豊かな自然、美しい水に恵まれたニセコ町に誕生したニセコ蒸溜所。ウイスキーやジンの製造を手がけるこの蒸溜所は、銘酒「八海山」で有名な新潟の八海醸造のグループ会社である。新潟から遠く離れたこの地で洋酒造りに乗り出した理由はどこにあるのだろうか。
リゾート地ニセコに誕生したウイスキー蒸溜所
東に「蝦夷富士」⽺蹄⼭、北にニセコアンヌプリに囲まれた、ニセコ町。道央の西側に位置し、夏にはカヌーやトレッキング、冬には極上のパウダースノーのもとスキーやスノーボードが楽しめる通年型の観光リゾート地だ。丘陵盆地の特徴を生かした農業が盛んで、質のいいジャガイモ、メロン、アスパラなどの産地としても知られる。そのニセコの一角にある静かな森の中に、2021(令和3)年3月、ウイスキー造りに向けて始動した蒸溜所がある。ニセコ蒸溜所だ。
グループ会社は1922(大正11)年創業の酒蔵、新潟県南魚沼市にある八海醸造株式会社。同社の「八海山」は、淡麗旨口の逸品として、また地酒ブームの火付け役的存在としても名高い。加えて八海醸造は、ビールや焼酎など日本酒以外の商品展開にも力を注いでいる。また食事処やカフェなど飲食店の運営など多角的な販路拡大をめざす酒造だ。
「魚沼とニセコはどちらにも美しい自然があります。グループの代表である南雲は、当初、ニセコを訪ねるたびに、ニセコ町辺りの⾃然の⽊に囲まれた環境をすごくいいところだと感じたそうです。また、ニセコに蒸溜所を建設するにあたって、ニセコ町の方針として自然の景観を損ねないための独自のルールとして、建物の高さに制限を設けていることなどを知り、自然と共存するニセコ町の姿勢に共感したことも大きな理由の1つだったそうです」
こう話すのはニセコ蒸溜所 支配人の林さん。
蒸溜所で仕込む水は良質なニセコアンヌプリの伏流水を用いている。ニセコを流れる尻別川は国交省から何度も清流日本一に認定されており、その水質の良さが伺える。また、夏は涼しい盆地の気候もウイスキー造りに適しており、これらの条件が土地選びの決め手となった。
「販売はしていないものの、実は2016年から、新潟で米によるウイスキー造りをすでにスタートさせています。焼酎造りや樽詰め焼酎も手がけており、蒸溜についての技術やデータは少しずつ蓄積されてきていました。一方でスキーリゾートで盛況なニセコ町の魅力を知ろうと、当社の南雲(二郎社長)も視察を重ねていました。そのご縁でニセコ町から酒造りのお声がかかったことが直接のきっかけです」
酒造りの環境が整ったニセコ町との縁、日本酒にとどまらない酒造りの可能性を追求する八海醸造のスピリッツが合致し、大麦麦芽を使ったウイスキー製造がスタートすることとなったのだった。
お酒造りのストーリーを「見せる」
蒸溜所の建設にあたり、意識したのは酒造りを「見せる」ことだという。
地元後志(しりべし)産などのカラマツがふんだんに使われた蒸溜所でまず目を引くのが、存在感ある蒸溜器たち。ウイスキー用の蒸溜器である2基のポットスチル、ジン用の蒸溜器が居並ぶ姿は圧巻だ。バーカウンターでは、ウイスキーやジンの蒸溜機を肴にしながら、蒸溜所で造られたジンやカクテルを中心に八海醸造の手がける商品も楽しむことができる。
「蒸溜所のような施設では製造工程を公開しながらも、見学スペースは壁やガラスで仕切るのが一般的です。ただ私たちは、皆さんに見て、聞いて、嗅いで、味わって、触れて…五感で感じてもらえる蒸溜所にしたかったので、あえて遮断される仕切りは設けませんでした」
低いところに置かれることの多い蒸溜器を、見えやすいよう目の高さに据えるなどの工夫も凝らされている。加えて営業時間内であれば、蒸溜所に併設のショップ、バーなどは自由に入場可能。製造工程をゆっくりと案内する見学ツアー(少人数の予約制)では、試飲時間も設けられ、多くの人に「ウイスキー・ジン造り」のストーリーを知ってもらうための仕掛けが用意されている。
林さんはまた、ジャパニーズウイスキーならではの繊細な味わいにもこだわっていきたいと力を込める。
「ウイスキーはいろいろな成分からできています。仕込水や使用する原料、蒸溜所の立地する自然環境など多くの要因が影響する中で、⽇本⼈ならではの特徴である繊細さにこだわりたい。言葉にするのはなかなか難しいですが、バランスのいい、調和の取れたウイスキーを造るためにいろいろ試しているところでもあります」
