室町時代から受け継ぐ「小瀬鵜飼」宮内庁式部職鵜匠·足立陽一郎さん/岐阜県関市

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アユ漁の伝統「小瀬鵜飼」

鵜飼とは、鵜匠が舟の上から手綱を引いて鵜をあやつり、アユなどの川魚をとる漁法。川にもぐって、つかまえた魚を喉にためる鵜の習性を利用する。水面を照らすかがり火に、アユがびっくりして動きだしところを鵜が飲み込んで捕らえる。ここちよい川風が吹く闇夜の静寂の中、伝統装束をまとった鵜匠が、パチパチと音をたてて燃えるかがり火を灯した舟と、鵜をあやつりアユを捕えていく姿は、正に幻想的だ。

その歴史は古く、日本では1,300年前から受け継がれており、現在も愛媛県や大分県など全国11か所で行われている。中でも岐阜県関市の「小瀬鵜飼」と岐阜県岐阜市の「長良川鵜飼」は皇室保護のもと行われ、9人の鵜匠が宮内庁式部職鵜匠の肩書として伝統を受け継いでいる。また、2015年には日本で初めて「長良川の鵜飼漁の技術」が国の重要無形民俗文化財に指定されている。小瀬鵜飼を継承する足立家18代目の鵜匠・足立陽一郎さん。毎年5月11日から10月15日までの鵜飼開き期間に鵜匠として活動するかたわら、市の有形文化財でもある築300余年の古民家で旅館「鵜の家 足立」を営んでいる。「夏の鵜飼が終わったら、翌年に備えて鵜の世話を毎日します。鵜飼は漁を指すだけでなく、鵜を養うという意味での鵜養(うかい)でもあるんです。僕しか鵜の面倒を見ることはできないので、1日たりとも休むことはできません。」(足立さん)鵜飼の鵜は野生で育った鵜を捕まえてくるため、はじめは警戒心から餌を食べなかったり、噛みついたりして抵抗をする。それを毎日世話をし、安心させる事でようやく慣れてくる。慣れた人間からしか餌を食べない為、鵜匠に休日は無く旅行に出掛けることもできないのだそうだ。

代々受け継ぐ「宮内庁式部職」の鵜匠

また「宮内庁式部職」の鵜匠は男系男子の世襲制であるため、生まれた時から職業が決まっていて、小さい頃は職業への葛藤や他の仕事への憧れもあったのだそう。27歳の時に覚悟を決めて跡を継いだが、テレビで見る鵜匠の姿のような華やかな仕事ばかりではなく、やってみたら結構地味だったと笑う。「アユをとる方法は他にもあると思いますが、なぜ鵜飼が続いているのでしょうか」(中田)。「最も漁の効率が良く、捕ったアユの味も良いからです。一羽の鵜が何匹ものアユを喉にためることができますし、するどい口ばしを使って一瞬で川魚を捕えるため鮮度が抜群。また、煮物などを作るときには鵜のかんだ跡から味がしみ込んで美味しいんですよ」(足立さん)
観光客向けのパフォーマンスのように思われがちだが、実は1300年の歴史が裏付ける合理的な理由があるのだ。

風情のある母屋の中には「御用」と描かれた箱があり、中には提灯が収められている。江戸時代から昭和にかけて支給されたものが、いくつか並んでいる。当時は鵜飼船にこの提灯をかざして、朝廷や幕府、政府のお墨付きを得て漁を行っていることを示してきた。「鵜飼はそうした後ろ盾が無いと続けられないため、その時代ごとのパトロンに助けられて存続してきました」(足立さん)昔から水というものは人々にとって重要な存在だったため、川の流れをめぐって農民などと争いが起こることもあった。その様な折にも公家などの後ろ盾がある事で、鵜飼は特別な役割である事を認められ護られてきたのだという。現在、足立さんは宮内庁式部職鵜匠(国家公務員)として、禁漁区である御料場にて皇室に納める“御料鵜飼”を年に8回行い、伝統の灯を守る。「かがり火の勢いがあると火の粉がかなり熱いんですが、暗闇の中に灯る火が大きいと鮎も捕れるし、見た目にも風情が出て観光客の歓声も大きいので手応えを感じますね。だから、かがり火は鵜飼の命」(足立さん)
松尾芭蕉は「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」と句を詠み、足立さんは「消えていくものであれば消え、続いていくものであれば続く」とつぶやいた。心に火を灯す鵜匠がいる限り、幽玄な伝統文化は絶えない。

ACCESS

鵜の家 足立
岐阜県関市小瀬78
TEL 0575-22-0799
URL http://www.ccn2.aitai.ne.jp/~akane/
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