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	<title>職人 - NIHONMONO</title>
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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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	<title>職人 - NIHONMONO</title>
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		<title>使う人の声に耳を傾け、丁寧な職人の手仕事を貫く鍛冶職人「河原崎　貴」/長野県伊那市</title>
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		<pubDate>Wed, 21 Dec 2022 01:00:00 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/12/main-7.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本三大桜に数えられる桜の名所、高遠城址を望む長野県伊那市高遠町。この小さな町に、日本中から引く手数多のフライパンを作る職人がいる。生まれ育った東京から高遠町に移り住み、自身の工房を構えた河原崎貴さんだ。 自分自身と向き [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/12/main-7.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本三大桜に数えられる桜の名所、高遠城址を望む長野県伊那市高遠町。この小さな町に、日本中から引く手数多のフライパンを作る職人がいる。生まれ育った東京から高遠町に移り住み、自身の工房を構えた河原崎貴さんだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自分自身と向き合う仕事</h2>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="/wp-content/uploads/2022/12/kiji1-7.jpg" alt="" class="wp-image-31997"/></figure></div>


<p> </p>



<p>河原崎さんが鍛冶職人になろうと考えたきっかけは単純。都内の百貨店に勤務する中で、都会の人混みや、仕事での接客対応に疲れ「自分自身と向き合う仕事がしたい。それならものづくりがいいんじゃないか？」と考えたことだった。その後、さまざまな工芸の工房を見学してまわり、自身が何をやりたいのかを熟考。結果、河原崎さんが興味を持ったのは熱した鉄を叩いて製品を作り出す鍛造だった。自身のやりたい仕事を見つけてからは、持ち前の“なんとかなる精神”で35歳で脱サラ。技術専門学校へ通うために長野県に移住し、卒業後は同県東御市の鍛冶職人に師事した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">作品ではなく、生活道具を</h2>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/12/kiji2-7.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p> </p>



<p>その後、2002年に自身の工房を伊那市高遠町に開設。もちろん、開設後すぐに現在のように順風満帆な状況になったわけではない。到底仕事とは呼べない時期も続いた。しかし「まずは40歳まではなんとしてでも続けてみよう、その結果を以てその先のことを考えればいいじゃないか」と考え、その状況に焦り、うろたえたりしなかったことが現在の成功につながっているのではないかと思う。というのも、河原崎さん自身、前述したように鍛冶職人を志したきっかけも大した理由じゃないと考え、自分の作るものに対して作品という概念はなく、生活道具といったほうがマッチすると思っている。だからこそ「なぜ世の中は自分の作品を理解してくれないんだ。」というようなアーティスト気質の凝り固まったスタンスではなく「世の中のニーズに合っていないのなら、それに合わせた形へアップデートしよう。」といった柔軟な姿勢でものづくりができる。河原崎さんの作品が世に出るきっかけとなった、著書や写真集も出版する有名な陶芸家の山本教行さんとの出逢いにも、この姿勢は大きく影響。開口一番に「依頼されれば鉄で何でも作ります。」と挨拶したところ、それを面白がった山本さんが自身のアトリエへ作品を展示し、人目に触れる機会を与えてくれた。消費者の声に耳を傾け、それをものづくりに活かす、そんなメーカーのような心構えと姿勢は広く共感を呼ぶこととなった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">手間こそ然るべき職人の手仕事</h2>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/12/kiji3-7.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p> </p>



<p>かと言って、河原崎さんの作品は量販店で大量に販売されている工業製品のように量産できるものでもない。金属製品の工場で用いられる冷間鍛造とちがい、ひとつひとつ金属を熱して行う熱間鍛造を用いて作られている河原崎さんの作品。手間がかかるため大量生産には向かないが、複雑な形状まで成形することができ、思い描いた形に仕上げられる。もちろん、自分の作るものに対し「こうでなければいけない」という固定概念はない。しかし、これこそが然るべき職人の手仕事だと考えているから、どんな時でも、ひたむきにそれを貫いてきた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">たまたま作った中華鍋が拓いた可能性</h2>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/12/kiji4-7.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p> </p>



<p>消費者の声に耳を傾ける姿勢と丁寧な職人の手仕事。このふたつの考えが同居していることこそ、河原崎さんの強みだ。最初にヒットした“中華鍋”の誕生は、まさにそれが活きたストーリー。ある日、奥さんが中華鍋がほしいと言い出し、デパートへ探しに行った河原崎さんだったが、散々歩きまわった末、理想のものは見つからなかったという。ならば、いっそのこと作ってしまおうと、奥さんの要望を聞き制作。軽さや熱伝導はもちろん、どんな身長の人でも違和感なく振ることができることなど、細部にまでこだわった手作業ならではのものに仕上げた。それを使った奥さんの反応は良好。それをきっかけに、実際に製品として販売したところ、予想以上の反響があった。要望さえあれば、自分の手で作れるものなら、和釘から階段までなんでも作るという精神は仕事の領域を広げ、さらなるヒット商品を生み出していく可能性が生み出される。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「河原崎貴のフライパン」という価値</h2>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/12/kiji5-7.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p> </p>



<p>そうして誕生したのが、現在入手困難となっているフライパン。中華鍋と同様、消費者の声から生み出されたものだが、都内の有名ライフスタイルショップでの取引が始まって以来、手作業で行う鍛造ならではの機能性や温もりのある質感などが評判を呼び、またたく間に人気を博した。さらに、キャンプ系人気ユーチューバーが配信する動画の中で使用したことをきっかけに、これまで購買層ではなかった若者や男性などのユーザーも獲得。より一層需要を拡大し、現在ではオーダーから手元に届くまでに1年以上待つという状態になっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">たどり着いた到着点と見据える先</h2>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/12/kiji6-7.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p> </p>



<p>こうして、日本中から引く手数多となった現在でも、やることは工房を開設した当時とまったく変わらないという。いつもと同じように鉄板を熱し、いつもと同じようにそれを木槌で叩いて成形していく。ただ昔と少しだけ変わったことといえば、目が出来てきたこと。鍛造作業中は寸法が測れないから、職人を始めた頃は同じものを同じ工程で作っていても、すべて同じサイズにすることが難しかった。  </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/12/kiji7-4.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p> </p>



<p>しかし、数をこなすうちに何も考えなくても形が揃うようになってきた。そして作れば作ったぶんだけ売れる現在の状態は、自分にとって到達点なのだそう。自分ができる手一杯の量を生産しているから、これ以上は作れない。だから、これ以上収入を増やすことは不可能だし、そこまで多くのことは望まない。自分が好きではじめた鍛冶仕事を10年後も同じように続けていたい。ただそれだけを願い、河原崎さんは今日も鉄を打ち続けている。  </p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/34176/">使う人の声に耳を傾け、丁寧な職人の手仕事を貫く鍛冶職人「河原崎　貴」/長野県伊那市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>表現力の豊富さと遊び心が魅力。変塗の宝庫と呼ばれる「新潟漆器」真田桃子さん／新潟県</title>
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		<pubDate>Tue, 15 Nov 2022 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/11/main-5.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>新潟漆器の歴史 新潟県の北部に位置し、本州日本海側最大の都市として人口81万人を抱える新潟市は、古くから「みなとまち」として栄え、江戸時代から明治期にかけては日本海を航行した廻船「北前船」の寄港地でもあった。そのため物資 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/11/main-5.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">新潟漆器の歴史</h2>



<p>新潟県の北部に位置し、本州日本海側最大の都市として人口81万人を抱える新潟市は、古くから「みなとまち」として栄え、江戸時代から明治期にかけては日本海を航行した廻船「北前船」の寄港地でもあった。そのため物資の交易が盛んで、海や陸から日本各地の文化が続々と入ってきた。</p>



<p>その中のひとつに漆器の文化がある。約400年前の江戸初期に、現在の秋田県の伝統工芸の一つである「能代春慶（のしろしゅんけい）」が伝えられたのがその始まりとされている。繁華街・古町に椀店（わんだな）と呼ばれる漆器の専売地域が設けられ保護政策がとられ、さまざまな技術と職人がこの地に集まったといわれている。主に、<span class="swl-marker mark_yellow">お膳やお盆などの日用品が作られ、江戸末期には江戸・大阪はもちろんのこと、北海道にまでその販路は拡がりを見せ、漆器産地として独自の進化をとげ現在の「新潟漆器」となった。  </span></p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/11/kiji2-5.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<h3 class="wp-block-heading">「変塗の宝庫」新潟漆器の特徴</h3>



