主力銘柄「タクシードライバー」をはじめ、個性的な日本酒を多く手がける岩手県北上市の喜久盛(きくざかり)酒造。蔵元の藤村卓也さんは、30歳のときに五代目に就任。東日本大震災の苦難を乗り越えながら、岩手県で初めて「全量純米酒蔵」に舵を切リ、岩手県産の米のみを使うなど、その一つひとつの選択が、現在の喜久盛酒造の個性をかたちづくっている。
造り酒屋の五代目として生まれ、30歳で社長に

岩手県の中央部に位置し、北上川と和賀川が合流する肥沃な盆地に田園地帯が広がる北上市。その北端に蔵を構える「喜久盛酒造株式会社」は、1894年に藤村酒造店として創業。戦時統制下による酒造会社の統廃合を経て、1951年、現在の社名となり、以来、「喜久盛」「鬼剣舞(おにけんばい)」などの銘柄で、地元に根ざした酒を造り続けてきた。
「三代目だった祖父の時代が最盛期で、1970年代には年間およそ4000石(一升瓶40万本分)のお酒を生産していました。地元消費が9割以上だったこともあり、日常づかいの普通酒をメインに造っていたようです。祖父は地元の観光協会の会長もやっていたので、この地域の伝統芸能である『鬼剣舞』『鹿(しし)踊り』や、ご当地ソングの『北上夜曲』など、地元にちなんだ銘柄のお酒をいろいろ造っていましたね。同じ敷地に醤油の醸造蔵もあり、たくさんの人が働いていて賑やかでした」
そう振り返るのは、喜久盛酒造の五代目・藤村卓也さんだ。明治中期の創業以来、藤村家によって代々守られてきたこの蔵を、物心ついた頃から「いずれは自分が継ぐ」と意識していたと話す藤村さん。「それまでは好きなことをしたい」と、高校卒業後は地元を離れ、専門学校を経て東京のゲーム制作会社でゲームデザイナーとして働いていたが、四代目である父が病に倒れたことをきっかけに帰郷。その3年後、父の逝去に伴い喜久盛酒造の社長に就任した。2003年2月、30歳のときだった。
「焼き鳥屋のおやじに好まれる酒を造れ」
藤村さんが蔵を継いだとき、世の中は本格焼酎ブーム。一方、日本酒の消費量は1974年をピークに右肩下がりで減り続けていた。喜久盛酒造もその影響を受けており「私が社長になった時点で、生産量は500石まで減っていました」と振り返る。かつての活気を失ったこの蔵を、どうしたら守っていけるのか。模索する藤村さんの道しるべとなったのが「鑑評会の先生に評価される酒よりも、焼き鳥屋のおやじに好まれる酒を造れ」という、祖父の言葉だった。
「祖父が蔵を切り盛りしていた頃、従業員によく言っていた言葉だそうです。祖父が考える『良い酒』とは、飲み屋さんで親しまれるような、いわゆる食中酒。なので私もそれを踏襲しつつ、自分なりの解釈で良い酒を造ろう、と思いました」
そのためにまず取り組んだのが、酒造りのあり方を見直すことだった。当時、喜久盛酒造では、水で薄めた醸造アルコールなどでカサ増しする「三倍増醸酒(さんばいぞうじょうしゅ)※」も造っていたが、藤村さんは社長に就任してすぐにその製造をやめ、米・米麹・水のみを原料とする「純米酒」中心の酒造りに切り替えた。
「値段で勝負するのではなく、自分がいいと思うお酒を届けたい」。そんな想いから、藤村さんは「自分の価値観や好みを反映した、新しい銘柄を造ろう」と考えるようになった。
※戦後の米不足に対応するため、少ない米で多くの酒を造る目的で導入された製法。2006年の酒税法改正により、現在ではこのような製法は事実上不可能になった。
さまざまなカルチャーを”リミックス”。「タクシードライバー」がブレイクスルーに

