これまでの「中川政七商店」の歩み
「中川政七商店(なかがわまさしちしょうてん)」「遊 中川」といえば、奈良の本店を中心に全国各地の商業施設や駅ビルで見かけたことがある人が多いだろう。あるいは、インターネット上でオンラインショップを見かけた人もいるだろう。これらの店舗・オンラインショップを運営するのは、「日本の工芸を元気にする!」をビジョンにかかげる株式会社中川政七商店だ。
中川政七商店の歴史は古い。享保元年(1716年)、奈良県で初代中屋喜兵衛が奈良晒(ならざらし)の卸業を創業した。奈良晒は、麻を晒して純白にした手績(う)み手織りの麻織物で、その質の良さから江戸時代に武士の正装や社寺で使用する衣類として重宝された。 しかし、明治維新により最大の消費先である武士が消滅すると、奈良晒の需要は衰退の一途を遂げてしまう。多くの奈良晒屋が商いを変えていく中、中川政七商店は風呂上りの汗取りや産着などの新たな市場を切り拓き麻屋としての生き残りをかけた。戦略は功を奏し「汗取り」はその高品質さが認められ皇室御用達の栄誉を受けた。また十代・中川政七は、時代の変化により消えかけていた麻織物産業を守る為、それまでの卸業の枠組みを超え、自社工場を建てて作り手を雇用するなど製造業にもたずさわる改革を行った。1925年のパリ万博では日本の工芸の代表の一つとして「手績み手織り麻のハンカチーフ」を出品、出展を証明する賞状が今でも本店店舗には飾られている。現在では国内工場はなくなったが手仕事によって生まれる風合いを大切にするため、一部の製造を海外に移し手績み手織り麻を守り続けている。
「中川政七商店」の挑戦
1985年、それまで卸や製造事業を展開していた中川政七商店が、本社の移転に伴い空いた仕事場に「遊 中川」を開業し麻小物の小売をスタートさせた。2002年に十三代社長(現会長)の中川政七さんが入社した当時は、年商12億円のうち約7割が茶道具関連の売り上げで、麻織物を使った和雑貨の売り上げは全体の約3割程度、かつその内の8割が卸、2割が小売りという状況で市場での「遊 中川」ブランドの認知度が圧倒的に弱い事に危機感を感じた。どうすれば他社との競争に負けないのかを突き詰めていくと、それはブランド力の強化、つまり顧客との接点を今より格段に増やすことに行きついた。そうして、直営店での販売と自社ブランドの開発を加速させ認知度を高めることに成功。麻素材に留まらず、全国の作り手と協業し日本の工芸をベースにした生活雑貨全般への商品開発を進めていった。中でも綿100%かや織の生地を2枚重ねで仕立てた「花ふきん」はその機能性と見た目の愛らしさから2008年にはグッドデザイン賞金賞を受賞、現在もベストセラーの座に君臨し続けている。現在では全国に約60店舗を構えるまでに成長し、中川さんの入社当時から16年間で、生活雑貨事業の売上高が13倍に拡大した。さらには「日本の工芸を元気にする!」というビジョンのもと、全国の工芸メーカーの経営コンサルティングや流通サポートなど、事業を拡大していった。
工芸に「産業革命」を、「産業観光」で魅力の伝播を。
中川さんが目指すものはものづくりの産地全体を元気にすること。工芸は分業制でどこかが途絶えてしまうと全体が止まってしまう。例えば焼き物の産地なら、窯元だけを元気にするのではなく、そこにかかわる生地屋や、型屋もひっくるめ、すべての工程を一か所で完結できれば、工芸の世界に「産業革命」が生まれるはず。ただそれには膨大な投資が必要。では成立させるためにどうするか。そこで行きついたコンセプトが「産業観光」だ。ものづくりの現場を1か所に集めて、お客さまがいつでも来られるように場を整えておけば、その地のものづくりに触れやすくなり、産業観光が成り立つ。産業観光には、ものづくりだけでなく、美味しい食事や宿など、魅力的なコンテンツが必要だ。規模が小さくても良いものを作る人たちが活躍する、地元・奈良らしいスモールビジネスが、いくつも生まれる場所を作りたいと、10年近く構想を練った末、“奈良を街ごと元気にする”本拠地として2021年4月、3階建複合商業施設「鹿猿狐(しかさるきつね)ビルヂング」をオープンした。
日本を代表する建築家・内藤廣氏の設計で、ならまちの木造建築にも溶け込む佇まい、ビルの中にあえて路地を作るなど、どこか懐かしい雰囲気がただよい、古いものを大切にしながらも新しくなっていく姿を表現している。「鹿猿狐ビルヂング」に来るため奈良を訪れる、多くの人が集まる場所になること目指して、食やショッピングを楽しむエリアや、中川政七商店のものづくりの歴史を知ってもらうエリアも配した。さらに、奈良の恵まれた文化遺産を背景に、奈良でも何かを始めてみようと思えるきっかけを作りたいと、スモールビジネスを多角的にサポートできる場所「JIRIN」も開設した。経営に関する勉強会を開催しており、そのスペースのすぐ隣には中川さんたちのオフィスを構えた。すでにここから新しいスモールビジネスが誕生し、中川さんが描いたように奈良を元気にする一番星が輝き始めている。 これでもようやく目標の2合目辺りにたどり着いたところだと中川さん。 日本の工芸がその誇りを取り戻すために、中川政七商店の挑戦はこれからも続いていく。