暮らしに馴染む織物「倉敷緞通」
川沿いの柳並木に、白壁の屋敷が立ち並ぶ倉敷市は、今も江戸の情緒が色濃く残る美しい街。そんな美しい街並みによく似合う、隠れた逸品が倉敷にはある。それが、「倉敷緞通」(くらしきだんつう)だ。
緞通とは、手織りの敷物のこと。一般的に敷物は羊毛や絹でつくられることが多いが、倉敷緞通ではイ草と和紙、綿糸などを用いる。蒸れにくくホコリが立ちにくいため、日本の住居で使うのに適している。
そのうえ10年20年といわずずっと使える丈夫なつくりに、モダンなシマ柄も印象的。
少しづつ変化していった倉敷緞通
この倉敷緞通は民藝の大家・柳宗悦の指導のもとつくられたものだ。だが、その存在は世間にそれほど知られていない。なぜかというと、1986年にいったん製造がストップされてしまったから。
もともとイ草の栽培が盛んだった倉敷周辺では、明治時代には花ござが海外輸出品として製造されていた。
しかし粗製乱造や関税障壁などにより、昭和初期には不況に。そこで、花ござ製造に従事していた発明家・矢吹寛一郎氏が、外国人の嗜好にも合い、日本の和洋折衷の住宅にも合う「金波織」というものを考案した。これが柳宗悦の目にとまり、当時は無地だけであった緞通にシマ柄を加えるなどさまざまな指導のもと、「倉敷緞通」が完成した。
良いものを残していく倉敷の工芸品
倉敷の工芸特産品として日本で人気が高まった倉敷緞通だが、1970年代ごろになると原材料の高騰と職人の高齢化が重なり、またもや苦境に。それを乗り切ることはなく、86年を境に途絶えてしまっていた。
しかし、それを復興したのが瀧山雄一氏。92年から生産を開始し、現在は唯一の生産者として個人事業でおこなっている。
「廃れていく伝統工芸品が多い中で、いいものは残し、次の時代へ引き継いでいく。それが文化の一つの在り方ではないか。倉敷緞通もその一つだと思う」瀧山氏のこの一念が、倉敷緞通を再び蘇らせてくれたのである。