<p><span class="swl-marker mark_yellow">新潟漆器の特徴は、「変塗（かわりぬり）の宝庫」と呼ばれるほどの、塗りの技法のバリエーションの豊富さだ。何かに見立てて、それを塗りの技法だけで表現する、そんな職人たちの遊び心と情熱がこれらを生み出してきた。</span></p>



<p>例えばそのうちのひとつ「竹塗」は、竹の肌合いを実際の竹ではなく、漆によって表現する。江戸で生み出され、当時武士の刀の鞘を竹塗にするのが流行ったことをきっかけに人気を博し各地に伝わった技法。新潟と一部地域にはその後も定着し、現在では新潟漆器を代表する塗り技法になっている。漆に砥粉を混ぜた錆で竹の節や筋をつくり、 真菰（まこも）粉で煤けた質感を表す独特の技法だ。</p>



<p>他にも、石のざらざら感を表現した「石目塗（いしめぬり）」、重ね塗りによる不規則なまだら文様が特徴の「錦塗」などがあり、平成15年（2003年）には国の伝統的工芸品の指定（花塗、石目塗、錦塗、磯草塗、竹塗の5技法）を受けた。  </p>



<h2 class="wp-block-heading">竹塗の美しさに魅了され新潟漆器職人へ</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/11/kiji3-5.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p>新潟漆器職人として活躍する真田桃子さんは、24歳の時に竹塗の美しさに魅了されてこの世界に足を踏み入れた。それまでこの業界には全く無縁だった真田さんは、竹塗がすべて漆でもって作られることへの驚きと、竹で作られている様にしか見えないその美しさに魅了され夢中になったと当時を振り返る。</p>



<p>周囲が驚くほどのスピードで技術を吸収し、新潟で一番と言われる漆芸家の先生に学びその技術を磨いてきた。自身が生まれ育った新潟の町の歴史を未来に繋ぎたい、使命感の様な思いもあったという。  </p>



<h3 class="wp-block-heading">伝統工芸でモダンさを表現する</h3>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/11/kiji4-5.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p>真田さんの生み出す作品には「伝統工芸」の持つ和のイメージを塗り替えるようなモダンさがある。表面はマットなものが多く、傷がつきにくいことも特徴の一つだ。ラピスラズリーの原石に見立てた「瑠璃塗」や赤い石にみたてた「紅石塗」の器などもあり、和食はもちろんイタリアン・フレンチなどの洋との馴染みもよい。テーブルでも料理を引き立たせ、そのポテンシャルを発揮してくれるクールな存在だ。</p>



<p>中でも真田さんが得意にしているのは、「朧銀塗（おぼろぎんぬり）」である。</p>



<p>これは江戸時代の漆芸家・柴田是真（しばたぜしん）の変塗の技法を復刻したもので、木製品でありながら、まるで金属のような特異な質感が楽しめる。柴田是真といえば、1873年開催のウィーン万博に出品した「富士田子浦蒔絵額面」が賞を獲得するなどして、広く知られた作家だ。  </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/11/kiji5-4.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p>ダークな雰囲気と落ち着いた真鍮色（しんちゅういろ）にはアンティークの冷たい趣があり、古びた見立ての粋が静謐な美しさを醸し出す。<span class="swl-marker mark_yellow">もちろん作品づくりは一点一点が手作業だ。木地固めをして、布着せ、錆つけ、中塗りと、その工程は2ヶ月近く続く。中盤の工程で炭の粉をまいて、朽ちたような凹凸感を表現する。復刻でありながら、その完成品は実にモダンで現代的だ。</span>  </p>



<h2 class="wp-block-heading">新潟を漆器で有名な産地へ</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/11/kiji6-4.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p>多種多様な技術が集結し、それぞれの職人の個性が生きる進化をとげてきた新潟漆器。まだ組合の歴史も浅く、漆器の産地としての規模はそれほど大きくない。小売や卸といったマーケットの面では有名な産地にはとても敵わないという。それでも「この仕事が好きだからやっている」と真田さんは笑顔で胸を張る。真田さんの仕事は職人としての腕を磨き、独自の「変塗」の路線をとことん突き詰めることだ。今は飲食店を中心に、完全にオーダーメイドでその技術を提供している。店側が盛りつける料理をイメージしながら、それが引き立つようにイマジネーションを膨らませて、次々と新しいものをつくり上げる。首都圏や海外からの注文も多く、納品に半年以上待ってもらうこともある。</p>



<p>真田さんが漆塗りの世界に入ってから、約10年。最初は無我夢中で「美しいモノを作りたい」と走り続けてきた。今は新しい試みに意欲を燃やし続けている。</p>



<p>「私はごりごりの職人で、プロダクトをつくる人間なんです。今は新しい塗りを考えるのが楽しい。これからは、例えば3Dプリンターを使って樹脂系のものにチャレンジしたり、銅っぽいものもやってみたりしたい。」と真田さん。</p>



<p>漆器の有名な産地として世界で「新潟漆器」が語られる日は、そう遠くないかもしれない。</p>



<p>  </p>


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		<title>石の声を聴けー 石積みの里で穴太衆の技をつなぐ「粟田建設」/滋賀県大津市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 18 Sep 2022 03:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[大津市]]></category>
		<category><![CDATA[職人]]></category>
		<category><![CDATA[滋賀県]]></category>
		<category><![CDATA[栗田建設]]></category>
		<category><![CDATA[石垣づくり]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/09/main-6.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>歴史が好き、建築が好きでお城を見に行く人はたくさんいるが、石垣に注目する人はどれくらいいるだろう。比叡山延暦寺の門前町、滋賀県大津市の坂本では「石垣づくり」を専門にする職人集団「穴太（あのう）衆」の技が今も受け継がれてい [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/09/main-6.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>歴史が好き、建築が好きでお城を見に行く人はたくさんいるが、石垣に注目する人はどれくらいいるだろう。比叡山延暦寺の門前町、滋賀県大津市の坂本では「石垣づくり」を専門にする職人集団「穴太（あのう）衆」の技が今も受け継がれている。一切の技術を口伝でのみ伝えてきた穴太衆の起源と活躍、そして現在を聞いた。<br> </p>



<h2 class="wp-block-heading">石垣づくりを専門に活動する職人集団「穴太衆」</h2>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/09/kiji1-1.jpeg" alt="" class="wp-image-31997"/></figure></div>


<p> </p>



<p>琵琶湖の西岸、比叡山延暦寺の門前町である大津市坂本。「<strong>石積みの里</strong>」と呼ばれるこの町では、道を歩くと至るところで見事な石垣に迎えられる。自然にある石を加工せず、そのまま積み上げる「<strong>野面積み（のづらづみ）</strong>」を得意とする穴太衆は、戦国時代を中心に活躍した石積みの職人集団だ。高い技術で堅牢な石垣をつくる穴太衆は全国の大名に召し抱えられ、現存する城の石垣のうち7～8割が、穴太衆の手によるものだといわれている。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">ルーツは古墳時代にやって来た渡来人</h3>



<p>穴太衆のルーツは、古墳時代に朝鮮半島から日本に渡ってきた渡来人だといわれている。788年に最澄が比叡山延暦寺を開創し、僧侶たちが住む里坊などの石垣づくりを、この地に住む石組み職人たちが行った。職人たちが拠点としたのが穴太（あのう）という地区だったことから、彼らは<strong>穴太衆</strong>と呼ばれるようになった。</p>



<p>石造りといえばヨーロッパのイメージがあるが、実は西暦80年につくられたローマのコロッセオでは既に大量のコンクリートが使われている。日本は島国でセメントやコンクリートといった接着剤の技術が伝わらず、また地震大国なので、建物の下には揺れに耐えうる<strong>強い土台</strong>が必要だった。こうした日本の風土により石積みの技術は飛躍的に進歩し、独自の技となり磨かれていった。穴太衆の石積みでは、今も接着剤は一切使われていない。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">信長も惚れ込んだ石積みの技術</h3>



