深い藍色に、光が射す。「藍生庵」松枝崇弘さん/福岡県久留米市

福岡県南部、久留米市田主丸町の里山に、7代続く久留米絣の織元「藍生庵」がある。日本三大絣のひとつに数えられる久留米絣。誕生から200年以上の年月を経て今もなお、木綿の持つ素朴な風合いと絣模様の精巧さ、そして藍染めならではの美しい藍色が人々を惹きつけている。

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ある少女の好奇心が生んだ久留米絣

福岡県南部、筑後地方にある久留米市。かつてこの一帯では筑後川が育む肥沃な大地のもと、綿花や藍の栽培が盛んに行われ、綿織物が発展した。1800年頃の江戸時代後期には、久留米藩の城下に生まれた井上伝という少女により久留米絣が考案される。

井上伝は、色褪せた古着の斑点模様に興味を持ち、その布を解いて仕組みを探った。すると糸自体に白い斑点があり、これを手がかりに白糸を括り、藍で染めて織ってみると、布の中に白い文様が出現。これが久留米絣の歴史の始まりとなった。1人の少女の好奇心とひらめきが生んだ工芸品である。

それ以降、伝は生涯にわたり、この技術を多くの人に伝え、久留米絣の普及に邁進。そして、農家の農閑期の副業として久留米絣が盛んに織られるようになり、明治以降は庶民の衣服として全国で愛用されるようになった。生産が盛んになった明治初期には、「藍生庵」も織元としての歴史をスタートさせる。

約36もの工程を一貫制作する

現在「藍生庵」が工房を構えるのは、耳納(みのう)連山の麓に位置する久留米市田主丸町。30数年前、藍染めに重要な水を求めて、現在の地に工房を移した。豊かな自然に抱かれた工房で、7代目の松枝崇弘さんと、母で6代目の小夜子さんの2人が久留米絣の制作を行っている。

久留米絣は、1957年(昭和32年)に木綿では初めて国の重要無形文化財に指定。「手括りによる絣糸を使用すること」「純正天然藍で染めること」「手織り織機で織ること」の3つが認定要件とされた。作業工程数も多く、図案(柄のデザイン)、括り(防染する作業)、藍染め、水洗い、手織り、乾燥……などなど、およそ36もの工程を経て完成する。最盛期には分業化が進んでいたが、時代や需要の変化とともに職人も減少。現在は20数軒の織元が残り、その多くが一貫制作を行っている。

原料にもこだわり、昔ながらの藍建てを行う

数ある工程の中でも「藍生庵」らしさを物語るものの一つに、藍建ての作業がある。藍建てとは、天然藍を甕の中で発酵させ、糸を染めるための藍液をつくること。水質も染色の仕上がりを左右するというが、織元それぞれ建て方自体も異なる。

「うちでは化学染料や薬品は使わず、室町時代から伝わる技法で藍建てを行っています。藍甕に徳島県産の天然藍と、栄養分となる麦芽糖や純米酒を入れ、微生物の働きで発酵を促進。父もお酒が大好きでしたけど、藍甕もお酒が大好きですね(笑)」と崇弘さんは微笑む。

崇弘さんが、久留米絣に本格的に触れたのは7歳の頃。父の哲哉さんは遊びを交えながら、崇弘さんに糸の染色を手伝わせていたという。染めの工程以外にも、母・小夜子さんの膝の上に乗り、見よう見まねで織りの作業にも挑戦した。暮らしのそばに工房があり、藍の香り、機織りの音に抱かれた幼少期。崇弘さんがこの道を志すのに時間はかからなかった。

「藍生庵」ならではの表現方法とは

久留米絣といえば、経糸と緯糸で表される様々な柄が特徴。糸を染めてから織るため、柄の輪郭がわずかにズレてかすれたようになり、これが絣独特の風合いを生んでいる。さらに、絣の模様は久留米絣の誕生初期には幾何学模様が主流だったが、1839年(天保10年)に染織家・大塚太蔵が、現代にも残っている絵台を用いた伝統的な絵絣の技法を考案。これを機に絣の表現の可能性が大きく広がった。

