お茶どころとして有名ではない鳥取県で、美味しい紅茶を作り出す茶園がある。「陣構(じんがまえ)茶生産組合」だ。冬には積雪もあり、雪をかぶってもなお力強く成長するお茶は、甘いと評判。さらに、農薬や有機肥料の使用を控え、自然栽培で育てる紅茶は、鳥取県の「地紅茶(じこうちゃ)」として近年話題を集めている。
大山の麓にある陣構地区

鳥取県西部に位置する大山町(だいせんちょう)。その中央に位置するのが陣構(じんがまえ)地区だ。西暦1333年、伯耆国(ほうきこく)の武将が後醍醐天皇を守る際、この地に陣を構えたことがその名の由来となっている。北には日本海、南には中国地方最高峰の山「大山」が迫り、日中の寒暖差も大きい。また、大山の火山灰が積み重なってできた黒ボク土は水はけに優れ、茶の栽培に適した酸性土壌でもある。
そんな陣構地区でお茶を栽培し、注目を集めている人がいる。「陣構茶生産組合」の橋井さんと平沢さんだ。
陣構茶生産組合のお茶づくりの歴史

鳥取県内で見ても、茶農家は数軒しかなく、そのほとんどが緑茶や煎茶に使用する品種の栽培を行っている。日本国内では静岡県や鹿児島県など、温暖な気候に恵まれた場所で栽培するイメージの強いお茶だが、隣町でお茶を作っていた人に触発され、陣構地区でも作り始めたという。
「昭和40年代頃から茶の栽培があったようです。当時はもっと多くの茶農家がいて、みんなで組合を作って栽培しようということになり、昭和53年に加工場を作ったのが始まりでした。今は3ヘクタールの茶畑を管理していて、組合員は自分のほかに2名しかいません」。
大規模農家ではないため、茶畑の管理は難しく、収量にも限界がある。また、知名度の低い鳥取県のお茶を広めるためには差別化が必要だと考えた。そこで、20年ほど前から農薬や化学肥料を使わない有機栽培を採用。3年以上農薬や化学肥料を使用していない畑でしか認証されない国家規格「有機JAS」認証も取得し、オーガニックの茶畑として商品を届けるようになっていった。
紅茶づくりとの出会い

そんな陣構茶生産組合では、もともとは紅茶の製造をしていなかったのだが、ある人からの助言を機に紅茶の製造の可能性と出会う。それは、鳥取の紅茶好きの方が集まり1993年に活動を開始した「紅茶の会」の会長の藤原一輝さんからの一言だった。「普通の茶葉でも紅茶はできるから、作ってみれば?」
実は、緑茶、ほうじ茶、ウーロン茶などお茶にはさまざまな種類があるが、それらの違いは栽培している品種によるものではなく、収穫後の加工方法によるものが大きい。
日本で最も多く生産されている緑茶は不発酵茶とも呼ばれ、新茶を摘んだあとは蒸したり炒ったりするなど、火入れを行うのが一般的だ。生の茶葉をそのまま置いておくと、酸化酵素の働きにより発酵が始まってしまうためである。なるべく新鮮な状態で火入れや冷却を繰り返すことで発酵を抑え、揉みながら水分量を下げて乾燥させていくのだ。
対して、紅茶は発酵茶であり、収穫後に蒸さないことが特徴だ。熱を入れずに、まずは水分を飛ばすために「萎凋(いちょう)」と呼ばれる作業を行う。機械などで送風して、葉に含まれている水分量を約半分に抑えるのだ。その後、揉みこむ工程を経て少しずつ酸化発酵を促す。こうすることで、紅茶に含まれるポリフェノールの一種が変化し、紅茶特有の香りを放つようになる。
さらに時間をかけて揉みこみ・発酵をすすめ、ほどよいタイミングで茶葉を乾燥させれば完成だ。
少量生産のため他の茶園との差別化を考えていた橋井さん達は、「うちでも紅茶づくりができるならやってみよう」と、緑茶用に栽培していた品種を活用し、紅茶の製造に乗り出した。
試行錯誤の末、認知度を徐々に獲得

