日本一大きな盆地として知られる秋田県の横手盆地は壮大な山々に囲まれ、一級河川とその支流がゆったりと流れる国内有数の穀倉地帯だ。中南部分の平鹿(ひらか)平野の浅舞地区では、5月になると田んぼに水を張った美しい田園風景がひろがる。その広大な田んぼの中にある町の中心に蔵をかまえるのが「浅舞酒造(あさまいしゅぞう)」だ。
浅舞酒造を代表する「天の戸」と純米へのこだわり
横手盆地を潤す河川は、古くから恵み豊かな土地を作り、その一部は伏流水となり「琵琶沼寒泉」という湧水群をつくった。豊かな自然に育まれ、大地にも水にも恵まれた平鹿は、酒造りに適した絶好の地であったにも関わらず、酒蔵がなかった。そこで1917年(大正6年)に現在の横手市平鹿町に創業されたのが「浅舞酒造」だ。全国新酒鑑評会で秋田県初となる5年連続金賞を受賞するなど、秋田を代表する蔵元として名を馳せている。創業者の柿崎宗光は「天の戸は静かに明けて神路山 杉の青葉に日影さすみゆ」という古歌から、酒名を「天の戸」とした。天の戸とは、誰もが知る日本神話に登場する「天の岩戸」のことである。
浅舞酒造で使う酒米は、約1,000石分すべてが蔵から半径5km以内で採れる浅舞地区のものだ。1988年に先代社長の柿崎秀盛さんが平鹿町酒米研究会(現JA秋田のふるさと平鹿町 酒米研究会)を発足させ地元の農家と酒米を造る環境を整備したことから始まっている。これも横手盆地という肥沃な土地だからこそできることであろう。横手の米のおいしさ、旨みをストレートに酒に反映させたいと、2011年からはすべて純米酒となった。「酒は田んぼから生まれる」が、会社のモットーだと話す現社長柿崎常樹さんは、こうした浅舞酒造の米へのこだわりを次世代へつなぎたいと願っている。米の消費が減り、米の一大産地である横手においても農家を取り巻く状況は厳しい。そこで、柿崎さんは浅舞酒造周辺の農家に、今も積極的に声をかけ酒米を作ってもらっている。
伝統の手法と現代風な味と
蔵に運ばれた米は、昔ながらの和釜で蒸され発酵、そして古式槽(こしきぶね)にてしぼられる。現在では、少なくなった槽しぼりの方法は、時間がかかる。醪(もろみ)の入った酒袋を槽に積み重ね、最初はその自重で少しずつ酒を搾っていく。その後、ゆっくりと圧をかけていくというもので、まさに一滴一滴を搾りだすような手法だ。「米の旨みが詰まった酒が生まれるために必要な過程」と柿崎さんは話す。地元の米を使い、昔ながらの酒造りのスタイルを堅持しつつも、浅舞酒造では、昔ながらの味の酒だけを造っているわけではない。
「今のみなさんの好みというものも大事。軽めの味で香りのいい食中酒、そうした酒造りにも力を入れています」と柿崎さん。口でいうのは簡単だが、それはなかなか難しいことでもある。100年以上続く伝統の酒造りの手法を守りながらも、味はモダンな現代風を目指すのだ。「最高かどうかはわかりませんが、横手の米と水は、われわれにとっては最良のものです。それをどう酒造りに反映させるかが蔵の仕事。新しい酒質の酒は、限定酒で出したりして様子を見たりすることもあります」と柿崎さん。良質な米と水、そのベースがしっかりしているからこそ、蔵での酒造りの技術も安定してくる。そしてなにより長年、その土地の米を使い続けることで得られることもまた多い。米をさわる、匂いをかぐ、そうするとその年の米がどういうできかよくわかる。あとは米にどう寄り添い、造るかだと話す。
地元にあるものにこだわり、目の行き届いた範囲内で採れる原料だけで醸される浅舞酒造の酒は、この地の美しさに心奪われ、まもり受け継ぎたいと願い「真の秋田の地酒」を目指した蔵人たちの魂と信念が宿っている。