益子町で建築の内装や家具の制作を手がけている木工作家・高山英樹さん。高山さんは京都の歴史的建造物「旧京都中央電話局」の再開発で、隈研吾氏が建築デザインを監修した「エースホテル京都」の建築プロジェクトなどにもたずさわり評価を得ている。
人との繋がりを大切にして人と空間をイメージ

高山さんがつくる作品は、古材や廃材などを組み合わせた木材の経年変化を楽しめる家具。木の質感を大切にした温かみが感じられる作品だ。
人との繋がりを大切にし、「縁がなければ注文は受けない」という高山さんは、依頼者とのコミュニケーションを経て思いを受け取り、「どこに置き、なにをするか」をイメージして家具をカタチにしていく。だからその空間に自然に溶け込み、しっくりとくる家具ができるのだろう。
先進的な空間に似合う、古材を活かした家具
そんな高山さんの世界感を強く感じられる場所がある。それが、京都・三条通近くにある「新風館」。同施設は、関西や京都初の新業態店舗に加え、京都ならではの店舗をラインナップし、最新の流行に京都らしさが出会う唯一無二の商業空間。その「新風館」にある「エースホテル京都」は、「East Meets West」をコンセプトにアジア初のエースホテルとしてつくられた。「エースホテル京都」内のレストラン「Mr. Maurice’s Italian」で、高山さんがカスタム・デザインしたオーバルテーブルやベンチが見られる。
さらに、「新風館」にオープンしたBEAMSが取り扱う「Pilgrim Surf+Supply KYOTO(ピルグリム サーフ+サプライ)」。ニューヨーク・ブルックリン発のセレクトショップ「Pilgrim Surf+Supply」は“自然と都会のデュアルライフ” をコンセプトに、サーフィンを中心としたアウトドアアクティビティのあるライフスタイルをアメリカ東海岸のカルチャーというフィルターを通して提案。その「Pilgrim Surf+Supply KYOTO」のメインテーブルを手がけたのも高山さんだ。
移り住んだ益子で自宅をセルフビルド

陶芸の里である益子。栃木県南東部に位置する町で、江戸時代末期から陶器の産地として全国的にも有名な町だ。木工作品や家具などを手がける高山さんの自宅とアトリエは、益子町の中でも自然豊かで緑あふれる地区にある。
自宅は家族3人で今もつくり続けているというセルフビルド。2002年に益子に移り住み、今もなお家づくりはとまらない。
「ここに移る前、農家の手伝いをした時にビニールハウスを建築したんです。それが意外と快適な空間で。そこでビニールハウスみたいな家をつくりたいと思いつきました。この土地を見つけた時に、プレハブでガラス面を多くしたら似たような効果が期待できるんじゃないかと思ってつくり始めたんです」。
大きな窓から見えるのは一面に広がる田園風景。田植えの季節になると家の周りの田んぼに水が張られて、まるで湖のようになる。そして林の向こうの丘にはぶどう畑が見える穏やかな景色だ。
益子にたどりついたきっかけ

益子に住み始めて22年の高山さんの出身は石川県七尾市。文化服装学院を卒業後、東京でステージ衣装や1点ものの洋服をつくり、収入が入ると海外旅行に出るということをしていたそう。そんな時に「益子に面白い人が集まっている」という噂を聞く。
「子どもが生まれる前からどこか良い所はないか探していて…子どもが生まれたらふるさとをつくってあげたかったんですね。ここは、実家の風景にもどことなく似ていて気に入りました」という。
地元の人たちの、ものづくりへの理解や様々なことにチャレンジする人を見守る文化にも「良かった」と、益子町を知り移住するきっかけや実際に住んで見て思ったことを教えてくれた。
自宅つくりとともに始まった益子での暮らし。そして、家具づくり

