えるもの



意地で露地栽培とハウス栽培の両方を続けている柴田さんは、赤根ほうれん草の栽培を「あと20年はやり続ける、やれるのではないかと思っている」と語る。


伝統野菜を守るというのは簡単なことではない。種も自分たちで採り、収穫するまでに多大な努力を要するため、採算はあまり考えていないのだとか。しかし、この地域に昔から存在し、あれこれ無理をしないでも残るのが伝統野菜であり、残るには残るなりの理由があるのではとも言う。


ただ、今では赤根ほうれん草栽培のみで生計を立てていくのはなかなか難しい。特に農家の場合は気候変動や市場の値付けに影響され、資材費が上がったのに値段に反映されないという類の苦難も抱えている。柴田さんは「親がやってきたから」と農家を継いでいるが、現に柴田さんのお子さんは勤めに出ている。


「だから、意地でもないと伝統野菜づくりはできない」と柴田さん。ただ、そんな親の背中を見ているからか、勉強していずれは赤根ほうれん草づくりに関わりたい、と柴田さんのお子さんは考えているようだ。


そして柴田さん自身はというと、今の生活に充足感があるという。

それこそ赤根ほうれん草と向き合い、今日も1日無事に終わったと思って眠りにつく。そんな日々を繰り返すのが理想的で、それが実際にできているからだ。

「ただ、ひとつのことをずっと続けてきたからこそ、山形赤根ほうれん草が注目されたり、取材という形を通して色々なひとと会う機会を持てたりというのは、昔の自分から見たら夢のようだ」と柴田さんは語った。


まだこれから20年は続けるという柴田さん。風間の地で根付いた赤根ほうれん草という伝統は、柴田さんから次の代へ、そしてその先へと、脈々と繋がれていくことだろう。


ACCESS

伝統野菜 山形赤根ほうれん草  3代目 柴田吉昭さん
山形県山形市風間