高いレベルの文化芸能に触れる場所「八千代座」
明治43年に“旦那衆”と呼ばれる山鹿の実業家たちの手によって作られた芝居小屋「八千代座」。江戸時代の伝統的な芝居小屋の様式を今に伝える建築物だ。
歌舞伎や新劇などの舞台が行われレベルの高い文化芸能を楽しむ場として存在していた「八千代座」には各地より多くの有名な芸能人が集まり、多くの観客を楽しませていた。
昭和63年に国指定重要文化財にも指定され、以降全国にその名は知られることになる。
華やかな造りが魅力的な八千代座
向かって左手にあるのは“花道”。真ん中にある平土間の桝席は、一枡8人がけで座布団を敷いて座る。桝席を仕切る木枠は“歩み板”と呼ばれ、売り子さんがその上を歩いてお酒などを販売していたという。向かって右手には桟敷席。できる限り柱の数を減らし舞台を見やすくする工夫がされている。
天井には様々な絵が飾られているが、これは実は広告。彩り豊かな天井広告は、復興の際原画が数十点見つかり再現したという。修復工事を行った時、昔ながらの雰囲気を復活させることにこだわった。天井広告も昔の図柄を再現したものだ。
八千代座の復興
江戸時代の古典的な様式を用い、当時は豊かさの象徴でもあった「八千代座」。しかし、100年以上の歴史の中には存続の危機に直面することもあった。昭和40年代になると映画やテレビなど娯楽は多様化し、八千代座は時の流れに取り残されることとなる。
「一時期はお客様も入らなくなったので、営業を停止した時期もありました。屋根に穴があいてボロボロになっていましたけれど、子どもの頃から八千代座に親しんでいた老人会の方が募金活動で屋根を修復してくれて。そして、それを見ていた若い人たちが『先輩たちが頑張っているなら』と一緒に復興に協力してくれました」と館内スタッフが教えてくれた。
その甲斐あって、昭和63年に国指定重要文化財になったのだ。日本には6~7,000の芝居小屋があったと言われているが、今は20軒ほどになり、奇跡的に残った芝居小屋と言える。
“千代に、八千代に”。住民たちの思いがこれから千年も八千年もずっと続いていくことを願うばかりだ。