陣構茶生産組合で栽培している品種は「やぶきた」「ほくめい」「おくみどり」。紅茶に適している品種として、「べにひかり」と「くらさわ」も育てている。
特にべにひかりは「紅系」と呼ばれ、紅茶に向いているとされるアッサム系の茶葉がその品種改良の過程で入っている。
紅茶の製造を始めた当初は専用の機械もなく、緑茶用の機械を自分たちでカスタマイズしながら製造方法を調べ、試行錯誤を繰り返した。次第に安定した品質の茶葉をつくれるようになり、有機栽培の国産の紅茶があると話題に。紅茶用の機械も取り入れ、製造の割合を増やしていった。
そうしてできた紅茶は、「とっとり有機紅茶」の名前で道の駅や地元のスーパーなどでも取り扱われるようになった。また、日本経済新聞が2023年に発表した「国産紅茶ランキング」で、全国1,000か所以上で作られている紅茶の中から第9位に選ばれるなど、認知度も高まってきている。
緑茶にも使われるやぶきたを使用したとっとり有機紅茶は、渋みが少なく、ほどよい甘みを感じられると人気を博している。
より安心して飲んでもらえる自然栽培へ

また、ここ数年は有機栽培から自然栽培へと切り替えた。獣糞などの自然由来の肥料などを使用する有機栽培に比べ、自然栽培では一切の肥料を使用しない。地力がしっかりしていないと収量が確保できない栽培方法だが、大山の黒ボク土と寒暖差に恵まれ、以前よりも旨味成分が増したという。
雑草を抑えることができないため、草取りに時間はかかるが、「皆さんに安心して飲んでもらえると思うと頑張れます」と、ふたりは笑顔を見せてくれた。
鳥取から始まった「全国地紅茶サミット」

鳥取の地紅茶として知られるようになったきっかけのひとつとして、「全国地紅茶サミット」の影響も大きい。地紅茶とは、地酒や地ビールのように、その土地ならではの素材や特性を生かして生産される紅茶のことだ。
実は、この全国地紅茶サミットは鳥取県から始まった。
明治から昭和にかけて、日本国内では紅茶が生産されており、輸出品でもあった。しかし、その後は外国産の紅茶に太刀打ちできなくなり、日本国内の茶産地から姿を消した。紅茶の会の会長である藤原さんは、「もういっぺん紅茶を日本各地で作ろう」と声をかけ、その勧めで陣構茶生産組合でも紅茶を作り始めたわけだ。
そこで、紅茶をつくっている産地であること、発起人の藤原さんの住む県でもあったことから、第一回目の地紅茶サミットが鳥取県名和町(現:大山町)で開催されることになったのだ。
地紅茶サミットでは、地紅茶の生産者が全国から集まり、紅茶好きと生産者をつなぎ、地域活性化を図っている。全国各地の地紅茶の飲み比べや、紅茶生産地数を記した地紅茶マップの周知などを重ね、数千人もの来場者が訪れるイベントになっていった。陣構茶生産組合の紅茶もサミットへの参加を経て、全国の紅茶ファンに知られることとなった。
陣構でしかできない紅茶を継承したい

橋井さんと平沢さん以外の担い手がいない状況から、新しく地紅茶の生産者を募集したところ、地紅茶を広めていきたいと応募してくれた人がいた。大阪からIターンをした北岡さんだ。前職で商社に勤めていたという北岡さんと、自然栽培の紅茶を組み合わせ、今後は海外の品評会への出品や輸出も視野に入れている。
「生産者が減ってきて数えるほどしかいないけど、やっぱり陣構という名前を残したい。細々でも、『ここでしか手に入らない紅茶だ』と認知されるよう、継承していければ。輸出などでより多くの方に知ってもらうきっかけになったら嬉しい」と平沢さん。
小さな茶畑から始まった地紅茶づくり。その美味しさはこれからも多くの人を魅了していくことだろう。