朝鮮白磁の美しさを日本から発信する山口県の陶芸家 チェ・ジェホ(崔在皓)さん

朝鮮白磁の美しさを日本から発信する山口県の陶芸家 チェ・ジェホ(崔在皓)さん

現代アートと伝統工芸、相反する2つの表現の場を行き来しながら、美しい白磁の色気を提案するチェ・ジェホ(崔在皓)さん。韓国にルーツを持ちながら、日本を作陶の場に選び、全国での展覧会やアートコラボが話題を呼ぶ白磁作家だ。シンプルかつ高貴な白磁の常識に、チェ・ジェホさんが加える新たな世界とは。


自然豊かな山口県周南市の山間で生まれる陶器



山口県東南部に位置する周南市。自然豊かで静かな山間に工房を構えるチェ・ジェホさん。韓国・釜山出身で2004年、自身が33歳の時に日本へ移住。

朝鮮時代に中国より韓国へ伝わったとされる白い素地に透明の釉薬が掛けられたシンプルな焼物「白磁」の作家だ。独自の風合いや柔らかな曲線、チェ・ジェホさんによってのみ生み出される独特な白色が一度手にした人を虜にしてしまう。アンティークの風合いと現代の洗練されたおしゃれ感が同居する作品は日本の白磁界に新風を吹き込んでいる。


日本を表現の場に選ぶ


チェ・ジェホさんがはじめて日本を訪れたのは31歳の時。日本で行われるグループ展に招かれ、制作のため愛知県瀬戸市にある窯元に2ヶ月ほど滞在する機会に恵まれた。開催されたグループ展で出会った日本人の陶芸に対する熱意が印象的だったのと、はじめて触れた日本の白磁用の土の感触がとても魅力的だった。


「母国韓国では、美術館や博物館に展示されるような美術工芸品と普段使いする民衆的工芸品に対する理解に大きな差がある。日本では両者の境目がどこにあるのかが議論になるほど、工芸を取り巻く環境は円熟しているといえる。華美な装飾をほどこさない白磁にも芸術品としての定評があり、日本人の工芸に対する感性の高さに期待を持った。日本には自分の表現したかった白磁の世界を受け入れてくれる余白があると確信。自身の作陶の拠点を日本に移そうと移住を決めた」と話す。


広島出身の奥様のご家族を頼りに、多少不便でも、音も煙も出す器づくりが気兼ねなくできる工房を構えるためにと、自然の中の古民家を探した。ようやく見つかったのが山口県。韓国に居ながら写真と価格だけで購入を決めた。


アートの世界を目指して陶芸の扉をひらく



チェ・ジェホさんが白磁に目覚めたのは大学2年生の頃だった。幼いころから絵が好きで、中学でも美術クラブに在籍。特に現代アートに対する興味が強く、絵画を学ぶために韓国国内でも屈指の芸術大学、弘益(ホンイク)大学進学を目指していた。志望していた絵画コースが高難度だったこともあり、3年浪人した。4年目には入学することを優先し、手の届いた同大学の陶芸科に進むことを決意。たとえ希望の学部で学べなくとも、芸術センスあふれる学友たちとの交流が自身にとって良い刺激になることが分かっていたからだ。


そんな人生の選択に導かれるように、陶芸の道に進んだチェ・ジェホさん。現代アートとしての陶芸の基礎を学び、オブジェなどの制作に没頭していた。大学2年生の授業で古典美術に関するレポートの為に国立美術館を訪れ、目にした朝鮮時代(1392年〜1897年)の白磁「満月壺(タルハンァリ)」が、その後のチェ・ジェホさんの進む道を変えたのだという。 なんとも言えない柔らかなラインと表面の質感、そして温かな白に魅せられた。いつか同じような作品を自分でも作ってみたいと、朝鮮・高麗時代の「古典白磁」の世界にはまっていった。


現代アートからはなれ伝統工芸の世界へ


大学を卒業する頃には、現代アートの作家ではなく白磁の作家を目指すと決意。朝鮮時代の白磁作品から受けた感動を自身の作品で再現する作家になりたいと考えた。韓国では白磁用の土を手に入れることが難しい事もあり、白磁作家自体の数が少ない。弟子入り先を探すのには苦労した。教授のつてを辿り、ようやく見つけた弟子入り先が古美術の修復や古典美術の写しなどを手掛ける専門家だった。学びたかった朝鮮白磁のいろはや古典作品を見極める審美眼を身につけていった。


