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悠久の流れと共にある「鵜飼」。
岐阜県を流れる清流、長良川。夏の夜には、かがり火を焚いた舟が浮かぶ。
腰にみのを巻いた鵜匠たちが、「ほうほう」という声をかけながら、鵜を操って鮎を獲る。岐阜の夏の風物詩、鵜飼の光景だ。
鵜飼の歴史は古い。702年の各務郡(かがみごおり)中里の戸籍にはすでに「鵜養部都売(うかいべめづらめ)」という記載があることから、1300年以上前から存在したのではないかといわれている。
岐阜は海のない県なので、川で獲る鮎はタンパク源として重宝されたのだろう。
人々を魅了し続ける。
この伝統漁法は、権力者たちに庇護され、受け継がれてきた。
織田信長は武田信玄の使者を接待するときに鵜飼を見せ、徳川家康はたびたび岐阜を訪れては鵜飼を見物し、岐阜でつくらせた鮎鮨を江戸まで運ばせたという。芭蕉も鵜飼の姿を読んだ句を残している。
江戸時代中期から明治にかけ、鵜匠の数が減ったこともあったが、宮内省や岐阜市などの保護政策で、鵜飼は保全され継承されてきた。大正期にはイギリス皇太子が訪れるなど、国内外の重要人物が多く観覧したという。
なかでも有名なのが名優チャップリン。
戦後、チャップリンは岐阜を訪れ鵜飼を見物し、人目もはばからす「すばらしい!」と感嘆の声をあげたそうだ。
夜、真っ暗な川面に浮かぶ、いくつものかがり火。聞こえるのは長良川のせせらぎと鵜飼の「ほうほう」という声。何とも心静まる風景だ。