硯に最適の石は、採掘場のわずか「40cm」
「まずは硯(すずり)に使うための石を採掘するところを見てもらいましょう」雨宮彌太郎さんに連れられて雨畑川沿いを上流に進んでいくと、そこには漆黒の岩壁をくり貫いた洞窟があった。ここが「雨畑硯(あめはたすずり)」を作るための原石、粘板岩(ねんばんがん)の採掘場だ。
「本当に一番良い石は、この40センチ幅の層だけです。」そう説明してくださったのは長年採掘を行う望月玉泉さん。この粘板岩の層を、少しずつ掘り進んでいるという。
ノミを岩に打ち込み、カーンカーンとその音が響き渡る。そしてふと、岩の欠片が剥がれ落ちた。きれいに剥離した表面には、ほんの少し艶がある。「となりのこのあたり岩は、良い材料ではないのですか?」と、中田が質問する。「墨がよく下りる石というのは、鋒芒(ほうぼう)という石の粒子が均一にある石なんです。その良質な石は、この部分の層だけなんです。」と雨宮さん。
日本の「石の芸術」を日の当たる場所へ
ひとしきり洞窟内を案内してもらった後、雨宮さんの工房で作品を見せてもらった。硯というと、書道に使うような四角いものを想像するが、「こんなに美しいデザインのものもあるんですね」と中田が驚くほどに、さまざまな形のものがある。岩の形そのままの硯、ふちに文様があしらわれている硯、植物や動物などを形どった硯、その作品はいつまで見ていても飽きないものばかり。
「日本では、硯も含めて石の工芸があまり発展しなかったと思うんです。例えば硯箱は研究されているけれど、硯そのものはあまり研究されていない。でもデザイン的には、明らかに実際に使うことを意図されておらず“観るため”に作られているものがあるんです。そういう良さも知ってもらいたいと思って、展覧会などでは鳥や木々などの作品も作っているんです」ごく小さなものから、硯といわれなければ彫刻作品のようにしか見えないものもある。
「良い硯とは何ですか」という中田の質問について、雨宮さんは「硯は心と向き合うための道具。」と話してくれた。「墨をすりながら、心を落ち着ける。硯は、瞑想的な時間を作る道具でもあると思います。だから、ただ硯をみただけで心が落ち着くような造形美も、ひとつの硯の形として追及していきたいと考えています」