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	<title>神社・仏閣 - NIHONMONO</title>
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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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	<title>神社・仏閣 - NIHONMONO</title>
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		<title>全国にある天満宮の総本宮。1125年の節目へ向かう「太宰府天満宮」／福岡県太宰府市</title>
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		<pubDate>Wed, 13 Nov 2024 05:00:22 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[神社仏閣]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/108db981a62d4a29c44ce4485cc1d0e0.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>博多から車で約40分。福岡県中西部に位置する太宰府市は、7世紀後半から12世紀後半にかけ、九州を統括する行政機関･大宰府が置かれた場所。ここで903年より創祀し、今なお歴史を紡ぐのが、学問の神様として知られる菅原道真公を [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/108db981a62d4a29c44ce4485cc1d0e0.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>博多から車で約40分。福岡県中西部に位置する太宰府市は、7世紀後半から12世紀後半にかけ、九州を統括する行政機関･大宰府が置かれた場所。ここで903年より創祀し、今なお歴史を紡ぐのが、学問の神様として知られる菅原道真公を祀る「太宰府天満宮」だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading"> “天神さま”を祀る天満宮の総本宮</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/9162a811b2ee5a7fb40892ac579e5e73.jpg" alt="" class="wp-image-50358" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/9162a811b2ee5a7fb40892ac579e5e73.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/9162a811b2ee5a7fb40892ac579e5e73-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/9162a811b2ee5a7fb40892ac579e5e73-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「太宰府天満宮」は、全国に約一万社存在する天満宮の総本宮だ。「天満宮」とは、平安時代を生きた菅原道真公（天神さま）を御祭神とする神社。では菅原道真公とは、一体どんな人物だったのか。</p>



<h3 class="wp-block-heading">学問、そして政治にも長けた人物</h3>



<p>845年6月25日、学者の家に生まれた菅原道真は、幼少期から和歌や漢詩に親しみ、青年期には自らも学者としてその才能を開花させた。さらに政治の世界に歩みを進めると、いち早く世界情勢を察知して遣唐使を廃止するなど、先見の明を持って改革を行い、当時の天皇に重用され、朝廷の政務を統括する右大臣としても活躍するようになる。<br>しかしその才能を妬んだ藤原時平の策謀により、京都から遠く離れた大宰府へ流される。それでも道真公は、天を恨まず、人を憎まず、最後まで国の繁栄や天皇の安泰を祈り、903年2月25日、59歳で人生の幕を閉じた。太宰府天満宮は、その菅原道真公の墓所であるとともに、以後、道真公を天神さまとして仰ぐ祈りの場となった。なお墓所と神社が同じ場所であることは、全国的にも珍しい。</p>



<h3 class="wp-block-heading">1125年の節目に向けて</h3>



<p>由緒ある神社では、数年、数十年ごとに神幸祭や社殿の建て替えなどを行う。太宰府天満宮では25年ごとだ。理由は、道真公の誕生日が6月25日、亡くなった日が2月25日と、25という数字に深い縁があるからだ。じつは、左遷の命を受けたのも1月25日なのだとか。そして迎える2027年は、道真公の薨去から1125年という大きな節目。太宰府天満宮では、この年の式年大祭に向け、124年ぶりに重要文化財である御本殿の大改修を行なっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">自然豊かな大宰府の杜から</h3>



<p>大改修は2023年に始まり、約3年続く。その間、参拝者を迎えてくれる場として設けられたのが仮殿だ。屋根の上に、森の一部をそのまま移したような佇まいが印象的で、設計は、国内外で活躍し、2025年大阪･関西万博の会場デザインプロデューサーも務める建築家･藤本壮介氏が担当。太宰府に何度も足を運び、天満宮を囲む杜を目にした感動からイメージを固めていったという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">太宰府天満宮の飛梅伝説</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA017-6932.jpg" alt="" class="wp-image-50359" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA017-6932.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA017-6932-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA017-6932-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>あわせてアイデアの素となったのが、太宰府天満宮に伝わる「飛梅伝説」だ。「飛梅伝説」とは、御本殿そばの御神木である梅の木にまつわる伝説で、道真公が京都を離れる際、それまで自邸の庭で可愛がっていた梅の木に、「東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」（春の風が吹いたら香りを届けておくれ　主人がいなくなっても春を忘れずに咲くのだよ）と別れの歌を詠んだところ、その梅がわずか一晩で大宰府まで飛んできて根を下ろした、というものだ。「広大な森が御本殿の前に飛んできた」という仮殿のコンセプトは、ここから生まれた。</p>



<p>ちなみに太宰府天満宮の境内には約6000本の梅の木があり、毎年1月下旬から3月上旬にかけて美しい花を咲かせる。梅の実は職員によって収穫され、梅干しや梅酒となって「お札お守授与所」にて販売されている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自然と共存する天満宮を形に</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA027-7105.jpg" alt="" class="wp-image-50360" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA027-7105.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA027-7105-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA027-7105-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>仮殿内に張られた御帳（みとばり）と几帳（きちょう）にも注目したい。それらはパリコレなどにも出展しているファッションブランド「Mame Kurogouchi」によるものだ。クロゴウチ氏も太宰府に幾度となく足を運び、さまざまな資料にふれながら構想をまとめた。御帳に描かれた柄は、ある雨の日、境内のクスノキにぽっかりと空いた穴の中で雨宿りをした際に見えた風景。太宰府天満宮と自然との深い関係性も見つめ、素材には境内の梅や草で染めた糸を採用。現代の織り機を使い、古代と現代の交差も表現に織り込んだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">変わらないために、変わり続ける</h3>



<p>そんな仮殿へは、賑わう参道から鳥居をくぐり、道真公の門弟が作ったとされる心字池（しんじいけ）にかかる３つの赤い太鼓橋を渡って向かう。橋は手前から過去、現在、未来を表し、水の上を渡ることで身も心も清らかとなり、天神さまに近づけるという結びの意味もあるという。そして橋を越えると、風格のある朱塗りの楼門がそびえ、通過した先に、自然と一体となった仮殿が姿を見せる。</p>



<p>御本殿の改修が完了したタイミングでこの仮殿は役目を終え、解体されるが、屋根の上の植物たちは、再び森へ帰っていく。太宰府天満宮が大切にする「変わらないために変わり続ける」ということを、この3年間は特に感じることができるかもしれない。参拝はもちろん、仮殿内で神職に祝詞を挙げてもらう祈願によって、天神さまからご神徳をいただく経験も勧めたい。</p>



<h2 class="wp-block-heading">境内でアートに出会う</h2>



<p>参拝、祈願を終えて境内を散策すると、道真公にゆかりのある文化財を所蔵する宝物殿や、宮司が4代･120年にわたり誘致に奔走し開館が叶った九州国立博物館へのアクセストンネルなどが目に入り、文化芸術との距離の近さを感じるはずだ。道真公は学問だけでなく、和歌や漢詩にも優れた人物であったため、文化芸術の神様としても親しまれており、太宰府天満宮もその分野に関わることにさまざまな形で力を注いできた。</p>



<p>2006年からは、国内外で活躍するアーティストを太宰府に招き、神道や天神さま、太宰府天満宮について触れ、感じたことを、100年後、1000年後にも残る作品へと落とし込んでいくプロジェクト「太宰府天満宮アートプログラム」が始まった。プログラムで制作された作品のうち一部は屋外に設置されており、境内を散策しながら鑑賞できることから境内美術館と呼ばれている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ユニークな10作品を巡る</h3>



<p>参道から鳥居をくぐり、右手に見える浮殿（うきどの）には、イギリスのアーティスト、ライアン･ガンダー氏の作品「Really shiny stuff that doesn’t mean anything 本当にキラキラするけれど 何の意味もないもの ©Ryan Gander, 2011 Courtesy of TARO NASU※」が設置されている。これはガンダー氏が、参拝者が「見えないもの」に対し祈っている姿に衝撃を受け、その「見えない力」を磁力で表した作品だ。<br>※神社の行事などにより、展示されていない場合あり</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA031-7465.jpg" alt="" class="wp-image-50361" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA031-7465.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA031-7465-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA031-7465-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /><figcaption class="wp-element-caption">「Everything is learned, VI すべてわかった VI」 ©Ryan Gander, 2011 Courtesy of TARO NASU</figcaption></figure>



<p>また宝物殿そばの梅林には、同じくライアン･ガンダー氏の作品「Everything is learned, VI すべてわかった VI ©Ryan Gander, 2011 Courtesy of TARO NASU」が置かれている。一見、上部がすり減った “岩”だが、ロダンの彫刻作品「考える人」が、この石の上で熟考したのち「すべてわかった」と立ち上がり、去った、という様を表した作品で、想像力を掻き立ててくれる。他にも、アスファルトに直接描かれたローレンス･ウィナー氏の「THE CENTER OF A CENTER ひとつの中心のその中心 ©Lawrence Weiner, 2020 Courtesy of TARO NASU」や、子どもたちの手形の未来に想いを巡らせてくれるサイモン･フジワラ氏の「The Problem of Time 時間について考える©Simon Fujiwara, 2013 Courtesy of TARO NASU」など、境内美術館には2024年4月現在、10作品が展示されている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA032-2263.jpg" alt="" class="wp-image-50362" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA032-2263.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA032-2263-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA032-2263-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /><figcaption class="wp-element-caption">「THE CENTER OF A CENTER ひとつの中心のその中心」©Lawrence Weiner, 2020 Courtesy of TARO NASU</figcaption></figure>



<h2 class="wp-block-heading">天神さまなら、どう考える？</h2>



<p>太宰府天満宮が同プログラムを推進する理由には、常に時代の最先端を見つめた菅原道真公が、もしも現代に生きていたら、どのように考えるか、という思いがある。「アーティストの選定や作品作りの際、迷いが生じた時も、『天神さまに喜んでいただけるだろうか』ということを考えます。そしてプロジェクトがスタートしてからも、神社とアーティストのどちらかが一方的にならないよう、常に歩み寄り、信頼関係を構築していくことを何より大切にしています」と、権禰宜の高山博子さん。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA019-6936-1.jpg" alt="" class="wp-image-50364" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA019-6936-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA019-6936-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA019-6936-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>豊かな自然を感じたい人、神道に触れたい人、アートに触れたい人、それらをもっと深めたい人……。<br>太宰府天満宮はこれからも、多くの人の心を動かす「見えないもの」を育みながら、時代とともに歩み続ける。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/50357/">全国にある天満宮の総本宮。1125年の節目へ向かう「太宰府天満宮」／福岡県太宰府市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>吉野川の清流と美馬の自然とが織りなす庭園美が調和する古刹「本楽寺」／徳島県美馬市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 31 Oct 2023 02:37:57 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/top-7.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>徳島県を西から東へと流れる四国最大級の河川・吉野川。その流域に位置する美馬（みま）市に、平安時代初期に創建された寺院「本楽寺」がある。雄大な吉野川の流れを借景とした枯山水と天然の山肌を生かした回遊式庭園、個性あるふたつの [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/top-7.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>徳島県を西から東へと流れる四国最大級の河川・吉野川。その流域に位置する美馬（みま）市に、平安時代初期に創建された寺院「本楽寺」がある。雄大な吉野川の流れを借景とした枯山水と天然の山肌を生かした回遊式庭園、個性あるふたつの庭園を有する古刹は、心洗われるパワースポットとして人気を誇っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">徳島西部の自然を望むロケーション　</h2>



