ワイン愛好家注目のワイナリーとは
世界シェアを持つ工業製品メーカーの本社が多く点在する長野県埴科郡坂城町。工業が有名なこの町だが、都市部の工業地帯のようなインダストリアルな風景はそこにはない。長野県北東部に位置し周囲は山々に囲まれ、町の真ん中を一級河川・千曲川が流れる自然豊かな人口約15,000人の小さな町だ。そんなのどかな町の一角に、ワイン愛好家から注目を集めるワイナリーがある。
この地で生まれ育った成澤篤人さんが2018年に構えた「坂城葡萄酒醸造」だ。県内の大手飲食企業にてマネージャーを務めていた成澤さんは、勤続中にソムリエの資格を取得。ワインと食のマリアージュやその奥深さを知っていくうちに、醸造に興味を持つようになる。その後、独立し、長野県内に複数の飲食店を展開しているなかで、坂城町にワイン用ブドウの畑を開墾、続けて醸造場も開設した。
長野県内でもめずらしい砂礫土壌
成澤さんが坂城町にブドウ畑を開墾したのは、地元愛ばかりではない。この土地がワイン用ブドウの栽培に大変適した砂礫(されき)土壌だったことがいちばんの理由だ。フランス・ボルドーに類似しているといわれるこの土壌は鍬をおろせば小石が出てくるほど。その土は非常に水はけが良く、根腐れが起きにくいため、深く根を張ることができ、テロワールの特徴がブドウに現れるため、品質と地域らしさを兼ね備えたブドウになるのではと考えた。その目論見は当たり、開墾から数年、予想を超えるポテンシャルのワイン用ブドウができるようになってきた。同地域の特産で独特の強い辛味が特徴の信州の伝統野菜「ねずみ大根」など、ほかの地域では見られない個性的な産品が生まれるのも、この土壌だからこそ。その個性を存分に感じられるブドウを目指し、成澤さんは日々研鑽を続ける。
全国でも有数の晴天率と昼夜の寒暖差
それ以外にも、この地域でブドウ作りを行う強みがある。それが晴天率と昼夜の寒暖差だ。坂城町は年間を通じて降水量が少なく、全国でも有数の晴天率を誇る、中央高原型内陸盆地性気候。成育期の少雨はワイン用ブドウの病気被害を軽減する。また、昼夜の寒暖差は月平均10℃を超える。その気温差は糖度・酸度を高め、それらは味の奥行きやアルコール度数など、ワインのクオリティを高める重要なファクターとなる。
成澤さんは、これらの優れた生育条件に高い可能性を感じ、「坂城町はワイン用ブドウの生育に適した場所だ」という発信をつづけた。その甲斐あってか坂城町が推進する「さかきワイナリー形成事業」にも注目が集まっている。この事業では、特区申請による最低醸造量の緩和及びワイナリー設置、町内企業・個人への事業参画、栽培面積の拡大などの条件整備を行ったり、ぶどう栽培管理機械・ワイン醸造用機械等についても町内の企業で製造し、「坂城町産ワイン」として町全体でワイン産地としての発展を目指したり、良質なワイン用ブドウの栽培に適していると言われる長野県東部の千曲川流域「千曲ワインバレー」のなかでも、特に秀でた産地を目指す取り組みが進められている。
逆算で考えるワインの味
こうして成澤さんの考える好条件が揃った坂城町のブドウで造るワイン。目指した味のイメージは“逆算”なんだと言う。現在ではワイナリーの代表も務める成澤さんだが、そのルーツは飲食店経営。だからこそ、料理から逆算してそれに合うワインを造るスタイルを貫いているのだという。ワイン自体の個性ではなく、食事に寄り添う味の追求。これまでずっと飲食業に携わってきたからこそ、食事の時間を彩るためのワインの必要性については、普通の人の何倍も知っていると自負する成澤さんの感性で造られるワインはトップキュヴェからサードキュヴェに至るまで、食事を引き立て、味わう人の笑顔を引き出す。その考えに賛同し、坂城葡萄酒醸造のワインづくりに醸造責任者としてジョインしてくれたのが、カリフォルニア州ソノマの「Benziger Family Winery(ベンジガーファミリーワイナリー)」にて12年間、醸造技術を学んだハワードかおりさんだ。彼女もまた、成澤さんと同様に、この地で生産されるワイン用ブドウの個性に魅了され、そのポテンシャルを無駄にしないように、自社のワインを育てていきたいと考えているうちのひとり。坂城葡萄酒醸造らしさを大切に、安定した品質と量を目指し、理屈を超えておいしいと思える味を目指したワインは、日本ワイナリーアワードでは三ツ星に輝くなど、高い評価を受けている。