<p>穴太衆の名を一躍有名にしたのが、織田信長が琵琶湖の東岸に建てた<strong>安土城</strong>だ。1571年の比叡山焼き討ちの際、信長は二度と再興ができないよう焼け残った石垣の打ち壊しを命じる。ところが石垣はいくら崩そうとしても崩れず、その堅牢さに驚いた信長が、安土城の築城に穴太衆を動員したという。それ以来、穴太衆の名は全国で知られるようになり、のちに姫路城や竹田城、さらには大阪城や名古屋城、江戸城も穴太衆が手がけたといわれている。</p>



<p>穴太衆の技術は<strong>免許制</strong>で、全国各地でどれだけ腕を磨こうが必ずこの土地に戻って修行を積まなければその名を名乗れないという決まりがあった。ゆえに代替わりの際には必ずここ坂本に来て修行をし、穴太衆の名を受け継いだという。職人として、本物の技術を継承することに重きを置いてきたことがうかがえる。<br><br></p>



<h2 class="wp-block-heading">現代で唯一、穴太衆の技を継ぐ粟田建設</h2>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/09/kiji2-6.jpg" alt="" class="wp-image-31998"/></figure></div>


<p> </p>



<p>穴太衆の技術を現代に受け継ぐのが、株式会社粟田建設の粟田純徳（すみのり）さんだ。かつて穴太衆が積んだ見事な石垣が残る滋賀県大津市坂本に拠点を置き、第15代目穴太衆頭として全国で活動を続けている。</p>



<p>「最盛期には全国に何千人もいたといわれる穴太衆ですが、今ではうち粟田建設だけになってしまいました。石垣づくりといっても石を積むだけではなく、山から石を切り出す人、それを運ぶ人、そして積む人という分業制です。戦国時代が終わって新しい城がつくられなくなると、石を切り出す人は墓石などの石を加工する仕事、石を運ぶ人には飛脚など運搬の仕事に職を変え、散り散りになってしまいました。石を積む人は仕事がなくなりましたが、僕らはありがたいことに比叡山延暦寺が近くにあり、また滋賀県には神社仏閣が多い。おかげで石垣を増設したり、修復や土木工事などを請け負いながら、仕事を続けられています」。</p>



<p>石垣は一度積むと<strong>300年、400年もつのが当たり前</strong>。現代では商売として石積みを続けていくのは難しいが、それでもこの技術をどうにかして先につないでいきたいという。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">石垣の修復をして思うこと</h3>



<p>新しく城が建てられることがなくなった現代では、仕事のほとんどが地震や劣化で崩れた石垣の修復だという。</p>



<p>2016年の熊本地震で崩落した熊本城の石垣も元々は穴太衆が築いたものだが、地震によって崩れたのは、ほとんどが明治時代に穴太衆の技術を用いずに修復された部分だった。その一方で、<strong>400年前につくられた部分は崩れずに残っている</strong>。文化財の修復は「元に戻すこと」が鉄則とされるが、崩落前の明治時代に修復された状態に戻すのが本当に良いのだろうか。また、基礎を全てコンクリートで打ち直していたことも崩落の原因では、と粟田さんはいう。大きい地震が増えている昨今、近代技術だけが本当に最適な選択なのか、立ち止まって考える時が来ているのかもしれない。<br><br></p>



<h2 class="wp-block-heading">自然の石でつくる、コンクリートより強い石垣</h2>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/09/kiji3-6.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p> </p>



<p>穴太衆は、自然にある石を加工せず、そのまま積み上げる「<strong>野面積み（のづらづみ）</strong>」を得意とする。写真の竹田城（兵庫県）の石垣に見られる技法がそれである。石垣の積み方には他に、石を加工して噛み合わせながら積み上げる技法で、姫路城などでみられる「打ち込みハギ」や、石を完全に四角く切って隙間なく積み上げる技法で二条城で見ることができる「切り込みハギ」があるが、地震や豪雨への備えを考えた時、もっとも耐久性に優れているのは野面積みだそうだ。滋賀県内では安土城に行けば野面積みの石垣を実際にみることが出来る。</p>



<p>穴太衆は依頼を受けるとまずその地に出向き、行った先々でその土地にある石を使って石垣を積んだ。戦国時代の城が山の上にあるのは、石が採れる場所を選んで城を建てていたからだ。石積みは、石を選ぶことから始まると粟田さんはいう。まず頭の中で図面を描いて、石をじっと眺め「この石はここに使おう、あの石はここにはまるな」と考えて石を持ち帰る。<strong>石選びの段階で、仕事の7、8割が終わる</strong>といっても過言ではないそうだ。</p>



<p>強い石垣をつくる秘訣は、表には見えない「<strong>栗石（ぐりいし）</strong>」にあるという。石垣の中に栗石と呼ばれる細かい石を丁寧に詰めておくことで、地震が来た時のクッション材になり、また水はけも良くなって崩れにくい石垣ができる。石の積み方にも工夫があり、石を横長方向に積むことで全体の重みを広い底辺で支え、表面から3分の1くらい奥に重力がかかるように設計することで崩れにくい石垣を組み上げている。 穴太衆が積んだ石垣とコンクリートブロックの耐荷力実験では、コンクリートは220トンで亀裂が入ったのに対し、石垣は<strong>250トンの重さにも耐え続けた</strong>というから驚きだ。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">「石の声を聴け」</h3>



<p>石垣を積んでいて、石を置くとその場所にぴたっと収まる瞬間があるそうだ。「そんな時は、石の声が聴けた気がして嬉しい」と粟田さんはいう。「<strong>石の声を聴け</strong>。自分たちの采配で積むのではなく、<strong>石の行きたいところに行かせてやれ</strong>」とは、粟田さんが先代からずっと言われてきた言葉だ。石も世の中と同じ。どんな形の石にも必ず役割があって、無駄なものはひとつもない。見た目や性格など、一つひとつに個性があり、その組み合わせで成り立っていると言い聞かせられてきた。</p>



<p>「石垣は、積む人によって全く違う仕上がりになります。性格が出るんですね。例えばうちの祖父は繊細で、石の形に沿って緻密に組んでいくスタイル。父はどちらかというと荒々しく、大きな石をドン、ドン、と積んで間を小さい石で埋めていく積み方をしていました。僕は石積みを祖父に習ったので、細かく組んでいくやり方を受け継いでいます」。修復現場などで石垣を見ていると、どんな人が積んだのか何となくわかってくるという。「ここはちょっと手を抜いてるな」「もう少し丁寧にしたら崩れなかったのにな」と思うこともあるが、戦国時代の城は、<strong>いかに早く完成させるか</strong>が何よりも重要。本来なら組み上げるのに半年、下準備を含めたら1年以上かかる石垣を、当時は1、2ヶ月で完成させていた。戦国の世で、穴太衆が城づくりに与えた影響は計り知れない。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">400年を口伝でつなぐ石積みの技術</h3>



<p>穴太衆の石積みは、すべてが<strong>口伝</strong>。文書などはいっさい残されていない。お城や石垣の設計図は、今でいう<strong>軍事機密</strong>。万が一敵に伝わると、城内に施した仕掛けから有効な攻め方まで全てが露呈してしまう。機密情報が敵方に渡らないよう、技術を伝える文書はもちろん、家系図すら残さなかったという。1000年以上続いてきたとされる粟田家がいまだ15代を数えるのみなのも、その辺りに理由がある。</p>



<p>戦国時代の当時、穴太衆の指揮で石積みを手伝ったのは、現地に暮らす<strong>農家の人々</strong>だった。当時の主な運搬手段は牛や馬。その牛や馬を持っている農家の協力は不可欠だったため、農業が忙しい春と秋には城はつくられなかったという。同じものは二つとない自然の石を組み合わせる上、限られた職人にだけ極秘で伝えられてきた穴太衆の技術ゆえに、文字にして残すのが難しかったということもあるのかもしれない。<br><br><br></p>



<h2 class="wp-block-heading">息子や孫の代で崩れるような石垣はつくらない</h2>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/09/kiji4-6.jpg" alt="" class="wp-image-32000"/></figure></div>


