”やちむん”をはじめ、さまざまなテイストの多くの焼き物作家が活動する沖縄。沖縄で生まれ育った宮城正幸さんは、沖縄伝統のやちむん作りの修行をしたのち、自身の窯を開いて11年。そんな宮城さんが日々生み出し、目指していく自分のやきものとは。
サラリーマンをしていた時、漠然とものづくりがしたいと考えるように
那覇から車で40分ほど、沖縄本島南部にある南城市のサトウキビ畑に囲まれたのどかな場所に工房を構えるのは、宮城陶器の宮城正幸さん。
シンプルでいて、凛とした存在感のある宮城さんの焼き物。そんな宮城さんの作品は県内外で人気で、年に数回は都心で個展を行い、月に数日ある工房のオープンデイには毎回多くの予約が入る。
沖縄の古民家の趣きをそのまま活かしたギャラリー。よく見ると仏壇がある。ここは沖縄で一番座、二番座と呼ばれる、お客さまをもてなす部屋だ。この古民家は奥さんである亜紀さんの実家なのだそう。中学校の同級生だったというおふたり。宮城さんもここからすぐ近くで生まれ育った。
土を素材とする焼き物が自分にはピンとくるものがあった
20年ほど前、サラリーマンとして会社勤めをしていた宮城さんは、漠然とものづくりがしたいと考えるようになったという。染め織物、型染めの紅型(びんがた)、焼き物、漆器、三線など、沖縄には伝統工芸の数が多く、ものづくりが身近で、ものづくりを生業とすることも割と身近に感じていたのだとか。そのなかでも、自分には土を素材とする焼き物が一番ピンときたと話す。
沖縄の焼き物といえば、厚みや重さがあり、色鮮やかな染め付けの模様が印象的な”やちむん”だ。やちむんは、沖縄の言葉で焼き物の意味。県内のやちむんの産地は、那覇市の壺屋と北部の読谷村の2箇所があげられる。沖縄の焼き物の歴史は長いけれど、現在の沖縄のやちむんのもととなっているのが、戦後、焼き物の産業振興のために壺屋にて3つの窯が統合された壺屋焼。
宮城さんは、壺屋焼の流れを汲んだ焼き物をつくる壹岐幸二さんに25歳で弟子入りをし、読谷の壹岐さんの元で10年間やちむんの製法を学んだ。その後、2013年に独立し、現在の場所で自分の窯を開いた。
できるだけシンプルに。料理が映えるうつわを作りたい
沖縄の土は南西諸島特有の粘土質の赤土。宮城陶器の陶土は、沖縄本島北部の土をメインに、そして他にも数種類をブレンドし、風合いのほかに強度や安定性もかんがみ配合している。本島南部の赤土は耐火度が低くて釉薬ものは合わないのだそう。逆に、低温で素焼きをする沖縄独特の赤瓦には向いていて、このあたりは赤瓦の産地となっている。
自然の素材の荒々しい風合いをあえて残す
宮城さんは、土そのものの持つ味を生かした質感を大事にしたいと日々考えている。原土に含まれてる鉄粉の感じ、白っぽい小粒の石、黒い胡麻のようなもの。そんな、自然素材の風合いを活かし、荒々しい存在感を素地に残す。
沖縄の言葉で”マカイ”と呼ばれるお碗。ざらざらとした粗めの焼きに、底に深い緑色のたまりが美しい灰釉といわれる釉薬だ。親しくしているピザ屋さんの窯から出るカシやクヌギの灰をもらってきて、土と配合し釉薬を仕立てている。
宮城さん自身、荒っぽさとガラスのような光沢のある質感の組み合わせが好きで、灰釉を用いた器をよく作るのだそう。
土のブレンド、そして、土と釉薬の組み合わせは無限にある。仮説を立てて、配合を微妙に変えて繰り返し焼き、自分のいいと思う焼きができたら実際に器に落とし込む。その難しさが、作陶のおもしろみでもあるという。
宮城さんの器は、沖縄らしいやちむんとは印象が異なる。独立当初はもう少し丸みがあり色彩のある染め付けもしていたが、自分の作りたいたいものを日々追求していく中で、今の凜とした佇まいに落ち着いたのだそう。
人気の作品のひとつ、ゴブレット。縁が少し焦げたような意匠もこだわりのポイント。用途は決めずに、ビールでもワインでもコーヒーでも、手にとってくれた人の好きなものを好きなように飲んでほしい。
日常づかいの焼き物は、手に持つものは軽くそっと手に馴染むように、プレートはそれよりも厚みを持たせて安定感をプラスして。器を作るうえで一番優先的に考えていることは、実際に食卓でつかう人たちの使い勝手だ。料理は亜紀さんに任せきりだけれど、食べることも飲むことも、そのくつろぎの時間も好きだから、器の機能性や料理映えすることは大切なポイントだと考えている。
宮城陶器では、ろくろは宮城さんが、型を用いる技法のタタラは亜紀さんと他のスタッフが製作を担当している。壺屋でも読谷でも、家族の男性たちが生地を練って成型をして、女性陣が絵付けといったような分業スタイルが昔からあった。師匠のもとでもそうであったように、沖縄らしいといえるその体制を宮城家でもとっている。
「道具なんで、つかってもらってなんぼ」
最近では、購入してくれた人が実際に自宅やお店で使う様子をSNSから見られる。それがやっぱり何よりも嬉しい。「道具なんで、つかってもらってなんぼですから」という宮城さん。
宮城さんは独立時から今までずっとガス窯での焼成を行っている。それでもここ数年で特に、薪窯での焼成がしたいと考えていて、最近は県内の陶工仲間数人で共同で薪窯での窯焚きもしている。ガス窯と比べたら、やはり薪窯は安定しない分難しい。けれど、機械では出せない表情に魅力を感じるし、「よりアナログに、炎を体感して生まれるものを作っていきたい」と自身の薪窯を持つことを当面の目標にしている。
器も作り方も、よりシンプルに。今はありがたいことに、制作に追われている感じも否めない。けれど、こなすのではなく「仕事というより、もっとライフワークのようにしていけたら」と静かに話す宮城さん。焼き物を選んだ自分の直感を信じた道の先にあったもの。これからも、探究心を持ち続けて研鑽を重ね、人々の生活に寄り添う道具をつくっていく。