高知県東部に位置する安芸市は、北に四国山地、南に土佐湾を望む。森林率は89%に達し、山が深く谷が多い地形をしている。そのため、山間部にはかつて炭焼き小屋が点在し、地域の文化を形づくっていた。しかし、燃料としての炭の需要減少や産業構造の変化により、やがて炭窯の火は消えていった。
一度途絶えた安芸市の製炭業に、再び火をともした若き炭焼き職人がいる。教員から転身し、2015年7月に「土佐備長炭一」を立ち上げた近藤寿幸さんだ。10年を経た現在も、安芸市で唯一の窯元として製炭を続けている。
かつての備長炭産地で再始動する

窯の前に立つと、まず、その綺麗さに驚く。炭焼き小屋といえば、土埃と煤にまみれた現場を想像しがちだ。しかしここは、かつて県と市が建てたものを近藤さんが10年前に手に入れ、修繕しながら守り続けてきたという。整えられた空気には、職人としての矜持が滲む。
炭焼き窯が囲われているのも特徴的だ。全国的にみても、雨除けの屋根が付いた窯は見られるものの、ここまで囲われている窯はなかなか無い。
備長炭の製造で有名な和歌山(紀州備長炭)や宮崎(日向備長炭)も窯は基本的には野ざらしだ。一方、高知(土佐備長炭)では、昔から窯を建物で囲う文化があるという。「雨風が強い高知で、湿気が入って炭が爆ぜるのを防ぐためでしょうね。特にここは僕が厳重に囲っているというのもありますけど」と近藤さん。品質を守るための知恵が形になっている。
良質な備長炭の原木を伐るのは、命がけの仕事

備長炭の原木は大きく分けてウバメガシとカシの二種があり、どちらも硬く、密度の高い木ほど良い炭になる。「原木の密度が高いほど、炭の温度も燃焼時間も伸びるんです」と近藤さんは語る。
ウバメガシは安芸市でも一部の地域で見られるが、広く分布しているのは和歌山県、愛知県の知多半島、高知県の室戸市や東洋町など、ごく限られた地域に限られる。いずれの場所
も、ウバメガシの生育地は平地ではなく、岩場や急斜面といった厳しい環境だ。過酷な土地でゆっくり育つことで木の繊維が締まり、硬く強い、備長炭の原木にふさわしい密度を備えた木へと育っていく。
そのため、原木を伐り出す山は想像を超える険しさとなる。
「高知県の山は勾配がきつく、木は急斜面に生えています。伐採現場は常に命の危険と隣り合わせです」。
個性を持つ備長炭は“料理の相棒”と呼ばれる

炭には「白炭」と「黒炭」がある。土佐備長炭は白炭に分類され、焼き方と仕上げの工程が大きく異なる。白炭は、1,000度を超える高温で一気に炭化させて窯から真っ赤に焼けた状態で取り出し、灰をかけて急冷する。灰が白く付くため「白炭」と呼ばれる。一方、黒炭は400〜700度の低温でゆっくり焼き、窯の中で密閉して冷やすため炭素が黒いまま仕上がる。
料理の世界では、この炭の個性の違いが、決定的な差を生む。
「白炭は炎が立たず、高温の遠赤外線でじっくり焼けるため、表面を焦がさずに中まで火が通ります。黒炭は炎が立つので、表面が香ばしく焼けるんです。例えば、黒炭を使って焼き上げた焼き鳥は、焦げていなくてもまっ黒な色になりますよね。料理人の方に言わせると、白炭にしか出せない黄金色と、黒炭にしか出せない黒色があるようですね」と近藤さんは言う。
料理人は、火力や温度の上がり方、燃焼時間、香りといったそれぞれの個性を理解し、料理に合わせて使い分ける。備長炭が「料理の道具」ではなく「料理の相棒」と呼ばれる理由が、ここにある。
「横くべ」という革新的な窯入れ方法が、高知を生産量日本一へと押し上げた

土佐備長炭は、製造工程において他にはない独自の窯入れ方法を採っている。和歌山や宮崎が伝統的に行う、木を立てて窯に入れる「縦くべ」に対し、高知では木を寝かせて入れる「横くべ」だ。木を寝かせて積み上げるため、大量の原木を容易に窯の中に積み上げられる。この技術は、実は面白い偶然から生まれた。
燃料革命で炭が売れなくなった時代、気落ちした高知の炭焼き職人が「もうやってられん」と原木を適当に窯へ入れたところ、意外にも美しい炭が焼き上がったという。職人は、そこから工夫を重ね、わずか十年ほどで「横くべ」方式を完成させたのだ。
「横くべ」は窯の大型化を可能にし、高知は9〜12トン級の大窯を扱う、日本最大の備長炭産地へと成長した。
伝統は、ただ守るだけでは続かない。時に偶然が、革新的な発想の転換を生み出す。
良い炭と悪い炭の判断基準

良い土佐備長炭とは、長さが24〜20センチほどで、叩くと「チンチン」と金属のような澄んだ音が響く、硬度16度以上の炭を指す。
「見ればすぐに分かります。表面がツルッとしていて、滑らかで美しいものが良い備長炭です。逆に、表面がささくれていたり、穴が空いていたりするものは良くありません。割れ目から空気が入り、燃焼時間や温度がまばらになるんです。焼き鳥屋さんや鰻屋さんのように、一定の火力を求めるお客様にとっては扱いにくい炭になってしまう。結果として、良い炭ではないという評価になるわけです」と近藤さんは語る。
障がい者の働ける場所づくりを目指して

