みかん栽培「植えよ、増やせよ」の時代
愛媛県の南西部、段々畑が広がる、海と山に囲まれた風光明媚な土地。ここ明浜町には、みかん農家100軒が加入して無農薬・有機栽培に取り組む「無茶々園」がある。雨の少ない温暖な気候で、昔からみかん栽培がおこなわれてきた土地だ。
無茶々園の胎動は、昭和42年ごろまで遡る。明浜では、昭和34年から「植えよ、増やせよ」という国の掛け声のもと、農地はみかん栽培一色になり、猫の額ほどの土地にまでみかんの木を植えていた。
370万トンという過去最高の生産量によって、販売価格の暴落が始まったのである。
過剰栽培による過酷な競争が進行するなかで、明浜のみかん農家の人々は、次第にいよかん、ポンカンなどの高級晩柑類への転換を進めた。これらの晩柑類は栽培が難しく、温州みかん以上に農薬や肥料が必要になった。昆虫もカニも貝も魚も、みかんを作るようになってめっきり減ったという。
新たな試みへ
そんな状況に疑問を抱き、昭和49年、15アール(1500㎡)のいよかん園からスタートしたのが無茶々園だ。開始当初のメンバーは、たった3人。無農薬・無化学肥料の、人間にも自然にもやさしい農業はできないものか――。投売り同然で農家が苦痛の汗を流す農業ではなく、食物を育てる喜びの汗を流せる農業はできないものか――。
まだ、有機農業という言葉が一般に浸透する以前から、無茶々園の人々はそんな農業を目指して試行錯誤をくり返した。
最初15アールの畑から始まった無茶々園は、年を追うごとに大きくなり、現在では100戸の生産農家が加盟するまでに成長。地域との共生を目指し、農家の高齢化や大規模化にも対処するため、町ぐるみでのシステム作りにも余念がない
無茶々園のみかんを消費者も一緒に支える
無茶々園のもう1つの特徴は、消費者にも会員登録をしてもらっていることだ。これは、つくる側と食べる側が互いに顔の見える関係を築き、理解し合って生きていかなければならないという考えから。
会員登録をすれば、消費者にも無茶々園の考え方に関心をもってもらえる。消費者は納得して無茶々園の産物を購入できるし、みかん農家も会員のことを考えながら栽培できる。入会した会員は、たんなる消費者ではなく、無茶々園を支える1人になるのだ。現在では消費者会員は8000人を超え、柑橘類だけでなく米や海産物、ジュースなどの加工品も販売している。
農家と消費者がつながる無茶々園の取り組み。それは、未来につながる農業のありかたかもしれない。