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壱岐島に蘇った日本酒--焼酎と日本酒、ふたつの國酒づくりに向き合う酒蔵

壱岐島に蘇った日本酒--焼酎と日本酒、ふたつの國酒づくりに向き合う酒蔵

世界貿易機関が日本で初めて地理的表示を認めた「壱岐焼酎」で知られる壱岐島。豊かな土地では古くから米作りが行われ日本酒蔵も多くあったが、時代の流れを受けてその数は減少し、1990年、遂に島から姿を消した。しかし28年後、重家酒造が壱岐島の日本酒づくりを復活させた。壱岐島で唯一の日本酒蔵「重家酒造」を訪ね、その経緯を聞いた。

麦焼酎発祥の地・壱岐島

世界貿易機関によって地理的表示が認められている「壱岐焼酎」。ワインの「ボルドー」「シャンパーニュ」、ウイスキーの「スコッチ」「バーボン」と同様に、定められた地域、製法の基準を満たすものだけが産地を冠した呼称を使うことができる、国際的に保護・保証された日本屈指の焼酎ブランドだ。壱岐焼酎の歴史は古く、16世紀ごろには大陸からの蒸留技術を用いた麦焼酎づくりが壱岐島で始まっていたとされる。


酒造りに適した地理的条件と肥沃な土地

九州と対馬のほぼ中間地点、玄界灘沖に浮かぶ壱岐島は、島内に150以上の神社が存在することから「神々が宿る島」としても知られている。かつては大陸の文明・文化が中国、朝鮮半島を経由して日本に伝播する際の中継地として栄え、中国の歴史書「魏志倭人伝」には3世紀の壱岐が「一支国( いきこく)」という名で登場。日本最古の歴史書「古事記」にも天地を結ぶ交通路の役割を担ったと記されるなど、古来より神々とのゆかりが深く神事も盛んだった。神事には酒がつきものであり、その酒づくりを支えたのは、壱岐島の恵まれた地質だ。1周約60km、車で2時間もあればひと回りできるほどの小さな島には長崎県内で2番目に広い穀倉地が広がり、良質な地下水がたっぷりとある。島では珍しく壱岐に真水が豊富な理由は、島の土台・玄武岩層で長い年月をかけて磨かれた雨が、地下の巨大な水脈に蓄えられているからといわれる。肥沃な土地と豊富な水、穏やかな気候が農耕文化を発展させ、さらに地理的条件が生み出した文化と相まって、神々の島の酒づくりを育んできた。


なぜ壱岐に「麦焼酎」が誕生したのか

大陸からの蒸留技術が伝わった16世紀、壱岐は平戸松浦藩の領地だった。肥沃な土地では多くの米が収穫されたが、そのほとんどを年貢として納めなければならず、島民の主食は麦。人々は余った麦でどぶろくを自家醸造していたが、ここに大陸からの新しい技術が伝わり「壱岐焼酎」の起源となった。


壱岐焼酎の特徴とは

米麹を使用すること、米麹と大麦の比率を1対2で仕込むこと、島内の水で仕込み、島内で蒸留し容器に詰めること。これらの条件を満たさなければ「壱岐焼酎」と認められない。麦焼酎といえば、第二次焼酎ブームを牽引した「大分麦焼酎」を真っ先に思い浮かべる人もいるかもしれないが、大分麦焼酎は麦と麦麹で作られる。一方壱岐焼酎は、麦と米麹、壱岐島の地下水が原料。現在島内では、7棟の焼酎蔵元が独自の個性やおいしさを追求しながら、世界に誇る壱岐焼酎づくりを行っている。


焼酎の島の日本酒蔵「重家酒造」

明治35年、壱岐島には焼酎蔵35棟、日本酒蔵は17棟あり、酒づくりが盛んに行われていたが、時代の流れと共に酒蔵の数は減り、1990年に日本酒蔵が姿を消した。しかしその28年後、「重家酒造」が壱岐島での日本酒づくりを蘇らせた。現在、焼酎は社長の横山雄三さん、日本酒は雄三さんの弟であり専務の横山太三さんが杜氏を務め、2つの國酒を醸す酒造会社として新たな歴史を刻み始めている。


