薩摩切子の伝統と美意識を今に伝えるガラス作家・頌峰さん/鹿児島県鹿児島

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薩摩切子の始まり

明治維新で薩摩藩が躍進したのは、薩摩藩11代藩主の島津斉彬(しまづ なりあきら)の功績が大きいといわれている。そんな彼が遺した特産品のひとつが、まるで宝石のように美しいガラス細工の薩摩切子だ。当時江戸で広がりつつあった切子の技術を持つ職人を招き、藩の経済力を高めるために、海外への輸出品として藩主肝いりでその製造は始まったという。

「バカラをはじめ、世界には数々のカッティンググラスがあります。それらに比肩する美しさを誇るのが薩摩切子です。無色のガラスに色のついたガラスを重ね、カットを入れることで描かれるグラデーションと男性的な力強さが特徴です」(ガラス作家/アーティスト頌峰(しょうほう)さん)

薩摩切子と江戸切子の違い

切子といえば江戸切子と薩摩切子が有名だが、それぞれ見た目に特徴がある。江戸切子はガラスの厚みが薄くカットの線が細くくっきりしているのに対して、透明ガラスに色ガラスを重ねた厚みのあるガラスで色ガラスの層をカットするため色がグラデーションかかっている「ぼかし」があるのが薩摩切子だ。

一度は途絶えた薩摩切子

実はこの薩摩切子は西南戦争があった1877年(明治10年)前後に一度技術が途絶えた。現在作られている薩摩切子は、1985年に島津家の系譜をつぐ地元企業によって復元されたもの。まさに復元事業が始まった1986年に頌峰さんは高校を卒業し、その薩摩ガラス工芸に入社。「1本の線を描けるようになるには数年かかる」といわれるほど難しい薩摩切子の技術を磨いた頌峰さんは、やがて独立してガラス作家の道を歩み始めた。

「ガラスに携わって35年目になりますが、いまでも日々その難しさを感じています。直線だけでなく均一な曲線を描き、かつ線の深さは均一でなければいけません。技術を磨くこともさることながら、作品として人に訴えかけるイマジネーションを育むことも重要です」(頌峰さん)

未来へ羽ばたく伝統技術

古薩摩切子を源流に古典を生かして新しい作品を生み出す彼の作品は海外でも高い評価を受けており、外国の日本領事館からその国の要人への贈答品として起用されることもあるという。作品には一つ一つにテーマがあって、さくらや菊といった伝統的な文様やてんとう虫、まんが作品など、数々のものからインスピレーションを得て、モチーフを描いているそうだ。研磨の作業は彫るモチーフによっては1mm以下にもなるのだが、文様に合わせて使用する研磨の道具も100種類以上。ダイヤモンドを練りこんだものや最後に磨きをする布製のものまで、この道具自体も頌峰さんが作ったり調整したりしているそうだ。完成した作品を見せてもらうと、高い透明感とグラデーションの色あいがとても美しく、描かれた文様から懐かしさとモダンさが感じられる。鹿児島の豊かな風土を幻想的に描き出す作品が、伝統を受け継ぎながら新しい文化を作っていく。

ACCESS

ガラス工房 舞硝
鹿児島県鹿児島市川上町1965
TEL 099-244-7515
URL http://bushou-kiriko.com/
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