今の時代に合う「美味しいお茶」とはーー「そのぎ茶」を長崎から世界へ 茶友 松尾政敏

今の時代に合う「美味しいお茶」とはーー「そのぎ茶」を長崎から世界へ 茶友 松尾政敏

日本茶と聞くと、思い浮かぶのは静岡や京都。そのような中、長崎県東彼杵(ひがしそのぎ)の「そのぎ茶」が、全国からじわじわと注目を集めている。海外との取引も盛んな茶農家「茶友」の松尾政敏さんを訪ね、長崎から日本、そして海外へと広がり続けるそのぎ茶の魅力へと迫った。

日本一に輝いた長崎産の日本茶

長崎県のほぼ中央部。波穏やかな大村湾を望む東彼杵は、渓谷「龍頭泉」をはじめとする風光明媚な場所や豊かな自然に恵まれた町だ。車で山あいに入ると見えてくるのは、一面の茶畑。温暖な気候と、爽やかな潮風が吹き抜ける斜面地で栽培されている「そのぎ茶」は、全国茶品評会で4年連続日本一に輝くなど、今、日本でも注目が高まりつつあるお茶だ。


全国生産量の約2%「そのぎ茶」とは?

日本茶といえば、細い針状の形をした「煎茶」が一般的だが、ここ東彼杵で作られる「そのぎ茶」は、茶の形を丸くした「蒸し製玉緑茶(むしせい たまりょくちゃ)」が主流。勾玉のようなカーブを描く茶葉のその形状から「グリ茶」とも呼ばれ、煎茶と比べると渋みが抑えられてまろやかな味わいが特徴だ。お湯の中でゆっくりと開きながら旨みが抽出されるため、注ぐたびに味や香りの変化を楽しむことができる。

近年では全国の日本茶品評会などでも常に上位を占めるそのぎ茶だが、中でも農林水産賞や天皇杯、日本茶アワードで大賞に輝くなど、目が離せない銘茶をつくる茶園が、「茶友」。2代目・松尾政敏さんが夫婦で営む農園だ。


35歳で家業を継ぎ、茶農家の道へ

標高400メートル。遠く大村湾を望む山の斜面地に広がる茶友の茶畑は、この日収穫間際とあり、青々とした茶の芽が勢いを増していた。先代にあたる政敏さんの父・三千男さんが、この地に茶の木を植えたのが1970年のこと。以降、日本茶の栽培・製造を行ってきた。政敏さんはお茶に囲まれたその暮らしの中で、「自分もいつかお茶づくりをするのだろう」と、漠然と志すようになったという。県立の農業高校へと進学したのち、静岡の国立野菜・茶業試験場で2年間お茶づくりの研修を経て帰郷。本格的に経営にも携わるようになり、2004年、35歳の時に茶園を引き継いで生産から販売までを手掛ける茶友を設立した。


自然に寄り添い、茶葉のポテンシャルを引き出す

茶友で作られるお茶のほとんどは、上にも述べた、蒸し製玉緑茶。茶葉の形を針状に整えるための精揉(せいじゅう)と呼ばれる“揉み”の工程がないため、その茶葉はグリグリと丸い。柔らかで上質な新芽を中心に使用することから、ふくよかな旨みが生まれると共に見た目も繊細な茶葉に仕上がる。「茶葉本来の形、味、香りなどのポテンシャルを最大限に引き出したい」と話す政敏さんの言葉通り、茶友の蒸し製玉緑茶は茶葉に余計な力を加えない分、えぐみや苦みが少なくやわらかい甘みがあり、スッと喉を通るような味わいが定評だ。

畑に与える肥料も、骨粉や菜種油の搾りかすなどの有機質を中心に、できるかぎり化学肥料や農薬は使用しない。そのため害獣被害も避けては通れないが、有機肥料を混ぜ込むことでふかふかの土質となり、みみずや微生物が豊富な肥沃な土壌になる。

畑ごとの環境を見極めた茶づくり

さらに海と山に囲まれた東彼杵特有の地形が、お茶の味わいに多様さをもたらす。平坦な土地が少ない東彼杵では、海沿いから山の斜面地まで、その標高差によって温度・湿度などに微妙な変化が生じるため、茶友では栽培するお茶の品種や摘期も変えている。「大量生産はできませんが、畑一枚ごとに試行錯誤を重ねながら味を追究していく楽しみがある」と政敏さん。「毎年、よりおいしいお茶を作ろうと心がけてはいますが、100点を取るのは難しいですね。自然の力にはかないません」と穏やかな笑顔で話す。


数々の賞に輝く希少なお茶「あさつゆ」

現在茶友で栽培されているお茶は、全8品種。その中でも、濃厚でありながら渋み・苦味がほとんどなく、甘みと旨みが特徴の「あさつゆ(朝露)」と呼ばれる品種から作られる銘柄『あさつゆ』は、茶友の看板商品となっている。あさつゆは、もとは京都宇治の在来種から選抜され1953年に品種登録されたものの、栽培面積は日本の茶畑全体の1%ほどと極めて希少で、茶通に多くのファンを持つ。

温暖な気候が合うことから、ここ東彼杵の環境もあさつゆには適しているが、栽培も製造も非常に難しい品種のひとつだ。政敏さんが作る『あさつゆ』はその品質の高さを評価され、農林水産大臣賞天皇杯、また一般の消費者が評価を決める「日本茶アワード」などでも数々の賞を受賞。2014年からは、JR九州のななつ星クルーズにも提供されている。