<p> </p>



<p>「僕らの仕事はすごく特殊で、400年、500年もつ物をつくって、それで崩れたら『下手くそだ』と言われるんです。何年もたせたら上手いと言われるんだろうと気が遠くなることもありますが、だからこそ<strong>強さにはこだわりたい</strong>という思いがあります。今は石垣も見た目がきれいな方がいい、自分が生きている間もてば十分、と思う人が多いかもしれませんが、粟田の名がその石垣にずっと残って、何百年か先に崩れた時、『粟田の15代目は下手くそだった』とは言われたくない。うちは<strong>穴太衆で最後の1軒</strong>。地震や災害に強いと信頼されて続いてきたこの技で、僕の息子や孫の時代になって崩れるような石垣はつくりたくないと思っています」と粟田さん。</p>



<p>難しい仕事で、それだけの覚悟も必要だが、この技術は絶対に継承していきたいという。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">粟田さんが思う素晴らしい石垣とは？</h3>



<p>プロの目から見た素晴らしい石垣についても聞いてみた。「個人的に好きなのは、兵庫県の<strong>竹田城</strong>。この石垣も、穴太衆によって築かれたといわれています。大小さまざまな自然の石をバランス良く組み合わせた、唯一無二の石垣を見ることができますよ」。廃城から400年が経ち建物は残っていないが、石垣はほぼ当時のまま残されており、粟田家では3代にわたり修復を任せられているそうだ。「祖父や父が直したところを見ると勉強になりますし、特に思い入れがある石垣です」と粟田さんは微笑む。</p>



<p>石垣を見れば、城主の考えや当時の時代背景も知ることができるという。戦国時代、城の構造は人々の生死に関わることだった。道順を見れば「ここで待ち伏せをしたんだな」と気づくことができるし、大胆な反りのある石垣なら安土桃山時代のものかな、と予想することもできる。<strong>安土城</strong>の石段には墓石や地蔵があからさまに使われており、築城ラッシュにより石が不足していた時代背景や、城主信長の気性の荒さが垣間見られるのも興味深い。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">美しい日本の風景を残すために</h3>



<p>海外に呼ばれて石垣を積むこともあるという粟田さん。アメリカで仕事をした際、現地に住んでいる日本人の人が「<strong>この石垣を見ると日本を思い出す</strong>」と涙するのを見た時は、自分も心にくるものがあったという。</p>



<p>「僕は息子がいるが、このままいくと、息子に胸を張って「後を継げ」と言うのは難しい。苦労するのは目に見えているので。そのためには、自分が働けるうちにどうにかして道をつくってやらないといけない」と語る粟田さん。海外の仕事も積極的に受け、その石垣が注目されることで、日本でも石積みの魅力が見直される時が来たらと話す。</p>



<p>粟田建設が積んだ石垣は、東京都内では<strong>馬事公苑のオリンピック記念碑</strong>として使われているものを見ることができる。やや小ぶりだが、江戸城の石垣を再利用して全て手作業でつくられたという。石に触れ、石の声に耳を傾けながら、穴太衆がつないできた技に思いを馳せてみてはいかがだろう。 </p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/32930/">石の声を聴けー 石積みの里で穴太衆の技をつなぐ「粟田建設」/滋賀県大津市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>職人の誇りと銘木が生み出す、美しきマルナオ「MARUNAO」の高級箸／新潟県三条市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 27 Jun 2022 02:45:56 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[新潟県]]></category>
		<category><![CDATA[カトラリー]]></category>
		<category><![CDATA[高級品]]></category>
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		<category><![CDATA[職人]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/06/main-8-2.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>新潟県三条市で寺社を装飾する彫刻業から始まった「マルナオ」。今は箸に代表される多彩な木工製品を製作しています。彫刻の伝統技と銘木を扱ってきた経験を受け継ぐ製品は、高い機能性と洗練された佇まいが特長。長年積み上げてきた巧み [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/06/main-8-2.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p class="has-text-align-center"><strong>新潟県三条市で寺社を装飾する彫刻業から始まった「マルナオ」。<br>今は箸に代表される多彩な木工製品を製作しています。<br>彫刻の伝統技と銘木を扱ってきた経験を受け継ぐ製品は、高い機能性と洗練された佇まいが特長。<br>長年積み上げてきた巧みな手練と最新技術を融合した、細部まで美しい製品を提供しています。</strong></p>



<h2 class="wp-block-heading">マルナオの「箸」のはじまり</h2>



<p>新潟県の中心からやや西北の場所にある燕三条エリア。弥彦山（やひこさん）を望み、越後平野の田園地帯を見渡せる里山に、「<a href="http://www.marunao.com" target="_blank" rel="noopener" title="MARUNAO">MARUNAO</a>」（マルナオ株式会社）のショップを兼ねたファクトリーがある。森林に囲まれたそのモダンな工場では、八角箸に代表される高級箸やスプーンなどの木製カトラリーが、ひとつひとつ丁寧に職人の手作りで作られている。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full is-resized"><img decoding="async" width="640" height="427" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/image.png" alt="" class="wp-image-47509" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/image.png 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/image-300x200.png 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div>






<p>マルナオの創業は昭和14年（1939年）。現代表取締役・福田隆宏さんの祖父が、それまで手がけていた寺社や仏壇彫刻の伝統技をベースに、戦後の住宅需要を見込み、大工道具の製造をスタートさせたのがはじまりだ。大工道具三種の神器のひとつといわれ直線を引くための必需品「墨坪車（すみつぼぐるま）」が主な製品だった。以来、年号が平成に変わっても大工道具を作り続けてきたが、時代の変化とともに建築需要の落ち込みや工法の変化が訪れ、新しい事業展開が必要になった。そこで3代目の福田さんが、<span class="swl-marker mark_yellow">手工具を作る職人技術を生かし、「人間の身体に近く、使う人の繊細な感覚に寄り添えるもの」として目をつけたのが「箸」だった。</span></p>



<h2 class="wp-block-heading">世界に広がるマルナオ製品</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full is-resized"><img decoding="async" width="640" height="427" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/image-1.png" alt="" class="wp-image-47510" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/image-1.png 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/image-1-300x200.png 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div>






<p>使い慣れた道具をずっと使い続ける大工さんは、一度道具に裏切られると、もう二度とその道具を使ってはくれない。それを知っているからこそ、自分たちが自信と誇りを持って世に出せる道具しか作りたくはなかった。<span class="swl-marker mark_yellow">「とにかくいい箸を作ろう」と試行錯誤してたどり着いたのが、八角形で先端がわずか1.5ｍｍの木箸だった。</span>手に持つとき、中指がうまくフィットする偶数角が最も安定性が高く、掴みやすさと口当たりの良さが両立出来る形状だった。黒檀や紫檀といった密度が濃く水の浸みこみにくい硬い木が向いていることもわかった。<span class="swl-marker mark_yellow">特にマルナオ製品の代表的な木材であるカキノキ科の黒檀は、表面に漆加工などを施さない木箸には不可欠な防水性に優れ、木自身が持っている抗菌性が衛生的な上、見た目も美しく耐久性も抜群で、毎日使う食事道具として最適だった。</span>しかし、希少性の高い銘木を使うことで、当然、売値も高くなる。売り出し当時百貨店では一番高い輪島塗の夫婦箸で5,000円の時代に12,000円という価格設定だった。バイヤーからは「木箸なのになぜこんなに高価なのか」と半信半疑の目を向けられた。それでも、マルナオの箸は大手百貨店の対面販売などを繰り返すたびに高い評価を受け、実際に箸を使って日々の食事を楽しむ消費者に、その持ちやすさや口当たりのよさが理解されはじめた。平成16年（2004年）に新潟県を襲った集中豪雨で三条市を流れる五十嵐川が氾濫し、マルナオの工場の機械や資材の総入れ替えを余儀なくされたとき、箸づくりへの確かな手応えを得ていた福田さんは、箸の生産を中心にした事業計画へと舵を切る覚悟を決め父である2代目を説得した。その翌年に代表取締役に就任し箸づくりを更に本格化させていった。</p>






