島根県の山あいで受け継がれてきた酒造りが、いま再び動き出している。田部家と竹下家、二つの家が繋いできた歴史を背景に、杜氏・濱崎良太さんがこの土地の水と米に向き合いながら、現代の暮らしに寄り添う酒を醸している。
田部家と竹下家、受け継がれてきた酒造り

島根県雲南市掛合(かけや)にある「田部竹下酒造」は、二つの家の歴史の上に成り立つ酒蔵だ。奥出雲でたたら製鉄を担ってきた田部家と、その酒造りを受け継いだ竹下家。そしていま、再び田部家が事業を継承し、この場所で酒造りが行われている。
たたら製鉄とともにあった酒造り
島根県の奥出雲・吉田町ではかつて、日本古来の伝統的な製鉄であるたたら製鉄が盛んに行われていた。田部家はその頭取を務め、地域の中心として産業を支えてきた存在だった。製鉄には多くの人手が必要で、最盛期には2万人を超える人々が関わっていたといわれる。
たたら製鉄をはじめ、様々な事業を展開していた中の一つに酒造りがあった。
受け継がれ、そして再び戻ってきた蔵

しかし江戸時代末期、火災によって蔵は焼失する。1866年、酒造免許は雲南市掛合(かけや)の竹下家へと譲られ、酒造りはそこで引き継がれることになった。
第74代内閣総理大臣・竹下登の実家でもある竹下家。「竹下本店」としてその後150年以上にわたり酒造りを守り続けたが、2003年に醸造を休止し、桶買いへと切り替わった。
使われなくなった酒蔵は雲南市へ寄贈され、2005年からは「かけや酒蔵資料館」として公開されるようになった。場所としては残りながらも、酒を生み出す場としての役割は一度手放される。

そして2022年、後継者不足という課題に直面した竹下家。そこに事業継承という形で手を差し伸べたのが、かつて酒造免許を託した田部家だった。
二つの家のあいだで受け継がれてきた酒造りの歴史。それを守るべく田部竹下酒造として新たなスタートを切った。
杜氏・濱崎良太と、新しい酒のかたち

そんな田部竹下酒造の杜氏を務めるのは、福岡県出身の濱崎さん。大学では環境微生物について学んでいた。そんなとき、「日本酒はお酒の中で製法が一番難しい」と聞いたのが、日本酒に興味を持ったきっかけだった。
そして酒造りの道へ進んだ濱崎さんは、岡山や愛知の蔵で修行を重ね、現場での経験を積んでいった。
そんな中で出会ったのが、田部竹下酒造の後継者を探すという話だった。「自分の酒造りができるなら、どこへでも行こうと思っていました」その言葉通り、迷いなく島根へ向かうことを決めた。
初めて訪れた掛合は、山に囲まれた静かな土地だった。味噌を手作りする家庭が残るなど、発酵文化が暮らしの中に息づいている場所でもあった。
ゼロからの酒造り。目指したのは「山陰の夏の海」

濱崎さんが蔵を引き継いだとき、この場所ではすでに酒造りは行われていなかった。杜氏は決まっているのに、仕込むための環境が整っていない。まさにゼロからの酒造りだった。
長く使われていなかった蔵を前に、まず取り組んだのは、酒を仕込める状態へと整えること。古い設備の中から使えるものを見極め、残しながら、必要な部分には新たな設備を加えていった。
2022年、ようやく酒造りができる環境が整い、再始動当初は試験醸造を重ねた。酵母や仕込みの条件を探りながら、この土地で目指す酒の輪郭をつくっていく。
その中で濱崎さんが描いたのは、「山陰の夏の海のような透明感のある酒」だった。
そうしてたどり着いたのが「理八」。酒造免許を受け入れた当時の竹下家当主の名を冠し、歴史への敬意を込めた酒だ。
フルーティでクリア、それでいて軽すぎず、飲み続けられる味わい。派手さではなく、日常の中で自然に選ばれる酒を目指している。
酒造りの現場にある感覚

酒造りは、米と水を扱うところから始まる。洗米、蒸し、麹づくり、仕込み、発酵。それぞれの工程が積み重なり、酒の味が決まっていく。
温度や時間の管理はもちろん重要だが、濱崎さんは「あえてデータには頼らない」という。香り、泡の状態、音の変化。そうした細かな違いを五感で捉えながら、重ねた経験を元に酒を醸すことを大切にしている。
夜中に蔵へ足を運ぶこともある。酒は常に変化し続ける存在だからこそ、その動きに付き合い続ける必要があるのだ。
濱崎さんは「お酒を搾った後が本当の酒造り」と話す。酒をつくる工程だけでなく、その後の管理や流通も含めて酒造りは続いていく。そのため田部竹下酒造では、問屋を通さず直接販売を行っている。品質管理と、消費者へ届くまでのスピードを重視した選択だ。
次の時代へつなぐ酒造りを

そんな田部竹下酒造だが、現在、同市内に約12億円を投じて、新しい蔵を建設中。2027年5月の移転を目指す。新蔵は温度や湿度を完全管理した四季醸造で、高水準で安定した品質の日本酒を年間を通じて供給することができる。2030年9月期までに現在の7倍強の16万1,100リットルまで増やす計画だ。
もちろん規模が変わっても、酒造りの姿勢は変わらない。将来的には、地元の水や米をより深く取り入れ、この土地の中で完結する酒造りも視野に入れている。
今の酒が、50年後も同じ形で求められるとは限らない。それでも、この場所で酒をつくり続けることが、次の世代へとつながっていく。
田部家から竹下家へ、そして再び田部家へ。受け渡されてきた酒造りの時間は、今も続いている。