毎日飲んでも飽きないお茶を

『あさつゆ』など個性の強いお茶を作る一方、茶友が目指すのは、日々の暮らしに自然とお茶がある風景だ。「賞を取るような、1杯で満足できるお茶も素晴らしいけれど、気づいたらいつも飲みたくなるような、そんな親しみのあるお茶もしっかり作りたい」と政敏さん。“日本茶離れ”が叫ばれる昨今、より日本茶を身近に感じてもらいたいとの思いから、日本茶にまつわるイベントも積極的に開催している。


季節ごとに開催するお茶会

長崎や東京では、18年ほど前からお茶会を定期的に開催。地元の食材を使用した自家製のお菓子と共に、お茶を淹れながら茶摘みの風景を語ってきた。「目の前に出されたお茶をただ飲むよりも、こんな場所で、こんな人たちがお茶を作っているんだと知ってもらうことが大切だと思っています。実際に知ってもらうと、日本茶への関心も高まって、これが飲みたいと言ってくれる方も出てきますから」


日本茶の魅力を海外へ

2016年からは、「ほんものの日本茶をドイツに」を理念に掲げた「日本茶ドイツプロジェクト」をスタート。ハーブティーをはじめとしたお茶文化が根強いドイツでは、近年和食ブームの高まりも相まって、日本茶の輸入量が大幅増加。日本からのお茶の輸出先でも、アメリカに次ぐ2位となっている。

※2021年日本茶輸出実績(日本茶輸出促進協議会HPより)

プロジェクトでは、ドイツ各地の茶取扱店やカフェ、レストランなどで、現地住民の日本茶への理解や嗜好の調査を経て、EUの厳しい基準値を満たした日本茶を市場導入。ミュンヘンを中心に、現地ではたびたびお茶会を開催し、政敏さん自らゲストの目の前で日本茶を淹れながら、日本茶トークを繰り広げるという。

「いわゆる“グリーンティー”ってどこにでも売っていますが、きちんとした日本茶じゃないことも多くて。でも僕らからすると、本物の日本茶を知ってほしい、飲んでほしいと思うわけです。そうでないと、せっかく一生懸命作ったお茶が、誰の手にも届かなくなってしまう。そんな気持ちで海外でも活動を始めました」と政敏さん。ドイツでの活動も徐々に広がり、現地のコース料理と日本茶のペアリングをテーマにお茶会を開催した際は、チケットが即完売する人気だったという。

「『あさつゆ』の水出しとコース料理を合わせたんですが、これが意外と合うんですね。そして『このお茶が欲しいから販売して欲しい』という声を聞くと、茶畑での努力の日々はこの瞬間のためにあったと思える。茶葉を作っているだけじゃ到達できない新たなチャレンジになる。これからも、自分たちが手をかけて作ったものをお客さんと共有できる機会をどんどん増やしていきたいですね」

これからの日本茶のあり方とは

日本茶を作るだけじゃなくて、飲んでもらうまでが僕たちの仕事」。そう話す政敏さんだからこそ、現代の“日本茶離れ”のような状況に危機感を抱き、さまざまな活動に勤しんできた。そのような中で気付いたのは、日本茶の正しい淹れ方、飲み方を普及させるのではなく、「どうやったら日本茶を楽しめるか」。そのためには、これまで茶業界で当たり前のように言われてきた固定概念を度外視にする勇気も必要だと話す。


新たなフェーズに入ったお茶業界

「急須で淹れるお茶はもちろん素晴らしいけれど、その手間をかけなくてもおいしい飲み方を、茶業界も提案しないといけない。それに一番茶がよくて、二番茶、三番茶はよくない、なんてことはないと思うんですよ。どれも農家さんが一生懸命作っているし、向き不向きがあるという意味で、その時に獲れた茶葉にしか適さない味もあるわけですから。今の生活、今の人たちに求められている日本茶のあり方って何だろう?ということも、お茶業界として考えていく時期にきていると思いますね」


日本茶の味を追究し続ける

5年ほど前からは、かつて九州を中心に盛んに作られてきた釜炒り製法にも着手。現在は日本茶の中でも生産量がわずか0.03%未満と言われるほどに減少している釜炒り製法だが、釜香(かまか)と呼ばれるその香ばしい香りと独特の風味は、今なお根強い人気を誇る。

「これからの時代に合う“おいしい”を生み出すために、いろいろなことに挑戦していきたいですね」と話す政敏さん。その視線の先に映るのは、新しい可能性に満ちた日本茶の未来

「たった一種類の茶の木が、収穫の時期や製造方法が変わるだけでこんなに多彩な味に生まれ変わる。添加物なんて何一つ加えてないのに、こんな飲み物ってないですよ。僕は、お茶を作ること以外、ほかにできることは何もない。それくらい、お茶が大好きなんです」

政敏さんの言葉を聞いて、その眼差しを見て感じるのは、毎日の生活に日本茶を広めるという使命感を超えたところにある、愛を以て日本茶を暮らしの中に届けたいという、悦びそのものだ。

ACCESS

有限会社 茶友
長崎県東彼杵郡東彼杵町一ッ石郷874