<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full is-resized"><img decoding="async" width="640" height="427" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/image-2.png" alt="" class="wp-image-47511" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/image-2.png 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/image-2-300x200.png 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div>






<p class="has-text-align-left">そうして<span class="swl-marker mark_yellow">平成21年（2009年）には世界最大規模を誇る国際消費財見本市である、ドイツ・フランクフルトのアンビエンテに箸だけで初出展を果たした。</span>手ごたえはまずまずだった。そして<span class="swl-marker mark_yellow">翌年には洋食需要を意識し、底圧2mmの薄さで口当たりの良さと見た目の美しさを備えた木製スプーンもラインナップに加え参加。</span>たまたま足を運んでいたフランス料理の巨匠ジョエル・ロブション氏の目にとまり、モナコにある氏の和食店でスプーンと箸が採用されることが決まった。それを足掛かりに次はパリで開催される国際展示会メゾン・エ・オブジェにも出展。スプーンなど文化性に合わせた商品が受け入れられると、名だたる星付きレストランのシェフたちがこぞってマルナオの高度な研磨技術が生み出すカトラリーを求め、欧州での知名度をぐんぐんと高めていった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統と革新が生み出すマルナオの道具</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full is-resized"><img decoding="async" width="640" height="427" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/image-3.png" alt="" class="wp-image-47512" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/image-3.png 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/image-3-300x200.png 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div>






<p>製品が評価されはじめ、多くのバイヤーが工場を見学に訪れるようになると、職人たちが来訪者の度に作業を中断しなければならないなどといった過度なストレスを抱えるようになった。それならば作業現場を常時公開しようと平成26年（2014年）現在の場所に<span class="swl-marker mark_yellow">製造工程を一般消費者が自由に見学できる<a href="https://www.marunao.com/ofinfo/" target="_blank" rel="noopener" title="オープンファクトリー">オープンファクトリー</a>と直営店を備えた新社屋を新たに設立した。</span>製造現場とギャラリーの間をガラスで間仕切りする事で見学者の気配を遮断し、また見学者側のスペースを暗いトーンにすることで職人の目には見学者が見えずらく、作業に集中できるようになった。一方の見学者はガラス越しながらも間近に職人たちのものづくりへの情熱を感じる取ることが出来る設計にした。この構造が職人に適度な緊張感をもたらすことにつながり、技術力の向上にもプラスに働いた。</p>







<p>平成29年（2017年）には東京に直営店をオープン。さらに2年後には「食文化や食の歴史が異なる場所で挑戦したい」と考え、新潟県では初となる念願の海外1号店をパリにオープンした。</p>






<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full is-resized"><img decoding="async" width="640" height="427" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/image-4.png" alt="" class="wp-image-47513" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/image-4.png 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/image-4-300x200.png 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div>






<p>今後はファクトリーの敷地にレストランを新設し、来訪客が実際にマルナオの箸やスプーンで食事のできる場所を提供できるよう計画中だ。<span class="swl-marker mark_yellow">戦前、彫刻の伝統技からスタートしたマルナオのものづくりは、当時と同じ高い職人魂を携え、美しく理想的な食具づくりとなって現在に至る。</span>「あくまでメインは食であって、道具は脇役でいいんです」と福田さん。持ちやすく、使いやすく、清潔であること。私たちは手で触れ口に入る食具を作っているという強い意識を持ってると胸を張る。本当によいと思えるものを世の中に提供している、その自信と誇りが更なるマルナオの発展を支え続けるだろう。</p>






<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full is-resized"><img decoding="async" width="920" height="613" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/104-kao.jpeg" alt="" class="wp-image-47514" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/104-kao.jpeg 920w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/104-kao-300x200.jpeg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/104-kao-768x512.jpeg 768w" sizes="(max-width: 920px) 100vw, 920px" /><figcaption class="wp-element-caption">マルナオ 3代目 福田隆宏さん</figcaption></figure></div>






<p>「マルナオ」のものづくりは、彫刻の伝統技から始まりました。そして現在、精鋭の職人たちの卓越した技能を巧みに駆使し、高い精度と美しい仕上がりの商品を世に送り出しています。先人の軌跡を踏まえ、伝統と革新を融合した道具を、これからも作り続けます。<br></p>


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		<title>熟練職人の手作業によって生まれる、諏訪田製作所のニッパー型爪切り／新潟県三条市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 20 Apr 2022 07:44:10 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[三条市]]></category>
		<category><![CDATA[諏訪田製作所]]></category>
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		<category><![CDATA[職人]]></category>
		<category><![CDATA[新潟県]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/04/main-5.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>各方面から評判の「SUWADAのニッパー型爪切り」 誰もが日常的に使用する生活道具のひとつ「爪切り」。手と足の爪を切る、ただそれだけのための快適さ、使いやすさに特化して、戦後70年以上、職人的な技術を磨き上げてきた企業が [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/04/main-5.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">各方面から評判の「SUWADAのニッパー型爪切り」</h2>



<p>誰もが日常的に使用する生活道具のひとつ「爪切り」。手と足の爪を切る、ただそれだけのための快適さ、使いやすさに特化して、戦後70年以上、職人的な技術を磨き上げてきた企業が新潟県三条市にある。「<a href="https://www.suwada.co.jp/" target="_blank" rel="noopener" title="">株式会社諏訪田製作所</a>」だ。<span class="swl-marker mark_yellow">「SUWADA」ブランド</span>として国内外で数々の賞を受賞し、世界的にも有名な製品の特徴は、何といってもニッパー型の形状にある。クリッパー型と呼ばれる従来の折りたたみタイプの爪切りは、使用するときの刃の開きが2～3ミリと短いため、巻き爪や変形の爪の場合、思うように切れないことが多い。しかしニッパー型であれば刃先が大きく開き、切る部分へのアプローチの角度も自在なので、どんな形状の爪も切りやすい。<span class="swl-marker mark_yellow">ネイルアーティストや医療・介護関係者からも高い評価を得ている。</span></p>



<p>諏訪田製作所の創業は、大正15年（1926年）。関東大震災後の住宅復興需要に合わせ、大工職人が使う「喰切（くいきり）」という道具を作り始めたのが原点だ。喰切とは、木材に釘を打った後、不要な釘頭（くぎあたま）を落とすために使用する刃物のことで、「ふたつの刃が両側からぴたりと合わさって対象を切る」製造技術と形状が現代のモダンな爪切りへと進化したというわけだ。<span class="swl-marker mark_yellow">創業以来諏訪田製作所の技術力の代名詞である、合刃（あいば）の技術が他とは一線を画す切れ味を生み出している。</span>手やすりで刃を磨きミクロン単位で研磨しながら調整を加える。全行程の中でも一番難しく時間のかかる繊細な工程は熟練の職人が代々技術を受け継ぎ守っている。こうして生まれる切れ味がプロたちの圧倒的な支持を得ているのだ。</p>



<figure class="wp-block-image"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/04/kiji2-5.jpg" alt="" class="wp-image-27662"/></figure>



<figure class="wp-block-image"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/04/kiji3-5.jpg" alt="" class="wp-image-27663"/></figure>



<h3 class="wp-block-heading">「SUWADAのニッパー型爪切り」だからこその特徴</h3>



<p>素材の吟味から鍛造、部品加工、研磨、合刃にいたるまで、諏訪田製作所のすべての製造工程は熟練した職人たちのクラフトマンシップによって支えられている。たった一本の爪切りであっても、完成までの工程は50～60にも及ぶ。商品によっては100を超える工程を経てようやく仕上がるものもある。品質と美しさに妥協はない。現在、8,000本／月のペースで生産を続けているが、注文に追いつくのがやっとで在庫に余裕がないほどの人気だ。<span class="swl-marker mark_yellow">「諏訪田製作所が作るのは、本物で、かつロングライフなものです。ここまで爪切りを突き詰めている会社は、他にはないと思います。」</span>営業部長の斉藤類さんはそう言って胸を張る。刃物なので、使用を重ねるうちに切れ味が悪くなることも、バネがきかなくなることもある。<span class="swl-marker mark_yellow">諏訪田製作所はすべての自社製品のメンテナンスに対応</span>している。職人が刃を研ぎ直し、動きの調整やバネの交換を行うことで、まさにロングライフなアイテムとしてずっと使い続けることが可能なのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">成長を続ける諏訪田製作所</h2>



