伝統を継ぎ、創造に挑む。ねぶた師・竹浪比呂央さん/青森県青森市

ねぶた師と呼ばれる大型ねぶたの制作者は、「青森ねぶた祭」の顔を作る職人だ。なかでも竹浪比呂央さんは、長年にわたり高い技術で青森ねぶた祭に貢献した制作者が認定される「ねぶた名人」の称号を与えられた、歴代7人の1人。数百年続く民族行事としてのねぶたの伝統を継承しつつ、ねぶたを造形作品として新たな境地に挑む表現者でもある。

目次

青森市が誇る、日本屈指の火祭り 

「青森ねぶた祭」は、青森県青森市で毎年8月2日から7日にかけて開催される夏祭り。20数台の大型ねぶたが、「ラッセラー」の掛け声とともに乱舞する跳人(はねと)、笛や太鼓を奏でる囃し(はやし)方とともに、街なかを練り歩く。開催期間中は、100万人を超える人出で賑わう。

眠流の民俗行事から一大祭典へ

今や日本を代表する巨大祭典だが、その起源は民族行事だ。南部地方を除く青森県内では、各地で独自の“ねぶた”または、“ねぷた”と呼ばれる祭りが行われており、地域によって呼び方や形が異なるがルーツは同じで、七夕の習俗から発展したものと考えられている。諸説あるが、農作業のさまたげとなる眠気を流す「眠り流し」の影響が見られ、「ねぷてー(津軽のことばで眠いの意味)を流す」からねぶた・ねぷたに転じたという説もある。

青森市のねぶたの記録としては、1730年(享保15年)に大浜(現在の青森市油川)でねぶたを出したという古文書が残っている。記録の上ではこれが「青森ねぶた」が記録に現れた最初とされているが、実際にはそれ以上前から、記録に残すまでもない年中行事として行われていたと推察されている。

「青森市を含む県内各地のねぶたは、町衆の思いだけで何百年も伝わってきた。非常に珍しく貴重な祭りだと思います」と竹浪さん。長い時間の中で、世情が変わりまちの形が変わっても、ねぶたは受け継がれ、成長してきた。その裏には、この土地の人々の熱い情熱があるに違いない。

近代では、町内ごとにねぶたが作られ運行されてきたが、観光化の流れにのりどんどん大型化していくと、地域ねぶたの伝統は残りながらも、祭りの中心は企業を母体とする「青森ねぶた祭」へと移行。ねぶた制作者についても、もとは手先が器用なねぶた好きが作っていたものが、大型ねぶたは制作技術を高めた専門の制作者=ねぶた師が作るようになった。

大型ねぶたの作り手「ねぶた師」

かつてねぶた・ねぷたは和紙と竹で作り、中にはロウソクを灯していた。人形型や扇形があり、青森ねぶたは主に人形型である。戦後に国道の道幅が広がったことで、現在の横広の形に変わっていき、その後材料も進化。現代は針金に和紙を貼り、照明にはLEDを使っている。

制作者である「ねぶた師」は、2025年現在で十数人おり、竹浪さんもそのひとり。竹浪さんは、祭りが終わる前から次の年の題材を考えるという。題材となるのは歌舞伎や歴史、伝説が主。母体の企業とテーマをすり合わせて、文献や資料を調査し、構想をまとめて原画を描く。この原画の作業が、「ねぶた師の仕事の中で最も重要」と竹浪さん。「同じ題材、同じ場面でも、制作者の個性によって表現が異なります。切り取った場面を絵にする感性、色彩のセンスが問われるんです」と話す。正月頃までには原画の鉛筆デッサンを完成させ、顔や手足などの細部をあらかじめ作っておく。5月になると、「ラッセランド」と呼ばれるねぶた小屋へ移動。角材の支柱をベースに骨組みを作り、照明を取り付け、和紙を貼り、顔や輪郭などを墨で書く「書き割り」へと進んでいく。書き割りもまた、非常に重要な作業で、特に表情が決まる面入れは「何度臨んでも緊張する」と言う。これが終わるとロウで模様を付けて、絵の具や染料を調合した染料を使いハケや筆、スプレーなどで彩色して完成だ。