<p>四国の中央部に標高1,000メートル級の山々が連なる四国山地。日本百名山のひとつ「剣山（つるぎさん）」をはじめ、多くの山々が<strong>古くから山岳信仰の霊峰</strong>として栄えてきた。本楽寺は、この四国山地を横断する吉野川の中流域、徳島県美馬市穴吹町にある真言宗御室派の寺院。悠々と流れる吉野川を望む見晴らしのいい高台に建つ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">戦国時代は砦にもなった真言宗の寺院</h3>



<p><a href="https://honrakuji.jp/index.html/" target="_blank" rel="noopener" title="">本楽寺</a>は828年に僧恵運（えうん）が真言の道場として開創、1131年に僧有純が中興したと伝えられる古刹。前には川、背後に山が控える高台という立地から、戦国時代は砦として利用されていたそうだ。“天然の要害”という言葉を彷彿とさせる急な坂道を登り、山門をくぐると、目の前には美しく手入れされた境内が広がっている。右手には枯山水と吉野川の景観、左手には客殿、正面の石畳の向こうに本堂がある。</p>



<h3 class="wp-block-heading">地形を生かした懸け造りの本堂</h3>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img decoding="async" width="602" height="404" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/86a6fcd9e5889fd4b3ad4c4b717a1e77.jpg" alt="" class="wp-image-39183" style="width:899px;height:603px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/86a6fcd9e5889fd4b3ad4c4b717a1e77.jpg 602w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/86a6fcd9e5889fd4b3ad4c4b717a1e77-300x201.jpg 300w" sizes="(max-width: 602px) 100vw, 602px" /></figure>



<p>安土桃山時代、同寺は長宗我部氏の兵火にあい全焼。1863年にも火災にあい、翌年僧有圭により再建された。現在境内には、本堂、護摩堂、天神社、客殿、茶室があるが、すべて平成以降に建て替えや修繕が行われたもの。本堂と護摩堂は<strong>懸け造り</strong>という伝統工法で建てられている。一般的にイメージしやすい例としては、京都の清水寺本堂を思い浮かべてほしい。崖の下から長い柱と梁（はり）が格子状に組まれた上にすっくと建つ姿が壮観だ。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">戦火をまぬがれた阿弥陀如来像</h3>



<p>本楽寺は、江戸時代には徳島藩主・蜂須賀（はちすか）氏の菩提所となり、藩祖・蜂須賀正勝の正室や、同藩家老の稲田家累代の霊位がまつられている。</p>



<p>本堂は青森ヒバが使われた木造建築で、阿弥陀如来像が本尊として安置されている。腹帯を結んだめずらしい姿から鎌倉時代の作とされる寄木造りの坐像で、高さは45cm。柔らかさと厳しさを兼ね備えた表情が印象的だ。ほかにも多数の宝物があったが、先の兵火で消失したとのこと。堂内には他に徳川６代将軍家宣公から伝えられたとされる秘仏・大聖歓喜天や仏画などが収められている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">枯山水と回遊式庭園の２つの庭を寺院の顔として</h2>



<p>さて、このように長い歴史を持つ本楽寺だが、現在、ここを訪ねる人の大半は美しい庭が目当てではないだろうか。<span class="swl-marker mark_yellow"><strong>枯山水と回遊式庭園</strong>。特徴あるふたつの庭園は、作庭家であり古庭園･寺院境内研究家でもある<strong>齋藤忠一（ただかず）氏</strong>が手掛けたもの。</span>日本各地の庭園の作庭や監修、修復を行い、上田宗箇（そうこ）流家元の露地（広島）や松寿院の庭園（静岡）、廣澤美術館“つくは野の庭”（茨城）など、自然石を用いた高い精神性が感じられる庭を多数生み出す作庭家だ。同寺院の庭園は齋藤氏によって昭和後半から平成初め頃に作庭されたとされている。</p>



<p>「もともと檀家の庭師の方が手がけた枯山水の庭があったのですが、『もっと人が呼べる寺に』という思いから、前住職だった父が齋藤先生に作庭を依頼したんです」と住職の吉田宥玄さんは話す。</p>



<h2 class="wp-block-heading">国内唯一？ 川を借景にした石庭</h2>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img decoding="async" width="602" height="404" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/884cabc3ccb72b24787d72d09fb5351b.jpg" alt="" class="wp-image-39186" style="width:900px;height:604px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/884cabc3ccb72b24787d72d09fb5351b.jpg 602w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/884cabc3ccb72b24787d72d09fb5351b-300x201.jpg 300w" sizes="(max-width: 602px) 100vw, 602px" /></figure>



<p>そもそも枯山水とは、水を一切使わず、自然の風景を表現した庭園の形式を指す。<span class="swl-marker mark_yellow">本楽寺の枯山水「鶴亀の庭」は、<strong>すぐ目の前を流れる吉野川と背後に広がる阿讃（あさん）山脈の眺めを借景にした庭園</strong>だ。山ではなく、川を借景にした庭園は日本ではここだけといっても過言でないだろう。</span>中国の道教思想に基づき、水を表す白砂と、鶴亀に見立てた石組みを中心に構成されている。阿波特有の青石を使い、吉野川に向かって左手から亀石組み、鶴石組み、そして不死の妙薬を運ぶ舟石を配置。左端の蓬莱島を表す多重塔に、鶴と亀が向かう姿が表現されており、そこには不老長寿や繁栄、慶祝への願いが込められている。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">四国八十八景にも選定</h3>



<p>「鶴亀の庭」は、客殿から見たとき、もっとも美しく見えるように計算してつくられているとのこと。客殿の廊下から改めて庭を見渡す。ダイナミックな石の造形と、さざなみや流水、渦などを表す砂紋を施した白砂の対比。そこに雄大な吉野川の景色が重なり、どこか大陸的なゆったりと広がりのある世界観に引き込まれる。ここからの眺めは、<span class="swl-marker mark_yellow">四国らしい風景や街並みを指定して、その魅力を発信していくプロジェクト<strong>「四国八十八景」</strong>のひとつに選定されている。</span>「特に雨の日は雰囲気がいいですよ」と吉田さん。</p>



<h2 class="wp-block-heading">緑と岩肌が織りなす庭園美</h2>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img decoding="async" width="602" height="404" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/02c57748c70af702145a8150d674a884.jpg" alt="" class="wp-image-39191" style="width:899px;height:603px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/02c57748c70af702145a8150d674a884.jpg 602w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/02c57748c70af702145a8150d674a884-300x201.jpg 300w" sizes="(max-width: 602px) 100vw, 602px" /></figure>



<p>境内を山手のほうに進むと、もうひとつの庭、<strong>回遊式庭園</strong>がある。<span class="swl-marker mark_yellow">こちらはゴツゴツとした山肌が迫る地形を生かしながら、石組みや石段、植栽が施され、まるで<strong>大自然の縮図のような景観</strong>をつくり出している。</span>庭園の中央にあるのは、もともとの岩肌を生かした滝石組みの「龍門瀑（りゅうもんばく）と鯉魚石（りぎょせき）」。落差約６メートルの滝のまわりをめぐるように石段や小径が設けられ、滝の頂にかけられた石橋を渡って回遊できる造りとなっている。ちなみに龍門瀑とは、中国の鯉が黄河の滝を登って竜になるという故事“登竜門”にちなんだ石組みの様式を表す。</p>



<p><span class="swl-marker mark_yellow">庭園内は、天然の岩と石組みが織りなす荘厳さと、斜面をおおう苔や木々の緑が調和し、心が浄化されるような庭園美に浸ることができる。</span>また庭内にはモミジが多く、紅葉のシーズンはあでやかな雰囲気も楽しめそうだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">岩盤の上に建つ茶室でほっこり</h3>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img decoding="async" width="602" height="404" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/bac1ee21c464ff951ab82ac2abfa442d.jpg" alt="" class="wp-image-39194" style="width:900px;height:604px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/bac1ee21c464ff951ab82ac2abfa442d.jpg 602w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/bac1ee21c464ff951ab82ac2abfa442d-300x201.jpg 300w" sizes="(max-width: 602px) 100vw, 602px" /></figure>



<p>滝の頂から小径を歩くと、<strong>数寄屋造りの茶室</strong>「一二三（ひふみ）庵」にたどり着く。敷石に前述の青石を使った趣ある露地を通って茶室へ。建物は大きな岩盤の上に建てられているため、大きな窓から迫力ある岩肌やその下にある本堂、客殿、庭園などを一望できる。</p>



<p>すがすがしくしつらえた茶室は、本格的な茶事に使用できるほか、気軽にお抹茶で一服することもできる。季節の彩りを借景に、丁寧に点てられたお抹茶と茶菓子を味わい、ゆっくりとした時間の流れに身を委ねるのもいい。</p>



<h3 class="wp-block-heading">五感で味わう精進料理も</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="687" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/DSC_0010-1024x687.jpg" alt="" class="wp-image-39195" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/DSC_0010-1024x687.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/DSC_0010-300x201.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/DSC_0010-768x515.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/DSC_0010.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>さらに本楽寺の魅力を深く体感できるのがお料理。旬の野菜の風味を最大限に引き出し、丁寧に仕上げられた<strong>懐石精進料理</strong>は、一品一品が芸術作品のよう。季節を映す上品な味わいが、穏やかで豊かな気持ちへと誘ってくれる。</p>



<p>「私は、お寺も人々から愛される魅力を持たなければならないと思っています。庭園と料理を通じて、芸術の向上や人々の幸せに貢献したいのです」 そんな思いを実践する吉田さんは、現在も齋藤氏の指示を受けながら、庭づくりをコツコツと継続中。料理も自らが腕をふるうそうだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">繰り返し訪れたい、自分を見つめ直せる空間</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="687" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/DSC_0076-1024x687.jpg" alt="" class="wp-image-39196" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/DSC_0076-1024x687.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/DSC_0076-300x201.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/DSC_0076-768x515.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/DSC_0076.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="686" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/y_edited-1024x686.jpg" alt="" class="wp-image-39197" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/y_edited-1024x686.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/y_edited-300x201.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/y_edited-768x515.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/y_edited.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>「庭には多くの精神の物語があり、作庭家は庭に様々な意味を込めて造ります。（中略）ですから<strong>庭は繰り返し見ることが大事</strong>です。それは優れた小説を繰り返し読むことと同じ行為といえます」<br>これは、齋藤氏が庭のあり方について語った一節。四季折々の自然と人の手が創り出したものが見事にコラボレーションした本楽寺は、何度訪れても違った発見があり、そのたびに今の自分を見つめ直せる、そんな場所に違いない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/39172/">吉野川の清流と美馬の自然とが織りなす庭園美が調和する古刹「本楽寺」／徳島県美馬市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>お大師さんの足跡をたどり、祈りを紡ぐ。四国遍路のスタート地点「霊山寺」/徳島県鳴門市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/37986/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 26 Jul 2023 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/top-5.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>四国４県に点在する弘法大師ゆかりの霊場88ヶ所をめぐる四国遍路。信仰目的以外にも、観光や健康増進、アウトドア感覚で“お遍路さん”を始めた、という人も多いという。徳島県鳴門市にある霊山寺（りょうぜんじ）は、この四国遍路の一 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/top-5.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>四国４県に点在する弘法大師ゆかりの霊場88ヶ所をめぐる四国遍路。信仰目的以外にも、観光や健康増進、アウトドア感覚で“お遍路さん”を始めた、という人も多いという。徳島県鳴門市にある霊山寺（りょうぜんじ）は、この四国遍路の一番札所。幾多の人々が祈りや思いを抱いてその出発点を訪れる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">修行のメッカだった四国</h2>