守り続ける恩師の教え


師事した恩師の教えは、同世代の現代作家の作品を真似るのではなく、博物館や美術館に展示されている「美しいもの、いいものを見て学べ」だった。時代を越えて人々が残そうとした本物の作品を見て心で感じ、想像を膨らませる。そこから見えてくるバランスと質感を学び、自身の感性が生み出す解釈として表現することが大切だと。自分なりの解釈ができた時に、レプリカではない独自の作品を生み出せるようになるというのだ。

そんな教えを守りチェ・ジェホさんは今でも、個展や商談で訪れる先に美術館や博物館があれば立ち寄るようにしていると話す。東京国立博物館や日本民藝館にもよく訪れるのだとか。オリジナル作品の作陶で忙しい今でも、インプットする時間を何よりも大切にしている。


独立で覚悟を決めた代表作作り


弟子入りしてから2年半が過ぎたころ、師匠が他界するという不運が訪れた。独立への十分な備えがあったとは言えなかったが、白磁作家としての一歩を踏み出すことに。独立するにあたり、大学時代のレポートで感銘を受けた「満月壺」を自身の代表作に据える覚悟を決めた。この時から今でも理想の曲線と表面の風合いを求め作陶する日々が続く。


チェ・ジェホさんの白磁



そもそも白磁とは陶芸の中でも「磁器」に分類される焼物で、陶石と呼ばれる石が主な原料。透明の釉薬をかけ白色に焼き上げるのが特徴で、鮮やかな絵付けなどを施した佐賀県の「有田焼」や石川県の「九谷焼」でよく知られている。


チェ・ジェホさんの白磁作品には、鉄分の少ない3種の土を用いる。陶芸用の白磁粘土に佐賀県有田の陶石や作品に独自の白色を引き立たせる韓国の粘土カオリンなどを混ぜる。鉄分を含まない透明釉により素地の白色を乳白色のニュアンスに変化させ光を通すと、白磁の凛としたツヤの中にやさしさを携えた透明感が生まれる。


制作時に、寸法は一切計らない。はじめに重さを計った後は、自身の手指の感覚のみで、ギリギリまで薄くして、自然的な歪みも含めたラインの美しさを大切にする。作品として飾るだけではなく、薄く軽いため使い勝手が良いこと。また白の引き算の効果で、草木花を上品に美しく引き立たせることは言うまでもない。


代表作「満月壺」



満月壺とは両腕で抱えるほどの大きさの壺だ。形が満月を思わせるので「満月壺」と呼ばれている。朝鮮王室が白磁を王室専属磁器とされた時代から伝えられる技法で、繊細なラインと大きな膨らみを持つ独特な曲線が見る人に癒しを与える。「胴継ぎ」と呼ばれる制作手法で、2つの椀型の原型を、上下繋ぎ合わせたあと窯で焼く。完全な球体にはならないが、圧倒的な膨らみと自然な歪みがうまれ、素朴な中に温かみと力強さが同居する。壺が放つおおらかな優しさに魅了される人が多く、白磁に魅せられた人々は行きつく先がこの満月壺の所有欲の沼なのだそうだ。


チェ・ジェホさんは満月壺に機械的に造られた綺麗なものには無い、手作りだからこそ生まれる風合いを表現し、朝鮮時代を生きた陶工たちの息遣いを感じさせることを意識している。満月壺からにじみ出る「温かみ」はどこか赤子を抱く母のぬくもりに似たやさしさがある。物でありながら人間らしさを感じさせる魅力は陶工たちがものづくりに込めた思いがこもっているからこそ。これを「色気」と表現し、自分なりの解釈で唯一無二の色気を満月壺に宿すことにこだわる。



日本での成功をつかむまで


日本に移住して作品作りを始めた当初は、お金もなく細々と手に入れた古民家の改修をしながら作品作りをする毎日。日本での知名度もなく「チェ・ジェホ」の名では作品が売れない。しばらくすると作品を作る原資すら無くなり途方に暮れた。いったい自分は何を目指しているのか、分からなくなる瞬間があったという。


ふと我に返り浮かんだのは「自分の考える、自分らしい白磁を作ろう」という思いだった。何かをまねるのではなく、見たもの感じたものの先にある自分の解釈を表現することが重要だと教えてくれた恩師の言葉を思い出し、朝鮮白磁がこうあるべき、という思い込みを捨てた。自分自身の解釈を投影する作品作りに振り切ったとき、「自分のつくりたい白磁」の解を得た。チェ・ジェホさんの迷いは消えて、作品作りへの自信がみなぎったという。


