高知県は、全国生産量の約半分を占める“ゆず王国”として知られている。年間およそ1万トンという圧倒的なシェアを誇り、その存在感は群を抜く。なかでも馬路村(うまじむら)は、高知県内での生産量こそ5番目ほどだが、柚子飲料「ごっくん馬路村」や、ぽん酢しょうゆ「ゆずの村」といった人気商品によって、全国的に名を馳せている。
かつては林業を主な生業としていた山間の小さな村は、この60年あまりで、多くの人を惹きつける“ゆずの村”へと変貌を遂げた。
森林率96%の村の分岐点

馬路村へは、高知市から東方面へ車で約1時間半。くねくねした山道を奥へ奥へと走り続け、ようやくたどり着く。日本屈指の多雨地帯だ。周囲をぐるりと1千メートル級の山に囲まれた村の森林率は96%。家々と畑は、残り4%のわずかな谷間の平地に、寄り添うように並ぶ。
「本当に山奥なんです」と笑うのは、村の産業を担う馬路村農業協同組合の組合長を務める長野桃太さんだ。
村は、戦国時代より銘木「魚梁瀬杉(やなせすぎ)」を産出し、豊臣秀吉にも献上してきた歴史を持つ。最盛期には3,500人が暮らしていたという。しかし、昭和20年代以降、戦後復興のためのダム建設、森林鉄道の廃線、輸入材の流入など、時代の波に抗えず林業は衰退した。そして、選んだ新しい道が「柚子」だった。
60年前から始まった、小さな柚子の挑戦

長野さんによれば、そもそも柚子は高知県を含む四国に、“平家の落人(へいけのおちうど)”が種を持ち込んだと伝えられており、馬路村にもおよそ800年前に伝来したという。柚子は海沿いから中山間地まで比較的どこでも栽培しやすいが、産地によって品質が驚くほど異なるのだそうだ。
日照時間が短く、寒暖差が激しい馬路村では、柚子は小ぶりになる。しかし、その小ささこそが香りの濃さにつながる。皮ごと搾ったときに立ち上がる精油の量が多く、香りが強いのだ。それは、山深い土地が与えた“個性”だった。
村で本格的な栽培を始めたのは昭和38年。当初は苦労の連続だったという。
県内では後発組だったため販路を県外に求めたが、当時の日本では柚子はまだ広く知られた柑橘ではなく、評価されない日々が続いた。「どう提案すればいいのか」。村は悩み、考え抜き、そして生み出したのが、のちに全国区となる柚子飲料「ごっくん馬路村」や、ぽん酢しょうゆ「ゆずの村」だった。
田舎を売り出す、「ごっくん馬路村」の誕生

柚子を使った商品の開発はできたが、それから販路を広げるのにも苦労した。昭和60年代、村は大きな決断をする。都会を追いかけるのではなく、“馬路村という田舎を価値にする”方向へ舵を切ったのだ。
「デザイナーさんと話して、『田舎を売ろう』と決めたんです」。大きな決断だった。
パッケージには、馬路村の素朴な空気をそのまま閉じ込めた。ネーミングは「ごっくん馬路村」。スーパーのバイヤーからは「何のジュースか分からない」と酷評されたが、決断を貫いた。
材料は、柚子とハチミツと水だけ。賞味期限はわずか4ヶ月。「メーカーではなく産地であれ」という哲学が、味にも姿勢にも宿る。流通のしやすさや賞味期限の長さを優先するメーカー的な発想ではなく、柚子の本質的な品質にこだわる。それは、産地としての誇りだった。
すると、徐々に商品が売れ出した。やがて、資金が乏しい中で村の自然を活かしたテレビCMを制作する。それが県内で話題となり、「ごっくん馬路村」は高知を代表する飲料へと育っていった。CMは、小さな村が自分たちの暮らしを商品化した転換点だった。
ファンとの、温かみのあるコミュニケーションを大切にし続ける