<p>近年、霊場巡りがちょっとしたブームだという。西国三十三所観音や坂東三十三観音、熊野古道伊勢路など全国に数多くの巡礼路があり、シニア世代を中心にたくさんの人々が、聖地へと足を運んでいる。</p>



<p>その中でも人気が高いのが、<strong>四国八十八ヶ所霊場</strong>ではないだろうか。<strong>1,200年以上の歴史を持ち、全行程約1,460kmにおよぶ壮大な回遊型巡礼路</strong>で、日本遺産にも認定されている。 ちなみに四国八十八ヶ所霊場巡りは、<strong> “お遍路” </strong>とも呼ばれる。由来は、険しい山々が連なる四国は、奈良や京都の都から遠く、修行の場に適した“辺土（へんど）”といわれていたから。それがのちに“遍路”に変化したものと考えられている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">四国の玄関口・鳴門市を出発点に</h3>



<p>この四国遍路は、阿波（徳島県）、土佐（高知県）、伊予（愛媛県）、讃岐（香川県）と、<strong>札所番号の順に巡拝するのが基本</strong>とされる。そのスタート地点にあたるのが<strong>霊山寺</strong>だ。 同寺のある鳴門市は、大阪・兵庫から淡路島を経由して四国に入る玄関口に当たる都市で、霊山寺はその南西部に位置する。</p>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img decoding="async" width="602" height="401" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/322dd3b5baddb9fed4640634f21a6fae.jpg" alt="" class="wp-image-37992" style="width:899px;height:599px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/322dd3b5baddb9fed4640634f21a6fae.jpg 602w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/322dd3b5baddb9fed4640634f21a6fae-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 602px) 100vw, 602px" /></figure>



<h2 class="wp-block-heading">２度の火災に見舞われた古刹</h2>



<p>霊山寺の開創は天平年間。聖武天皇から信頼の厚かった僧行基が、天皇の命を受けて開いたと伝えられる。かつては荘厳な伽藍（がらん）が立ち並び、室町時代には阿波三大坊のひとつとして栄えたが、1582年、長宗我部（ちょうそかべ）元親の兵火により全焼。阿波藩主・蜂須賀光隆によって復興したものの、1891年には出火により本堂と多宝塔以外の建物を再び焼失している。今、私たちが目にする霊山寺は、100年あまりの歳月をかけて、当時の姿へと再建されたものだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">四国霊場の生みの親・弘法大師とは？</h2>



<p>この霊山寺に深い関わりのある人物が、平安時代初期の僧で、名筆家としても知られる<strong>弘法大師（空海）</strong>。全国にゆかりの地や逸話も多く、今なお「弘法さん」「お大師さん」と親しみをこめて呼ばれる仏教界のスーパースターだ。</p>



<p>774年に現在の香川県善通寺市で生まれた弘法大師は、804年に遣唐使の留学僧として唐に渡り、２年間密教を学んだ。帰国後は真言宗を開創し、日本国内で仏教の布教活動に力を注ぐとともに、民衆のための教育施設「綜芸種智院（しゅげいしゅちいん）」の設立や、香川県の農業用貯水池の修築工事など教育や社会事業にも取り組んだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">“いちばんさん”になった理由</h3>



<p>弘法大師はたびたび生まれ故郷の四国で修行を行った。そして42歳のとき、人間の持つ88の煩悩をなくそうと、88ヶ所の寺院を選び札所としたことが、四国八十八ヶ所霊場の始まりとされている。</p>



<p>霊山寺が一番札所になったのは、四国の東北角から右回りに霊場を開くべく、彼がこの地を訪れたことに由来する。仏法を説く老師を弟子たちが取り囲む姿を見て、釈迦如来が天竺（インド）の霊鷲山（りょうじゅせん）で行った説法の様子と似ていると感じた。そこで天竺の霊山を大和（日本）に移すという意味で、「竺和山 霊山寺」と名づけ、霊場開設の成就を祈ったそうだ。地元では同寺のことを親しみをこめて「いちばんさん」と呼ぶ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">地域に根ざした接待文化</h3>



<p>当初四国遍路は、修行僧が中心だったが、弘法大師信仰が高まるにつれて、日本全国から、そして世界各国からも人が訪れるようになった。宗教、国籍、性別、年齢等を越えて、誰でもいつでも遍路を始められる門戸の広さが魅力といえよう。</p>



<p>また四国遍路が人の心をとらえる理由の一つに<strong>「お接待文化」</strong>がある。<strong>地域全体で四国遍路を支える行い</strong>のことで、お遍路さんにお菓子や飲み物、宿などを無償で提供したり、「がんばってください」「ご苦労さまです」などと応援の声をかけることが、ごく自然に行われている。長い歴史の中で継続されてきたあたたかい風習が、厳しい巡礼の旅を続けるエネルギーになっているのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">お遍路スタイルで参拝を</h3>



<p>ふつうにお参りするのもいいが、この機会にお遍路を始めたい人、お遍路気分を味わいたい人は、白衣、金剛杖、袈裟、菅笠など最低限の巡礼の衣装で参拝してはどうだろう。</p>



<p>金剛杖は1.5mほどの白木の杖で、お大師さまの化身とされる神聖な用具。休むときは先を洗って合掌する、トイレなど不浄なところには持っていかないなどのルールがある。<br>菅笠（すげがさ）は日除け、雨傘代わりに。笠に書かれた「同行二人（どうぎょうににん）」とは、お大師さんと常に一緒であるという意味である。</p>



<p>数珠や教本、納経帳、納札（おさめふだ）、線香、ろうそく、ライターなどの持ちものは、頭陀袋（ずたぶくろ）に入れて持ち歩くが、容量が大きく疲れにくいリュックを代用してもOK。靴はスニーカーなど歩きやすいものを。</p>



<p>お遍路グッズは、霊山寺の駐車場横の総合案内所でそろえることができる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img decoding="async" width="602" height="401" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/ef8cb521a368c1fcfeed38b5fe4aa02c.jpg" alt="" class="wp-image-37995" style="width:901px;height:600px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/ef8cb521a368c1fcfeed38b5fe4aa02c.jpg 602w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/ef8cb521a368c1fcfeed38b5fe4aa02c-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 602px) 100vw, 602px" /></figure>



<h2 class="wp-block-heading">訪れる人をあたたかく迎える境内</h2>



<p>さて霊山寺の最寄りはJR高徳線の板東駅。駅を降り立つと、さっそく白装束に菅笠姿の人があちこちに見受けられる。</p>



<p>駅から徒歩で約10分、風格ある入母屋（いりもや）楼門造りの仁王門から境内へ。左手には縁結び観音や手水舎、鐘楼堂、右手には錦鯉が泳ぐ放生池とその向こうに大師堂が見える。池のそばの地蔵菩薩像に向かって、６体の童子像が水面で祈りを捧げる姿がどことなく愛らしい。厳かでありつつもおおらかな雰囲気に“いちばんさん”の懐の深さを感じる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img decoding="async" width="602" height="400" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/9ff2fb952e72fcb691d7fe3d3905ee6d.jpg" alt="" class="wp-image-38070" style="width:900px;height:598px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/9ff2fb952e72fcb691d7fe3d3905ee6d.jpg 602w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/9ff2fb952e72fcb691d7fe3d3905ee6d-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 602px) 100vw, 602px" /></figure>



<h3 class="wp-block-heading">読経が響く荘厳な本堂</h3>



<p>手水舎で手と口を清め、鐘楼ではお参りしたことを告げる意味で鐘を１回つく。そして境内の一番奥にある本堂へ。</p>



<p>本堂は、1964年四国開創1150年に合わせて改装され、拝殿に奥殿を増築した造りとなっている。本尊の釈迦如来像は、左手に玉を持つ身の丈４尺（約120cm）の坐像。これは弘法大師が修法の際に刻んだものと伝えられている。ほかに地蔵尊菩薩三尊像、賓頭盧（びんずる）行者坐像、納札を固めて作られた納札大師が安置されている。</p>



<p><strong>天井を多数の吊り灯籠で埋め尽くされた本堂</strong>は、柔らかい光に照らされてなんとも幻想的。拝殿中央の天井にはダイナミックな龍の絵が描かれ、空間の神秘性をさらに高めている。線香の燻りやお遍路さんの読経の響きの中、手を合わせれば、おのずと心が引き締まる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">漆黒のお大師さんをまつるお堂も</h3>



<p>お遍路の参拝手順にのっとるなら、本堂のあとは大師堂へお参りしたい。放生池に面した方形造りの端正な仏堂で、全身漆黒の弘法大師の像を拝むことができる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">故人や先祖をおだやかに見守る十三仏</h3>



<p>本堂に向かって左手には、等身大の十三仏が並んでまつられた堂がある。十三仏は亡くなった人を見守り極楽に導いてくれる13人の仏様とされ、先祖や亡くなった人への供養のために訪れた参拝者は、特に心を込めて拝んでいくようだ。</p>



<p>十三仏の中で不動明王だけは隣の不動堂に。カッと目を見開き、怒りの表情を浮かべているが、これは衆生を厳しく教え、導く心の表れであり、煩悩退散、厄除け等のご利益があるとされる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img decoding="async" width="602" height="401" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/5c46685301af52c3d134e198b786c221.jpg" alt="" class="wp-image-37997" style="width:898px;height:598px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/5c46685301af52c3d134e198b786c221.jpg 602w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/5c46685301af52c3d134e198b786c221-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 602px) 100vw, 602px" /></figure>



<h3 class="wp-block-heading">同寺最古。風格漂う多宝塔</h3>



<p>十三仏堂と鐘楼との間には、<strong>約600年前の姿を今に残す多宝塔</strong>がそびえる。下層は方形、上層はお椀をかぶせたような円形をした木造二重塔で、中には五智（ごち）如来がまつられている。内部を見ることはできないが、歴史を感じさせる風格のある佇まいは外観だけでも訪れた人の目を引き付ける。</p>



<h3 class="wp-block-heading">さまざまなご縁を結ぶ観音さまが人気</h3>



<p>仁王門から入ってすぐ左側、手水舎のそばにひっそりと立つ縁結び観音は、お参りする人が多いスポット。男女の縁だけではなく、健康や仕事などさまざまな縁をもたらすと信じられている。お賽銭だけでなく、水でお清めしながら真摯に祈るのがポイント。</p>



