人口1200人弱、農業と観光業が中心の赤井川村で米作り80年の歴史を持つ石川農園。ここには作るのも食べるのも大好きな「お米」一筋の3代目がいる。美しくも厳しい自然と奮闘する石川隼人さんを訪ねた。
山々が織りなす自然に恵まれた美しい村
北海道の南西部に位置する余市郡赤井川村(あかいがわむら)。2つの集落からなる赤井川村はちょうど小樽市から南西に40km程の位置にあり、小樽からも車で30〜40分ほどで行けるエリアとして近年観光スポットとしても注目を浴びている。東西南北、ぐるりと山々が村を囲むカルデラ状の地形をなす盆地として知られ、昼と夜、夏と冬の気温差が大きい盆地特有の内陸型気候を持ち、有数の豪雪地帯でもある。秋の晴れた朝、盆地に霧が流れ込んでたまる「雲の湖」の絶景、パウダースノーに恵まれたゲレンデ「キロロリゾート」など多くの人を引きつける豊富な観光資源が村の自慢だ。
また村では、多くの農産物が栽培されている。米や南瓜、ブロッコリーやミニトマト、メロンやスイカなど多品目にわたり、昼夜の寒暖差を生かした甘みのある品々が人気を博している。
お米に一直線、石川さんがつくる美味しいお米
この風光明媚な赤井川村の曲川地区に水稲栽培を営む「石川農園」はある。農園の3代目として2004(平成16)年から米作りをはじめた石川隼人さんは、とにかく「お米」が大好き。
「晴れた日に田んぼに行き、日々違う顔を見せる稲を観察すること、それから精米したお米を美味しく食べること。どちらも私にとっては欠かせない仕事であり、お米は『趣味』なんです」と話す。
さらに「一回の食事で軽く三合はたいらげてしまいます」とうれしそうに付け加えた。
中学卒業後、高校進学のため小樽に下宿、その後は札幌で会社員として働いてきた石川さん。ふるさとから離れていても、四国から村に移住した初代がはじめた田んぼのことはいつも心のどこかにあった。「他の仕事をしていても、いつかは実家に戻って米作りをしたいとずっと思っていました」
台風をきっかけに妻を連れて故郷に戻ったのは、ごく自然な成り行きだったという。
清流と温度差、土、太陽が味を決める
石川農園で手がけるのは、北海道を代表するブランド米である「ゆめぴりか」「ななつぼし」「ゆきさやか」の3品種。
「どれも北海道自慢の品種です。特に『ゆめぴりか』はもち⽶に近い性質を持ったお米。もちもちとしたやわらかい食感、甘くて濃い味わいに、ほんのりとした特有の⾹りもあるんですよ」と石川さん。
余市岳をはじめとする山が育む雪解け水、カルデラ地形がもたらした肥沃な土壌、盆地ならではの寒暖差という好条件が揃い、石川さんのお米は元気にすくすく育っていく。
「⾚井川村はぐるっと⼭に囲まれていますから、雲が流れてきても山をよけていくんです。だから特に夏場には、お米にさんさんと太陽が降り注ぎます。太陽を浴びたお米はしっかり光合成をしてデンプンをたくさん蓄えます。さらに昼夜の気温差があるため、夜はお米の代謝が抑えられ、デンプンがお米一粒一粒にぎゅっと詰まる。これがお米のもっちりとした粘り、甘みとなるんです」
さらに山々に囲まれ、風当たりが少ないのも石川さんの田んぼの大きな利点の1つ。「強風で揺られることが少ないので、お米に余計なストレスがかからないんです」
清流から山のミネラルを吸収し、つやつやと輝く大きな粒のおいしいお米の完成だ。
石川農園の「ゆめぴりか」は、 磯谷郡蘭越町に実行委員会が置かれ、美味しいお米を全国に発信しようというスタンスのもと同町で毎年開催されている米-1(こめワン)グランプリでたびたび入賞を果たし、2021(令和3)年にはついに準グランプリを受賞した。
石川さんは自分の作ったお米を「シェメシ」と名付け、米袋にも大きくプリントしている。
「シェメシ」とは、ヘブライ語で太陽(朝日)を意味する。「シェメシ」と命名したのは、太陽(朝日)の存在が育てたお米にとって大切な存在、そして語呂が良かったからだと笑顔で教えてくれた。