藤村さんは、元ゲームデザイナーという異色の経歴を持ち、アマチュア格闘家としても活動。また、マニアックな音楽や映画、マンガなどのサブカルチャーにも親しんできた。そんな背景から、新銘柄の第1号は、敬愛する漫画家・根本敬さんに名付けを、プロレスTシャツを多く手がけるグラフィックデザイナー・植地毅さんにラベルデザインを依頼。2004年、純米大吟醸酒「電気菩薩」が誕生した。
そして、その翌年に生まれたのが、現在の喜久盛酒造を代表する銘柄「タクシードライバー」だ。
「アートディレクターの高橋ヨシキさんと、東京の新宿で飲んだのがきっかけでした。高橋さんは私が好きな映画作品のパッケージデザインを手がけた方というのもあり、初対面で意気投合したんです。『新しい日本酒の銘柄を考えよう』と話が盛り上がり、たくさん出たアイデアのひとつが『タクシードライバー』でした。これは実現できそうだ、とその場で商品化が決まり、高橋さんがラベルをデザインしてくれることになりました」
「タクシードライバー」を醸造するにあたり、高橋さんから出されたオーダーは「熱燗で美味しい酒」。
「喜久盛酒造のお酒は、しっかりとした旨味とキレのある酸が特徴の食中酒。もともと熱燗に向いているんです。なので特別な工夫をしなくても、要望に沿えるお酒が造れると思いました」と藤村さん。「濃厚でアルコール度数も高いお酒が好み」という藤村さん自身の嗜好も反映し、風味を調整するための加水をせず、搾ってそのまま瓶詰めする「純米原酒」で醸造。高橋さんが描き下ろしたラベルデザインのインパクトにも負けない、力強い味わいに仕上げた。
その後も喜久盛酒造では、さまざまなクリエイターとコラボレーションし、個性的なネーミングやラベルの日本酒を「ジャケ買いシリーズ」として発売。音楽やゲームといった異なる分野と日本酒の”リミックス”は、ふだん日本酒を飲まない人たちの関心も引き寄せていった。
東日本大震災で被災。蔵を間借りしながら「全量純米蔵」へ。

純米酒メインの酒造りと、他分野のカルチャーを取り入れた商品開発やプロモーションで客層を広げつつあった喜久盛酒造。しかし2011年3月に発生した東日本大震災で大きな打撃を受けた。北上市は内陸部のため津波の被害はなかったものの、大きく長い揺れが建物を直撃。幸い、従業員も、仕込んだばかりの酒も無事だったが、酒蔵は半壊してしまった。
「全壊した醤油蔵などを含めると被災の規模は大きく、その後業者さんの見積りで、修繕するにも、解体して建て直すにも莫大なお金がかかることがわかりました。藤村家が代々守り継いできたこの蔵を、5代目の自分でなくすわけにはいかない。そう思ってはいるものの、簡単に調達できるような金額ではありませんでした」
蔵の一部分はかろうじて使える状態だったため、最低限の設備でなんとか酒造りを再開できたものの、あくまで暫定的な復旧に留まっており限界がある。先の見通しが立たないまま3年が経った頃、隣の花巻市にある酒造会社が廃業することになり、その仕込み蔵を貸してもらえることになった。
隣市とはいえ喜久盛酒造とは車で5分ほどの距離で、仕込み水の水質もほとんど変わらない。藤村さんは移転を決意し、仕込みは間借りする移転先の蔵で、出荷作業は元の蔵で行うことにした。
そして2014年春、喜久盛酒造は新天地での酒造りをスタート。それと同時に、純米酒のみを醸造する「全量純米蔵」へと舵を切った。
岩手の麹菌と米で造る
もともと喜久盛酒造では、藤村さんが社長になって以来、純米酒がメインの酒造りをしていた。醸造アルコールを添加した「普通酒」は地元消費用として一部造っていたが、普通酒の需要がある地元消費は年々減り、全国的には消費者の本物志向化から純米酒の人気が上昇。特に震災以降は、復興支援の機運から、純米原酒の「タクシードライバー」が関東や関西でよく売れるようになった。
こうした背景から「純米酒の生産量を増やそう」と製造体制を検討していた矢先、蔵の移転が決まった。藤村さんはこれを機に全量純米蔵に振り切ることを決意。「当時はまだ、岩手県内で全量純米をやっている蔵がほかになかったこともあり、せっかくなら『岩手初』になろう、と思って」と振り返る。
原料となる米は、100パーセント岩手県産。 特筆すべきは、酒造好適米(酒米)ではなく「食用米」をメインに使っている点だ。「以前は酒米を使い、山田錦を他県から取り寄せたりもしましたが、結果的に食用米のほうが自分の好みの味に仕上がったので」と藤村さん。例えば「タクシードライバー」に使われるのは、岩手県オリジナルの食用米「かけはし」。かつては県の奨励品種として普及していたが、現在は新品種の台頭で生産量が激減。しかし藤村さんは「このお米こそが、タクシードライバーの味わいの源」とし、契約栽培でその質と量を守り続けている。
さらに、酒質を左右する重要な要素「麹」にも、岩手県が独自に開発した麹菌「黎明平泉」が使われている。甘みのもととなるグルコース(ブドウ糖)の生成が控えめで、熟成向きの酒質を引き出しやすいこの麹菌は、蔵が理想とする味と合致。こうして醸された純米酒は、その味わいをダイレクトに届けるため、すべて加水調整や濾過を一切行わない「無濾過原酒」として世に送り出される。この搾ったままの力強い酒質は、喜久盛酒造の確固たるアイデンティティとして、全国の日本酒ファンを魅了していった。
「四季醸造」の新蔵が完成。再び、創業の地へ。