<p>すべてのお堂を回ったら、総合案内所横の納経所で御朱印を授けてもらおう。これから四国遍路を始める励みにもなるし、旅が終わったあとの思い出にもなりそうだ。</p>



<p>弘法大師は「一人ひとりが能力や才能をじゅうぶんに活かし切る生き方ができるよう努力しなさい」と説いたという。それは宗教的な縛りを越え、わかりやすく、現代の私たちにも通じる教え。霊山寺は、その教えを肌で感じ、すがすがしい気持ちで新しい自分へと踏み出せる、そんなパワーに満たされている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/37986/">お大師さんの足跡をたどり、祈りを紡ぐ。四国遍路のスタート地点「霊山寺」/徳島県鳴門市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>古くから親しまれる山岳信仰の地。富山県随一のパワースポット「大岩山 日石寺」</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 29 Jun 2023 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/top-7.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>富山県といえば、黒部館山の雄大な山々と美しい富山湾、そして薬売りの文化によって育まれたというガラスのアートが有名。しかし、寺院数が日本で3番目に多いというのは意外と知られていないのではないだろうか。そんな仏教が根付く都市 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/top-7.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>富山県といえば、黒部館山の雄大な山々と美しい富山湾、そして薬売りの文化によって育まれたというガラスのアートが有名。しかし、寺院数が日本で3番目に多いというのは意外と知られていないのではないだろうか。そんな仏教が根付く都市のなかでも、人気パワースポットとして全国から多くの人が訪れる、新川郡上市町の「大岩山 日石寺」を訪れた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">1300年の歴史を誇る真言密宗の大本山「大岩山 日石寺」</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/DSC0379_Atari_-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37722" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/DSC0379_Atari_-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/DSC0379_Atari_-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/DSC0379_Atari_-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/DSC0379_Atari_.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p> </p>



<p>今から約1300年前、725年に創建され、不動明王を本尊としている真言密宗大本山の寺院「大岩山日石寺」。同寺が位置する富山県中新川郡上市町は、東南部に標高2,999メートルの剱岳（つるぎだけ）を主峰とする北アルプスの山々を眼前に望む、豊かな自然と文化が共存する町。剱岳は古くから山岳信仰の山として寺社が身近であり、日石寺もパワースポットとして地元の人たちから親しまれてきた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「大岩のお不動さん」と呼び親しまれてきた寺院の魅力</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/95eea896a870b946d55c4aebfac9d373.jpg" alt="" class="wp-image-37727" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/95eea896a870b946d55c4aebfac9d373.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/95eea896a870b946d55c4aebfac9d373-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/95eea896a870b946d55c4aebfac9d373-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p> </p>



<p>パワースポットとされる理由としてまず挙げられるのは、日石寺のなかに存在する仏像や建造物のバラエティの豊かさではないだろうか。そのひとつ、<strong>国指定史跡であり重要文化財</strong>の「大岩山日石寺磨崖仏（まがいぶつ） 不動明王像」は<strong>北陸一の規模</strong>を誇る石仏。巨大な凝灰岩（ぎょうかいがん）の壁に刻まれた高さ313cmの不動明王像と214cmの二童子像は平安時代後期の作品で、山岳仏教の遺物として知られている。やや前傾に彫られた巨大な不動明王像はまるで、何かを語りかけてくるような迫力がある。</p>



<p>そのほか、<strong>富山県内最古</strong>の三重塔、恋愛成就や子授かりに御利益のある愛染堂（あいぜんどう）、厄除けに御利益のある阿覚窟（あがくくつ）、延命寿命に御利益のある地蔵堂、縁結びに御利益のある夫婦岩など、日石寺にはご利益のある伽藍がたくさんあり、ここ一箇所で参拝客の幅広い願いを引き受けてくれるという点もパワースポットたる所以ではないだろうか。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/9017252dea2d71bf9beac8cd7f1fbbe3.jpg" alt="" class="wp-image-37731" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/9017252dea2d71bf9beac8cd7f1fbbe3.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/9017252dea2d71bf9beac8cd7f1fbbe3-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/9017252dea2d71bf9beac8cd7f1fbbe3-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/312cc498c0f61ad82e40c32018e2b0f1-1.jpg" alt="" class="wp-image-37732" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/312cc498c0f61ad82e40c32018e2b0f1-1.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/312cc498c0f61ad82e40c32018e2b0f1-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/312cc498c0f61ad82e40c32018e2b0f1-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p> </p>



<p>本堂向かって左奥には御霊水「藤水（ふじみず）」があり、これは<strong> “とやまの名水66選” </strong>に選ばれている。藤の木から湧き出ているため藤水と呼ばれ、眼にご利益のある御霊水としても有名。今から300年ほど前、目の不自由な百姓が、夢で「日石寺の藤の木の根のところから湧き出ている水で目を洗うといい」というお告げを受け、早速その水で目を洗ったところ、たちまち目が開いたという話が「越中旧事記」に記されているのだそう。</p>



<p>そんな逸話もあり、<strong>加賀藩には“名医は多いが眼医者がいない”と言われるのは、大岩のお不動さんが目を治してくださるからだ</strong>、とも言われている。藤水は無料で汲むことができ、毎日多くの人が訪れている。ちなみに、この水を汲み取るときは不動明王の真言を唱えると<strong>より</strong>良いと言われているので、ぜひ試してほしい。</p>



<h2 class="wp-block-heading">五感で、身も心も清める本格的な「滝行」体験</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/ed7963173e9369e4e4ec086f63573a9e.jpg" alt="" class="wp-image-37735" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/ed7963173e9369e4e4ec086f63573a9e.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/ed7963173e9369e4e4ec086f63573a9e-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/ed7963173e9369e4e4ec086f63573a9e-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p> </p>



<p>山岳信仰や修験道の名残から、滝行をはじめ、写仏体験や八十八箇所霊場巡礼、護摩祈祷見学など、さまざまな<strong>修行体験</strong>が行われていることでも有名な日石寺。本堂のすぐ横にある六本滝では白装束に身を包み、仏の教えで眼根、耳根、鼻根、舌根、身根、意根を総じた「六根」によって生じる欲望「六欲煩悩（ろくよくぼんのう）」を洗い落とし、心身を清める。ここならではの厳かで非日常的な滝行体験は、よりパワースポットとしての効果を高めてくれるだろう。ちなみに、滝が流れ落ちる6つの竜頭は地、水、火、風、空、識を現しており、人々の六根を清浄するという意味が込められているという。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/DSC0392_Atari_-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37736" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/DSC0392_Atari_-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/DSC0392_Atari_-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/DSC0392_Atari_-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/DSC0392_Atari_.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p> </p>



<p>日石寺は約1300年の長い歴史を積み重ねて現在に至るが、当然その間には火災などの様々な困難にも遭っている。しかし、現在に至るまで不動明王磨崖仏が完全な姿を保っているのは、その時代ごとに新しい知恵や技術を取り入れてきたからではないかと住職を務める中田弘乘（なかたこうじょう）さんは話す。</p>



<p><strong>「お寺こそ、新しい物に対する知識をしっかり学習し、先人の技術との比較をした上で、ひとつの考えに執着せず、さまざまな物の考え方をしていかねばなりません。これからも、そのような考え方を排除せずに、その時代にあったお寺にしていこうと考えています。」</strong> 心身ともに清められるパワースポットとして、現代の人たちに親しまれる日石寺。そもそも“パワースポット”という言葉自体、古くからあるものではなく、潮流やメディアが作り上げたもの。それを求めて日石寺を訪れる参拝客には、宗派はもちろん、宗教的な偏りすらないだろう。しかし、これが現代の参拝のスタンダードならばそれも良し。もちろん、修験道に倣って滝行に訪れるのも良い。ダイバーシティが謳われている現代だからこそ、多様性を持って人を迎える場所となることが、住職の言う<strong> “その時代にあったお寺” </strong>なのだろう。喧騒を離れ、心安らぐ時間をここで過ごしながらパワーを充電してみてはいかがだろうか。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/37713/">古くから親しまれる山岳信仰の地。富山県随一のパワースポット「大岩山 日石寺」</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>親鸞800年の教えを紡ぐ三重県初の国宝建造物、「高田本山専修寺」/三重県津市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 19 May 2023 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/top-2.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>三重県で最も有名な神社仏閣といえば伊勢神宮だが、同社は国宝ではない。じつは県内で国宝に指定されている建造物はふたつ。そのいずれも県庁所在地である津市にある浄土真宗高田派の総本山･専修寺にあることをご存知だろうか？ また、 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/top-2.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>三重県で最も有名な神社仏閣といえば伊勢神宮だが、同社は国宝ではない。じつは県内で国宝に指定されている建造物はふたつ。そのいずれも県庁所在地である津市にある浄土真宗高田派の総本山･専修寺にあることをご存知だろうか？ また、それらふたつの国宝建造物に加え、国宝の法宝物や国指定の重要文化財も数多く有する専修寺。その歴史と魅力について紹介していく。<br></p>



<h2 class="wp-block-heading">親鸞と高田本山専修寺の歩み</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7415-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37088" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7415-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7415-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7415-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7415.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>「阿弥陀如来の力を信じ、『南無阿弥陀仏』と念仏を唱えることですべての人は極楽浄土へ往生することができる。」</p>



<p>今から約800年前、<strong>親鸞（しんらん）</strong>によって開かれた浄土真宗の教えだ。 現在、浄土真宗は信者数1000万人、宗派は十派に分かれ、日本で最も多くの信者数を誇っている。</p>



<p>その中の一派、「真宗高田派」は三重県の中ほど、津市一身田町に本山を構える。それが「高田本山専修寺(せんじゅじ)」だ。</p>



<p><strong>三重県初の国宝建造物</strong>を有し、津市の観光名所にもなっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">浄土真宗を開いた親鸞上人</h2>



<p>親鸞は1173年、京都の日野の里（現在の京都市伏見区）に生まれた。</p>



<p>時は平安時代末期、人々は戦乱や災害、疫病や飢饉により苦しい生活を強いられた。心の拠り所として加持祈祷（かじきとう）が盛んに行われていたが、農民や一般民衆には高額な祈祷料の支払いや厳しい修行をする余裕もない。</p>



<p>そんな中で人々の心を救ったのは、念仏を唱えるだけで極楽浄土へ阿弥陀如来様が導いてくれる「専修念仏」という教え、<strong>法然上人が開いた浄土宗</strong>だった。</p>



<p>9歳の時に出家して以降、約20年以上にわたって修行や勉学に励んだが、なかなか悟りの道を見出すことができずにいた親鸞は、法然の元を尋ね、<strong>浄土宗の門下</strong>となる。</p>



<p>しかし、それから6年が経った1207年、後鳥羽上皇の命により専修念仏を説いていた京都の僧侶たちは捕えられ、専修念仏の禁止が通達されてしまう。</p>



<p>修行を必要としない浄土宗の異端さは、他の仏教勢力からの弾圧を引き起こしていた。さらには法然の弟子である住蓮（じゅうれん）、安楽（あんらく）が後鳥羽上皇が寵愛していた女官たちと密通し、上皇の留守中に彼女たちが出家してしまったことにより、後鳥羽上皇の逆鱗に触れてしまったのである。</p>