「ごっくん馬路村」は販売から30年ほどをかけて全国区の商品に成長し、村のゆず加工品全体の売り上げは年間30億円になった。以来20年間、その売り上げを維持する。「村内のゆずで安定的に生産ができて、ゆず農家にも村にも還元できる目安が30億円から35億円の間ぐらいです。他産地の原料を取り寄せて生産量を増やそうは考えていません」と長野さん。農協では2006年から、製造ラインを公開する「ゆずの森加工場見学」を実施。また、顧客対応を担うコールセンターでは、電話越しの“人と人とのやりとり”を大切にしている。
「馬路村のファンでいてくださる方は、機械的な応答ではなく、私たちの“声”を求めてくださっていると感じます。『最近の馬路村の景色はどう?』と尋ねられることもありますし、そんな会話のキャッチボールができるのは、この村のコールセンターならではだと思います」と長野さん。
村は、現在もぶれることなく「田舎らしさ」を届け続けている。
小さな村がつくる“大きな産業”

柚子の加工品づくりは、単なる特産品づくりではない。村の雇用を生み、暮らしを支える“産業化”だった。村役場と農協、そして生産者が一緒になって、林業に代わる大きな産業にしようと取り組んできたと、長野さんはいう。
「原料を売るだけでは、雇用は生まれません。加工することで、村の中に仕事が生まれるんです」。
現在、馬路村農協の職員は約90名。人口700人台の村で、これだけの雇用を生み出しているのは驚異的だ。ポン酢、ドリンク、ジャム、マーマレード、柚子胡椒──100種類を超える商品が村の工場で生まれている。
最近のヒットは、缶チューハイだ。添加物なしで柚子の味を再現するという馬路村らしいこだわりで、長野さんは「自分たちが納得できる柚子チューハイを完成させました」と嬉しそうに話す。販売数はすでに1万2000ケースに到達する。
さらに、柚子の種から抽出した「種子油」を使った化粧品も人気だ。「使い道のなかった種を活かすことで、また農家に還元できます。無駄なく使うという取り組みは、力を入れていきたいですね」と長野さん。柚子は、村の未来を支える力になっている。
有機栽培という誇り
馬路村の柚子は、2001年から全量が有機栽培。化学農薬も化学肥料も除草剤も使わない。
「皮ごと使うからこそ、安心して食べてもらいたい。それが有機栽培を選んだ理由です」。
ただし、有機栽培は見た目の“黒点”が出やすく、市場では不利になることもある。それでも村は、自然に近い柚子づくりを貫いてきた。
「柚子茶や皮製品では、有機の価値が伝わりやすい。これからは、見た目より“安心”を選んでもらえるようにしたい」と長野さん。
村では、杉の外皮と柚子の搾りかすを混ぜて発酵させた堆肥も作っている。山の恵みを循環させる、馬路村らしい取り組みだ。
柚子が照らす未来、村が向かう先

柚子産業によって、馬路村は“豊かに暮らせる村”になった。現在、兼業を含めて190軒の柚子農家がいるという。柚子は加工原料として扱うため、75歳や80歳の人でも続けやすいというメリットがある。高齢者の場合、年金に加え、柚子から得られる副収入が100万〜200万円あれば、山の暮らしは十分に成り立つそうだ。村では農協や役場などで雇用があるため、若い人も意外と多いのだという。
「実は私もIターンでこの村に来たんですよ」と長野さんはにっこり笑う。「馬路村は人口700人台の本当に田舎です。けれど、しっかりとしたビジネスの母体がある。700人規模の市町村の中で、こんな地域はまずないのかなと思っています。中山間地での田舎暮らしとビジネス、いずれかを選んでもいいし、両方楽しむこともできます。さらに兼業で農業も可能というのは、特殊でしょう。加えて、衰退したとは言え林業もあり、若い人が山で働くようになったケースも見受けられます。暮らしやすさと、やりがいをPRしていきたいです」
「馬路村に住んでよかった」と思える人を増やしたい
しかし、人口減少は続いている。柚子だけでは解決できない課題もある。長野さんは、「これからは、農協が村の課題を解決する存在になりたい。教育や福祉にも取り組んで、村の豊かさを守っていくことが私たちの役目だと思っています。村に住んでよかったという人を増やしたいですね」と将来を見据えていた。
馬路温泉はスノーピークと協働でリノベーションをする計画が進んでいる。年間6万人を超える観光客をさらに集客したい。「柚子は11月だけですが、精油は一年中あります。柚子の香りを使った温泉も面白いと思います」と、長野さんの構想は広がる。
日本各地で過疎化に悩む山村がある。馬路村は、主要産業の転換を図り、山深い村の個性を売り出すことで豊かに暮らす道をつくった。人口700人の村の挑戦はこれからもまだまだ続く。その未来に目が離せない。



