丹波焼は穴窯で作られていた
歴史の古い丹波焼は、古くは「穴窯」で器を焼いていた。これは、山などの斜面に穴を開け、天井を土で固めた窯。
4日から1週間という長い時間をかけて焼くことで、燃えた薪の灰が器に降りかかり、土の鉄分と溶け合ってさまざまな色を出す。その自然な色こそが古丹波の魅力だ。
江戸時代に入ってからは、朝鮮半島から伝わった「登り窯」が導入され、こちらが主流になった。登り窯は焼きの時間を短縮でき、大量生産を可能にするもの。こちらは釉薬(ゆうやく)を使う。釉薬と灰が溶け合うことで、魅惑的な模様と色が生まれるため、ひとつとして同じものはできない。
穴窯時代には、素朴で飾り気の少ない生活用器を作っていたが、登り窯時代になってからは、茶碗や茶入などの花器類も作るようになり、数多くの名品が生まれた。それが、丹波焼の名を広く全国に行き渡らせることになった。
丹波焼の体験ができる陶芸教室
現在は全国的に登り窯を見ることは少なくなったが、丹波焼ではいまだに活躍している。今回訪れた「山五陶勝窯」(やまごとうかつがま)も登り窯を使用している窯元のひとつ。
山五陶勝窯の市野さん親子は、丹波焼の伝統を守りながらも現代の感覚を取り入れ、いまの私たちの生活に合う器づくりをおこなっている。そのため、“器のある生活空間”も大切にするのが信条。
工房に「季舞台」(ときぶたい)という東屋をつくり、訪れる人々はお茶やコーヒーをいただきながら、制作過程を眺めることができる。
また、息子の勝磯さんが講師を務める陶芸教室も人気。土をこね、ろくろをまわし、自分だけの器を作ることができる。兵庫は酒どころ。自作のぐい呑みで酒を呑むのも、じつに優雅な時間ではないか。