<p>捕えられた11名のうち、7名は流罪、残る4名は死罪となる。</p>



<p>宗祖である法然は讃岐（現在の香川県）へ、その愛弟子であり、教えに傾倒する熱心な浄土宗門下であった親鸞は、越後（現在の新潟県）へと流されてしまう。</p>



<p>それから5年後、2人は赦免されるが、さらに1年後に法然が亡くなってしまう。法然との再会を待ち望んでいた親鸞であったが、法然の死を知ったため京都へは戻らず、越後で2年を過ごす。</p>



<p>その後、常陸（茨城県）の稲田を中心に20年に渡って関東に教えを伝えていくのであった。</p>



<p>そして1224年、親鸞の教えが全て書かれた「教行信証（きょうぎょうしんしょう）」の完著により、<strong>浄土真宗が立教</strong>されたと伝えられている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">高田本山専修寺の歴史</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7464-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37089" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7464-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7464-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7464-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7464.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>関東各地に布教を続けていた親鸞は、仏教において”太陽・月・星”を意味する三光天子のひとつで菩薩の一尊である虚空蔵菩薩の化身で、金星を仏格化した明星天子の夢告を得て<strong>栃木県真岡市高田</strong>に寺院を健立する。<br></p>



<p>その寺こそが、専修寺と呼ばれるものだった。</p>



<p>真岡市高田に建てられた専修寺は本寺と呼ばれ、そこを中心に活動した教団が<strong>高田派 </strong>として知られるようになる。</p>



<p>さらに第10代である<strong>真慧（しんね）</strong>の代になると、その勢力を大きく拡大していくのであった。</p>



<p>真慧は東海・北陸方面へと教化を拡げていき、三重県津市一身田（いっしんでん）にも専修寺を健立。</p>



<p>あくまで伊勢国内の中心寺院として建てられた一身田の専修寺であるが、1522年に<strong>栃木の本寺が兵火によって炎上</strong>したため、次第にこちらの専修寺に高田派では、浄土真宗を開いた親鸞に次いで徳が高いとされる歴代上人が居住するようになり、1550年前後に本山として定着した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">専修寺を彩る数々の見どころ</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7422-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37092" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7422-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7422-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7422-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7422.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>高田本山専修寺は<strong>東京ドーム約2個分</strong>と広大な境内を誇り、年間約30万人もの人が参拝に訪れる。国宝のお堂2棟は中に入ることができるため、間近でその様相を見られる。</p>



<p>もともとは現在の1/3程度の大きさだったが、1635年に専修寺15代堯朝上人のもとに、伊勢津藩初代藩主･藤堂高虎公の長女･糸姫が嫁ぎ、専修寺と藤堂家が姻戚関係になり、深いつながりになったことで次第に敷地が拡がったのだという。</p>



<p>広い境内には、国宝建造物である「御影堂」と「如来堂」が並び、宝物館には親鸞の直筆書物や、国宝に指定される「西方指南抄（さいほうしなんしょう）」と「三帖和讃（さんじょうわさん）」が収められている。</p>



<p>ここだけで4つの国宝を見ることができるというのだから、専修寺の歴史的価値は相当なものだ。</p>



<p>御影堂の裏手には、”中ノ島をもつ北寄りの池庭”と”二つの小島をもつ南の池庭”を折れ曲がった配置とし、中央の細い流れをもってつないでいる池泉回遊式（ちせんかいゆうしき）の庭園、<strong>「雲幽園（うんゆうえん）」</strong>も造られている。</p>



<p>また雲幽園の中には、千利休の長男である道安と、織田信長の弟であり国宝の茶室「如庵」の作者でもある織田有楽斎の合作とされる茶室「安楽庵」が建つ。</p>



<p>専修寺は高田派の本山として厳かに、そしてきらびやかに歴史を繋いでいるのである。</p>



<h3 class="wp-block-heading">三重県初の国宝建造物、「御影堂」と「如来堂」</h3>



<p>境内の中核をなすのは、2017年に<strong>三重県初の国宝</strong>に指定された「御影堂」と「如来堂」だ。</p>



<p>御影堂は純和様建築であり、質素だが落ち着いた外観を醸し出している。全国の国宝木造建築の中でも5番目と、非常に大きな堂なのである。屋根の端部分全体を銅板張りとし、屋根と壁の間にある破風板は金色に輝く五七桐紋の金具を貼りつけることで落ち着いた重厚感を感じさせる。江戸幕府御用大工が好んだ構造をしていることから、お堂の棟梁と江戸幕府の関係が良好であったことが推測される。</p>



<p>また、堂内は段差があり、中陣と広大な外陣を持つ真宗寺院ならではの規格だが、本願寺系の本堂とは大間が横長になっている点・両余間の床が奥寄りのところで一段高くなっている2点で異なる。これらの影響により、この後の高田派寺院建築の特徴となった。その御影堂の西に位置するのが、如来堂だ。</p>



<p>建築面積は御影堂に比べるとおよそ半分程だが、阿弥陀如来の仏殿にふさわしい華麗な建築となっている。面積こそ御影堂より小さいものの、屋根を二層にすることで棟の高さは御影堂とほぼ等しくなっており、本堂としての威厳が示されている。そのため外観は二階建てのように見えるが、下層の屋根は裳階（もこし）と呼ばれる三種の庇（ひさし）になっている。</p>



<p>また、上層の屋根の軒は″詰組（つめぐみ）″と呼ばれる唐様の建築手法によって建立されている。象・龍・獏の彫刻がみられることや、中国の故事に基づいた人物の彫刻が組み入れられるなど、実に手の込んだ精巧な建築物となっている。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7366-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37095" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7366-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7366-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7366-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7366.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<h3 class="wp-block-heading">親鸞直筆の2つの書物</h3>



<p>1962年、親鸞の生誕700年を記念し、天観室と収蔵室の二棟の宝物館が建造された。</p>



<p>特に厳重な防湿構造となっている収蔵室には、親鸞の恩師法然の遺文集で、現存する最古の書物である<strong>「西方指南抄（さいほうしなんしょう）」</strong>と親鸞が生涯に撰述した和讃 <strong>「三帖和讃（さんじょうわさん）」</strong>という親鸞直筆の2点の<strong>国宝書物</strong>が収蔵されている。</p>



<p>「西方指南抄」は上中下の3巻からなり、親鸞の師匠である法然の法語・消息などが記された書物だ。「三帖和讃」は「浄土和讃」「浄土高僧和讃」「正像末法和讃」の三帖からなっており、日本の言葉で菩薩や高僧の徳をたたえた讃歌となっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">美しい35種の蓮</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7455-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37098" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7455-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7455-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7455-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7455.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p><strong>蓮の花の名所</strong>としても名を馳せる専修寺。</p>



<p>35種類100鉢以上が咲き競うその景色を見に、毎年夏には多くの人が見学に訪れるという。蓮は、極楽浄土に咲く花とされているが、同時に人間を表しているともされているとも言われている。泥の中のレンコンから育ち、水面より上に茎を伸ばして花を咲かせる蓮だが、水面から上はいっさい“泥”という印象を感じさせることなく美しい。</p>



<p>「この泥は、私たち人間が煩悩(妬んだり、怒ったり、羨んだりする心)を持ちながら、生きている現世(社会)を表しております。その泥を生き抜いて、往生(死を迎える）すると、阿弥陀如来様の本願力により仏弟子となり救われていき蓮の花のように綺麗な花を咲かせますが、そのためには泥がないと育ちません」と、専修寺の住職は話してくれた。</p>



<p>専修寺を訪れた際には、その美しくも力強く咲き誇る蓮を見て、これまでの自分を振り返ってみるのも良いかもしれない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/37074/">親鸞800年の教えを紡ぐ三重県初の国宝建造物、「高田本山専修寺」/三重県津市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>かの葛飾北斎の傑作を仰ぎ見る、栗の町長野県小布施町の「岩松院」/長野県小布施町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 22 Mar 2023 01:00:14 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/main-2.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>長野県上高井郡の人口一万人ほどの小さな町に、一度は訪れるべき寺院がある。栗を使った菓子などで有名な小布施町にある曹洞宗の寺「岩松院（がんしょういん）」だ。江戸時代に一世を風靡した浮世絵師葛飾北斎の傑作が見られるこの寺には [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/main-2.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>長野県上高井郡の人口一万人ほどの小さな町に、一度は訪れるべき寺院がある。栗を使った菓子などで有名な小布施町にある曹洞宗の寺「岩松院（がんしょういん）」だ。江戸時代に一世を風靡した浮世絵師葛飾北斎の傑作が見られるこの寺には、四季を通じて多くの観光客が訪れている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">観光や栗を使った菓子処で人気の小布施町</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5706_2400-sRGB-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-35879" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5706_2400-sRGB-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5706_2400-sRGB-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5706_2400-sRGB-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5706_2400-sRGB.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>岩松院のある小布施町は、スキーなどでも有名な白馬村と同じ長野県北部に位置し、県内で最も面積の小さい自治体ながら、歴史や古い文化を色濃く残している。美しい街並みと、そこに軒を連ねる<strong>特産品の栗を使った菓子処が人気を博しており、県内有数の観光地</strong>としても知られている。この岩松院も、そんな小布施町の観光名所のひとつとして、シーズンには連日、観光バスが押し寄せる。<br></p>



<h2 class="wp-block-heading">小林一茶が自身と重ねた句を詠んだ舞台「岩松院」</h2>



<p>「やせ蛙 負けるな一茶 これにあり」。これは信濃国（現在の長野県）出身で、松尾芭蕉や与謝蕪村と並んで江戸時代を代表する俳人と言われた小林一茶の句。痩せた小さな蛙が、体格の良い蛙と異性の蛙を巡って争う様子を詠んだもの。<strong>一茶が自分自身の置かれた境遇に重ね、自身を鼓舞するために詠んだ句</strong>とも言われている。この句の舞台となった池があるのが岩松院だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">岩松院の歴史</h2>



<p>1472年に開基したこの寺院は、火災による二度の焼失など、幾多の変遷を経て現在に至る。豊臣秀吉の腹心で「賤ヶ岳七本槍」の一人としても知られる戦国武将・福島正則の先祖代々の墓があるお寺、菩提寺（ぼだいじ）としても有名だ。</p>



<p>元々、豊臣側の家臣だった福島正則が、徳川側に与（くみ）するようになってしばらく経った1619年、武家諸法度に抵触したとして、当時領主を務めていた広島藩の領地を没収、今で言うところの左遷に近い減転封（げんてんぽう）という刑罰で信越地方に領地を移された。その際、禅の信仰にあつかった福島正則が転封先の菩提寺に定めたと言われている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">観光客の目当ては葛飾北斎の傑作</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5718_2400-sRGB-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-35880" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5718_2400-sRGB-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5718_2400-sRGB-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5718_2400-sRGB-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5718_2400-sRGB.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>ここを訪れる<strong>観光客の目当ては、大間の天井に描かれている「八方睨み鳳凰図」</strong>だ。これは、富嶽三十六景など多くの名作を世に残した浮世絵師･葛飾北斎の作品。北斎が晩年、小布施町に滞在していた際に手掛けたものだ。当時88歳だった北斎は、かつて江戸で知り合い、縁のあった小布施の豪商・高井鴻山（たかい こうざん）全面援助のもと、実娘で浮世絵師の葛飾応為（かつしか おうい）や職人たちの力を借りて、約1年かけてこの画を完成させた。<br></p>