重家酒造の歩み

1924年、横山雄三さん、太三さんの曾祖父にあたる横山確蔵さんが、日本酒と焼酎の蔵を建設し、重家酒造の歴史が始まる。冷蔵設備のない時代だったため、繊細な温度管理が必要な日本酒を冬場に作り、それ以外の季節は焼酎づくりにあてるという日本酒、焼酎の兼業酒蔵だった。日本酒「冨士鶴」、壱岐焼酎「雪洲」など島内で愛される酒を作ってきたが、3代目・省三さんの時代に転機が訪れる。複数の大手酒造メーカーが島の販売に参入し、日本酒の売上が徐々に伸び悩み始めたのだ。さらに高齢だった杜氏の引退も重なり、1990年、遂に日本酒づくりを断念した。重家酒造は壱岐島で日本酒づくりを続けていた最後の酒蔵。つまりこれは壱岐島の日本酒文化が完全に途絶えたことを意味した。


「晩酌は日本酒で、と決めている父が、毎晩自分の蔵のものではない酒を飲んでいる姿を見ると、何か思うところがあるはずと常に感じていました」と太三さん。一時は焼酎づくりに邁進していたが、日本各地の蔵元や日本酒に精通した酒販店と出会う内に、壱岐で日本酒づくりを復活させたいという気持ちが強くなった。そんな中、「東洋美人」で知られる山口県の酒蔵「澄川酒造場」社長・澄川宜史さんが日本酒づくりを教えてくれることに。2013年から5年間みっちりと修行しながら、繋がりの深い全国の日本酒蔵を数多く回った。「壱岐での日本酒づくりを復活させることができたのは、僕の想いに賛同してくれた同業者たちのおかげ。感謝しかありません。学ばせてもらったことは全て新蔵に活かしています」。


重家酒造の日本酒蔵へ

壱岐島の東南部。長崎県で2番目に広い平野「深江田原(ふかえたばる)」を抜け、重家酒造の日本酒蔵を訪れた。周囲は一面に田園が広がり、風にそよぐ米や麦が美しい。日本酒蔵入り口には水神様が祭られ、敷地内は米を蒸した甘い香りが漂っていた。

「日本酒蔵の場所をここに決めたのは、理想の水が見つかったからです」と太三さん。日本酒を醸すのに適した水を探すため、島内の水源を5年かけて20カ所以上調査し、この水源にやっと辿り着いた。「以前はアスパラガス栽培を行っていた場所。良質な軟水が豊富に蓄えられていることが分かりました」。

こだわりが詰まった蔵を案内してもらった。訪れたのは4月末、ちょうど今年の仕込みが終わった日。蔵内では福島県、兵庫県などから修行にきた若者たちがテキパキと作業を行なっている。「蔵内は常にもろみに適した5度に保ち、細かな温度管理をしながら発酵を調整。最新技術を取り入れ、タンクの大きさ、動線を考慮した設計でコンパクトにまとめています」。

麹室は、密閉度を高めるため天井を低く設計。「麹菌はキレの良い甘さを醸す『アロマ』ほか4種類使用しています。酒蔵を始動させる前の4ヶ月間は、新しい醸造設備から米や麹にオフフレーバーが付くことを避けるため、屋内で蒸気をたいたり、仕込みの道具を洗ったりする作業を続けました」。蔵内を徹底的に管理し、工程ごとに綿密に分析しながら、理想の酒質に狙いを定める日々だ。

壱岐の水、壱岐産の米、杜氏の技術と情熱、そして最新設備によって生まれた壱岐の日本酒には、重家酒造の杜氏の名「横山よこやま」が銘打たれている。「横山五十WHITE」「よこやまSILVER7 生」「よこやまSILVER1814 火入」がその代表作。


純米大吟醸

ゴールド、ホワイト、ブラックと表示されているのが純米大吟醸。代表作「横山五十WHITE」は、マスカットの香りとジューシーな甘みが広がる、まさに1杯目に相応しい華やかさ。冷やしてワイングラスで飲むのがお薦めだ。


純米吟醸

表示されている数字は、使用酵母の番号。それぞれの特性を把握して味わいをピンポイントで狙った、焼酎蔵としての歴史と技術に誇りを持つ重家酒造ならではの商品名といえる。「よこやま」といえば…と太三さんが指すのは、優しくまったりとした甘みとフルーティーさがあり、ごく軽い苦味を感じる「よこやまSILVER7 生」。これに対し、キリッとした飲み口で食中酒にぴったりなのが「よこやま 純米吟醸 SILVER 超辛7 火入」。トロピカルなラベルの「夏純吟よこやま」はパイナップルのような爽やかな香り。キンと冷やして飲んでほしい。


