世界が認め、国内のワイン好きが熱狂する「ドメーヌ タカヒコ」の「ナナツモリ ピノ・ノワール」。限られた収穫量で丁寧に造られ、品質の高さと希少性から「幻のワイン」と称される。代表の曽我貴彦さんが考える、ワイン造りと日本ワインのアイデンティティとはー。
世界が認めた「ナナツモリ」が造られる場所
北海道の西部に位置する余市町。積丹半島や小樽とともにニシン漁で繁栄したまちであり、北海道の中でも比較的温暖な気候、昼夜の寒暖差、夏の少雨といった地の利を活かして大正時代からリンゴの一大産地であった。高度経済成長期の1970年代前半、外国産ワインの輸入自由化を皮切りに、日本で第一次ワインブームが沸き起こる。当時多く飲まれていたのがドイツワインで、国内からドイツへワイン造りを学びに行く企業も増加。余市でも1984年に本格的にワイン用のブドウ生産が開始され、ここから余市ワインの歴史が始まる。
2010年に設立された「ドメーヌタカヒコ」は、4.6ヘクタール(作付面積2.5ヘクタール)の畑と、納屋を改造した小さな醸造所を持つ。代表の曽我貴彦さんは、りんご・栗・梅・プルーンなど7種類の果樹が植えられた農地を購入。一から開墾し、ブドウの栽培を始めた。
「ここが7つの果樹の森だったと後世に残したくて、ワインに『ナナツモリ』という名前を付けたんです」と、曽我さん。
化学肥料や農薬を一切使用しない有機農法で丁寧に造られたタカヒコのワインは国内外で高く評価され、2020年には「ナナツモリ ピノ・ノワール2017」が日本ワインで初めて世界No.1レストラン「noma(ノーマ)」のワインリストに採用された。
北海道のポテンシャルを活かしたぶどう栽培
実はヴィニフェラ種(ワイン用専用のブドウの品種)というジャンルにおいて、余市は40年前から市町村単位では日本一の生産量を誇っているのだが、そのことはあまり知られていない。2010年に「ドメーヌタカヒコ」がワイナリーを設立するまで20数年もの間、余市にはたった1軒のワイナリーしかなかった。それまでの期間、余市で栽培されたブドウがどこに行っていたのかというと、道内では函館市や十勝地方、道外では山梨県・栃木県、遠くは岡山県の大手ワイナリーへ出荷されていた。ほぼ100%が町外に出されていたのである。これが、余市がワインぶどうの名産地だと認知されていなかった要因のひとつと考えられる。
何十年もの間、余市ブドウのポテンシャルの高さを(ごく一部の人を除いて)誰も知らなかったのだ。
いち早く余市ブドウの可能性に気付いたのが、当時、ココファームワイナリー(栃木県足利市)の農場長を務めていた曽我さんだ。独立して自分のワイナリーを造る場所を探して日本中を巡っていた折、余市で栽培されているぶどうのポテンシャルと品質に驚き、この地でワイン造りを行う決意を固める。
ピノ・ノワールに惚れ込んで
現在、ドメーヌタカヒコで栽培しているぶどうはピノ・ノワール1種。ドメーヌタカヒコをスタートさせる以前、曽我さんは高温多湿で雨が多い日本の環境でピノ・ノワールを育てるのは難しいと考えていた。しかし、余市でピノ・ノワール栽培の第一人者とも言われる木村農園の木村幸司さんが育てるピノ・ノワールに出会い、その考えを改める。
「木村さんのピノ・ノワールを知って、この場所でこれほど品質の高いものができるなら、自分もずっと憧れていたピノ・ノワールを使ったワイン造りに挑戦してみたいと思ったんです」
余市は暖かい海水の影響を受け北海道の中でも比較的温暖で、降水量が少ない。また岬や山に囲まれた特殊な地形のため、果樹が海風や強風から守られ、羊蹄山麓から吹き込む乾いた風が病害の発生を抑えてくれる。蓋を開けてみればピノ・ノワールを栽培するのに、非常に恵まれた環境であった。
曽我さんはピノ・ノワールの特徴を「イチゴのようなベリー感」「とても優しい味わい」と表現する。「カベルネをタンニンを強く感じるスパイシーで濃い味としたら、ピノ・ノワールは優しくてチャーミングな味。味の複雑性を表現しやすい点が、僕が目指している『日本食とマリアージュするワイン』造りに最適だと考えています」
土作りの理想は「山の土」