<p>2020年には、「開かれた工場」としてスタイリッシュなオープンファクトリーをオープンした。インテリアはすべてブラックで統一されているが、そこには諏訪田製作所ならではの理由がある。鍛造の工程において、職人は火に熱された材料の色でその出来を判断する。そのため目視がしやすいように昔から暗い場所で作業が行われてきたのだ。工場見学を通して職人の実際の製造現場を一般に開放することで、ものづくりの哲学や製品への理解が深まり、同時に職人たちのモチベーションも上がったという。現在はショップ、レストラン、カフェも併設し、このエリアの観光スポットのひとつとしても有名だ。創業からもうすぐ100年。<span class="swl-marker mark_yellow">「本物を生み出す」ための徹底したこだわりによって磨き上げられてきたニッパー型の爪切りは、すでに究極の完成形にたどりついたように見えるが、「まだまだ改善したところはたくさんある」と斉藤さんは言う。</span>また新たにキッチンやダイニングに使える道具という新たなフィールドへのチャレンジを始めている。<span class="swl-marker mark_yellow">2020年のグッドデザインを受賞した「ソムリエナイフ」と「ワインオープナー」は洗練されたそのデザイン性や機能性が認められたことはもちろんのこと、これまで直結しなかった「食」のフィールドへの台頭を知らせるきっかけともなった。</span>これ以外にもカトラリーのバリエーションを広げるなど、諏訪田製作所の新しい取り組みが注目を集めている。よりよいものを常に求め続けるその妥協のない姿勢こそが、世界が評価する諏訪田製作所のクラフトマンシップに違いない。</p>



<figure class="wp-block-image"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/04/kiji4-5.jpg" alt="" class="wp-image-27662"/></figure>


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		<title>匠の伝統を受け継ぐ現代の木工芸職人「まる工芸」大澤昌史さん／岐阜県高山市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 23 Feb 2022 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[岐阜県]]></category>
		<category><![CDATA[高山市]]></category>
		<category><![CDATA[曲げ木]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/02/main-6.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>歴史的建造物を支える匠 岐阜県北部に位置する飛騨高山。豊かな森に囲まれたこのエリアでは「匠（たくみ）」と呼ばれる技術者が数多く育ち、1,300年ほど前から日本の木工や木造建築の先端を担ってきた。奈良時代においても、その技 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/02/main-6.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">歴史的建造物を支える匠</h2>



<p>岐阜県北部に位置する飛騨高山。<span class="swl-marker mark_yellow">豊かな森に囲まれたこのエリアでは「匠（たくみ）」と呼ばれる技術者が数多く育ち、1,300年ほど前から日本の木工や木造建築の先端を担ってきた。奈良時代においても、その技術の高さが認められ、年間100人ほどの匠を都に派遣する代わりに税が免除される「飛騨工制度」が特別に制定されるなど、薬師寺・法隆寺・東大寺など、数多くの神社仏閣の建立を支えてきた。</span><br>その後も歴史的な建築物に携わり伝統文化を発展させていくなかで、「飛騨春慶（ひだしゅんけい）」「一位一刀彫（いちいいっとうぼり）」などの工芸品を生み出してきた。そして、100年ほど前に西洋の家具技術“曲げ木”が伝えられ、試行錯誤しながら匠の伝統技術と融合した。日本人の食生活のスタイルがちゃぶ台からダイニングセットに変わっていくのにあわせて、高山の家具職人たちは高いデザイン性と機能性をあわせ持つ木工家具のノウハウをたくわえ、高山は日本を代表する家具生産地として誰もが認める存在となった。今日も国内外に“匠”のファンを増やし続けている。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="426" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/02/kiji2-5.jpg" alt="" class="wp-image-31491" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/02/kiji2-5.jpg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/02/kiji2-5-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">伝統工芸を現代生活にあわせていく</h2>



<p>東京都日野市に生を受けた大澤昌史さんは、20代前半に高山に移住し、職業訓練校で木工技術を学んだ後、家具職人として家具メーカーに就職した。「気にいってしまって、勢いで（笑）」と築80年を超える古民家を購入し、そこで自身の工房「<a href="https://megurumegurasu.com/marukogei">まる工芸</a>」を始めた。<br>当初は、木工家具を作っていたが、曲げ木の技法を追求していくなかでオーダーを受け「オーバルボックス」という楕円系の箱の制作を開始した。<span class="swl-marker mark_yellow">オーバルボックスはキリスト教諸派のシェーカー教徒が、19世紀ごろ｢美は有用性に宿る｣という信仰に基づき、ていねいな手仕事で生み出した家具の一つが起源。薄い木材を曲げて作られるシンプルな物入だ。多くのメーカーや職人たちがレプリカとして復刻版を制作するようになると、幅広い層からの支持をうけて、生活に溶け込むおしゃれな雑貨として知られるようになった。</span><br>それを大澤さん流に再現する。かなめは、家具職人時代に培った曲げ木の技巧。薄く堅牢な広葉樹を高温の蒸気で蒸して柔らかくし、型に入れて固定し、乾燥の加減を見極めてしなやかで美しい曲線を作り上げる。それぞれ異なる木目や木が持つ水分に合わせて、ミリ単位の調整が必要なため、一筋縄ではいかない。曲げた木が反ったり浮いたりしないよう“スワローテイル”と呼ばれる形に接合部をしつらえ、一つ一つていねいに貼り合わせる。絶妙な力加減で小刀を使って切り出し、細部にまで魂を込めていく。無駄が極限まで削ぎ落とされ、完全なる機能美を体現した作品は多くのファンをとりこにし、ほとんど店頭に並ぶことが無いまま、完売してしまう。<br>また、<span class="swl-marker mark_yellow">伝統的な工芸を現代の生活様式に合わせて再構築するのが、大澤さんのスタイル。曲げ木の技術を応用した優雅な曲線が美しい木製のティッシュケースや、見事な円を描いた木枠の中にはめた鏡なども生み出し、合理性とオリジナリティを両立させた様式美を追求する。</span>今度の目標は、100年後も残る作品を作ること。「ただ、美しいと心から思えるものを作りたい」。先人の意思と技を継いだ現代の匠の願いは、作品の佇まいのように、どこまでもシンプルで、比類なく純粋だ。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="426" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/02/kiji3-5.jpg" alt="" class="wp-image-31492" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/02/kiji3-5.jpg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/02/kiji3-5-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div>

<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="426" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/02/kiji4-5.jpg" alt="" class="wp-image-31493" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/02/kiji4-5.jpg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/02/kiji4-5-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/31488/">匠の伝統を受け継ぐ現代の木工芸職人「まる工芸」大澤昌史さん／岐阜県高山市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>伝統文化を代表する「加賀友禅の匠」柿本市郎さん／石川県金沢市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 30 Aug 2021 09:45:55 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[高級品]]></category>
		<category><![CDATA[着物]]></category>
		<category><![CDATA[加賀友禅]]></category>
		<category><![CDATA[工芸品]]></category>
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		<category><![CDATA[職人]]></category>
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		<category><![CDATA[金沢市]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/08/main-7.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>花鳥風月を描く加賀友禅 戦国武将・前田利家を初代藩主とする加賀藩前田家は、百万石の財力を注ぎ込み文化の発展に力を入れていた。城下に住む武士や町衆にも茶の湯や能の奨励をしたほか、三代藩主・利常が城内に御細工所を設置、京都や [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/08/main-7.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">花鳥風月を描く加賀友禅</h2>



<p>戦国武将・前田利家を初代藩主とする加賀藩前田家は、百万石の財力を注ぎ込み文化の発展に力を入れていた。城下に住む武士や町衆にも茶の湯や能の奨励をしたほか、三代藩主・利常が城内に御細工所を設置、京都や江戸から指導者を招き金工・漆工などの藩主用の工芸職人を養成するなど、京都の公家的文化や江戸の武家文化とは趣を異にする、独特な武家文化を確立させた。</p>