港町の小さな蔵で醸す、重家酒造の焼酎

重家酒造の焼酎蔵を訪ね、日本酒蔵から3km離れた港町へ。天井の高低差を利用して新旧さまざまな蒸留器やタンクが並び、麹室や貯蔵庫が効率の良い動線でまとまった、壱岐で一番小さな焼酎蔵である。「大正時代の木造の建物です。先代が購入した当時は酒蔵ではなかったため、屋根の高さに合わせて蒸留機を設置し、焼酎蔵に作り替えています」と雄三さん。「以前は住まいとしても使用しており、私も弟も高校生までここで過ごしました。子どもの頃から生活の中には常に酒が香っていましたよ」と微笑む。焼酎は蒸留器の形状、材質、蒸留方法によって味が変化するため、重家酒造でも蔵の構造と目指す味わいを考慮し、最新技術を取り入れて蒸留機をカスタマイズ。もろみを蒸留窯に入れ沸騰させた蒸気を冷却したものが焼酎の原酒となるが、重家酒造では冷却する前の蒸気が一番初めに触れる場所を銅で覆うことでまろやかな味わいを作り出す。これはウイスキー製造で用いられる手法だ。伝統を守りながら新しい手法を取り入れることで、重家酒造ならではの個性的な焼酎が生まれている。


重家酒造の焼酎・代表作

代表作は、創業時からのロングセラー「雪洲」、壱岐の方言で「大親友」を意味する「ちんぐ」など。重家酒造の焼酎は、飲み口、飲み方共に多彩に楽しめるラインアップが特徴だ。


アルコール度数は主に25度と20度で展開しているが、壱岐島で多く飲まれているのは20度。その理由を問うと、「壱岐では町内会などで人が集まると、決まって焼酎が振る舞われます。その際、会場に割り水を持っていく手間を省くためなのではと想像していますが、例えば25度の焼酎を20度に割るのと、元々20度に和水している商品を飲むのとでは、まろやかさが違うようにも思います。そのことを島の人は体感しているからこそ、初めから20度を選んでいるのかもしれません」と雄三さん。人が集まり、差しつ差されつ。壱岐焼酎文化が根付く島ならではのエピソードだ。


重家酒造では伝統的な焼酎づくりはもちろん、新たな客層を意識した商品開発にも取り組んでいる。壱岐麦焼酎をベースとした「OMOYA GIN」は、大学の研究室と共に70以上の試作を繰り返して誕生したクラフトジン。ジンに4倍の量の強炭酸水を加えて飲めば、ジュニパーベリーと壱岐産柚子が華やかに香る。

島で一番売れている「雪州」

「雪洲」とは壱岐島の別名。細かい貝殻でできた真っ白な砂浜を、江戸時代の歌人が「雪と見紛う」と詠んだことから付いた美しい呼称だ。創業当時から作られており、島で一番売れている商品。減圧蒸留のキリリとした飲み口にほんの少し常圧蒸留の味わいをプラスした、島の新鮮な魚介に相性抜群の仕上がり。1989年、1991年に福岡国税局管内 局長杯を受賞している。

個性豊かなラインアップ「ちんぐ」

多彩なバリエーションで展開。壱岐産米3分の1、大麦3分の2を基本に、白麹、黒麹、常圧蒸留、減圧蒸留を組み合わせることで、それぞれが個性的な味わいに。例えば「ちんぐ黒麹仕込み」は、六条大麦、黒麹の香ばしさと力強さを常圧蒸留で引き立てた1本。「ちんぐ夏上々」はアルコール度数19度。炭酸で割るとサラリと楽しめる涼やかさが特徴だ。

重家酒造の原点、創業者の名を冠した「確蔵」

壱岐産のコシヒカリと壱岐産の麦「ニシノホシ」を原料に、かめで仕込んで常圧蒸留した焼酎を長期熟成。昔ながらの壱岐焼酎を表現した、重家酒造の原点ともいえる1本。

杯を重ねたくなるような「1杯目」の酒を

新蔵の誕生から4年。太三さんは日本酒づくりの基本「一麹、二酛(もと)、三造り」に常に立ち返りながら、酵母の個性とパフォーマンスを引き出すことに日々心血を注いでいる。「まずは壱岐島を知ってもらいたい。素晴らしい自然、文化が育む酒をきっかけに、島に興味を持つ人が増えるとうれしいです」。目指すのは、香り高く軽やかで切れ味のある「1杯目」の酒。壱岐の恵みを最新技術で醸した日本酒が、世界の乾杯酒となる日まで。杜氏の情熱が、壱岐島生まれの酒を世界に広める。

ACCESS

重家酒造株式会社 本社
長崎県壱岐市石田町池田西触545−1