2.8ヘクタールの畑に9千本のピノ・ノワールの垣根が並び、木の根元には雑草が生い茂る。ワインの味を大きく左右する土作りにおいて、曽我さんが目指すのは「山の土」だ。山は肥料を入れず耕さず、石だらけでも健全な木々が育ち、山ぶどうもたわわに実る。土に合った木が育ち、自然のちからで葉が地面に落ちて分解され肥料となる。このサイクルを畑でも再現しようというのが有機農法の考え方。堆肥を過剰に入れるのではなく雑草を生やして漉き込み、できるだけ自然な土壌を維持する。
そしてもうひとつ曽我さんが大切だと考えているのが、土を柔らかい状態に保つことだ。北海道は積雪によって雪の重さで土が固まりやすいため、耕起によって土を柔らかくする工夫が必要となる。
伝統的醸造で造られる繊細な味わい
ドメーヌタカヒコのワインは醸造方法にも大きな特徴がある。一般的に、収穫したぶどうは除梗(果実と茎など果実以外の部分を外す作業)を行ってから醸造が行われる。それに対して除梗せず、房まるごとを醸すのが古くから行われてきた「全房醸造」で、ドメーヌタカヒコでは後者の方法で醸造を行う。適度に雨が降り、森林が多い北海道はいわば「微生物大国」。色々な微生物が関わってゆっくり発酵が進む「全房醸造」は、この場所でのワイン造りに最適な方法だと曽我さんは考えている。
日本のアイデンティティを発信するために
現在日本に流通するワインの95%以上は輸入品、国産は5%に過ぎない。もしこれが逆のシェア率だとしたら、日本のワイナリーはグローバルなワインを目指さなければならないだろう。今はまだ国内に目を向けられる。だからこそ日本の水と土壌でしか表現できない味を追求し、日本人が美味しいと感じる日本の食に馴染むワインを造る必要がある、と曽我さんは言う。
そのことを考え始めたきっかけは、1本のワインにあった。
「ワイン作りにおいて、これまでは果実味や力強さ、タンニンというものを追求していましたが、正直ちょっと限界も感じていました。自分自身が心の底から飲みたいワインは、これなのか?という思いもあった。そんな時にフランスのジュラ地方で1970年代から自然派ワイン(ヴァン・ナチュール)造りを手掛けてきたピエール・オヴェルノワの、プールサールという品種のワインを飲んで。土瓶蒸しのような旨みがあり、どこまでも余韻が続く。この出汁のような旨みが、僕たちが目指すべき日本らしいワインではないかと思ったんです」
有機栽培でつくられる「旨み」
「旨み」という日本独特の味わいをワインで表現することは、ワインを通して日本の風土を映すことでもある。雨の多い日本では、ブドウは水分を吸収して繊細な味に仕上がりやすい。さらにこの地域の火山性粘土は有機質が多く弱酸性のため、微生物の働きが活発化しやすくアミノ酸含有量も多くなる。曽我さんは農薬を大量に使用するような慣行農業ではなく、有機栽培によって土壌中のアミノ酸含有量を増やし、ぶどうやワインに旨みを持たせられると考えた。
「口にした時にフランスでもイタリアでもアメリカでもなく、日本の自然風景が広がる、ふるさとを想起するような香りを表現したい。たとえば『まるでブルゴーニュのシャルドネのよう』と評価されてしまったら、それは日本らしいワインとは言えないですよね」
実際、ドメーヌタカヒコのワインは愛好家たちから「豊かな旨み」「お出汁を彷彿とさせる、繊細な広がり」といった言葉で称えられる。
「ドメーヌ・タカヒコ」のこれから
特区認定により酒税法の規制緩和が行われた2011年以降、余市では続々とワイナリーが設立された。ワイン通の中ではよく知られる「ドメーヌ・モン」の山中敦生さんや、「ドメーヌ・アツシスズキ」の鈴木敦之さんなどは曽我さんのもとでワイン造りを学び、独立した人たちだ。
大規模化よりも、余市に100軒のワイナリーができた方がいい
現在、余市エリアには23軒ほどのワイナリーが集うが、曽我さんは「これからもどんどん増えるだろう」と予想する。曽我さんのワインの出荷数を増やしてほしい、という声も多いが畑を広げて収穫量を増やす予定はないという。 「出荷量を増やして僕ひとりが『日本のワインはこうだ!』と主張しても意味がないんです。日本ワインについて共通認識を持った上で新しいワイナリーがそれぞれのワイン造りをしていけば、このまちから新たなワインの文化が始まる、そう信じています」
次の世代のために美味しいワインを造り続け、その後ろ姿を見せること。曽我さんの考えるワイン造りの在り方が日本ワインの未来を創り、日本人にとっての懐かしくも豊かな日本の食文化を守ることに繋がっている。「ドメーヌタカヒコ」の果たす役割、それはつまり日本ワインシーンを牽引し続けることなのかもしれない。