目指すは、ごはんが進む海苔「海苔漁師 相澤太」

目指すは、ごはんが進む海苔
「海苔漁師 相澤太」

早朝、海に出る

朝もまだ明けきらぬ、午前6時前。中田は船に乗っていた。どうしてそんな朝早くに海に出ているかというと、海苔の養殖をしている相澤太さんとともに、収穫を体験させてもらうため。
海藻である海苔はお茶と同じように、初摘み、2番摘み、3番摘みがある。今回はその初摘みの現場に連れて行ってもらった。取材前から 「寒さ」 は覚悟していた…のだが、とにかく寒い。それでも 「今日 (11月下旬)はまだ寒くないほうですよ」 と相澤さんは笑う。海苔の収穫の最盛期の1月から2月には、マイナス8度ぐらいまで気温は下がるそうだ。想像しただけでも身が凍る。
そんな寒さのなか、摘み取り作業が始まった。イカダを引き上ると、網には真っ黒な海苔がたっぷりついている。この網を船上の刈り取り機にかけて、収穫を行うのだ。イカダは、幅2メートル、長さ20メートルほどの海苔網が6枚で1組。相澤さんたちのチームは300台のイカダを管理しているという。

皇室御献上の海苔

相澤さんが海苔の養殖を行っているのは東松島市大曲浜。大曲浜の海苔は、バツグンに評価が高い。毎年塩竈市の志波彦 (しわひこ) 神社、鹽竈 (しおがま) 神社にて行われる「 奉納乾海苔品評会」 で2011年まで6年連続で 「皇室御献上の海苔」 という名誉を勝ち取ってきたほどなのだ。

しかし東日本大震災で、これまで蓄積されてきたものがなくなってしまった。仲間の命も奪われた。家も設備も多くのものが失われた。海苔養殖業者も数を減らしてしまった。だけれども、落ち込んでばかりはいられない。復活に向けてすぐに動き出し、1年以上かけてようやくめどがついてきたという。取材に伺った数日前に、震災後の初収穫ができたという状況だった。
これまで 「チーム」 という言葉を使ったが、今は相澤さんと仲間2人で協業という形をとっている。
「でも、いずれはまたライバルとして競い合えるようになりたい」 と相澤さんは語ってくれた。


ごはんと海苔があればいい

お話を伺いながらも作業はどんどん進んでいく。中田もそれのお手伝いをする。作業もほぼ終わったところで 「どんな海苔を目指しているか」 と中田は聞いた。その質問に対して相澤さんは 「ごはんと海苔だけで食べておいしいもの」 と答える。

「一番おいしいのは、海から上がって乾燥をさせた直後のもの。それをちょっと炙ると香ばしくて、それこそご飯を何杯でも食べられますよ」
そう言って、相澤さんは前日に加工したばかりの板海苔を、ストーブで炙ってくれた。口に入れる前から、香りが漂い、口にすると溶けるように滑らかだった。新鮮、という言葉がぴったりだった。また、浜でしか食べることのできない生海苔のお吸い物も新鮮そのもの。ちょっと醤油をたらしただけなのに、とてもぜいたくな味だった。

最後に再度相澤さんは決意を聞かせてくれた。
「復活はしました。けれど、それだけじゃダメだと思います。また大曲の海苔の知名度を上げていきたい。そのためにはやっぱりおいしい海苔を作らなくちゃいけないと思うんです」

ACCESS

宮城県漁協矢本支所 皇室御献上の浜
宮城県東松島市大曲字寺沼194(大曲浜サポーターズクラブ)
URL https://www.aizawasuisan.com/