布に描かれる、桜、芍薬(しゃくやく)、睡蓮などの美しい花々。繊細な線とグラデーションによって表現されるそれらはどこか妖しい魅力を放ち、見る人の心に何かを訴えかける。新たな可能性を追求する一人の染色作家が描き出す「ろうけつ染め」の魅力と未来とは。
ろうけつ染めを今に伝える染色作家
山梨県甲州市、山々に囲まれた自然豊かな地にアトリエを構え、「ろうけつ染め」という技法で四季折々の花々を描き出す染色作家の古屋絵菜(ふるやえな)さん。2013年1月6日から12月15日まで放送された、福島県会津に生まれ同志社大学を創設した新島(にいじま じょう)の妻、新島八重(にいじまやえ)の生涯を描いたNHK大河ドラマ「八重の桜」のオープニングタイトルバックに作品が用いられたことで一躍脚光を浴び、近年では企業や店舗とのタイアップ企画や各地での個展を開催するなど精力的に活動を行っている。そんな古屋さんのルーツには、同じくろうけつ染め作家として活動していた母からの強い影響があった。
母のアートに触れて
小学校高学年頃までは「どの家でも親は絵を描いているもの」だと勘違いするほどに、絵を描くという行為がとても日常的だった。子育てと並行して毎年2回の展覧会への出品、染色作家として活動する母を見て育った古屋さんは、その後を追いかけるように美術大学への進学と作家の道へ憧れを抱くようになる。
高校卒業後は武蔵野美術大学工芸工業デザイン科に進学し、主にテキスタイルを学ぶ。卒業が迫った際には、会社組織で働くサラリーマンの道は一切頭になかったそうだ。「若さゆえの浅はかな考えだったと思います」。卒業後は大学院に進み、研究員として勤務しながら美術に対する理解を深め続けていった。こうした過程で様々な美術作品に触れるも、最後に選択したのは母と同じ染色作家だった。
「日本画に傾倒していた時期もありますし、作家として様々な道があることも学んだ期間でしたが、染色作家の道を目指すことに迷いはありませんでした」
しかし、その道は平坦なものではなく、活動を始めた当初は中々作品が陽の目を浴びず「自分が作品を作り続ける意味」に悩んだこともあったそうだ。そんな中、大きな転機となったのが2013年。大学院を卒業の際、大河ドラマ「八重の桜」のタイトルバックに使用する作品の制作依頼を受けることになる。全長8mと、これまでにない大作の制作に挑み、放送が始まると各所から大きな反響を呼んだ。
「自分の名前をクレジットの中に見つけた時、作品を作り続けてきて本当に良かったと心から思いました」
ろうけつ染めという技法
「ろうけつ染め」は、布に熱く溶かした蝋(ろう)を筆で塗り、乾いた段階で染料を筆、刷毛を使って染め、最後に蝋を洗い流すことで模様を表現する防染技法で、「塗る・染める」の工程を繰り返し、洗い定着させる。筆のかすれやひびによっても独特の風合いが表れ、繰り返し蝋を重ねていくことで繊細な色合いや奥行きが表現される。一度染めると染料が乾くまで待つ必要があり、小規模な作品であっても制作にかかる期間は数週間を要する。
古屋さんは「染め」にこだわり、布を染料に浸すのではなく、筆と刷毛を用いて描くように色を付けている。白い布の色をそのまま生かす場合もあれば、色を染め、残しておきたい染めの上にろうを置き、薄い色から濃い色へとどんどん染め重ねていくことで、独特のグラデーションや陰影を表現する場合もある。ただでさえ時間のかかるろうけつ染めの工程において、「ここまで細かく手間をかけているろうけつ作家は少ないと思う」と笑う古屋さん。大変だと思う時もあるが、手間をかけるからこそ表現できる幅が広がるのだと、自身の技法へのこだわりを話す。
「幼い頃から絵を描くのが好きで、染色の中でもろうけつ染めはその作業にとても近い。自分にとってはそれが凄く魅力的なんです」
蝋へのこだわり
古屋さんが制作に用いているのは、ロウソクやクレヨン等で身近に使用されているパラフィンワックスと、融点が高く強度と柔軟性を持ったマイクロワックス。ひびを入れたい場合はパラフィン単一で、また模様を描く場合は配合させるなど、生地との相性や気温・湿度等に合わせ、目的に応じて主に2種類のワックスを使い分けている。
日本におけるろうけつ染めの歴史は古く、奈良時代よりミツバチの巣からとれる「蜜蝋(みつろう)」が用いられていた。しかし894年に輸出入の要であった遣唐使が廃止されると、蜜蝋の入手は困難になり、石油原料が輸入されるようになる大正初期まで「高価な染色」としてその文化が途絶えてしまっていたそうだ。
「ろうけつ染めの業界も徐々に進歩しているんです」。ルーツにこだわり蜜蝋を使っていた時期もあったそうだが、より良い作品作りのため新たな化学原料も使用しながら、さらに自分らしい表現を模索している。
工芸とアートを行き来する
ろうけつ染めの発祥には諸説あるが、中国の北西部、新疆(しんきょう)ウイグル自治区のニヤ遺跡からろうけつ染めの綿布が発見されていることから、2~3世紀頃には既にその技法が存在していたとされている。大河ドラマの放送で大きな反響を受けていた頃、自分が作っている物の歴史背景に興味を持った古屋さんは1年間中国の上海に渡った。アート市場が大きい上海のリアルを目の当たりにしつつ、内陸の少数民族が昔から受け継いでいる太古のろうけつ染めを学びに行くなど、充実した1年間を過ごす。
「部族によって柄が違っていたりと民族性が顕著に表れている。それらの扱いはアートという感じではなく、“工芸品”や“お土産品”に近い存在に感じられました」。作り手が希少な日本と比べ、太古から脈々と技術が伝わる本場のろうけつ染めを肌で感じ、改めて文化としての厚みを強く実感したそうだ。
日本におけるろうけつ染めの歴史を発信・継承しながら、アートとしての新しい可能性を探っていく。「工芸とアート、その間の部分に私は居たいんです」、そう話す古屋さんの目はこれからのろうけつ染めを見据えていた。
ろうけつ染めを繋ぐ「新しい継承の形」
ろうけつ染めのような染織技法は主に着物などの実用品に多く用いられていたもので、着物が日常的に着られなくなった現在、国内の作家は数える程にまで減ってしまっていると言う。古屋さんはそんな現状に歯止めをかけるべく、山梨の和菓子店「和乃菓(わのか)」の菓子箱デザインや、アイスブランド「ハーゲンダッツ」のアートパッケージ、トヨタ自動車が展開するブランド「LEXUS」主催のクラフトプロジェクト「LEXUS NEW TAKUMI PROJECT」への参画、海外での個展開催など、多岐に渡ったアプローチでその魅力を世界に発信している。こうした活動によって、若年層など今までろうけつ染めを知らなかった層にも日本の伝統技術を普及させている。
「これからも一生作品作りを続ける事が目標です。できるだけ長く続けられるような環境に身を置き、自分の作品を追求していきたいですね」
工芸としての歴史を重んじつつも、柔軟に新しいエッセンスを盛り込みながらアートへと昇華させる。ろうけつ染めに囚われず国内でも多くの伝統工芸や貴重な文化の存続に課題がある中、古屋さんの活動が「新しい継承の形」として未来への布石となるのかもしれない。