<p><a href="http://www.kagayuzen.or.jp/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">加賀友禅</a>は、江戸時代中期、京友禅の創始者といわれる絵師の宮崎友禅斎が、その技術を伝えたことから始まったといわれる。加賀友禅作家・<a href="https://kagayuzenkakimoto.com/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">柿本市郎</a>さんの仕事場は、加賀百万石の風情を残す金沢城や兼六園にほど近い住宅街にあった。「加賀友禅の師は自然です。<span class="swl-marker mark_yellow">京友禅は図案柄が多いのに対し、加賀友禅は花鳥風月を描くのが特長。</span>日々、散歩がてら兼六園あたりに出かけてスケッチをしています。地面に生えている草花を描かなければ本物にはならない。花屋の花では駄目なんです。若いころは、菊とか牡丹とか立派な花にひかれましたが、最近は名も知れぬ雑草に目がいきますね。雑草の秘められた強さ、美しさを友禅に描けないかと考えています」（柿本さん）</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="420" height="280" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/08/11032020_tabi_1558.jpg" alt="" class="wp-image-30362" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/08/11032020_tabi_1558.jpg 420w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/08/11032020_tabi_1558-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 420px) 100vw, 420px" /></figure></div>

<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="420" height="280" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/08/11032020_tabi_1554.jpg" alt="" class="wp-image-30363" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/08/11032020_tabi_1554.jpg 420w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/08/11032020_tabi_1554-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 420px) 100vw, 420px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">作家の個性がでる一点物の着物</h2>



<p>柿本さんの仕事場にかけられていた訪問着は、まさに花鳥風月の美しさを感じさせる１枚。明るく輝く半月に、色とりどりの植物。着物の柄というより、写実性の高い絵画を見ているようだ。<br>「見た目の美しさだけでなく、そこにある生命を描く。<span class="swl-marker mark_yellow">加賀友禅の技術のひとつに『虫喰い』というものがありますが、これは植物の葉に虫が食べたようなあとをあえて表現すること。毎日のように目の前にある自然を描いていると、そこにある変化にも気づきます。四季のある国に生まれてよかったなと思います</span>」（柿本さん）<br>大正から昭和にかけて活躍した友禅の人間国宝・木村雨山に学び、昭和42年に加賀友禅作家として独立した柿本さん。その繊細かつ大胆な作風が高く評価され、数々の賞を受賞。80歳を超えた現在でも第一線で活躍する。<br>「京友禅はデザインを決める人、絵柄を描く人、色を入れる人がそれぞれ別々ですが、加賀友禅ではすべてひとりで行います。ひとりでデザインを考え、絵柄を描き、そして染める。色の配合も自分で決めます。だから二度と同じものはできませんし、作家の個性が強く反映されることになります」（柿本さん）</p>



<p><span class="swl-marker mark_yellow">絵柄が繊細になれば、染めの作業も繊細になる。１枚の花びらのなかで色をぼかし、より立体的な美しさを表現するのも加賀友禅の特長だ。<br></span>「私の師匠でもある木村雨山先生の作品を見ると、色がはみ出したりもしていて、でもそれが植物の生命力を感じさせてくれる。私もその領域を目指しているのですが、まだまだ修行中です」（柿本さん）<br>60年を超えて、まだ修行。加賀友禅に限らないことだが、やはり工芸の世界は果てしなく奥深い。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="420" height="280" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/08/11032020_tabi_1562.jpg" alt="" class="wp-image-30365" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/08/11032020_tabi_1562.jpg 420w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/08/11032020_tabi_1562-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 420px) 100vw, 420px" /></figure></div><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/30360/">伝統文化を代表する「加賀友禅の匠」柿本市郎さん／石川県金沢市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>「刀剣研磨」の技術と芸術性を伝える人間国宝·本阿弥光州さん／東京都大田区</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 25 Aug 2021 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[東京都]]></category>
		<category><![CDATA[職人]]></category>
		<category><![CDATA[匠]]></category>
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		<category><![CDATA[プロデューサー]]></category>
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		<category><![CDATA[日本刀]]></category>
		<category><![CDATA[芸術]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/08/main-6.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本刀の価値を高めた本阿弥家 「本阿弥」という表札を見て、頭のなかで日本史の教科書をめくり直す。その名前に江戸時代に書家、陶芸家などとして活躍した本阿弥光悦を思い浮かべる人も多いだろう。東京都大田区の閑静な住宅街の一角に [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/08/main-6.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">日本刀の価値を高めた本阿弥家</h2>



<p>「本阿弥」という表札を見て、頭のなかで日本史の教科書をめくり直す。その名前に江戸時代に書家、陶芸家などとして活躍した本阿弥光悦を思い浮かべる人も多いだろう。東京都大田区の閑静な住宅街の一角に佇む和風の一軒家の主は、<span class="swl-marker mark_yellow">本阿弥光洲。日本刀の鑑定、研磨を行う人間国宝（重要無形文化財保持者）だ。</span><br>「鎌倉時代は馬の上で戦うために長い太刀が主流でしたが、室町時代になると地上戦で短い刀が使われるようになりました。当時は新しい刀を作るのではなく、長い刀の刀匠名が入った部分を切って短くしたので、誰が作ったものか分からなくなったことから、鑑定という仕事が必要になったようです。刀は武士の位を示すものでしたから、どんな刀を持っているかということがとても重要だったんです」（本阿彌光洲さん）</p>



<p>本阿弥家は、初代の本阿弥妙本が足利尊氏の刀劍奉行を務めて以来、代々鑑定や研磨を手掛け、日本刀のプロデューサー役を担ってきた。<span class="swl-marker mark_yellow">「折り紙付き」という言葉があるが、この語源は本阿弥家が発行していた刀剣の鑑定書のこと。本阿弥家が鑑定した刀であるという証明がつくことで刀の価値が高まったことから、言葉が広がったのだ。</span>日本刀にはさまざまな刀姿・刃文があり、帽子、茎形、銘を鑑賞する、非常に高度な芸術性を持つ作品だ。一振りの日本刀が完成するまでには、刀鍛冶が玉鋼から鉄を叩き出し成形した後、研ぎ、彫り、拵（こしら）えと呼ばれる「鞘（さや）」や「柄（つか）」を整える工程など、実に多くの職人の手で分業されるのだが、その手配をするのが本阿弥家だという。本阿弥光悦の本職もこの刀剣の鑑定や研磨であったのだが、書画・陶芸・漆芸・作庭など多方面に芸術性を発揮したことや、徳川家康から拝領した京都鷹峰に多くの職人仲間などと移住して芸術村を作ったことなどから、文化人として歴史に名を残した。</p>



<p>現宗家である光洲さんもまた、優れた日本刀を世に送り出すだけでなく、国宝・重要文化財等に指定された数多くの刀剣の研磨も手掛けるなど、文化財の保存にも大きな役割を果たしている。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="426" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/08/kiji2.jpg" alt="" class="wp-image-30335" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/08/kiji2.jpg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/08/kiji2-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">丁寧に作り上げた一点ものの刀</h2>



<p>光州さんの工房では、シュッシュッという刀を研ぐ音が響いている。板張りで北窓になった研磨作業のための部屋は、静謐で神聖な空気に包まれていており、全国の美術館や収集家が持つ名刀が研磨されるのを待っている。<br>「本阿弥家ならではの研ぎ方があるんですか？」（中田）<br>「<span class="swl-marker mark_yellow">代々伝えられているのは、『地鉄は秋の澄んだ空のように青黒くしなさい。刃文は松に積もった雪のようにふんわりと研ぎなさい』ということ。</span>技術自体はずっと変わっていません。いわゆる秘伝の技のようなことはいくつかありますが、大切なのはもともとその刀が持っているいいところをいかに引き出すかだと思っています」（本阿彌光洲さん）<br>光州さんの研磨は、現代の刀匠の個性や作風に合わせて見どころを強調しながら各工程を丁寧に進め、それぞれの刀剣の美点を最大限に活かして完成させるものとして、高い評価を得ているという。</p>



<p>自然の光で刃文を確認し、天然の砥石だけを使って刃を研ぐ。光り輝く日本刀を見ると、そこに宿る武士の魂まで生き返ったように感じるのは、私だけではないはずだ。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="426" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/08/kiji3.jpg" alt="" class="wp-image-30336" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/08/kiji3.jpg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/08/kiji3-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div>

