太平洋戦争により焼失し、復元作業が進む
首里王府として華麗な王朝文化を伝える首里城。14世紀末に建てられたと推定されているが、太平洋戦争によりその多くを焼失した。1980年代後半から本格的な復元が行なわれ、現在も復元と修復の作業が行なわれている。「近くに日本軍の司令部があったため、残っているものはない。資料を分析することによって復元している」と沖縄美ら島財団 首里城公園管理部学芸員の幸喜淳さんが話してくれた。中田が訪れたこの日も、首里城内郭の廣福門の修復作業が進んでいた。廣福門は別名「長御門」と呼ばれ、建物そのものが門の機能を持っている。外側は当時のままに天然の材料を使って塗り直しているそうだ。
太陽に映える朱の鮮やかさ
現存しているものについては、「湧水が溢れる龍樋(りゅうひ)の龍の彫刻は、1523年に中国からもたらされたもので約500年前のもの。戦争で割れたが、ほぼオリジナルのままだ」と幸喜さんは教えてくれた。「歴史の話も聞いたことがなくて勉強になった」と中田。次いで扁額という建物の門や取り位などの高い位置に掲げる額の復元作業を見せてもらう。沖縄の漆の作家が集まって10年の長い時間を費やしたプロジェクトだ。漆塗りの色みは本土とは少し違い、沖縄の人たちは明るい太陽の光に負けない原色に近い色の中に美を見出してきた。「確かに天候の影響は大きいのかもしれない」と中田は頷いた。
奉神門から首里城正殿へ
奉神門から正殿へ向かう。奉神門は数年前に古写真が見つかり、門の前に2体の石獅子が配置されていたことが判明。今はその通りに石獅子が置かれている。中に入ると、朱が引かれた中庭の御庭(うなー)と圧倒的な迫力の正殿に迎えられる。御庭では年中行事も盛んに行われ、身分の高い順に並んだといい、そのために線が引かれているとのこと。正殿を前にし、「その土地の文化が凝縮しているのがお城というものかもしれない」と中田は話した。