開業して10年が経つ。前職は特別支援学校の教員だった近藤さんは、土佐備長炭を伝統産業とする室戸市にある窯元に弟子入りして2年間で技術を学び、地元の安芸市で開窯したというが、伝統産業は決して甘い世界ではない。何を原動力にここまで続けてこられたのだろうか。
そもそも、近藤さんは“炭”ありきで炭造の道に入ったのではなかったそうだ。教員を務めながら、障がいのある生徒たちの成長と進路に向き合う中で、高知県東部に障がい者雇用の場がほとんどないという現実に直面していた。そんな時に、趣味の剣道を通じて土佐備長炭の職人に出会い、17工程に細かく分かれた炭焼きの仕事を知る。その中に、「支援があれば障がいのある人でもできる工程がある」と気づき、炭焼き職人への転身を決意したという。
「周囲の反対を全て押し切ってこの世界に飛び込んだのですが、『間違えた』と思いました。もう、しんどいし、きついし、給料は少ないし、休みもない。でも、障がい者を雇用する場をつくりたいと言って学校の先生を辞めた以上、その目標を達成せずに戻ることはできない。意地でも雇用をするまでは辞めないと決めてやってきました」。
ようやく障がいのある人を雇うことができるようになり、しばらく経ったある日、スタッフたちが言った。
「障がい者として生まれてよかったです。」「ずっとネットの世界で生きてきましたが、初めて現実の世界で居場所を得ました」。
近藤さんの歩む道を肯定する言葉だった。
命を懸ける仕事の対価

土佐備長炭一の備長炭づくりは、伐採・運搬・窯入れ・乾燥10日・炭化10日・窯出しという一連の工程を、約30日かけて進めていく。その後、選別・梱包・出荷へと続く。 これは、近藤さんが10年かけて見つけた、工房の窯に最も適したサイクルだ。安全で習熟しやすい工程は障がいを持つスタッフが担っている。近藤さんはこれまでに障がいを持つ人を4人雇用した経験があり、現在は、5人目のスタッフが一人いて、活躍しているという。
近藤さんは語る。
「多くの人が思い浮かべる炭焼きの風景は、窯の前の静かな作業だと思いますが、備長炭づくりの山での仕事こそ伝えたいです」。
伐採を行うのは、斜度50〜60度の急斜面だ。片側に谷が口を開ける細い山道を、ガタゴトと揺られながら車を運転してたどり着く。スパイク付きの地下足袋をはき、梯子を登って木々の元へ。崩れやすい足場でチェーンソーを操り、木の倒す方向を誤らずに伐る。倒した木は長さ約180cmに切り揃え、1本1本斜面を滑らせて運搬車が入るところまで落とす。
半日で30本、約1トンの原木を運搬車に載せ、軽トラックに積み込み直し、窯へと運ぶ。 山での作業は、一つ誤れば即、命を落としかねない。実際に滑落事故も起きている。
「費用対効果なんて合わないですよ」と苦笑しながらも、真剣な眼差しは揺るがない。
それでも近藤さんが続けるのは、障がい者の働ける場所をつくり、炭を待つ料理人に応え、そして山を守りたいという強い思いがあるからだ。
「今の夢は、そうですね、もうちょっと障がい者の雇用を増やしたいです。現状に満足はしていなくて。僕は、目標が達成できたら、また別の目標を掲げます。自分ができることを追い求めている時が幸せだと感じます」
炭焼きで、人と山の未来をつなぐ

近藤さんは、山の未来を守るために、紀州備長炭の生産者が実践してきた「択伐(たくばつ)」を取り入れ、10年サイクルで山を再生させる取り組みを続けている。
択伐とは、森の中から成熟した木だけを選んで伐る方法だ。森全体を残したまま必要な木だけを選んで伐るため、鳥や動物のすみか、水を蓄える土壌など、森が本来持つ働きを保ちながら利用できる。
一方、これまで一般的だった皆伐(かいばつ)は、一定の区画にある木を一度にすべて伐採する方法で、短期間で多くの木材を得られる利点がある。しかし、伐った直後は地面がむき出しになり、光や風の通り方が変わることで、森の環境は大きく変化する。そのため、伐採後には苗木を植え、森を育て直す再造林が欠かせない。
皆伐では、次の木が育つまでおよそ25年かかると言われている。それに対し、択伐なら10年に一度のサイクルで山に戻り、原木を得ることができる。
ただし、どの山でも択伐ができるわけではない。長く人の手が入らなかった山では、木が太く大きく育ちすぎていることがある。そうした大木を伐り倒すと、周りの木に引っかかったり、巻き込んで倒れたりして、重大な事故につながりかねない。安全を優先すると、結果として広い範囲を伐らざるを得ず、皆伐に近い形になる場合もあるという。
近藤さんは言う。
「高知でも択伐を取り入れていけば、資源がなくなることを防げると思って、僕は択伐をしています。今、世界の和食ブームもあって備長炭への問い合わせは多いです。生産者が少ない分、作れば作るほど売れる状況にはあります。ただ、原材料の木を伐りすぎたら、今度は材料がなくなって作れないということになる。資源が無くなり、技術が途絶えるようなことはしたくないので、どうバランスを取っていくかが、とても大事だと思います」
だからこそ近藤さんが大切にしているのは、山を長く放置しないことだ。
「山は、一定の周期で人が入り、木を伐り、また次の木を育てていくことで、次の世代へつないでいけるんです。炭をつくるために木を伐るだけじゃなく、木を使いながら次の山を育てていくところまでが、炭焼きの仕事だと思っています」
今日もまた、土佐備長炭一で一本の木が炭へと生まれ変わっていく。
その営みが、障がいのある人が胸を張って生きられる場所を維持し、未来の山を支えている。近藤さんにとって炭を焼くことは、人と山の未来をつなぐ仕事なのだ。



