織物の街から世界のファッションを支える、株式会社笠盛の新たな挑戦/群馬県桐生市

古くから織物の街として栄えてきた群馬県桐生市(きりゅうし)に、1877年創業の老舗刺繍工房、株式会社笠盛がある。⾼品質な織物と繊維製品を製造する歴史ある街で、笠盛は世界のファッションデザイナーを刺繍で⽀える⼀⽅、⾃社ブランド「OOO(トリプル・オゥ)」をはじめとする、新しいチャレンジを続けている。

目次

熟練の職人とテクノロジーの融合から生み出されるオリジナル製品

群馬県の南東部に位置し、栃木県との県境にある桐生市は、「⻄の⻄陣、東の桐⽣」と称され、奈良時代から織物の町として繁栄してきた歴史がある。

伝統工芸品の桐生織を主な産業とする機業都市で、帯を織る機屋(はたや)として創業した株式会社笠盛。時代の変遷とともに、1962年にジャカード刺繍機を導入し、織物業から刺繍業へと転身した。織物業で培った熟練の職人技と、レーザーカットなどを用いた刺繍機のテクノロジーが融合したことで生み出される高い技術力をベースに、数々の高品質な製品を生産してきた。

そこには⽼舗特有の守りの姿勢ではなく、未来を見据えてチャレンジを続ける、四代⽬会⻑ 笠原康利(かさはらやすとし)さんの覚悟があった。

和装から洋装へ、時代の変遷に合わせて事業を転換

和装から洋装へ、時代の変遷とともに笠盛の事業も転換を余儀なくされていった。

「帯は仕入れが大きく、糸を買って、その糸を売っているようなもの。一方、刺繍は仕入れがわずかでも、技術力で勝負できる。売上は少なくても利益が残ると、当時、父が言っていました」と、ジャカード刺繍機を導入し刺繍業に転身した背景を、笠原さんが教えてくれた。

刺繍業を始めた当初は靴下のワンポイント刺繍を、次第に和装や洋装も手掛けていくようになった。少しずつだが確実にオリジナルの刺繍技術を確立していき、2006年には独自技術であるチェーン刺繍の「カサモリレース」を開発した。

その後、東京やパリの展示会に出展したところ、その高い技術を利用した服飾付属品や刺繍加工品に注目が集まり、国内外のデザイナーやアパレルメーカーから問い合わせが来るようになったという。

世界のファッションデザイナーを陰で支える刺繍

笠盛が刺繍業に転身した1960年代以降、時を同じくして日本人ファッションデザイナーがパリで活躍し始めた。

「三宅一生さんや高田賢三さん、山本耀司さんや川久保玲さんなど、そうそうたる人たちがパリでコレクションを開き、日本のファッション業界を引っ張っていました。当時、私たちは大量生産の仕事をする傍ら、三宅一生さんや川久保玲さんなど、世界的に注目されているファッションデザイナーの方々と仕事をすることになりました」

精密な機械刺繍でありながら、ハンドメイドの温もりがある笠盛の刺繍は、国内外のデザイナーやアパレルメーカーから注目され、さまざまな課題を技術で解決し、高品質な服飾付属品や刺繍加工品として重宝された。

こうして育まれた信頼は揺らぐことなく、現在も人気ブランドとの取引を行なっている。

口癖は「刺繍で困ったら連絡してくれ」

「当時、コレクションをはじめ、高度な技術を求めているデザイナーに『刺繍で困ったら連絡してくれ』といつも言っていました」と笠原さん。すると難しいものを作ろうという時には、相談が来るようになった。

「テキスタイルデザイナーの須藤玲子さんからも、他でできない技術があると、うちに話が来るようになり、納品したらイメージ通りだと、大変喜んでいただきました」

さまざまな技法で高い機械刺繍の技術を持つ笠盛。最大の強みとなっている技術力の裏には、織物で培った縦と横の糸の運びに、刺繍独自の斜めの変化が加わることで糸の運びの自由度が変わり、仕事の可能性が広がったことにある。

