上州座繰りを伝承する、座繰り染織家・中野紘子さん/群馬県高崎市

世界遺産となった富岡製糸場のある群馬県は、古くから蚕糸絹業(さんしきぬぎょう)が盛んな土地柄だ。その歴史と繭(まゆ)から糸を生み出す作業に魅了された女性がいる。座繰り染織家の中野紘子(なかのひろこ)さんだ。中野さんは途絶えかけていた製糸技法「上州座繰り(じょうしゅうざぐり)」を受け継ぎ、伝統的な技法を守りつつ現代のニーズに応える作品を発表している。

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群馬県の伝統的な製糸技法「上州座繰り」を継承

昔から養蚕(ようさん)が盛んだった群馬県。明治5年には機械製糸のモデル工場として富岡製糸場が設立され、日本の製糸業の発展に大きく貢献した。そんな群馬県で江戸時代末期に開発された「上州座繰り」は、木製の道具を用いて繭から糸を引く製糸法だ。

お湯で煮た繭から引き出した繭糸(けんし)を目的の太さになるよう、座繰り器のハンドルを回しながら、鼓車(こしゃ)という装置を使用して巻き取っていく。

現在では希少な糸づくりの伝統技術「上州座繰り」を受け継ぐため、中野さんは最初に、日本のシルク糸の60%を生産している日本最大級の製糸工場、碓氷(うすい)製糸株式会社で製糸技術を学んだのち、座繰り染織工房「canoan(カノアン)」を2003年に開設する。

群馬に根付く「座繰り」の文化 

群馬県高崎市で生まれ育った中野さんが上州座繰りに惹かれた理由のひとつが、江戸時代末期から昭和40年頃まで、群馬県の養蚕農家の手仕事として、それぞれの家庭で女性が繭から糸をつくり、家族の着るものをつくってきた、この土地ならではの歴史的背景だ。

品質を守るために製糸に適さず工場に出荷できなくなった繭を使い、農家の女性の間で行われてきた上州座繰り。明治時代以降、富岡製糸場のような機械化された糸が大量生産される一方で、地元で細々と受け継がれてきた「家族への愛情あふれる営み」を途絶えさせたくないという思いだった。

もうひとつ、上州座繰りに惹かれた理由が、圧倒的な手触りの違いだったという。

「木製の道具を使い、手でゆっくりと回しながら引いた糸でつくる織物の、ふっくらとしながらも滑らかで空気をはらんだ独特のしなやかさは特別です」

手作業で繭から生糸を紡ぐ魅力

中野さんの工房では、極細の糸からタペストリーなどの厚物の制作に適している極太の糸まで、繭の特性を活かしてさまざまな繊度(せんど:繊維や糸の太さを表す長さと重量の比)と風合いの座繰り糸を制作している。

通常の糸づくりでは、まず細い糸をつくり、それを何本も撚り(より)合わせて目的の太さにしていくことが多いが、中野さんの糸づくりは最初から糸の太さを決めて、指先で糸の太さを感じながら目的に合わせて繭から直接、調整していく。

着物、帯、スカーフなど、布製品には適した生地の厚さがある。つくるものをイメージし、生地の厚さに合わせて繭からそのまま糸を巻き取っていく工程は、まさに職人技だ。

手仕事による豊かな風合いの作品づくり

一般的に布を作る工程は分業制とされている。養蚕農家が蚕(かいこ)を育てて繭を出荷し、製糸工場で糸をつくる。できあがった糸を染めるのは染めもの屋、染めた糸を織り布にするのは織物工場と分業で行われる。一般の人は布がどうやってできているか、その工程を知ることはほとんどない。

もともと布が好きだったという中野さんは、どうやって布ができるのかに興味を持ち、調べていくうちに上州座繰りに出会う。そして繭から糸をつくり、糸から織物をつくるという工程に強く惹かれていく。

