時代を超えて“祈り”の花火を世界に灯す「和火師 佐々木厳」/山梨県西八代郡市川三郷町

日本三大急流「富士川」が流れる山梨県南西部の市川三郷町(いちかわみさとちょう)では、古くから「手漉き和紙(てすきわし)」や「印章(ろくごうのいんしょう)」などの産業が発展してきた。花火師佐々木厳(ささきげん)さんが魅せられた「市川花火」もそのうちのひとつである。脈々と受け継がれる伝統技術が世界に新たな光を灯す、「和火(わび)」に込められた作り手の思いとは。

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花火の町、市川三郷町

市川三郷町の花火産業は、戦国時代に作られていた武田氏の軍事用「狼煙(のろし)」の技術が起源とされている。毎年8月に開催される県下最大規模の花火大会「神明の花火」では、地元の老舗花火会社が腕によりをかけて製造する約2万発もの打ち上げ花火が夜空を彩り、その圧巻の光景をひと目見ようと多くの観光客が訪れる。この花火の町で、古くから日本国内でのみ生産されていた「和火」を専門として活動をする佐々木さん。現在は明治維新後に輸入された化学薬品を用い、組み合わせによる炎色反応でカラフルな彩りを演出する「洋火(ようび)」が主流となっているが、「江戸時代から伝わる日本の伝統的な灯りに魅せられた」のだと話す。

日本の伝統花火「和火」

和火の原料は木炭・煙硝(えんしょう)・硫黄といった国内で取れる自然原料のみ。煌びやかな派手さこそはないが、赤やオレンジといった炭火本来の赤褐色(せきかっしょく)に繊細な濃淡が表れ、日本人の「粋」を感じられる風流な花火である。花火大会などにおいても、豪華絢爛な洋火の幕間に和火が打ち上げられることが多い中「私は和火が主役だと思っているので、和火の魅力を感じてもらえるものを作っていきたい」と佐々木さん。山梨の老舗花火会社にて6年間花火の打ち上げから製造までを学んでいたが、独立以降“和火師”という肩書を名乗り、現在は国内外で幅広い活動を展開している。

何のために花火を作り、打ち上げるのか

Photo:砺波周平

大学生の頃から日本の伝統的な職業に憧れを抱いていたという佐々木さん。『天国の本屋~恋火』という映画に出会い、天国の恋人に向けて花火を打ち上げる花火師の姿に魅了され、花火の世界を志すことになる。卒業後は全国の花火会社が打ち上げる花火の中でも、特に魅力的を感じた市川三郷町の老舗花火会社にコンタクトを取り、入社。出身地である埼玉県を離れ、洋火の製造から打ち上げまでの全工程を学ぶ。花火作りに打ち込んでいく中、日本三大花火大会の1つとして名高い秋田県の競技大会「大曲の花火」の2012年開催時に準優勝という成績を収めた。高い技術やアイデアを評価されたことに喜びを感じたのと同時に「自分は何のために花火を作り、打ち上げるのか」と自問し、花火師としての自身を顧みることになる。

花火師ではなく、“和火師”へ

自身の活動に葛藤が生まれるきっかけとなったのが、2011年に起こった東日本大震災だった。被災地の凄惨な実態を遠くから悼むことしかできず、花火師として何もできなかった無力さがずっと心に引っかかっていたと語る。「社会的に意義のある花火の打ち上げができないか」と、花火について再度学び直した。すると、古くから“慰霊”・“鎮魂”・“奉納”といった“祈り”の際に花火が打ち上げられたことが花火の原点であることを知る。例えば東京で夏の風物詩となっている「隅田川の花火大会」は1733年に開催された両国の川開きが発祥とされている。納涼期間の初日である川開きの日に、享保の大飢饉や疫病で亡くなった人々への慰霊と災厄除去を祈願して花火が打ち上げられたことが始まりだった。また、奉納花火には、神仏や祖先、大自然の恵みに敬意を捧げるという日本古来の風習が受け継がれている。和火にはそうした平和への祈りや感謝の心が込められていたのだ。「華やかでエンターテインメント性の高い洋火ではなく、日本人の精神が宿る和火を突き詰めたくなった」と佐々木さん。2014年に独立を果たし、いよいよ本格的に和火師としての活動を始めることになる。

「自己満足ではなく、誰かを喜ばせるために花火を打ち上げたいという思いが自分を突き動かす原動力でした」

和火ブランド「MARUYA」の設立

Photo:砺波周平

独立してまず取り組んだのは、和火を専門としたブランド「MARUYA」の立ち上げだった。線香花火などの「玩具」と呼ばれる手持ち花火から始まり、「庭園花火(ていえんはなび)」という小型の打ち上げ花火や、噴水花火、打ち上げ花火と、徐々に製造の幅を拡大。製造する花火の種類を問わずに様々な形で和火の表現に取り組んでいる。