すべての作業をねぶた師が一人で行うのではなく、大工作業や紙貼り、照明の取り付けは専門家やスタッフが行い、その際ねぶた師は現場監督の役目も果たす。そうしてさまざまな人の手によって完成したねぶたを台車に乗せる「台上げ」の瞬間は、格別の感動があるという。構想から制作まで、実に一年をかけて作り上げるねぶた。竹浪さんもそうだが、複数台を手掛ける人もおり、それだけの力量を求められるのがねぶた師である。

「ねぶたを作るために生まれてきた」。ねぶたに魅了された人生

竹浪さんは旧木造町(現つがる市)の出身。そこにも地域密着型の小さなねぶた祭りがあり、竹浪さんが生まれ育った町内会からも毎年出陣していたという。幼い頃、そのねぶたに魅せられた。「3歳の頃からだったと思います。あまりにもねぶた、ねぶたと騒ぐ子どもだったようで。そのうちに、青森の大きなねぶたを見に連れていってもらったんです。そしたらもう、取り憑かれてしまいましたね」。

19歳から千葉作龍さん(第五代名人)のねぶた小屋に通い始め、手伝うようになる。「たくさんの制作者がいらっしゃる中で、千葉先生のねぶたは、とてもお洒落で新鮮に見えました。それで、この方のお手伝いをしてみたいと。門戸を叩くと、受け入れてもらえたんです」。それからは制作に没頭する日々を送り、1989年、30歳で大型ねぶたデビューを果たす。以降は青森ねぶた祭で毎年制作を手掛けるほか、1996年にブタペスト、1998年に東京ドーム、2007年にロサンゼルスと遠征での出陣ねぶた制作にも関わるなど、業界の中心的な役割を担うようになっていった。2010年、通年活動するための「ねぶた研究所」を立ち上げる。2023年には、63歳で第七代ねぶた名人に認定された。

「子どもにとってのおもちゃのように大事だったものが、大人になってもずっと同じように大事なんですよね。3歳、4歳のときと価値観が変わっていないのかもしれません」と、顔をほころばせる竹浪さん。「今は、ねぶたを作るために生まれてきたのだと思っています」。

立体感と色彩が、ねぶたに命を宿らせる

竹浪さんは、戦いの場面はあまり好んで描かないという。「邪悪なものを払う、魔を払い除ける守護神のような、金剛力士、仁王像のようなものが多い」と言い、刀を持たせるにしても、武器としての意味合いよりは、魔を払い除けるために持たせることが多いそうだ。これは竹浪さんの個性であり、表現である。「毎年題材を決めるのが本当に大変」と竹浪さんが話す通り、青森ねぶた祭で制作されるねぶたは1年で約23台、10年だと約230台にもなるだけに、過去に作られたねぶたと同じテーマになることもあるし、場面が被ることもある。「創作の世界の中で、誰もが憧れの存在がいて、理想がある中で、自分のものをいかに出せるかが難しい」と胸の内を明かす。

そんな中で竹浪さんの「自分らしさ」は、ねぶたに奥行き感や立体感を生み出すことだという。「幅9メートル、奥行き7メートル、高さ5メートルの立方体の中に、登場人物の部位をいかに配置して収めるか。置き方一つで見え方がまったく変わってきますから、その部分に特にこだわっています」と話す。さらに、色の配置も重要とのこと。竹浪さんは、好きな赤色のような一つの原色を核として、そこからほかの色彩を散らしていくようなイメージで配置するという。祭り本番で、沿道の観客に遠くからゆらりゆらりとやってくるねぶたが力強く見えるように、色彩で力強さを表現するのだ。「それから、墨の線も存在感のある線を書くように意識します。色を塗るのはスタッフとの共同作業だったりしますが、墨の線だけは全部私が書きます。墨の線で特徴が出ますから」。迫り来るねぶたの勇壮さは、ねぶた師のこうした工夫と努力によって生み出されているといえる。

