染物一筋の老舗
米子市紺屋町にある「松田染物店」は、地元では、「紺屋」といえば「松田さん」と名前があがるほどの老舗。それもそのはず、こちらは創業306年、江戸時代から連綿と続き、現当主でなんと12代目という由緒正しいお店なのだ。地名の「紺屋」は、「こうや」または「こんや」と読み、染物屋の代名詞でもある。
染物職人の呼び名
江戸時代の染物は細分化され、扱う色によって職人の呼び名が異なっていた。
●「紫師」…染色が難しく手間と労力もかかる、紫草を使った紫染
●「紅師」…紅花(べにばな)を原料に、冬季に紅い染色をする紅染
●「茶染師」…矢車やクヌギなどを用いて茶などの中間色を染める、中世には宮中貴人の御用を務めた染物師
●「紺屋」…藍を発酵させてさまざまな布を染め分ける藍染。「紺掻き」ともいう
このうち「紺屋」は江戸時代に大繁盛したため、藍染に限らず染物屋全体を呼ぶ呼び名として定着したのだとか。
手仕事で作る大漁旗
「松田染物店」は、江戸時代末期にこの藍染の紺屋としてスタートし、明治初期から筒書きを始めた。藍染は、蓼藍(たであい)の葉を乾燥させて丸めた “スクモ玉”の発酵を調節し、布を藍色に染める方法。筒書きは、モチ粉などでつくった染めを防ぐのりを渋紙の筒に入れ、筒の先からのりを押し出して布に模様の輪郭を描く技法。
筒書き染めでつくる製品のなかで、最も注文の多いのが大漁旗だという。大漁旗は新造船の船主へ贈ったりするもので、境港や隠岐島などの漁業関係者から注文が来ることが多い。そのほか、国旗や社旗、優勝旗、校旗、ふろしきや法被などの受注生産もしている。
中田も挑戦させていただいた、筒書き染め。手仕事だけでこれほどの繊細な模様を生み出せるとは、驚嘆に値する。こうした細やかな感性は、日本人の誇りだ。