時代ごとに名作と名役者を生み出す宝塚歌劇団
「ベルサイユのバラ」に「風と共に去りぬ」、「あかねさす紫の花」など、数え切れぬほどの名公演をおこなってきた、ご存知、宝塚歌劇団。その歴史は意外に古く、1914年に「宝塚唱歌隊」として公演をしたのが発祥だ。
宝塚新温泉という遊園地の企画で、少女のみが出演する唱歌隊としてデビューを果たした。その後、1919年には宝塚音楽歌劇学校が設立され、それを母体として「宝塚少女歌劇団」が誕生。大正デモクラシー華やかなりしころ、女性のみの歌劇団という珍しさもあいまって人気を博した。
1927年には、当時ヨーロッパで流行していたレビューという公演形式を日本で初めて取り入れた「モン・パリ」が演じられ、日本芸能史上においても重要な役割を果たした。
しかし、時代は第二次世界大戦へと突き進むさなかにあった。宝塚もその余波を受けざるを得ず、外国語の演目は公演するのが禁じられ、内容は軍国主義的なものへと変えられていく。そして戦争が激化した1943年、宝塚大劇場は軍に接収され、最終公演を迎えることになった。そのとき、ファンは劇場から宝塚駅まで長蛇の列を作ったという。
いったんは幕を下ろした宝塚歌劇団だが、戦後は無事に再開を果たし、越路吹雪、八千草薫、浅丘雪路、寿美花代といったスターを世に送り出した。その宝塚が黄金期を迎えたのは1970年代。「ベルサイユのバラ」が初上演されたころだ。年間の観客数は140万を超えるという空前の大ブームが起き、その後も「風と共に去りぬ」や「あかねさす紫の花」など、大ヒット公演を続け、海外公演も積極的に行った。
1995年の阪神淡路大震災で中断を余儀なくされたが、震災の2ヵ月後には公演を再開。震災の悲劇に負けることなく、翌年の1996年には「エリザベート」という名作を生み出している。
2014年に劇団創立100周年を迎え、いまや公演後のスターに会うための、いわゆる「出待ち」の行列も恒例の光景になっている。これからどんな名作を生み出してくれるのか。どんなスターが輩出されるのか。期待に胸が膨らむ。