<p><strong>天井一面に描かれた巨大な鳳凰図は北斎作品のなかでも最大</strong>と言われ、今にも動き出しそうな躍動感のある力強いタッチと、完成後は一度も塗り替えを行っていないというのが信じられないほど鮮やかな色彩は見る人を魅了する。しかし全国的には寺院の天井に描かれている聖獣といえば「龍」のイメージが強いのではないだろうか。</p>



<p>では、なぜ岩松院では鳳凰なのか。</p>



<h3 class="wp-block-heading">岩松寺を守る住職、渡辺正巳さんの考える「八方睨み鳳凰図」</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5770_2400-sRGB-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-35883" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5770_2400-sRGB-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5770_2400-sRGB-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5770_2400-sRGB-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5770_2400-sRGB.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>住職の渡辺正巳さんに聞けば、文献などには残っていないから正確なことは言えないが、この作品の制作を北斎に勧めた人物であり、プロジェクト最大の協力者である高井鴻山の当時の思考にヒントがあると言う。高井鴻山は、“世の中に常は無く、変化し続けている”という意味を持つ仏教用語の「無常」を、その当時の世に強く感じていた。それを汲み取った<strong>北斎が、「無常」という言葉の対となる「永遠なるもの」を表現</strong>する「鳳凰」を描いたのではないかと考えている。あくまで渡辺さんの想像ではあるが、想像通りだったとすれば、北斎と孫ほどの年の差があった高井鴻山との間に築かれた信頼関係の強さと、それが長野県に世紀の超大作を残すこととなったドラマに胸が熱くなる。<br></p>



<h2 class="wp-block-heading">住職渡辺正巳さんと岩松院</h2>



<p>住職歴は今年で8年目となる渡辺さん。住職になるまでの14年間は、サラリーマンをしていた。大学も経済学部出身。特に仏教を専攻して学んでいたわけではない。ただ、母親の実家がこの岩松院だったため、小さい頃から禅に慣れ親しんでおり、興味は持っていた。<br>その興味をより深めたのがサラリーマン時代に経験したバックパッカー旅。キリストやイスラム圏を訪れる中で、様々な宗教に触れ、改めて仏教や自身のルーツである禅について考えるきっかけになった。こうして、岩松院の住職となった現在は、仏門に入るまでの社会人経験、時には旅人として見てきた様々な経験を生かし、何百年も続く禅の文化に倣いつつも自分なりの解釈も加えた説法を説いていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/35871/">かの葛飾北斎の傑作を仰ぎ見る、栗の町長野県小布施町の「岩松院」/長野県小布施町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>聖徳太子創建の古刹。山城の趣きを残す「百済寺（ひゃくさいじ）」/滋賀県東近江市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 28 Dec 2022 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[寺]]></category>
		<category><![CDATA[お寺]]></category>
		<category><![CDATA[滋賀県]]></category>
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		<category><![CDATA[聖徳太子]]></category>
		<category><![CDATA[滋賀]]></category>
		<category><![CDATA[百彩寺]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/12/main-11.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本紅葉百選にも選ばれ、滋賀屈指の紅葉スポットとして知られる「百済寺（ひゃくさいじ）」は、聖徳太子によって創建された滋賀で最も古いお寺のひとつ。紅葉シーズンを外せば、静寂に包まれた趣きある古刹で、ポルトガルの宣教師ルイス [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/12/main-11.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本紅葉百選にも選ばれ、滋賀屈指の紅葉スポットとして知られる「百済寺（ひゃくさいじ）」は、聖徳太子によって創建された滋賀で最も古いお寺のひとつ。紅葉シーズンを外せば、静寂に包まれた趣きある古刹で、ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが「地上の天国」と絶賛したとも言われている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自然の息吹を感じるパワースポット</h2>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="/wp-content/uploads/2022/12/kiji1-11.jpg" alt="" class="wp-image-31997"/></figure></div>


<p> </p>



<p>「百済寺」は、琵琶湖の東側・湖東地域にある天台宗の寺院。近隣にある「西明寺（さいみょうじ）」「金剛輪寺（こんごうりんじ）」とあわせて「<strong>湖東三山（ことうさんざん）</strong>」の総称でも知られており、秋になると紅葉を愛でる多くの観光客で賑わう。</p>



<p>鈴鹿山系の中腹に位置する山奥に83haにも及ぶ広い境内があり、落葉樹が約5,000本、常緑樹が約25,000本自生している。新緑、紅葉、雪景色と四季折々に多様な植物が寺院を彩るため、別名「<strong>百彩寺</strong>」とも呼ばれている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">近江の国、最古級の寺院</h3>



<p>百済寺は1400年以上前の飛鳥時代、<strong>聖徳太子</strong>が朝鮮半島から渡来した百済人（くだらびと）のために百済国の「龍雲寺」を模して創建したと伝えられている。歴史ある寺院が多い滋賀の中でも、<strong>最も古いお寺のひとつ</strong>に挙げられる。平安時代に比叡山に天台宗が開かれてからは、天台宗の寺院となり、室町時代にかけて繁栄した。  </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/12/kiji2-11.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p> </p>



<h3 class="wp-block-heading">夕日の向こうの百済国に馳せた、望郷の想い</h3>



<p>百済寺は北緯35度線上にあり、西の方角には比叡山、鞍馬山を経て、880km彼方に百済国があったため、創建当時は、日本に仏教を伝来した渡来僧や先進的な技術を伝えた渡来系氏族の氏寺として発達した。多くの渡来人が百済寺の地から、夕日の向こうにある母国を偲んだと言われている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">信長やルイス・フロイスも魅了した「地上の天国」</h3>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/12/kiji3-11.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p> </p>



<p>名だたる人物の歴史舞台としても知られている。戦国の覇者、<strong>織田信長</strong>もこの寺に魅了されたひとりで、百済寺を気に入り、生涯で唯一の勅願寺と定めたという文献も残っている。また当時、ポルトガルから来日していた宣教師<strong>ルイス・フロイスも「地上の天国 一千坊」と絶賛</strong>するほど、百済寺は見事な寺院だったという。しかしその後、信長と敵対していた六角軍を百済寺がかくまったと判断され、信長による焼き討ちに遭い、その多くを焼失することとなった。</p>



<p>江戸時代に入り、徳川幕府や彦根藩の寄進を受け、本堂や仁王門、山門（赤門）等は再建され、いまに残っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">近江の歴史舞台が一望できる「天下遠望の名園」</h2>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/12/kiji4-11.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p> </p>



<p>百済寺山門から参道に沿って400mほど登ったところに「本坊喜見院（きけんいん）」があり、その書院に面し、「<strong>天下望遠の名園</strong>」と名付けられた大きな池泉鑑賞（ちせんかんしょう）式庭園がある。</p>



<p>背面の鈴鹿山脈を借景に、変化に富んだ巨岩を組み合わせて築庭されており、山から流れ出る渓流が、鯉の泳ぐ池へと流れ込んでいる。</p>



<p>庭園は山の方へと続いていて、頂部の遠望台からは、近江の歴史舞台となった比叡山や湖東平野も見晴らせる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">苔むす岩が醸す、神秘的な空間</h3>



<p>庭園の周囲には、苔むした巨岩がありのままの姿をとどめている。寺院周辺には重厚な石垣や石段が創建当時の姿で残っているため、山城の様相も呈していて、多くの歴史映画やドラマのロケ地にも使われているのだそう。</p>



<p><strong>自然と歴史が調和した神秘的な空間</strong>は、ただ佇んでいるだけで、心が癒され、浄化されていくようだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">本堂・仁王門・山門など、見どころは他にも</h2>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/12/kiji5-11.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p> </p>



<p>百済寺の本堂に安置されている本尊は全高3.2mの「<strong>十一面観世音菩薩</strong>」。現存する<strong>奈良時代最大級の木造仏</strong>である。聖徳太子が山中で光を放つ霊木の杉を見出し、立ち木のまま彫ったといういわれから「植木観音」とも呼ばれている。信長の焼き討ちにより本堂が焼失したときも、僧侶たちが8km先の山奥まで運び、難を逃れたという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">百済寺の入り口「赤門」</h3>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/12/kiji6-9.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p> </p>



<p>境内の入り口にある朱塗りの山門は通称「<strong>赤門</strong>」と呼ばれている。新緑の緑や、紅葉のオレンジとの対比が美しく、写真映えスポットになっている。ここには一時停止用の駐車スペースしかなく、車で訪れた場合は通り過ぎてしまうこともあるので注意が必要。</p>



<p>また「<strong>仁王門</strong>」に掲げられている約3mの大きな草鞋（わらじ）に触れると身体健全・無病長寿のご利益があると言い伝えられている。直木賞受賞作家としてもしられる「百寺巡礼」の作家、五木寛之氏も百寺満願成就を込めて触ったそう。</p>



<h3 class="wp-block-heading">夏に満開となる菩提樹</h3>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/12/kiji7-6.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p> </p>



<p>通用門から表門にかけて広がる南庭。夏になると、菩提樹の可憐な花が満開となり、周囲に上品な香りが漂う。これは、本堂脇にある千年菩提樹の子株が育ったもの。花の香りに誘われた、ミツバチや小さな昆虫たちが蜜を求めて集まり、羽音を響かせる。香りと一緒に、小さな生命の営みも感じてほしい。  </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/12/kiji8-4.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p> </p>



<p>ほかにも境内には、樹齢430年と推定される「観音杉」や「弁天堂」、苔むした石垣が続く「参道」など、1400年前から変わらない、自然が織りなす景観や歴史的いわれのあるスポットが多彩。</p>



<p>山全体が真っ赤に染まる紅葉シーズンもいいが、静けさに包まれた朝の境内や、琵琶湖へ落ちる夕日の眺めなど、紅葉だけじゃない百済寺の“百の彩り”を楽しんでほしい。  </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/12/kiji9-2.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/34263/">聖徳太子創建の古刹。山城の趣きを残す「百済寺（ひゃくさいじ）」/滋賀県東近江市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>紫式部に芭蕉、稀代の創作者にひらめきを与えた「大本山 石山寺」の自然美/滋賀県大津市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 09 Nov 2022 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/11/main-3.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>かつて大津京、紫香楽宮と2度にわたって都がおかれ、昔から水陸交通の要衝として栄えた滋賀県は、歴史ある神社仏閣の宝庫である。その代表格のひとつが、紫式部が『源氏物語』を書き始めたことで知られる「大本山 石山寺」だ。琵琶湖と [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/11/main-3.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>かつて大津京、紫香楽宮と2度にわたって都がおかれ、昔から水陸交通の要衝として栄えた滋賀県は、歴史ある神社仏閣の宝庫である。その代表格のひとつが、紫式部が『源氏物語』を書き始めたことで知られる「大本山 石山寺」だ。琵琶湖と京都をつなぐ瀬田川のほとりに建つ寺を訪ねた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">滋賀屈指の紅葉スポットとしても知られる風光明媚な寺</h2>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="/wp-content/uploads/2022/11/kiji1-3.jpg" alt="" class="wp-image-31997"/></figure></div>