水分量にもこだわり、料理人にも愛される米に
昼夜の寒暖差、ミネラルを豊富に含む清流、良質な土壌…お米を育む好条件が揃う赤井川村。
いつ、どんな状況でお米を食べるかに応じた最適な水分量でお米を食べてほしいと強調する石川さん。
「粒に含まれる水分量によって、お米の美味しさは大きく左右されてしまいます。理想の水分量は15~14%ですが、収穫日の天気や時間などによって水分量が異なるんです」
そこで石川さんは、お米を均一に乾燥させるために、遠赤外線型の大きな乾燥機を用いていると話す。また、一度に乾燥させず、時間をかけてじっくり乾燥させるのもお米の味へのこだわりゆえだという。
「⼆段乾燥という方法を採用しています。まず1回目は、水分量が16.5%のところで止め、そのまま3⽇間くらい置くんですよ。密閉されていると、籾(もみ)の⽔分は⾏ったり来たりするんです。⽔分が多いものは低いほうに⽔分を譲って均⼀になろうとする性質を持っています」
また斑点米とよばれ、少し味の劣る黒いお米を選別する機械も導入し、お米の品質を保つことにも成功した石川さん。変化する北海道の気候に適した農法を探すため、毎年試行錯誤を繰り返してきた。
「何より根っこをどっしり張ることが大事だと考えるようになりました。根っこが元気な稲が育てば大きな米粒をつける。そのためには、秋に刈り取った稲わらをまだ気温の高いうちにすき込んで畑の土と混和させます。そして『稲わら腐食促進剤』を撒いて次の年、気温が上がってくる頃に土の中に分解されていない稲わらが残らないよう、しっかりと土壌の発酵・腐熟化を促します。この工程が不十分だと気温の上昇で土壌からガスが発生してしまう。ガスが発生すると稲の根っこがやられてしまい、その後の育ちが悪くなってしまうんです」
次の年のいい根っこづくりには、稲刈りのあとの土づくりが欠かせないんですと強調する石川さん。
「稲が育ちだしたら稲そのものより、根っこばかり見てるかな(笑)」
生産者としてはもちろん、一消費者として「お米」を食べることが趣味という石川さん。そのこだわりのお米に惚れ込む料理人も少なくない。⽇本料理「⽇本橋 OIKAWA」の笈川智⾂さんもその1人だ。
「石川さんのお米は⼟鍋の蓋をあけた瞬間から『これはうめえだろうなあ』と思ってよそっているんです。とにかく⽢い。甘みは旨み。すごくシンプルな美味しさがつたわります」と笈川さん。
お⽶そのものの美味しさに、来店する客は喜んでいるとも話す。
「いいものはシンプルでいい。悪いものを使うから、いろんなものを付け加えなくちゃいけなくなるんですよね」
次世代の担い手に農業の魅力を伝えていく
石川さんは、農業の担い手が高齢化し、若い人が魅力を感じてくれないところに危機感を持っているという。地区で米農家を営む7戸で協力し、「⾚井川村清流会」を結成したのも、赤井川地区の田んぼを、お米を守りたいという思いからだ。
「私は赤井川村が好きなんです。農法や販売先は異なっても、同じ用水を使ってお米を作っている同志です。ここの美味しいお米を守っていくためにはどうすればいいか、日々奮闘しています」と話す。
出張授業のために学校へ出向いたり、オンライン授業を手がけたりと精力的な活動を続けている。
「元気なお米を食べて皆が元気になる。お米の魅力を若い世代にもっとアピールしていきたい。就農の減少を⾷い⽌めるためのさまざまなイベント展開にも力を入れているんです」
押し入れから小学校4年生の時に書いた『 ⽶ 』 という自作の詩が見つかったんですよ、と石川さん
『 ⽶ 』
きれいだな。
いねは、こがね⾊に光る。
いねは、そよそよなびく。
海の波のようにそよそよなびく。
おいしいな。
ごはんは、つやつや光る。
ごはんは、とてもおいしい。
⿃の卵を⼩さくしたように、とてもおいしい。
幼き頃、米の美味しさに感極まって書いた詩だという。自分のような子ども、若い世代をもっともっと増やしていきたい。そんな想いを糧に石川さんはお米作りへの挑戦を続けていく。