人に勝つより、自分に負けないこと

竹浪さんは、2025年の青森ねぶた祭において、青森菱友会の「海王(かいおう)」で、ねぶた大賞と最優秀制作者賞を受賞した。「海王」は、次の受賞ねぶたと入れ替わる2026年8月9日まで、「青森市文化観光交流施設 ねぶたの家ワ・ラッセ」で展示されている。

2025年は青森市が開港400年という記念すべき年だった。これをテーマに、海に育まれて発展してきた青森市の歴史を改めて考え、更なる繁栄への願いを込めて、海の守護神ポセイドンの勇姿をねぶたで和の世界観に表現。日本の武者に扮したポセイドンの周囲に、鯱(体が魚、頭が虎の想像上の生き物)や、体が魚の竜を配置。後部には青森の海にもいるイルカを置き、舞台が青森の海であることを纏わせた。「波の色と鯱の黄色系との対比で、色彩のインパクトを出しています。また、墨の部分は、ポセイドンの腕や肋骨を表現する線を、あえて強く、荒っぽく描きました」と竹浪さん。受賞時には、「ガツンと迫力のある、これぞねぶたというのを表現できた」とコメントしている。竹浪さんの個性が存分に発揮されての受賞だった。

大賞を受賞したねぶたは、ワ・ラッセの「ねぶたホール」の最も人目を引く特等席に据えられる。「海王」の前に立ち、竹浪さんは語った。「来年もまたこの場所に戻ってきたいと、来る度に気合いが入ります。毎年ねぶたを作っていて、毎回本当に悩みますけれども、でもその悩みが楽しみでもある。スポーツのように数字であきらかな結果が出るようなものではないので、人に勝つというより、自分に負けないという、そういう目標を掲げています。自分が作りたいと直感で思ったものを、絶対に妥協しないこと。誰に言うこともないですけれど、自分に負けないっていうのは大事にしています」。

未来を想って、ねぶたを新たな造形へ

竹浪さんがこの世界に入った時代、ねぶた師はまだ職業として確立されていなかった。制作に一年をかけても、それで食べていけるわけではなかったのだ。だが、ねぶたは成長を続け、世界に誇れるほどになった。竹浪さんのもとへも、移住してまでねぶたを作りたいという人がくる。「来てくれる方々は、これからのねぶたを支えていく人たち。ねぶたを未来に繋ぐためにも、そういう方々がねぶた師として食べていけるよう、職業として確立していかなければならない。ねぶたを祭りの道具としてだけでなく、造形作品としての価値を見出すことで、可能性を広げていけないか」。研究所を立ち上げたのは、そんな想いからだったという。

しかし、研究所の設立当初は、風当たりが強かったという。「ねぶたは芸術ではなくて、あくまで祭り」という声が多かったのだ。

それでも竹浪さんは、「紙と灯りの造形」 をコンセプトに、ねぶたの新たな可能性を追求し続けた。ねぶたの技法を使ったインテリア雑貨やアパレルなどのブランド「NEBUTA STYLE」を立ち上げたり、レストランやホテルに飾るオブジェを制作したり。これらを手掛ける造形作家としての側面も持たせることで、生計を立てられる仕組みを作っていった。その上、この新たなプロダクトはねぶたの魅力発信にも繋がる。思い描いた夢が少しずつ叶っていくと同時に、周りの意識も変わってきたと、竹浪さんは感じている。

竹浪さんのこれからの目標は、ねぶたを日本の文化、和紙の造形作品として、より広く世界に発信していくこと。「これまでに行ったアメリカやブタペストでは、ねぶたに灯りを入れるとどよめきが起こりました。みなさんすごく驚き、喜んでくださるんです。まだねぶたを知らない、ヨーロッパなど別の国にも持っていってみたいですね」。そう語る竹浪さんの眼差しはとても輝いていて、ねぶたに憧れ続けた少年の目が、今もそこにあるかのようだった。

ACCESS

竹浪比呂央ねぶた研究所
青森県青森市安方2-2-8
TEL 017-752-1616
  • URLをコピーしました!
目次