<p> </p>



<p>滋賀県南部、琵琶湖の先端部分に位置する石山寺は、<strong>風光明媚な寺</strong>として近畿圏を中心に人気が高く、とりわけ梅や桜、青もみじ、紅葉の季節には多くの観光客や御朱印を求める参詣者でにぎわう。<strong>11月</strong>の紅葉シーズンに行われる<strong>夜間ライトアップ</strong>は特に人気で、<strong>滋賀屈指の紅葉スポット</strong>としても知られている。市街地に近く、最寄りの<strong>「京阪石山寺」駅から徒歩約10分</strong>、<strong>京都からも電車で30分以内</strong>という交通アクセスの良さも人気の秘密だ。  </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/11/kiji2-3.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p> </p>



<h3 class="wp-block-heading">源頼朝の寄進によって建てられた東大門。仁王像は運慶・湛慶（たんけい）作</h3>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/11/kiji3-3.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p> </p>



<p>訪れた人を最初に迎えてくれるのは、<strong>国の重要文化財</strong>に指定されている<strong>東大門（ひがしだいもん）</strong>だ。源頼朝の寄進によって建てられ、桃山時代には豊臣秀吉の側室として知られる淀殿の寄進で修繕されたこの山門の両脇には、<strong>運慶・湛慶作の仁王像</strong>が立つ。入母屋（いりもや）造り、本瓦葺（かわらぶき）の堂々たるたたずまいに一礼して、中の参道へと進んでいく。</p>



<h2 class="wp-block-heading">寺の名の由来になった、国の天然記念物「硅灰石」が生み出す風景</h2>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/11/kiji4_2.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p> </p>



<p>本堂を目指していくと、突如、波しぶきを思わせるような不思議な形の巨岩が目の前に現れる。<strong>国の天然記念物</strong>にも指定されている「<strong>硅灰石</strong>」だ。その向こうに見えるのは、源頼朝の寄進で建てられた優美な<strong>多宝塔（国宝）</strong>で、<strong>多宝塔としては日本最古</strong>だという。まるで山水画の世界に入り込んだような感覚に、おもわず足を止めずにはいられないこの風景は、石山寺の象徴といえるだろう。</p>



<p>ちなみに石山寺は、伽藍山（がらんやま）という標高239mの山の一部を境内としているのだが、伽藍山は至る所に硅灰石が突出した「石の山」で、<strong>石山寺も硅灰石の岩盤の上に立っている</strong>。これが石山寺の名前の由来というわけだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">創建は747年。2021年には初の女性座主が誕生</h3>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/11/kiji5-2.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p> </p>



<p><strong>石山寺の創建は747年（天平19年）</strong>。奈良・東大寺の初代別当（住職）だった<strong>良弁僧正（ろうべんそうじょう）</strong>が<strong>聖武天皇</strong>の命により建てた寺だ。</p>



<p>そのため創建当初、石山寺は<strong>東大寺と同じ華厳宗（けごんしゅう）</strong>の寺院だったが、真言宗・天台宗といった密教信仰がさかんになった<strong>平安期に真言密教の道場に変わった</strong>という。このとき初代座主（ざす）に就任したのが、醍醐寺の理源大師聖宝。2代目座主は聖宝の弟子の観賢、3代目座主には、菅原道真の孫にあたる淳祐内供…と続き、現在は、<strong>第53代座主</strong>に<strong>鷲尾龍華（わしお・りゅうげ）さん</strong>が就任している。</p>



<p>鷲尾さんは、祖父にあたる第51代座主・鷲尾隆輝さん、のちに第52代座主となる父・鷲尾遍隆さんのもとに生まれ、2021年12月に石山寺の長い歴史の中で<strong>初の女性座主</strong>に就任した。「この境内で生まれ育ち、子どものころからお坊さんになりたいと思ってきたので、夢がかないました」と話す。</p>



<h2 class="wp-block-heading">平安時代と桃山時代の建築様式が同居する国宝・本堂</h2>



<p>続いて、鷲尾さんに案内いただきながら、硅灰石の上に建つ<strong>国宝・本堂</strong>へと入る。<strong>本尊「如意輪観世音菩薩（にょいりんかんぜおんぼさつ）」</strong>ほか、弘法大師の作と伝わる「厄除不動明王」など数々の仏像が安置された<strong>内陣（正堂）</strong>は<strong>平安時代に建てられた</strong>もので、<strong>滋賀県最古の木造建築</strong>にあたる。</p>



<p>また、本堂の<strong>外陣（礼堂）</strong>は、<strong>桃山時代に淀殿の寄進によって建て増しされた</strong>部分で、京都の清水寺本堂と同じ「<strong>懸（かけ）造り</strong>」の手法が用いられている。<strong>ひとつの本堂にふたつの時代の様式が混在</strong>しているというのは、非常に珍しいそうだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">本尊は日本唯一の勅封秘仏。御開帳は33年に一度と天皇即位の翌年</h3>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/11/kiji6-2.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p> </p>



<p>石山寺の本尊は、<strong>国の重要文化財</strong>に指定されている<strong>秘仏「如意輪観世音菩薩」</strong>である。秘仏を安置した内陣の厨子の前には、金色に輝く「御前立尊」が安置されている。</p>



<p>そして、厨子の向こうには、<strong>高さ一丈六尺（5.3m）</strong>もあるという非常に大きな木造仏、如意輪観世音菩薩が座している。平安期につくられたもので、勅命（天皇の命）によって封印されている<strong>日本で唯一の「勅封（ちょくふう）秘仏」</strong>だ。</p>



<p>封印が解かれ、<strong>御開扉（ごかいひ）が行われるのは、33年に一度（次回は2047年）と天皇即位の翌年</strong>と決まっている。開封式の法要では、勅使（天皇からの使い）立ち会いのもと厳粛に扉が開かれる。それが奈良時代から続いてきた。  </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/11/kiji7-2.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p> </p>



<p>秘仏ゆえ、本尊の拝観は御開扉時にしか叶わないが、「<strong>懸仏（かけぼとけ）</strong>」という薄い銅の鏡に彫られた観音様を見ながら、実際の姿を想像してみてほしい。</p>



<p>如意輪観世音菩薩は、左足を下げる姿で岩の上に腰掛けている半跏（はんか）像で、向かって左には山の神である<strong>蔵王権現</strong>、右には石山寺の創建当初から縁の深い東大寺にまつられている<strong>執金剛神</strong>を従えた<strong>三尊形式</strong>で安置されているそうだ。</p>



<p>また、<strong>如意輪観音は、通常は六臂（ろっぴ。6本の腕のこと）の姿で表現される</strong>のだが、<strong>石山寺の如意輪観世音菩薩は、より古い形の2本の腕の姿</strong>であることもポイントだという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">清水寺、長谷寺と並ぶ「三観音の寺」</h3>



<p>如意輪観世音菩薩は、<strong>安産・福徳・縁結び・厄除けの御利益</strong>をいただける観音様として信仰を集めてきた。現在も、こうした御利益を求めて若い女性参詣者の姿も多く見られるという。</p>



<p>平安時代には、<strong>石山寺は京都の清水寺や奈良の長谷寺と並び「三観音」と称され</strong>、京都の貴族たちの間では「<strong>石山詣（もうで）</strong>」が流行した。「都の日々の生活に疲れ、ゆったりとした空気の流れる石山へ足を向けたくなる。そんな気持ちが当時の人たちにもあったのではないでしょうか」と鷲尾さんは話す。伽藍山の緑に囲まれた、琵琶湖を望む本堂に身を置いていると、その言葉に強い説得力を感じる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">十五夜の夜、『源氏物語』はここで生まれた</h2>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/11/kiji8-2.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p> </p>



<p>ちなみに、平安時代に石山詣をした貴族の中には<strong>『源氏物語』</strong>の作者・<strong>紫式部</strong>のほか、<strong>『蜻蛉日記』</strong>を書いた<strong>藤原道綱母</strong>、<strong>『更級日記』</strong>で知られる<strong>菅原孝標女</strong>など、<strong>名だたる女流文学者たち</strong>もいた。彼女らは、お堂に籠もり夜通し祈願する<strong>「参籠（さんろう）」</strong>を行ったという。</p>



<p>とりわけ有名なエピソードが、<strong>紫式部がこの石山寺で『源氏物語』を起筆したという伝説</strong>だ。1004年、時の中宮から「新しい物語を読みたい」との要望を受け、物語を作るため7日間の参籠をしていた紫式部は、参籠の後に御簾を開け、月を眺めていたという。その日は中秋の名月。<strong>琵琶湖に映る月</strong>を眺めていると、京の都から須磨へと流された貴公子が月を見て都を恋しがる場面が浮かんだ。そして<strong>「今宵は十五夜なりけり」</strong>と書き出したのが、<strong>『源氏物語』の始まり</strong>といわれている。</p>



<p>この伝承は<strong>『石山寺縁起絵巻』</strong>をはじめ、さまざまな書物にも記されていて、本堂の一角には、紫式部が源氏物語を執筆したといわれる部屋が<strong>「源氏の間」</strong>として残されている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">江戸期には松尾芭蕉、明治期には島崎藤村も滞在</h3>



<p>ほかにも石山寺の境内には、<strong>若き日の島崎藤村が2カ月間滞在した塔頭「密蔵院」</strong>（門前にあった建物を1969年に境内に移築）や松尾芭蕉の句碑がある。またお寺のちかくには芭蕉が仮住まいした「幻住庵」もある。</p>



<p>芭蕉はこの石崎を訪れて<strong>「石山の石にたばしるあられかな」「あけぼのはまだむらさきにほととぎす」</strong>という句を詠み、藤村は当時の滞在生活のことを随筆や童話に残している。</p>



<p>風光明媚な寺の自然美と観音様のもたらすパワーがそうさせたのか。石山寺は、各時代の文学者にインスピレーションを与え続けた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">悩み多き時代のよりどころとなれる寺に</h2>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/11/kiji9-2.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p> </p>



<p>昔も今も多くの人が訪れる石山寺は<strong>「花の寺」</strong>としても親しまれている。</p>



<p>2月下旬頃には、境内にある<strong>3つの梅園</strong>で、<strong>約40種類400本の梅の花</strong>が春の到来を告げ、それに続いて、さまざまな種類の<strong>約600本もの桜</strong>が伽藍山を彩る。その後も、<strong>樹齢300年を超えるキリシマツツジ</strong>や、<strong>菖蒲</strong>、<strong>藤</strong>、<strong>アヤメ</strong>、<strong>牡丹</strong>、<strong>あじさい</strong>、<strong>さざんか</strong>など、季節ごとの花々が訪れた人の心を和ませる。  </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/11/kiji10-2.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p> </p>



