石川県珠洲市にある酒蔵「櫻田酒造」は、2024年の能登半島地震で酒蔵が全壊する被害に遭った。一度は廃業を考えた蔵元杜氏の櫻田博克(さくらだ ひろよし)さんだが、多くの励ましの声に背中を押され再建を決意。約150㎞離れた石川県白山市にある車多(しゃた)酒造の設備を借り、「共同醸造」という形で酒造りを再開している。
厳しくも美しい能登の風土が生んだ酒

日本海に突き出した能登半島の先端、珠洲(すず)市。厳しい自然と人々の実直な営みが、この“さいはて”の街の美しい風景を形作ってきた。
古くから漁師町として栄えた蛸島(たこじま)も、珠洲の歴史や文化を色濃く残す地域のひとつ。櫻田酒造は、このまちで大正時代から酒造りを営んできた小さな酒蔵だ。代表銘柄は「大慶(たいけい)」と「初桜」。いずれも長年にわたり、地元の漁師に愛されてきた。漁の後、疲れた体にしみわたる甘口の酒。蔵元と杜氏を兼ねる櫻田博克さんは「蛸島の漁師さんたちが、毎日飲んでも飲み飽きない酒」を造り続けてきた。
能登半島地震で酒蔵が全壊
2024年1月1日に発生した能登半島地震。震源に近い蛸島も強烈な揺れに襲われ、櫻田酒造の酒蔵と店舗は全壊した。櫻田さんと家族は無事だったが、崩れ落ちた酒蔵を目の当たりにして「廃業」を覚悟したという。前年にも震度6強の地震があり、壊れた土壁の修理を終えたばかり。新年を迎えて心機一転、酒造りを始める矢先のことだった。
1月中旬、失意の中にいた櫻田さんの心に灯をともす出来事があった。ボランティアが、がれきに埋もれていた酒米を運び出してくれたのだ。無事だった酒米を見て、櫻田さんは「もう一度、酒を造ろう」と決意。すぐさま30年来の友人である車多酒造8代目·車多一成(しゃた かずなり)さんに連絡し、協力を依頼した。
山廃仕込みで知られる老舗蔵·車多酒造

珠洲市から南に約150㎞。石川県白山市、加賀平野のなかほどに蔵を構える車多酒造は、1823年創業の老舗。霊峰白山の伏流水で醸す銘酒「天狗舞(てんぐまい)」が代表銘柄だ。車多酒造の特長である「山廃仕込み」は、蔵付きの乳酸菌を取り入れ、ゆっくりと時間をかけて発酵させる伝統的な酒母の製法。じっくりと手間と時間をかけ、ふくらみのある豊かな味わいの酒を醸す。
フランス·パリで開催された「Kura Master日本酒コンクール2024」では、「天狗舞 山廃仕込純米酒」が「クラシック酛(もと)部門審査員賞」と「アリアンスガストロノミー賞」をダブル受賞するなど世界での評価も高い。
設備を提供し、「共同醸造」で酒造りを支援

「震災直後、何か力になれないかと電話した時に、『もう諦めた』って彼は言ったんですよね」と車多さん。だからこそ「もう一度、酒造りをしたい」という櫻田さんの決意はうれしかったという。友人として、酒造りの仲間として、櫻田酒造再建への道をともに歩み出すこととなった。

蒸し上げた酒米から立ち上る湯気の中で、きびきびと作業を進める蔵人たち。その中に櫻田さんの姿があった。活気に満ちた蔵の中で、その表情は明るい。
2024年3月から始まった共同醸造は、車多酒造の設備を間借りする形で行い、完成した酒の一部は車多酒造の流通ルートで販売している。珠洲で新しい蔵を再建するまでの間、車多酒造の蔵人たちの力も借りながら酒造りに取り組むつもりだ。
ふるさと能登の味わいを追い求める

水や温度、風通しといった環境は、日本酒の味や香りに影響を与える。いわゆる「蔵癖(くらぐせ)」が酒蔵ごとの個性を生むといわれるが、共同醸造で「櫻田酒造の味」をどのように表現しているのだろうか。
「確かに環境が違いますから味わいは変わります。ただ後味がね、やっぱりうちの酒なんですよ」と櫻田さん。櫻田酒造では、麹(こうじ)と蒸米を3回に分けて仕込む三段仕込みに加え、最後の四段目にもち米を使う。この工程によって蛸島の漁師好みの甘口に仕上げるが、それだけが決め手ではないらしい。ふるさと珠洲の人々の顔を思い浮かべながら醸す酒は、力強くパンチの効いた味わい。酒の個性は、環境や技術もさることながら、造り手の思いからこそ生まれるのだと櫻田さんは教えてくれた。
共同醸造が2つの酒蔵にもたらしたもの
櫻田さんは、蔵人として車多酒造の酒造りにも参加している。そのノウハウに触れる毎日は「新しい発見ばかり」だという。技術や設備、酒造りへの姿勢、すべてが櫻田さんにとって新鮮に映る。
なかでも大きな学びを得たのは麹造りだ。車多酒造では、米の旨みを引き出し、立体的な味わいを生み出す麹を育てることに力を注いでいる。その麹造りの技術を、櫻田さんは再建する酒蔵で取り入れたいと考えている。「車多流のエッセンスを加えてうまい酒を作りたい。そしてそれを車多酒造の皆さんに飲んでもらうのが私の夢になりました」。そう言って櫻田さんは笑顔を見せた。
一方、車多さんも共同醸造によって酒造りへの思いを新たにしたという。「能登の人は下を向かない。櫻田さんはその典型です。日本酒業界が低迷するなか、私たちも前を向いて進まなければならない。いつも社員たちとそんな話をしています」。その思いは酒質にもいい影響を与えるはずだと車多さんは言う。
能登杜氏を生んだ酒造文化を守るために