例えば貯蔵するための樽に使う木材の種類によってウイスキーの香りや味わいが大きく変わってくる。「現在使っているのはオーク樽ですが、ゆくゆくはミズナラ樽のように個性的な芳香を感じさせる樽を含めさまざまな木材の樽のものを混ぜ合わせて造りたいなとも考えています。もともとバーボンに使われていた樽、ワインに使われていた樽などを使えば、そのお酒のエッセンスも混じりますし。もちろん、ゆくゆくは日本製の樽も使いたいと話しています。」と林さん。
「麦だけでなく、米などの原料を発酵させてできた醸造酒をさらに蒸発させる『蒸溜』を経て蒸溜酒やウイスキーは生まれます。グループが培ってきた酵母を使ったアルコール発酵を行う日本酒づくりの勘所も生かせるのではないかと考えています」
発酵の工程では、ステンレス系の発酵タンクを使ったほうがメンテナンスはしやすいといわれる。一方で木の発酵タンクでゆっくり発酵させてこそ、ウイスキーの味わいは深まるのだとか。
「木には発酵にいい影響をもたらす乳酸菌が棲みつくからです。ただ乳酸菌以外のものも棲みつくから、⽊のタンクの管理は大変です」
管理の手間はあっても、発酵に時間をかけて品質の向上を目指したいという。貯蔵環境に関しては、ニセコの冷涼な気候をそのまま生かし、ゆっくりと穏やかに熟成を進めていくのがニセコ蒸溜所流だ。
地元の学生たちとジンでコラボ
ジャパニーズウイスキーは基本的に3年以上熟成することが条件となる。ニセコ蒸溜所のウイスキーも、今はまだ樽の中に眠っている状態だ。そこでニセコ蒸溜所では、長期の熟成が不要な蒸溜酒であるジン「ohoro (オホロ)」を手始めに発売した。ウイスキーとは異なり、ジュニパーベリー(西洋ネズの実)を中心に、ボタニカルと呼ばれる風味付けの植物由来成分を加えれば「ジン」となる。そのため自由度の高い酒として近年、ジン人気はじわじわと高まりつつある。
各地で個性的なクラフトジンが誕生する中、「ohoroはクラシカルな王道ジンを目指した」のだという。「カクテルのベースとして世界中で広く愛されるロンドンの『ドライジン』のように、ニセコで生まれたジンが未来永劫多くの人に親しまれてほしい。アイヌ語で“続く”という意味を持った言葉『ohoro』と名付けたのもそのためです」と林さん。ウイスキー造りを中心に、さまざまなジン造りも模索していきたいと続ける。
ニセコ町の町花ラベンダーを使ったジン「ohoro GIN Limited Edition LAVENDER」、同じくニセコ産のハッカをキーボタニカルに用いた「ohoro GIN Limited Edition JAPANESE PEPPERMINT」をそれぞれ季節や数量限定ジンとして発売した。
「ラベンダーのジンは最初、地元ニセコ高等学校の生徒さんとのコラボレーションで発売しました。高校生の育てたラベンダーを私たちが買い取り、乾燥させずフレッシュなまま使うことで濃厚な香りを出すことができました。現在は製造数量も増え、ニセコ高等学校のラベンダーに加えて、町内の指定農家さんが栽培するラベンダーも使用し「町産ラベンダージン」として夏季限定で販売しています」
酒蔵で培った発酵技術で「ならでは」の味を
林さんたちは、ウイスキー造りにおいて「10年ものができてからが本番」と考えている。つまり、ニセコ蒸溜所の歩みはまだスタート地点に立ったばかりだとも言えるかもしれない。ただ、ウイスキー造りで注目されがちな最後の「貯蔵」だけでなく、その前の工程こそが蒸溜所間の「味の差」を生むのだとも強調する。
「例えば蒸溜する前に発酵という⼯程があり、そこで酵⺟が味を決めるいろいろな成分を造っていきます。日本酒や焼酎を手がけてきた酒蔵だからこそ、酵⺟や麹、発酵技術には自信を持っています。それをもっとウイスキー造りに取り入れて、新たな味の個性にしたいと思っています」
今後、日本はもちろん、海外へも「ニセコ蒸溜所」のウイスキーの味を広めていくのが目標、と林さん。
「同時にニセコ町、地域に根差した蒸溜所でありたいと思っているのですが、地元の方々にもまだまだ認知されていないところもあります。まずはohoroでのコラボレーションのように、地元の皆さんと協力した取り組みもこれからもっと増やしていきたいですね」
だからといって、熟成期間に妥協はしたくない、とも語る。5年後になっても、10年後になっても「出してもいい」と納得できる品質のウイスキーができたその時が私たちのタイミングなんです、と。「ニセコ蒸溜所」の歩みはまだ始まったばかりなのだ。