地ビールブームから生まれたイメージ
COEDOビールといえば、日本を代表するクラフトビールだ。国内でもビールにこだわる飲食店ではよく見かけるし、海外の和食店で目にすることも少なくない。そんなCOEDOビールの醸造所があるのは、埼玉県のほぼ中央に位置する東松山市。昭和50年代に建てられ、かつて大手企業の研修所として使われていた美しい建物でそのビールは造られている。「私の義理の両親がはじめたオーガニック農業の会社がベースになっています。環境や人間にやさしい農業をやろうとはじめたんですが、その連作障害を避けるために栽培した麦でビールを造ろうと考えたのがCOEDOビールの出発点です」(株式会社協同商事コエドブルワリー・朝霧重治社長)
ビール造りをはじめたのは1996年。当時は、規制緩和による「地ビール」ブームで全国各地に小規模醸造所が誕生していた。「地元である川越は“小江戸”と呼ばれる観光地。私たちも最初は観光地と結びつく形で参入しました。川越で栽培されているサツマイモを原料にした地元ならではのビール。地ビールブームもあり、かなり好調な事業になりました」しかし地ビールの様な、小規模なものづくりには修行を積んだ職人が必要で、突如として誕生した地ビール業界では、職人不在のまま未熟な醸造技術で、「食品」ではなく「観光土産」として製品づくりを行う企業がほとんどだった。
当初は物珍しさから注目を浴びたが、値段が高く、クセもあり、かならずしもおいしとは限らないネガティブなイメージが次第に定着するようになってしまった。やがて地ビールブームは沈静化へと向かい、当時のCOEDOビールも少なからず打撃をうけた。このままでは厳しいと考えた朝霧社長は、ヨーロッパのパブでのまれているビールなどを研究し、あらためてCOEDOビールのあるべき姿を模索する。
地元に根付いたクラフトビール
COEDOビールでは本物の職人のビール造りを学ぶため、ビール造りを始めた翌年の1997年にドイツから、代々ブラウマイスターを家業とする4代目クリスチャン・ミッターバウアー氏を招聘。COEDOの職人たちは、彼の下で5年間本場のビール造りを学んだ。その技術力を活かし、観光土産の地ビールからプレミアムな食であるクラフトビールへと転換したのだ。「ローカルならではの良さ、手造りのおいしさなどをとことん見直し、それを自分たちのビール造りに反映させていきました。それまではどこか大手を意識していた。でも自分たちの規模なら、自分たちなりの個性を出していくしかない。丁寧に造り、それを丁寧に伝えていくだけ。品質管理にもこだわり、おいしいビールをおいしい状態で届けられるように工夫もしていきました」
地ビールから、プレミアムなクラフトビールへ。その戦略は見事成功した。世界のコンテストでも高く評価され、ビールマニアの間でも人気に。醸造所を見学すると、ひとりひとりの職人が丁寧にビール造りをしている姿が目に入った。どんなに人気が高まっても原点は忘れない。
「やっぱり地元の方々に愛されるビールでありたいですね」
こだわりのビール造りは、これからも続いていく。