甘くて柔らかく、程よい大きさが魅力のミディトマト。なかでも、酸味とコクのバランスが素晴らしいと県内外のシェフを惹きつけて止まないのが鳥取県八頭町の井尻農園だ。地元の竹を使用するバイケミ農法や、農薬の使用を控える土づくりで、健康的なトマト作りを実践してきた。
フルーツの里・鳥取県八頭町の高糖度トマト
鳥取県の東南部に位置する八頭町(やずちょう)。山々に囲まれ、花御所柿や二十世紀梨など、古くから果樹栽培が有名で「フルーツの里」として名を馳せてきた。町の中心には八東川(はっとうがわ)が流れ、田園風景と柿の木が立ち並ぶ光景が美しい。
そんな自然豊かな八頭町に、県内外のシェフが視察に訪れるほど評判になっている高糖度のミディトマトを育てる農家がいる。井尻農園の井尻弘明さんだ。
大玉トマトよりも甘く柔らかいミディトマト
井尻さんが育てているのは、ミニトマトと大玉トマトをかけ合わせて作られた「ミディトマト(中玉トマト)」。ミニトマトは10〜30g、大玉トマトは100g以上が目安と言われる中、ミディトマトは30〜60gでゴルフボールくらいの大きさだ。従来のミニトマトよりも食べごたえがあり、大玉トマトよりも食べやすいため、近年人気を集めている。
また、大玉トマトの糖度が3〜5度程度に対し、ミディトマトの糖度は平均7〜8度と言われており、その甘さも特徴のひとつ。なかには、糖度が9度以上のフルーツトマトに適している品種もあり、栽培者も増加傾向にあるようだ。
製造業から農家へ転身した井尻さん
もともとは製造業の会社に勤めていたという井尻さん。リーマンショックの際に県内の製造業界の先行きに不安を覚え、かねてより興味があった農家への転身を考えた。ちょうどそのとき、県が農業従事者を育成する「農業農村担い手育成機構」の「アグリスタート研修」という事業に出会った。井尻さんはその事業に参加し、果樹や米、野菜農家などを複数見て回ったなかで、「トマトを作りたい」と感じ、県内の代表的なトマト、キュウリなどのハウス農家のもとで約2年間修業。研修期間が終わった後、町営のガラス温室ハウスを借り、トマト農家としての一歩を踏み出した。
八頭町の土地に合った栽培方法を研究
八頭町では果樹や米、白ネギなどの栽培が一般的で、施設トマト農家は非常に少なかった。そのため就農後も、鳥取県の中部でトマト栽培をしている農家や有名なトマト農家を訪ね、知識と技術を身に付けながら、八頭町に合った栽培方法やトマトの育て方を研究。視察させていただいた農家が実施している方法も貪欲に取り入れた。その結果、酸味やえぐみを抑え、甘くてフルーティーなトマトにするため、井尻さんは減農薬に挑戦することを決めた。
通常、同じ作物を同じ土地で栽培し続けると、土壌の成分が偏り、生育不良などにつながる「連作障害」が起きる。専業農家の場合は土壌消毒剤を使用して土壌のバランスを整えることが多いが、井尻さんは「土壌還元消毒」を採用。土壌還元消毒は、米ぬかやふすま(小麦の糠)などを撒き、水を入れて土をビニールシートで被うことで温度を上げ、土壌の成分を整える方法だ。エコファーマーも取得し、トマト栽培期間中の防除についても減農薬を実践している。
また、食味や糖度アップ、日持ちのよさにつながると聞き、鶏糞や牛糞などの肥料を使用せず、ミネラルが豊富に含まれている海藻やカニの殻などの肥料を活用。日本海が近い鳥取だからこそできる、まさに土地に合った栽培方法だ。
地元の竹を使った土壌づくり
減農薬とあわせて井尻さんが取り組んでいるのが、自然由来の有機物を用いて、安心・安全な食物を育てる「バイケミ農法」。従来の里山などでは、落ち葉や枯れ草などが分解されて栄養豊富な土壌ができていたように、バイケミ農法では自然由来のエネルギーや有機物を取り入れることで、農薬をなるべく使わずに豊かな土づくりを目指す。
近年は、成長速度が速い竹の性質を逆手にとり、生の竹を粉砕した竹パウダーを活用する市町村が増えている。八頭町でも、竹林の管理を行いながら環境にやさしい農業が実践できるとして、バイケミ農法を推奨。井尻さんも竹パウダーを畑に撒いており、そのおかげで良質な菌が増え、減農薬にもつながっているという。
また、高糖度の大玉トマトを栽培する際は与える水分を減らし、トマトの成長を抑えて甘くする方法があるが、その場合は皮が固めになってしまう。
しかし、ミディトマトはもともと中玉の大きさまでにしか育たないため、水分を減少させたりストレスをかけたりしなくとも甘くなる。「減農薬とこだわり有機肥料、バイケミ農法などを組み合わせたことで、健康的に育てることができ、より食味も糖度も高まってきたのではないか」と井尻さんは言う。
シェフから引っ張りだこのトマトに
さまざまな農法を取り入れた井尻さんのミディトマトは、「酸味とコクのバランスと、甘みとのバランスがいい」「甘いトマトは固いことが多いが、井尻さんのトマトは柔らかくて美味しい」と、次第にシェフの目に留まるようになっていった。
そのなかでもターニングポイントとなったのは、兵庫県神戸市でフランス料理店「アントル ヌー」を営む高山英紀シェフとの出会い。“料理のオリンピック”として知られる「ボキューズ・ドール国際料理コンクール」に2度出場し、アジアパシフィック大会においてはアジア人で唯一2度の優勝を収めた、日本を代表するフレンチシェフだ。
県の依頼もあり、井尻農園に高山シェフが視察に訪れた際、井尻さんのミディトマトの美味しさを高く評価し、自身の店で使ってくれることになった。そこから多くのシェフや小売店へと広まり、販路拡大の一助となったのだ。
その後、2018年には鳥取県出身のシェフが地元食材でおもてなしをするイベント「DINING OUT TOTTORI – YAZU with LEXUS(ダイニングアウト鳥取八頭)」にも井尻さんのトマトが選ばれた。県内外のさまざまな飲食店での取り扱いも徐々に増えていて、その知名度はさらに広まっている。
これまでにないブランドを
また、こだわりのミディトマトを差別化するため、ブランド名やパッケージも一新した。地元にある「実取(みどり)神社」に祀られている、地域では農業の神様「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」から名前をもらい、「花咲姫(はなさくひめ)」とブランド名を変更。花咲姫のイメージキャラクターも作成し、野菜としては珍しいパッケージングになった。
今後はより幅広い層へのアプローチも考えているそうだ。
誰が食べても美味しいトマトを届けたい
その年の気候や日当たりによっても、ミディトマトの味は大きく変わる。多くのシェフから人気の井尻農園だが、天候と水の管理のバランスが今後の課題だという。
「シェフからは、あの年のあの時期のトマトが一番良かった、と言われることもある。農業の技術も日々進んでいるので、新しい農法や肥料、機械などを意欲的に取り入れて、誰が食べても美味しいと言ってもらえるトマトを安定してお届けできるようにしていきたいです」。
現在は注文に対応しきれていない部分もあるため、今後は人材も確保して、より多くのミディトマトを届けていきたいという井尻さん。こだわりのミディトマト「花咲姫」はこれからも多くの人を魅了していくだろう。