自分で糸をデザインし、布を織る

「糸からデザインした絹織物を制作したいという思いがあり、上州座繰りをはじめ、繭の特性を活かしたさまざまな質感の製糸技術を学びはじめました。次第に糸を染める染色も気になり、天然の植物による草木染めを勉強しました。きれいな色に染まった糸ができると次は布をつくってみたくなり、絹織物に使われる手織り機の一種である高機(たかばた)の操作を教わり、布を織りはじめました。草木染めと高機による手織りは、地元の染織家に教えていただくこともありましたが、試行錯誤をしながら独学で身に付けました。」

こうして製糸、染色、手織りの技術を次々に習得した中野さんは、分業制では実現できない、肌触りや糸質を大切にした着物や帯、ストールなどの作品づくりをスタートさせる。

「繭から挽いた糸を草木染めで染色し、手織りして布にする。できる限り手作業で、自然のものを使って一貫した布づくりが行える奥深さと神秘性に魅了されています。」

天然のものにこだわった草木染め

自然からいただく色はどんな色の組み合わせでも、不思議としっくりと調和するところが草木染めの魅力だという中野さん。

「草木染めの材料を、自ら山に採りに行くこともあります。自然に触れる機会も増え、同じ染料でも育った環境や染める時季、煮出すときの水質などで、染め上がりの色が違ってくるんですよ」

染色性にすぐれた上州座繰り糸を、天然の植物にこだわった草木染めで自然の色に染め上げる。その糸を高機で織ると、繊度や染めの色合いによって奥行きのある豊かな表情となり、ふっくらとしながらも滑らかな、手仕事ならではの美しい絹織物となる。

伝統技法を守りながら、現代の生活で使えるものを

中野さんが取り組んでいる製糸業は、一般的には注目度の低いニッチな産業とされている。

今までは機械でつくった糸の方が整っていてきれいという価値観でしたが、最近は手仕事の良さや伝統技法を残したいという思いを理解してくださる方が増え、そういったご縁のある方と取引させていただいています」

糸の太さを調節しながらデザインするため、オーダーメイドで注文を受けることも多いが、展示会や個展などで自分のつくった作品を販売することもある。座繰り糸でつくる作品をより多くの人に使ってもらうことが、伝統技術の継承と文化的背景の大切さを伝えることにつながると中野さんは考えている。

気軽に身につけられる伝統文化を目指して

糸づくりから染色、織りまでをひとりで一貫して行う中野さんは、すべての工程を伝統的な手法を用いて手作業で行うため、つくれる数は自ずと限られてくる。

「多くの人に使っていただきたいという気持ちはあるのですが、量産できるものではないため、お客様になかなか届かないというジレンマはあります」

量産できないものだからこそ、何⼗年も愛⽤される作品づくりを⼼がけている。

「着物は今までにない軽さが特徴で、帯は弾力があり締めやすいと評価をいただいています。スカーフも軽くて暖かく、機械製の製品とは異なる着心地の良さがあります」

つくれる数は少ないが、長く使えば使うほど風合いが増し、使う人に合わせてこなれてくる着心地の良さは、一度使った人からのリピート注文の多さからも伝わってくる。

技術の継承と伝統工芸の可能性

糸から布へ、布から作品へ。20年以上前から群馬県の伝統工芸の継承者として、上州座繰りの製糸技術と文化の保存・発信のため、座繰り染織工房を開設し自身のブランドも立ち上げてきた中野さん。

「伝統的な技術や文化を知ってもらうために、ギャラリーの展示会では作品の展示、販売だけでなく、上州座繰りを実演することもあります」

今後は糸から布ができるまでの工程を、よりリアルに伝えられる場所をつくりたいという。そこで絹織物に触れた人々に、今まで知らなかった蚕糸絹業の世界を知ってもらい、体験してもらうことで、伝統技術の認知を広げ、より多くの人に上州座繰りの魅力を伝えていきたいと力強く語ってくれた。

ACCESS

canoan(カノアン)
群馬県高崎市
TEL 非公開
URL https://www.atelier-canoan.com
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