刺繍デザインに対する糸の向きや縫い方など、糸の運びによって変わる刺繍の表現を、誰よりも楽しみ面白がっているのが笠原さんだ。

自分で値段がつけられる、自社ブランドの立ち上げ

パリの展示会に積極的に出展していた頃、本社まで行って話をした世界的ブランドとの商談が印象に残っているという笠原さん。

「ハイブランドは利益を大きくするためにわざわざ高い値段をつけて、たくさんのプロモーションをやりながら、ブランド自体の価値を上げているんだと言っていました」

この話を聞いて笠原さんは、自分で作ったものに自分で値段をつけていかないと、将来、生きていけなくなるのではないかと思い、自社ブランドを持つことを考え始めたという。

長い時間、試行錯誤を繰り返しながら、2008年に本格的に自社ブランドを作ろうと決意する。そして2010年、念願の⾃社ブランド「OOO」を立ち上げる。

「布から解放された刺繍」という、新しい概念

現在「OOO」のブランドマネージャーである⽚倉洋⼀(かたくらよういち)さんは、2005年に株式会社笠盛に入社後、笠原さんから自社ブランド設立のミッションを託される。

「刺繍を通して、作り手も買い手もワクワクするような、刺繍の新しい価値を作りたいと言われ、正直戸惑いました。何から始めればいいのかわからず、とにかく自分たちの強みを見つけようと、他社と差別化できるものを探すところから始めました」

笠盛には元々、国内のファッションブランドのOEMでアクセサリーを作っていた経験があった。難しい刺繍をこなす技術力とアクセサリーを結びつけることで、自分たちの強みが出せるのではないかと、片倉さんは考えた。

そして「布から解放された刺繍」というイメージが湧き、さまざまなプロダクトを作りながらお客様の反応が良かった、糸で作るアクセサリーに落ち着いていった。

特許取得の球体状アクセサリー

日々の装いに「糸のアクセサリ」という、まったく新しい選択肢を作るために、「糸だけでここまでできるのか」と思わせるようなものを目指した片倉さん。

「糸で作るのに、糸とは思えないものを作りたいと思いました。いい意味で裏切るというか、糸ならではのチープさをなくすために、必要な糸が売っていなければ自分たちで糸から作り、地域の職人さんを巻き込みながら技術開発をしていきました」

何を作りたいのかを先に決めて、必要なものがなければ作るところからチャレンジする。これは既成概念にとらわれず、自由な発想でアクセサリー作りを行う「OOO」が掲げる3つのこだわり「発想・素材・技術」そのものでもある。

糸だけで本物のジュエリーにより近づけるため、緻密なプログラミングと職人の手仕事の融合で完成した「立体刺繍」。この糸だけで球体を作る技術は「OOO」の特許であり、大きな強みとなっている。

「できない」を「できる」にする技術力

チェーン刺繍用のミシンで水に溶ける不織布に刺繍をし、お湯で不織布を洗い流して糸だけを残す「カサモリレース」は、何度も挑戦を繰り返して辿り着いた技術である。図案に合わせてプログラミングしたミシンを、その日の温度や湿度まで考慮して調整できる、職人の経験と感覚があって初めて、オリジナルのものづくりとなる。

片倉さんは「OOO」で、シルクの糸だけで真珠のネックレスのようなアクセサリーを作ろうと思った時、「絶対できない」と何度も言われたという。それでも「できない」をどう作るかを考え続け、「OOO」にしかできない特許製法を生み出した。そこには、刺繍業に転身し技術で利益を高めるために「できない」を「できる」に変えてきた、笠盛の経験がある。

伝統を守るだけでなく、新たな価値を創り出す挑戦こそが未来を拓く。笠原さんの思い描く、地域の職人と共創しワクワクするものづくりを原動力に、これからも笠盛の刺繍は革新を重ね、「OOO」のような魅力あるオリジナルのものづくりを、地域を挙げて発信していく。

ACCESS

株式会社笠盛
群⾺県桐⽣市三吉町1-2-3(本社/⼯場)
TEL 0277-44-3358
URL http://www.kasamori.co.jp
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