金銀彩で文化の美しい心象風景を器に宿す高橋朋子さん/千葉県八街市

上澄(うわずみ)と呼ばれる厚みのある箔を白磁(はくじ)に焼き付ける、独自の金銀彩の技法を確立した高橋朋子さん。作品には常に、これまで触れてきた土着の文化へのリスペクトと、現地の人たちへ向けられたあたたかい眼差しが美しさとなって宿っている。

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金銀彩と白磁の調和を目指して

白磁の表面に施された上絵(うわえ)の上に、上澄と呼ばれる箔よりも厚みのある金や銀を貼り付けて焼き付ける「金銀彩」の技法で知られる陶芸家、高橋朋子さん。繊細な幾何学模様の加飾に浮かぶ金銀の輝きは、朧(おぼろ)さを宿した月明かりのようであり、どこかエキゾチシズムを感じさせる。

そんな器を作り続ける高橋さんの工房は、千葉県のほぼ中央、落花生の生産で有名な八街(やちまた)市にある。

多彩な上澄や金属箔を使い分ける 

ロクロ成形した白磁(白い素地に透明な釉薬をかけた磁器)の上に上絵具で色を加え、金や銀の上澄をのせていく、高橋さんの金銀彩。その技法のなかで最も特徴的なのが上澄という素材だろう。

上澄は箔として打ち伸ばす前の素材で、例えば金の上澄だと金箔の10~13倍ほどの厚みがある。金箔を使うと焼成時に焼けてなくなってしまうが、上澄であればその心配はない。だが、箔より厚みがあるといっても0.001ミリほどの薄さ。扱いが難しいことには変わりはない。その上澄を一枚一枚切り出し、糊付けして貼り付けていくという、気の遠くなるような作業が続く。

また、上澄にはさまざまなバリエーションがあり、それぞれ色調や鮮やかさに個性がある。そうした上澄の使い分けのほか、高橋さんは金銀以外の金属箔も作品に取り入れることもある。例えば銅箔は「釉薬との反応で黒くなったり、少しグリーンがかったりすることもあって面白い」という。技術の引き出しの豊富さが、多彩な作品を生む素地になっているのだ。

金銀と調和するぬくもりある白磁を焼く

上澄をのせ終えたら、上絵の焼成温度よりも低い700〜800度で焼き付けていく。

器の焼成はおおまかに、窯への酸素供給を制限する「還元焼成」と、酸素を送り込む「酸化焼成」の2パターンに分類されるが、高橋さんは試作を重ねた結果、「仕上がりのぬくもりのある白」に惹かれて酸化焼成を選んだ。「還元焼成だと硬質な質感、青みの強い白ができるんですが、白磁という器の雰囲気の中では、やわらかい色合いの方が金や銀の存在が馴染むと思っています」。そうした白磁と上澄の調和があってこそ、凛としつつも奥行きのある金や銀の輝きが生まれるのだ。

高橋さん独自の金銀彩が生まれるまで

端正な幾何学模様が並ぶ高橋さんの金彩や銀彩。「さまざまな土地の文化をこれまで目にしてきた中で、具象的なものよりも抽象的な表現で宗教的な思いや信仰を伝える幾何学模様のようなものに、私は神秘的なものや幸せを感じるんです」。そう語る高橋さんの、今に至るものづくりの背景を辿ってみたい。

土着文化の中に箔の美しさを見出す

高橋さんが本格的に陶芸に関わるようになったのは、沖縄県立芸術大学に入学してから。大学で土を掘り出すところから始める土器づくりの授業があり、「原初的な焼き物の流れを体験できた」ことから、陶芸への興味が強くなったと振り返る。

もともと、陶芸に興味があったというよりは「沖縄という文化自体に興味があった」ことが、高橋さんにとって沖縄に向かう動機だった。こうした土着の文化に向ける眼差しこそが、現在に至るまで高橋さんの作風に影響を与えているのだが、特に大きな転機になったのが、大学生時代に訪ねたミャンマーであった。

とある寺院に安置されていた仏像に、現地の人たちが次々とあるものを貼り付け、祈りを捧げていた。その貼り付けていたものこそが箔だった。「経済的には決して豊かではないだろう方たちが、その箔をわざわざ買って祈っている。その人々の姿にとても感動してしまったんです。箔がきれいだなとかそういうことではなくて、その光景が美しくて無性に箔に惹かれてしまって。当時、千円もしない小さな金箔をひと束、大切に持ち帰りました」。

北出不二雄さんとの出会い

そんな高橋さんの大学生時代にもうひとつ、大きな出会いがあった。それが沖縄県立芸大に非常勤で来校した北出不二雄先生。その当時、金沢美術工芸大学学長を務めていた人物である。

北出先生との出会いは、上絵の基礎を学ぶだけでなく、九谷焼技術研究所の職員を紹介してもらって釉裏金彩の原理や上澄(厚箔)を購入できる箔屋を教えてもらうなど、現在の仕事につながる多くのきっかけを生んだ。ミャンマーで描かれた大切な心象風景と、「箔」という技術が一本につながった瞬間だった。

自らが信じた道を進んでいく

2001年より親戚の縁があった八街市に工房を構え、小学校教員として勤めながら釉裏金彩に挑み続けた高橋さん。個展を開いたり公募展に応募するなどしていたが「すでに大家の方たちがいらっしゃる中、この道で何かを極めることは無理だな思ってしまった」と、スランプに陥ってしまう。

やがて「箔にかける釉薬をなくして、前面に顕(あらわ)れる金や銀、そして白磁自体の美しさで勝負していこう」と、少しずつ独自のやり方へと気持ちが移り変わっていく。そして東日本大震災をきっかけに、ゆるやかだった気持ちの切り替わりは「これからは本当に自分がやりたいことをやろう」と確固たる決意へと変わり、勤めていた仕事をすべて辞めて陶芸一本に絞った。

「そこから5年くらいはクラフトフェアの出店でも手売りでも、もうなんでもやって必死でした」と振り返る高橋さん。独自の金銀彩の技術にほぼ独学で向き合い続けた結果、徐々に日本伝統工芸展で入選を重ねるようになり、第8回菊池ビエンナーレ奨励賞受賞をはじめ、現代茶陶展TOKI織部優秀賞を複数回受賞するなど、活躍の場が広がっていく。作品の一部は東京国立近代美術館や茨城県陶芸美術館のパブリックコレクションになったほか、2024年には第2回「日本工芸会会員賞 飛鳥クルーズ賞」も受賞している。

「何も期待せずただ追い込むように制作していた中で、不意に天から流れ星のように降ってきた出来事でした。ほんとうに大きな励みになっております」と高橋さん。次の日本伝統工芸展に向けては「私がお世話になっている箔屋さんでは、10種類ほどの金上澄を扱っていらっしゃいますけれども、それぞれに彩度や表情の繊細さが違っていたりと、その個性が面白いんです。そうした素材ごとに表現の可能性が無限にあると思っていますので、チャレンジを続けて行きたいですね」。今後、器にどんな美しい世界観を宿してくれるのか、ますます楽しみである

ACCESS

高橋朋子
千葉県八街市
TEL 043-440-3434
URL https://www.tomoko-takahashi.com/
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