高山さんの家具づくりのスタートは、宇都宮でレストランを開いていた方が益子にカフェをオープンするにあたって、内装などを手がけるために店づくりに参加したのがきっかけだった。
内装だけでなく、廃材などでテーブルなどの家具を設える必要があり、そこで家具作りに触れた。
偶然のように始まった高山さんの家具作り。しかし、「縁」を大切にする高山さんらしい家具作りのスタートだ。木材を巧みにあやつり、空間に自然とマッチする高山さんの家具だが、家具づくりは人に習ったものではない。
「習うことは、型にはまること」と、ファッションの仕事をしていた時を教訓にして「自分で思ったことをやってみよう」と独学ではじめたそうだ。高山さんにとって、家具作りは自身の生き方の表現である。
依頼は人と人との「縁」がなければ受けないこともひとつの表現だろう。デザインよりも、家具が置かれる空間や使う人との関係性、そこで生まれる会話や時間まで想像して制作する。
家具は生活に溶け込み、人と空間を繋ぐ必然性から生まれるべきだと考えているのだ。
人との繋がりがきっかけを生む

益子には、1998年にオープンした「身の回りにあるもの、手の届く範囲で、心地よく暮らす。」をコンセプトにした「starnet(スターネット)」という人気のライフスタイルショップがある。
高山さんは、縁あって「starnet」のテーブルも制作したという。さらには、「starnet」での人との繋がりから、高山さん家族は息子の源樹(げんき)さんを中心にしてワイン作りに発展した。
益子の地で「家具づくりという手仕事をやっていこうと思っていたら、『今度はワイン』なんて話になってしまいました」と笑いながら話す高山さん。
なんとも、人の繋がりを大切にする高山さんらしいストーリーだ。
ワイン造りへの挑戦

高山さんの息子である源樹(げんき)さんが高校生の時、「starnet」のオーナー友人に「夏休みになったら手仕事と芸術を見るためにどこかへ行きたいんですけど、どこかおすすめの場所ありますか」と質問をした。
すると返答は「フィレンツェに行っておいで」。
海外かと驚きながらも、せっかくのきっかけだからと夏休みの1カ月間をイタリアで過ごし、30種類くらいの手仕事と10箇所くらいのミュージアムを見て回ったそう。
そこで最後に見たワイナリーに芸術性を感じ衝撃を覚えた。そこで高校を卒業するとワインに関わる仕事をしたいと、イタリアに渡った。
薦められたとはいえ、高校在学中に1人でイタリアに学びに行かせる柔軟な考えは、高山さん自身の若い頃の「収入が入ると海外旅行に出る」という行動があってこそだ。
家族3人でつくるぶどう畑

帰国後、源樹さんはワインの勉強をするうえで、自分が惹かれているワインは「地域との関係性がバックグラウンドにあるワイン」だと気づく。
では、どこでワインをつくったらいいのかを考えた時に「益子でつくる」と考えにいたった。
先輩や知人などが栃木県足利市にある指定障害者支援施設こころみ学園のワイン醸造場「ココ・ファーム・ワイナリー」に繋げてくれて、学びや協力を得ることができた。
「ココ・ファーム・ワイナリー」とは、栃木県足利市にあり、国際的なサミットの晩餐会で採用されるなど、日本を代表するワイナリーとして全国的に知られている。
さらに、地元の方と連携をとることができ、高齢化で管理ができず荒れ始めていた土地を家族3人で開墾。源樹さんの想いが少しずつ現実のものになっていく。3年目になる今は、赤ぶどうをメインに11種・300本弱の木が植えられているぶとう畑。今後は土地の性質などにもあわせて、白ぶどうも増やしていきたいと話す。
父である高山さんも一緒になって、今後のブドウ畑やワインについて目を輝かせていた。
地域の人たちと育む「ものづくり」と収穫祭
源樹さんを中心とした高山さん家族のワインへの挑戦は始まったばかりだ。ぶどうの収穫には5〜7年かかる見通しで、地域の人たちとともに時間をかけて「ものづくり」をしたいと考えている。
「収穫祭をやりたいんです」と家族3人でにこやかに語る夢が叶う日も、そう遠くないかもしれない。
ワイン造りという新たな挑戦もまた、高山さんが大切にしてきた「人との繋がり」から生まれたものだ。
しかし、その活動の原点であり、核となるのは、やはり木と向き合う家具作り。
依頼主との対話、空間との調和を重んじ、古材の一つひとつに新たな命を吹き込む。これからも高山さんは、使う人の暮らしにそっと寄り添う温かな家具を、この益子の地で作り続けていく。