車多酒造は地震による直接的な被害こそ少なかったものの、「酒造りの担い手」という面で大きな危機感を抱いているという。
車多酒造では、代々蔵元と「能登杜氏」が二人三脚で酒造りを行ってきた。杜氏とは、酒造りの職人集団を率いる最高責任者のこと。酒の味を左右する重要な立場でもある。能登の人々は古くから農閑期になると全国の酒蔵に出向いて酒造りを行い、彼らが醸す酒は「濃厚で華やかな味わい」と評された。現在も全国各地の酒蔵で多くの能登杜氏が活躍しており、その技術は日本有数との呼び声が高い。
能登半島地震では、能登にある11の酒蔵のうち9蔵が全壊、2蔵が半壊という被害をもたらしただけでなく、能登杜氏や蔵人たちの暮らしにも大きな打撃を与えた。住まいを失い、他所へ移住した人も少なくないという。
能登から酒造りに関わる人材が流出することは、能登杜氏を中心とした酒造文化を失うことにもつながる。「伝統の酒造文化をどのように継承していくのか。大きな課題だと思っています」と車多さん。能登出身の杜氏や蔵人の暮らしを守り、後継者を育成すること、そして「能登杜氏の酒」を国内外に発信することは、石川県の酒蔵の使命でもあると車多さんは考えている。
父と息子が力を合わせ、酒蔵再建を目指す

一方で明るい話題もある。櫻田さんの長男·愼太郎(しんたろう)さんが家業を継ぐ決意をしたのだ。苦難を乗り越え、もう一度立ち上がろうとする父の姿を見て「よし、やってやろうじゃないか」と奮い立ったという。
東京農業大学で醸造を学ぶかたわら、休暇を利用して車多酒造に住み込み、父とともに共同醸造に取り組む愼太郎さん。幼い頃から酒造りの光景は身近にあったが、車多酒造でさまざまな作業に携わることで学ぶことも多いという。「震災で注目してもらえることを、逆にチャンスととらえたい」と力強く前を向く。
能登の未来に向けて造る新しい日本酒

さらに前向きな話題がもうひとつ。2025年、愼太郎さんと、車多一成さんの長男で9代目の蔵元となる予定の車多慶一郎(しゃた けいいちろう)さんが中心となり、新世代の酒造りがスタートした。コンセプトは「若い世代が楽しめる日本酒」。加えて「能登・櫻田酒造の『大慶』を知ってもらう」という大きな目標も掲げ、2つの酒蔵によるコラボレーション日本酒「大慶×天狗舞」を醸す。
プロジェクトには2人の次期蔵元だけでなく、車多酒造の若手蔵人たちも参加。若い感性を存分に生かした酒造りが進んでいる。
素材には、石川県のオリジナル酒米「百万石乃白(ひゃくまんごくのしろ)」と、石川県生まれの「金沢酵母」を選んだ。「石川県、そして能登の魅力を発信するために、オール石川で造ろうと決めました」と慶一郎さん。旨みと酸味が一体となったフレッシュな味わいに仕上げ、日本酒を楽しむ人の裾野を広げたいという。
伝統に裏打ちされた技術で造る、モダンな日本酒。酒銘は「能登を紬(つむ)ぐ」に決まった。共同醸造から始まった新たな未来。若き醸造家たちによる挑戦は、能登の新しいアイデンティティをつむぐ第一歩となる。
共同醸造で未来への希望を醸す
がれきから救出した酒米でスタートした共同醸造は2025年、2期目を迎えた。櫻田酒造は今期、車多酒造のはからいで調達した珠洲市産酒米を原料の一部に使っている。櫻田さんは「こうして支えてくれる車多酒造さんの優しさが、今年の酒の味わいに表れるんじゃないかな」と共同醸造によって進化する味わいに期待を込める。
当初、櫻田酒造の再建を目指して始まった共同醸造は、酒蔵の枠を超えて若手の挑戦を生み、「能登の酒を進化させる」という新たなフェーズに入っている。櫻田・車多両酒蔵の思いはひとつ。それは「能登杜氏とともに育んできた石川県の酒造文化を守り、さらに磨き上げて未来へつなぐ」ことだ。支援のための共同醸造から、ともに未来を醸す共同醸造へ。櫻田さんと車多さんは、希望を感じられる味わいの酒を多くの人に届けたいと願っている。