幻の焼き物、八戸焼
八戸焼は、創始年代、創始者などは不明とされており、正確にはいつ誰がどのように始めたのかはわかっていないが、八戸市内の蟹沢山中で焼かれ江戸時代の末期までは蟹沢焼とも呼ばれ庶民に親しまれていた焼き物だ。明治に入ると次第に廃れていき完全に廃窯となってしまったとされている。文献もほとんど残っていないことから、その存在は人々の記憶から消えていき昭和になったときには、幻の焼き物などとも呼ばれていた。
八戸焼を蘇らせる
その八戸焼を再興したのが今回お訪ねした昭山窯渡辺陶房を開いた渡辺昭山さんだ。さきほども言ったように、文献もあまり残っていなかったため、何度も八戸に来て情報を集め1975年に窯を開いた。その後、蟹沢山中に窯跡を発見し、出土した陶片などを研究し、独自の八戸焼を確立していった。
お話を伺ったのは昭山さんの息子さんで、現在二代目窯元として活躍している渡辺真樹さん。数々の賞を受賞している陶芸家だ。「八戸焼の特徴は?」という中田の質問に「緑、ですかね」と渡辺さんは答える。
八戸の色を描き出す緑釉
「先代から教わったものですけど、この緑が特徴ですね」。その独自の緑釉が作り出す色は、三陸の荒波に揺れる海藻を思わせると評価され、人気を博している。渡辺さんがろくろを回すその仕事を見学させてもらっていたところ「やってみますか」と渡辺さん。「これは、ちょっと、難しそうだな」と言いながらもチャレンジ。八戸焼は庶民に親しまれていたため、生活に密着したものが多い。そこで今回は急須を作ることに。手を動かし出すと目の前にのことに集中するのが中田。「口がちょっと曲がっていたほうがいいかなぁ」などと言いながら、渡辺さんにお手伝いしていただき、なんとか完成。どんな急須ができあがるのか楽しみだ。