<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="426" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/08/kiji4.jpg" alt="" class="wp-image-30337" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/08/kiji4.jpg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/08/kiji4-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/30332/">「刀剣研磨」の技術と芸術性を伝える人間国宝·本阿弥光州さん／東京都大田区</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>津軽塗を支える木地「つちだ工房」土田亙さん／青森県弘前市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 21 Jun 2015 01:47:37 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[青森県]]></category>
		<category><![CDATA[弘前市]]></category>
		<category><![CDATA[津軽塗]]></category>
		<category><![CDATA[ヒバ]]></category>
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		<category><![CDATA[木地]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/top_-tsuchita.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>青森を代表する工芸品、津軽塗 津軽を代表する工芸品である津軽塗。江戸時代の中期に弘前藩藩主の津軽信政の治世に始まったとされる。まず目が行くのは複雑で美しい模様だ。「研ぎ出し変り塗」といわれる技法で、幾重にも塗り重ねた漆を [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/21599/">津軽塗を支える木地「つちだ工房」土田亙さん／青森県弘前市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/top_-tsuchita.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">青森を代表する工芸品、津軽塗</h2>



<p>津軽を代表する工芸品である<a href="https://www.tsugarunuri.org/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">津軽塗</a>。江戸時代の中期に弘前藩藩主の津軽信政の治世に始まったとされる。<span class="swl-marker mark_yellow">まず目が行くのは複雑で美しい模様だ。「研ぎ出し変り塗」といわれる技法で、幾重にも塗り重ねた漆を研ぎだして作り出される。津軽塗のもうひとつの特徴は、しっかりとした作りで実用性が高いというところにある。</span>それを生み出しているのが木地職人だ。木地というのは読んで字のごとく、漆を塗る前の木材のこと。大きく分けて木地職人には板を組み合わせる指物師とろくろなどを使って器を作る木地師がいる。それら木地職人が作り出したものに漆を塗って漆塗はできあがる。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/1_-tsuchita.jpg" alt="" class="wp-image-24087" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/1_-tsuchita.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/1_-tsuchita-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">木地作りはすべてが手作業</h2>



<p>江戸末期には30人以上の木地職人が活躍していたが、現在では数軒を残すほどに減少してしまった。現在でも活躍する木工所のひとつ、つちだ工房におじゃました。「もともとは祖父が家具などの指物師だったんです」というのは今回お話を伺った土田亙さん。<span class="swl-marker mark_yellow">使う木材のほとんどが青森ヒバ。ヒバは耐久性が強いうえに柔らかさももっているので漆塗には最適なのだそうだ。</span><br>　加工は製材、木取りなどの加工は機械作業が一般的で、その他組み立てや仕上げまでの精度を伴う大事な作業は手作業。四角いお盆の縁を削るところを見せていただいた。四辺の木を組み合わせ、それぞれをつなぎとめた小さな木をかんなで削る。大小のかんなを用い削っていく。ときに大胆に、そして最後は繊細に削る。ミリ単位の調整が必要となる、まさに職人の仕事だ。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="213" height="320" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/2_-tsuchita.jpg" alt="" class="wp-image-24088" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/2_-tsuchita.jpg 213w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/2_-tsuchita-199x300.jpg 199w" sizes="(max-width: 213px) 100vw, 213px" /></figure></div>


<h3 class="wp-block-heading">塗師のことを考えて木地を作る</h3>



<p>木地師は漆を塗る前の木地を作る職人だ。だから漆を塗った最終的な作品は塗師のところでできあがる。「作ったものが手元に残らない寂しさもありますか？」と中田が聞くと少し笑いながら「それはありますね」と土田さんは答えてくれた。<br>「でもやっぱりものを作るのは楽しいです。わたしたちの仕事は塗師さんの注文通りにやることがほとんど。でもその注文はアバウトなものも多いので、自分のアイディアとかが入る余地がある。そういうところを考えながらやるのは楽しいです」<br>　土田さんは塗師のクセまで考えながら木地を作るという。「塗師がいないと木地師はいない」と土田さんは言うが、木地師がいないと塗師は仕事ができないのもまた事実だ。津軽を代表する工芸品の津軽塗は、多くの匠の手によって支えられているのだ。<br>画像：ⓒTEKUTEKU編集部</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/3_-tsuchita.jpg" alt="" class="wp-image-24089" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/3_-tsuchita.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/3_-tsuchita-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/21599/">津軽塗を支える木地「つちだ工房」土田亙さん／青森県弘前市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>350年の歴史が息づく鉄「有限会社二唐刃物鍛造所」／青森県弘前市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 12 Jun 2015 03:17:09 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[刃物]]></category>
		<category><![CDATA[二唐刃物]]></category>
		<category><![CDATA[職人]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸品]]></category>
		<category><![CDATA[鉄]]></category>
		<category><![CDATA[青森県]]></category>
		<category><![CDATA[弘前市]]></category>
		<category><![CDATA[製鉄]]></category>
		<category><![CDATA[鉄工所]]></category>
		<category><![CDATA[包丁]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/top_nigara.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>350年の歴史を受け継ぐ製鉄 青森県の津軽地方は古くから製鉄の盛んな場所だった。岩木山麓では大規模な製鉄が行われており、奈良時代から平安初期に使われていた鉄製の刀も発見されている。その流れは時代をくだっても続き、江戸時代 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/top_nigara.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">350年の歴史を受け継ぐ製鉄</h2>



<p>青森県の津軽地方は古くから製鉄の盛んな場所だった。<span class="swl-marker mark_yellow">岩木山麓では大規模な製鉄が行われており、奈良時代から平安初期に使われていた鉄製の刀も発見されている。</span>その流れは時代をくだっても続き、江戸時代の弘前には100軒以上もの鍛冶屋が並び鍛冶町が形成されていた。そのなか、約350年前に津軽藩より作刀を命じられたのが、今回お伺いした<a href="https://nigara.jp/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">二唐刃物鍛造所</a>のもととなっている二唐家だった。以降、日本有数の刀鍛冶として腕をふるってきた。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/2_nigara.jpg" alt="" class="wp-image-24059" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/2_nigara.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/2_nigara-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">青森県伝統工芸品に認定される包丁</h2>



<p>昭和に入っても刀匠として活躍。とくに二唐国俊は名匠として名高く、作刀技術発表会特賞など数々の賞を受けた。伊勢神宮、明治神宮の奉納刀を作製するという名誉ある仕事も成し遂げた。<br>　その二唐家の歴史を受け継ぐのが二唐刃物鍛造所だ。時代がくだり昭和40年代に入ると作刀は営業品目から外れるが、地鉄に鋼をつけたものを叩いて作るその作刀の技術は本打ち包丁に生かされている。その包丁は現在、<span class="swl-marker mark_yellow">青森県伝統工芸品に認定されている。また、刃物製作で培った鍛造の技術を活かして、溶接金物の製作も行っており、こちらの分野でも高い技術力が評価を得ている。</span></p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="213" height="320" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/3_nigara.jpg" alt="" class="wp-image-24060" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/3_nigara.jpg 213w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/3_nigara-199x300.jpg 199w" sizes="(max-width: 213px) 100vw, 213px" /></figure></div>


<h3 class="wp-block-heading">先人たちの技術を受け継ぐ</h3>



<p>「例えばダム現場なんかで、機械据え付けの足場となる歩廊を作るとき、鉄の骨梁をガスであぶって曲がりやくるいを取ったりするんです。そのときは鉄の性質を知らないとできません」とお話を聞いた吉澤俊寿さんは言う。<br>「それを先人たちは、肌で、経験で知った。学術が進み、いろいろわかってきているけど、日々の仕事、生活のなかで知ってものづくりをしていた。だから日本のものづくりはすごいんです」<br>　350年という歴史のなかで、職人たちが育んだ技術を受け継ぎ、それをさらに磨きあげて次世代につなぐ。包丁のような目に見えるものだけでなく、鉄骨というわたしたちが普段目にすることのないところで近代的な建築物などにも歴史は息づいているのだ。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/21398/">350年の歴史が息づく鉄「有限会社二唐刃物鍛造所」／青森県弘前市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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