特に、坂城葡萄酒醸造渾身の「Vino della Gatta」はトップキュヴェと呼ばれるに相応しいワイン。醸造本数も年に100本程度と限られているため、卸売りなどは一切行っておらず、この坂城葡萄酒醸造に併設されたワイナリーショップ限定、ひとり1本のみの購入に限っている。もちろん、それに見合った味。自社ヴィンヤードで収穫したカベルネソーヴィニヨンやメルローを果実の出来に合わせて配合を変え、テロワールの特徴を十二分に引き出したワインは、世界の銘醸ワインに引けを取らない力強さを感じられるほど。しっかりとしたボディでありながら、キレのあるシャープでドライな口当たりと芳醇な果実味は多くの人を魅了し、わざわざこのトップキュヴェを求めに、遠方から足を運ぶ人も多いという。
ネコと地域への想いがつなぐ人の縁
もうひとつ、このワイナリーで造られるワインには人の笑顔にする仕掛けがある。それがネコが描かれたエチケットだ。トップキュベには“美し過ぎる銅版画家”として注目を集めて以来、国内外で多くの個展を行い、世界中で高い評価を受ける現代アーティストの小松美羽さん、セカンドキュベはニューヨークで開催された「RONIN -GLOBUS ARTIST IN RESIDENCE PROGRAM」で最優秀賞を受賞した経歴を持つ画家で絵師のOZ-尾頭-山口佳祐さんが、それぞれを手掛ける。どちらも長野県出身のアーティスト、小松さんにいたってはワイナリーのある坂城町を拠点に活動している。地元をよく知るアーティストだからこそ、この地で作られたワインの魅力をしっかりと伝え、見た人の印象に残るオリジナリティのあるエチケットを完成させることができた。また、成澤さんは自身の展開するレストラン「ネコノワイン」「LA GATTA」「粉門屋子猫」や、TamaやKuro、Toraと名付けられた自社ヴィンヤードなど、事業に関連するほとんどにネコを連想させるネーミングを付けている。もちろん、すべて成澤さんのネコ好きから始まっているが、その個性的なアイデアは偶然にも幅広い世代の共感を呼び、全国のネコ好きに波及。それまで飲食業のイメージが先行していた同社だったが、またたく間にワイナリーとしての認知度を高めていった。
ワインの味に直結するフックではないが、ネコの描かれたエチケットやネコの名前のついたヴィンヤードなど、そんな些細なことがきっかけに少しでも坂城町に興味を持ち、訪れる人が増えたらいいと成澤さんは考えている。成澤さんが独立後に飲食店舗を展開したのは県都である長野市だったが、常々、地元である坂城町の観光資源の少なさを危惧し、この地への観光誘客の一助になるようなアクションを起こすことができたらいいと考えていた。そういう意味で日本人にも馴染みの深いネコをワイナリーのイメージに起用した、人が外から来てくれるような場所を目指した。
2019年からは、ワインを坂城町の新しい文化として浸透させ、坂城産ワインのファンの定着化を図るため、坂城町でワインのイベントのオーガナイズも行っている。こうして一歩ずつではあるが、愛する地元を、愛するワインで盛り上げていこうと積極的にアクションを行っている成澤さん。「今すぐでなくても良い、自分に孫ができた頃に、坂城町がワインの一大産地になっていて、それを地域で生活する人たちが誇りに思える、そんな場所にしたい。そのために今から手を抜けない。」と話すその目には、今から数十年後、成熟したワイン畑にたくさんの人が訪れ、そこで収穫されたブドウを使ったワインを囲んで食事を楽しむ、そんな風景が映っているのだろう。