<p>花の中には、<strong>座主が丹精込めて育ててきた</strong>ものも少なくないそうで、「第一梅園」には歴代座主が育てた古い梅が集まっている。晩秋から冬にかけ花を咲かせるさざんかは、鷲尾さんの祖父にあたる第51代座主が愛し、増やしたものだそうだ。</p>



<p>「境内の花は、遠方からお越しの方から地元の方まで、さまざまな方とのご縁を生んでくれています。<strong>不安の多い時代なので、これまで以上に人の心のよりどころとなれる寺でいられたら</strong>」と鷲尾さん。</p>



<h3 class="wp-block-heading">車の音の届かない境内で自然美に浸り、心を解放する</h3>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/11/kiji4-3.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p> </p>



<p>山の一部を境内としているだけに、長い歴史を生き抜いてきた木々の美しさもみごとだ。「<strong>千年杉</strong>」と呼ばれる<strong>樹齢約400年のご神木</strong>や、夏場も濃い影をつくり出す杉林、そして<strong>あお若葉（もみじ）</strong>や<strong>紅葉</strong>と硅灰石が織りなす鮮やかなコントラストも、ここでしか見られない眺めとして人気を集めている。</p>



<p>境内には、車の走る音は届かない。いっとき俗世から切り離されたような、ほっとした気持ちがもたらされたように感じる。実際、<strong>参詣者の中には半日ほどかけて境内を散策する人も少なくない</strong>そうだ。</p>



<p>長きにわたり“祈りの場”として多くの人を集めてきた石山寺の磁力は、訪れる人の心をゆったりと解放してくれる美しい自然にも宿っている。  </p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/33643/">紫式部に芭蕉、稀代の創作者にひらめきを与えた「大本山 石山寺」の自然美/滋賀県大津市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>全国2300の住吉神社の総本社「住吉大社」／大阪府大阪市</title>
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		<pubDate>Wed, 24 Nov 2021 03:14:20 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/11/main-6.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>国宝に認定された建築物「住吉大社」 「いままで見てきた神社と建築様式が違う気がする」大阪の旅で住吉大社の本殿を見ていたとき、中田があることに気がついた。住吉大社の本殿は第一本宮から第四本宮まで連なっていて、いずれも古い神 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/30854/">全国2300の住吉神社の総本社「住吉大社」／大阪府大阪市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/11/main-6.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">国宝に認定された建築物「住吉大社」</h2>



<p>「いままで見てきた神社と建築様式が違う気がする」<br>大阪の旅で<a href="https://www.sumiyoshitaisha.net/">住吉</a><a href="https://www.sumiyoshitaisha.net/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">大社</a>の本殿を見ていたとき、中田があることに気がついた。住吉大社の本殿は第一本宮から第四本宮まで連なっていて、いずれも古い神社建築であることは間違いない。だが、よく見てみると屋根や壁の雰囲気が他の神社とは趣が違う。<br>尋ねてみると、<span class="swl-marker mark_yellow">住吉大社の建築は「住吉造」と称され、神社建築においては史上最古の様式だという。特徴は、檜皮葺(ひわだぶき：檜の皮で屋根をふく技法）で妻入式切妻造(つまいりしききりづまつくり：屋根の2つの傾斜面が山形になっている形状で横から見て屋根が八の字のように見える面[妻側]に入り口を設置している）、丹塗（にぬり：朱や丹という顔料を使い朱色に塗られている）の柱、そして貝殻のすりつぶした塗料による胡粉塗(ごふんぬり)された壁。</span>案内いただいた宮司の方によると「天皇陛下が代替わりをする際に『大嘗祭(だいじょうさい)』という宮中祭祀が行われます。大嘗祭は新天皇が国の安寧や五穀豊穣を即位後初めてお祈りをする大変重要な儀式ですが、住吉造はその儀式のために造営される『大嘗宮（だいじょうぶぐう）』と似た構造をしているんです」ということだった。先述の本殿は古代日本の建築様式で国宝に認定されており、住吉大社の格式の高さがうかがえる話しだが、神社建築の専門家ならいざしらず、ぼんやり見ているだけでは建築様式の違いには気づかないが、全国の神社をめぐってきた中田の目は確かだった。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="427" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/11/10282019_tabi_1988.jpg" alt="" class="wp-image-30857" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/11/10282019_tabi_1988.jpg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/11/10282019_tabi_1988-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">海の神「住吉神社」のパワースポット</h2>



<p>住吉大社は、約1800年前に建立された由緒正しい神社。全国に2300以上ある住吉神社の総本社として、<span class="swl-marker mark_yellow">大阪では古くから「すみよっさん」と呼ばれて親しまれている</span>、摂津国一之宮（摂津地域で一番社各が高い神社）だ。正月三が日には、200万人以上の初詣客が訪れる。約3万坪と言われる広大な境内にあるのは本殿4棟のほかに、摂末社あわせて27社。住吉というと海の神のイメージだが、<span class="swl-marker mark_yellow">「航海安全の神」以外にも「祓の神」「農耕の神」「和歌の神」「武の神」「相撲の神」「招福猫（招き猫）の神」などなど、まさに日本古来、指折りのパワースポットだろう。</span></p>



<p>他にも、渡るだけで“お祓い”できる「反橋」や、意思を持ち上げたときの重さで願い事が叶うか否かを占うことができるという霊石「おもかる石」、『五』『大』『力』と書かれた石を拾い御守にすると願い事が叶うという「五所御前」など、見どころが沢山ある。むかし話で有名な『一寸法師』が、実は住吉大神の申し子だったと言われているのを初めて知ったが、一寸法師のようにお椀にのって写真を撮影することができるスポットがあるなんてものユーモアがあってよい。にぎやかな場所にあるため、常に多くの参拝客が賑わっていて、大阪らしい活気を感じさせてくれる場所でもある。東京の都心ではかつて神社仏閣があった場所に高層建築が建てられ、敷地の一角にコンクリート造りの小さな本殿がおかれているという景色をたまに見かける。だが、住吉神社は100年後200年後もきっとこの地にあり、大阪の人々を元気づけていることだろう。広い境内を歩き、本殿に二礼二拍手一礼しただけで、パワーをもらえたような気がした。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="427" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/11/10282019_tabi_1983.jpg" alt="" class="wp-image-30858" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/11/10282019_tabi_1983.jpg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/11/10282019_tabi_1983-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/30854/">全国2300の住吉神社の総本社「住吉大社」／大阪府大阪市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>未来に受け継ぐ新しい名刹「神勝寺」／広島県福山市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 01 Nov 2021 08:57:52 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[景色]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/11/main.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>ミュージアムを併設する神勝寺 中国地方で、広島市、岡山市、倉敷市に次ぐ大きな都市で知られる福山市は、戦後の工業化とともに、経済規模が急拡大し、瀬戸内地方の主要都市のひとつになっている。福山駅には一部ののぞみが停車するなど [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/30763/">未来に受け継ぐ新しい名刹「神勝寺」／広島県福山市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/11/main.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">ミュージアムを併設する神勝寺</h2>



<p>中国地方で、広島市、岡山市、倉敷市に次ぐ大きな都市で知られる福山市は、戦後の工業化とともに、経済規模が急拡大し、瀬戸内地方の主要都市のひとつになっている。福山駅には一部ののぞみが停車するなど遠方からのアクセスがよいのも魅力のひとつである。地理的には瀬戸内海の真ん中あたりに位置していて、中心地の賑わいもさることながら、海沿いの街並みも美しい。ジブリの名作の一つに出てくる港町は、ここ福山市の鞆の浦（とものうら）がモチーフになったと言われている。<br><a href="https://szmg.jp/about-us/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">神勝寺</a>のある福山市沼隈町はJR福山駅から車で30分ほどの場所。平家ゆかりの史跡が点在する町としても知られている。<span class="swl-marker mark_yellow">神勝寺は、昭和40年に初代町長で常石造船2代目社長だった神原秀夫が開いた禅寺で、常石造船の創業者、神原勝太郎の名前にちなんで命名された。</span>約7万坪の敷地に築370年の古建築や、復元された千利休の茶室、寺務所〈松堂〉などが点在し、建物の間を結ぶように手入れの行き届いた美しい庭園が配置されている。<span class="swl-marker mark_yellow">すべてを回りきるには半日必要なほど高大な敷地の中に、歴史、現代美術、食、そして『心身の垢を洗い流す』禅の精神を体験するための日帰り入浴ができる「浴室」まで兼ね備えた新感覚の名所となっている。</span>京都などの名刹とことなり、数百年の歴史を持つわけではないが、その趣、風格は名だたる寺に劣ることはない。『神勝寺 禅と庭のミュージアム』は、建築家の藤森照信やアーティストの名和晃平ら、現代を代表するクリエイターの手によって2016年に造られた。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="427" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/11/07162019_tabi_2265.jpg" alt="" class="wp-image-30766" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/11/07162019_tabi_2265.jpg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/11/07162019_tabi_2265-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">未来に目を向けることができる新しい名刹</h2>



<p>「広々として気持ちいいですね。毎日散歩したら季節の移り変わりを感じられそうですね」<br>全国各地の寺をめぐってきた中田英寿もそこに流れる空気を心地よく感じているようだ。広々とした敷地には、植物が生い茂り、せせらぎが流れる。新しい寺でありながら、どこか落ち着いた雰囲気が感じられる。<span class="swl-marker mark_yellow">ゆっくりと坂を登り眺めのいい本堂で参拝したら、坂道を下ってアートパビリオンである『洸庭（こうてい）』へ。芝庭には低木が植えられており、見ごたえのある景色の中には、四季桜と呼ばれる桜が植えられている。この桜は年2回、春と秋に開花する。</span>秋になると、紅葉の中に可憐に咲く桜の花がみられるのも幻想的である。境内でもひときわ異彩を放つ、こけら葺きの舟形の建物は、名和晃平と彼が率いるSANDWICHが手がけたもの。入場は30分間隔で区切られており、暗闇の中の水辺にさざ波が打ち寄せるような演出で、更に心を落ち着けてくれる。和の素材、建築様式と現代アートが融合したような不思議な佇まいだが、境内をゆっくり歩いたあとだと、そこに禅の精神が宿っているようにも思えてくる。</p>



<p>おそらくこの寺は、100年後、200年後、さらにその先もこの地にあり続けるだろう。その時代の人々は、平成の時代に生まれたこの寺をどんなふうに感じるのだろうか。歴史や過去ではなく、未来に目を向けることができる新しい名刹といえるだろう。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="427" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/11/07162019_tabi_2277.jpg" alt="" class="wp-image-30767" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/11/07162019_tabi_2277.jpg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/11/07162019_tabi_2277-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div>

<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="427" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/11/07162019_tabi_2320.jpg" alt="" class="wp-image-30768" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/11/07162019_tabi_2320.jpg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/11/07162019_tabi_2320-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/30763/">未来に受け継ぐ新しい名刹「神勝寺」／広島県福山市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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