満を持してたどり着いた自分流の答えをもって、流行の中心である東京のギャラリーやショップへ売り込んでまわる日々が続いた。抱える白磁作家がいるからと断られることがほとんど。そんな中、とある古美術店の店主がチェ・ジェホさんの白磁を気に入り取り扱いが決まった。つづけて同店で個展を開くと、その評判はお客さんを通じて広まり、2008年ごろになると東京でも別のギャラリー主の耳に届くように。とんとん拍子でいくつかの有名ギャラリーで個展が開けるようになっていった。

駆け出しの頃は東京と山口の往復を続けながら、陶芸に強い関心を持つ日本の風土とまだ見ぬ将来顧客との出会いに胸を膨らませて心を弾ませていたと話す。


チェ・ジェホの白磁がさらに広く知られたきっかけ


日本での評価を受けはじめたチェ・ジェホさんの作品は、ギャラリーやショップだけでなくNHKの美術番組でも取り上げられ、注目を浴びることとになった。2020年「白磁」のテーマ回で、白磁界の大家・黒田 泰蔵氏、人間国宝の井上 萬二氏に名を連ねた。両者に並んで40代の外国人作家としての紹介には、本人も驚いたという。これまで自分が信じてのめり込んできた「チェ・ジェホの白磁」を日本が認めてくれたことを実感する瞬間だった。


独自の白が生み出すおしゃれ感をめざす



満月壺以外にも、年代を問わず毎日使ってもらえるような「生活に溶けこむ作品」作りも大切にしている。普段使いのマグカップや中皿、酒器、花器、中国茶器など幅広いバリエーションがある。シンプルで独特な質感が、ただの白ではなくおしゃれ感を醸し出す。白といってもその種類は様々で、チェ・ジェホさんが生み出す白は温かみを感じさせる。酒器や皿の中央にぽつんと佇む「人型」のワンポイントシリーズは若い層の顧客を中心に人気がありチェ・ジェホさんの遊び心を感じさせる作品だ。


使い手に愛され育てられたことによって、後天的に生まれる風合いの変化が美しいとされる朝鮮白磁を基礎に学んだからこそ生まれる発想で作品を生み出していく。


朝昼晩と移りゆく光に映える器を想像し、使い手のあらゆる利用シーンに馴染むよう、自身の感覚を頼りに、あえて指の筋跡を残す。目で見る凛とした佇まい、持って伝わる柔らかい曲線が醸し出す色気は、現代デザインとして目の肥えた人にも通用すると考えている。


アートシーンへの挑戦、黒と白の世界


2019年には、ニューヨークを拠点にペインティングやネオン、写真やビデオといった多岐にわたる素材を用いて制作するアーティスト、グレン・ライゴン氏からの熱烈オファーを受けて、コラボ制作が実現した。ファッションブランド「HYSTERIC GLAMOUR」が運営するギャラリー「RAT HOLE GALLERY」で、ライゴン氏のルーツを表現するものだ。近代美術やコンセプチュアル・アートに基づく作品を制作しているライゴン氏からの依頼は、「象徴的な白の満月壺を『黒』で表現すること」。

白磁作家が紡ぐ、漆黒の満月壺は荒々しい表面感と白磁の満月壺との対比が素晴らしく、話題を集めた。


誰もチャレンジしたことのない「黒の世界」


完成した黒い満月壺は、どこか宇宙を彷彿とさせる。遠くからみると吸い込まれそうなほど漆黒の重みがある。近づいて見ると、光の届かない月面の裏側や、凍った雪の表面のような凹凸があり、力強い作品に仕上がった。仮称として黒磁(こくじ)満月壺と呼んだ。

「静と動」「始まりと終わり」を、黒で出す引き算と白で出す引き算の対比が、現代アートとして象徴的に表現された。従来、満月を思わせる伝統的な形状と乳白色が特徴の満月壺の表現を拡張させることに成功した。


他のどの白磁とも違う、チェ・ジェホさんが生み出す「チェ・ジェホの白磁」は朝鮮が紡いだモノづくりの情熱とそれを新たな時代の表現に昇華させたハイブリッドな存在感で手に取る人の心をなぜか温かくする。

「白磁には色気が無いと魅力がない」とチェ・ジェホさんは語るが、確かにえもしれぬ妖艶さを秘めた温かさの沼にはまっていく。近づけば近づくほど表情を変える壺の魅力は作家チェ・ジェホの人柄を映し出しているようだ。これからも朝鮮白磁の魅力をチェ・ジェホ流の白と質感で表現し続けていく。


ACCESS

崔在皓(チェ・ジェホ)
山口県周南市
URL https://www.instagram.com/jaeho.choi55/