久留米絣とひと口にいっても、絣の模様には地域性がある。久留米絣の織元が点在する筑後地方の中でも、広川町や八女市では小柄が専門。「藍生庵」の本家のある三潴郡の地域では大柄、中柄、さらには絵絣を制作している。

なかでも絵絣は、崇弘さんの曽祖父、「藍生庵」3代目で人間国宝であった松枝玉記さんが先駆者といわれている技法だ。卓越した技術と、和歌への深い造詣から独自の模様を生み出し、久留米絣の表現の幅をさらに押し広げた。筑後の自然から着想を得た、詩情にあふれた大柄な絵画的文様と、美しい藍色の階調。その創作性は崇弘さんの父であり、重要無形文化財久留米絣技術保持者にも認定された哲哉さんと母・小夜子さん、そして現当主の崇弘さんにも脈々と受け継がれ、現在の「藍生庵」らしさを形づくっている。

父が遺した光を追いかけて

大学を卒業後、地元を離れ、一度一般企業に就職した崇弘さん。2020年、父・哲哉さんの病を機に久留米絣の道に進んだ。崇弘さんにとって久留米絣の工房は生活の一部であり、両親との思い出の場所。実家に戻ることに、全く迷いはなかった。とはいえ当時、哲哉さんは日本伝統工芸染織展や日本伝統工芸展など、工芸界の権威ある展示会で数多くのタイトルを獲得し、全国に名を轟かせる作家。そんな父の跡を継ぐことには多少なりの不安はあったという。

「私にとって久留米絣は慣れ親しんだ世界。後継者として戻ってからも、不安はあってもギャップや違和感は感じませんでしたね。父は、亡くなるまで決してつらい顔は見せず、私と母にありったけの技術と心を伝えてくれました。本当に良い親子の時間でした」と崇弘さんは当時を振り返る。

崇弘さんが実家に戻って間もなく哲哉さんは亡くなったが、その年に行われた日本最大規模の公募展「第67回日本伝統工芸展(令和2年度)」で、奇しくも哲哉さんの遺作となった久留米絣着物「光芒」が文部科学大臣賞を受賞する。この功績は、残された2人にとってこれ以上ない希望の光となった。

して、2人は手を取り合い、前を向こうと必死に涙を拭う。しかし、少しずつ日常を取り戻しつつあった頃、工房を次なる災難が襲った。

2023年夏、大雨による大規模な土砂災害に見舞われた。工房に土砂や泥水が流入。藍甕や織機が被害を受け、貴重な資料なども泥だらけになった。「もうダメかもしれない……」。落胆する母の姿を目にし、崇弘さんも目の前が真っ暗になった。

被災直後、2人は途方に暮れていた。しかし、まもなくして崇弘さんの会社員時代の友人らをはじめ、久留米市や大木町で文化財保護に携わる職員らが工房の片付けに駆けつける。2人は徐々に明るさを取り戻した。「久留米絣の制作は、自己完結する作業が多いだけに、時に孤独を感じる瞬間もあります。しかし、この時の被災でたくさんの人に支えられていることに改めて気付かされました」。

「今は、父が制作テーマに掲げていた“光”を、私も追いかけているところです。藍染めだけにとどまらず、黄色や緑など様々な草木染めにも挑戦しています。山に吹く風や川のせせらぎ、葉ずれの音など、自然からいろんなヒントを得て、自分だけの久留米絣の表現方法を見つけていきたいです」と、崇弘さんは制作への意欲を語った。父・哲哉さんが遺した光を手がかりに、崇弘さんの探究の旅は続く。

ACCESS

藍生庵
福岡県久留米市田主丸町竹野3-44
TEL 0943-72-4377
URL https://ranseian.com/
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