「自ら自然に分け入り、原料となる炭や硫黄などの素材を手に入れるところから始まる」という佐々木さんの和火作り。炭火本来の色で表現する和火において、原料となる木材選びは最も重要な工程なのだそうだ。

“炭”が放つ和火の魅力

和火作りにおいて最も多く使われるのが松の木材。他に麻や桐など種類は様々であるが、例えば桐炭は赤みの強いオレンジ色といったように、木の性質によって火の粉の色合いが異なる。これには燃焼温度が関係しており、温度が低いほど赤みが強く、高いほど黄色みがかっていくそうだ。

また、炭の粒度によっても表現は変わる。打ち上げ花火では「星」と呼ばれる球状の火薬を形成する前に、一度炭をふるいにかけて粉状にする工程がある。これによって火の粉が噴き出る際の燃え具合に違いを作り出すことができるそうだ。粒が粗いものは火の粉がゆっくりと残り、細かい物はさっと消える。粉状にした炭と、硝酸カリウムや硫黄といった他の原料を組み合わせ配合比率を工夫することで色や火薬の燃焼に強弱を付け、繊細な色味を生み出していく。

緻密なバランス調整が求められる和火には、古くからの花火師たちの知恵や技術が詰まっており、古い配合帳を見ると、違いを見落としてしまうほど微妙な配合パターンが綿密に記されているのだそうだ。「赤褐色のみで表現する花火だからこそ奥深さがある」と佐々木さんはその魅力を語る。

祈りの火

Photo:砺波周平

和火製造以外に取り組んでいる活動として「inoribi」がある。慰霊や鎮魂の祈りを込めた花火である「祈り火」を意味し、自然災害や戦争に遭った地の慰霊や鎮魂、奉納を目的に各地を巡り、“祈り”をテーマとした和火のプログラムを展開している。初の献灯となったのは2020年7月のコロナ禍における「甲府空襲慰霊花火」で、「追悼慰霊」と新型コロナウイルス収束を祈る「邪気払い」をテーマに祈り火が打ち上げられた。「音と振動、灯りをじんわり感じ、祈りを捧げられるように」。鎮魂の和火は菊を模した「菊型」と呼ばれるもので、当日は10発の和火がゆっくりとした間合いで静寂と交互に打ち上げられた。沖縄や知覧での慰霊鎮魂花火、各地のお祭りでの奉納花火など、徐々に活動の場を広げていく中で、取り組みに賛同する現地の協力者も増えつつあるのだという。

和火の力を信じて

隣接する富士川町で工房を構え拠点としていたが、2022年、市川三郷町に念願の煙火工場が完成。それまでの8年間は苦労の連続だったと佐々木さんは当時を振り返る。洋火主流の業界で和火を専門に独立を決めた際、周囲からは需要を懸念する声も多く、同業者からは「和火だけじゃやっていけない」と言われることもしばしば。逆境の中で和火の基本となる線香花火から独自で研究を重ね、念願の打ち上げ花火の製造許可を取得するまでに至った時初めて「ようやくスタートラインに立てた」と感じたそう。

「和火は絶対に人を幸せにする力がある花火だという確信めいた気持ちがあった。自分を信じてひたすら突き進んでみようという強い信念がここまで導いてくれたたのかもしれません」

日本の精神を世界へ

Photo:砺波周平

佐々木さんは今後の展望として2つのテーマに則った活動を見据えている。まずは、「和火を通して日本の精神性・文化を伝えていく」ため、日本文化を味わい尽くせるようなイベントを開催し、その演出として和火を用いること。現在も教育機関や文化関連イベントでの講演、線香花火を作るワークショップなどを開催しているが、より規模を拡大したイベントを展開していきたいと意気込む。そしてもうひとつ欠かせないのが「inoribi」の活動だ。「今後は日本のみならず世界中を巡り、慰霊・鎮魂・平和を“祈る”花火を打ち上げていきたい」と思いの丈を口にした。

「道のりはそれほど長くはないかと思います。強く思いを持っていれば様々な人との出会いがあり、きっかけとなる。そこだけはぶれず進んでいきたいですね」

現代で灯し続ける伝統の花火

「炭火の濃淡、火の粉の強弱と残り具合。こういった表現を使ってひとつの世界観を作り出すことが自分の目指していきたいところです」
江戸時代から変わらない製法で、現代の夜空に灯る赤褐色の火。そこに秘められた祈りや歴史を知る人はどのくらいいるのだろうか。和火の担い手、文化の継承者として、「打ち上げ花火だけでなく、線香花火でも十分に和火の魅力を感じられます。その時や場所に合わせた和火の形で日本人の精神性を表現していきたいですね」と語る和火師、佐々木さん。その挑戦と揺るぎない信念が実を結ぶ日はそう遠くはないだろう。

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和火師 佐々木厳
山梨県西八代郡市川三郷町
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