喜久盛酒造の「間借りでの酒造り」は、およそ10年間続いた。
「うちは、北上市に残る唯一の酒蔵。隣の花巻市に一時的に移転はしましたが、創業の地に戻りたいという想いはずっとありました」と藤村さん。しかし被災した酒蔵は増改築を繰り返しているため構造が複雑で、復旧は困難。さらに、2021年には福島県沖地震と豪雪の影響で屋根が落ち、瓶の洗浄や火入れをするためのボイラーが破損するという困難に見舞われた。
それでも藤村さんは「創業地での再建」を諦めず、クラウドファンディングも活用し本社敷地内に酒蔵と事務所兼倉庫を新設。2024年夏、再び北上で酒造りを始めた。「創業130周年の節目の年に、ここに戻ってくることができた」と、藤村さんは笑顔を浮かべる。
新しい蔵は、最新の設備を備え一年を通した四季醸造が可能に。温度管理ができるサーマルタンクも導入し、仕込みから瓶詰めまで一括してこの蔵でできるようになった。
一方、醪(もろみ)を酒と酒粕に分ける搾りの工程には「佐瀬式」の圧搾機を採用した。佐瀬式とは、袋に詰めた醪を槽(ふね)の中に積み重ね、上から圧力をかけて搾る方法。袋詰めや積み込みなどの手間はかかるが、無理に圧力をかけずにゆっくり搾るため、まろやかで口当たりの良い酒に仕上がるとされる。
決して効率的とはいえない佐瀬式を選んだのは、蔵を間借りしていた10年間、佐瀬式で搾りをしていたのも理由のひとつだ。「間借りしていた蔵の圧搾機は昭和30年代製造の佐瀬式で、タンク1本分の醪を搾るのに最短でも3日、長いときは1週間かかりました」と藤村さん。搾りに時間を要するということは、その分酒が空気に触れて酸化が進むことを意味する。フレッシュでフルーティーな酒を造るには不向きだが、熟成や熱燗向けの旨味の濃い酒造りには功を奏した。また、佐瀬式で搾ることで出てくる上品な滓(おり)も味わいに奥行きを与え、喜久盛の個性のひとつとなった。
「もともとうちの蔵ではどっしりとした味わいのお酒を持ち味としていましたが、佐瀬式の搾りによって、その方向性がより固まったと思います。今の蔵の佐瀬式圧搾機は最新のものなので、搾り自体は1日ほどで終わるのですが、うちは週末に搾り作業を行い、週明けに瓶詰めをしています。あえて数日おくことで以前と変わらない味わいに仕上げる一方、積み替えなどの力仕事は減ったので、だいぶ効率が良くなりました。」
この蔵ならでは味わいを、全国、そして世界へ

「新しい蔵ができて、これからやっと生産体制を安定させることができる」と期待を込める藤村さん。かつては地元消費が9割を占めていたが、今は県外が7割。特に大阪での売り上げが半数以上を占めるという。「しっかりとした旨味とキレがある酒質は、関西の方に好まれる傾向にあるようです」と話す。また、近年は海外からのオファーも増え、アメリカ、イタリア、ニュージーランドへの輸出も決まった。
その一方で、東京を中心とした関東の市場での売り先をもっと増やしたい、という想いも。
「そのためには、酒販店・特約店とのマッチングが課題だと思っています。うちの酒造りの方向性をきちんと理解した上で、それを受け売りでなく自身の言葉でお客様に伝えていただけるところと巡り合いたい。今後の目標のひとつですね」
そう話す藤村さん。関東の酒販店との新たな接点を模索しながら、すでにつながりのある店やファンとの関係を丁寧に育んでいる。
この蔵だからできる日本酒を、岩手から全国各地へ、そして世界へ。創業地という「原点」からの再出発を果たした今、喜久盛の酒造りは次の章へと向かっている。



